「日本一美しい廃線跡」旧国鉄 倉吉線
こんまミーや。サンセットセットでござい ます。 今日来ておりますのは鳥取県のク吉市。え 、ここ吉市にはかつて国鉄時代に走ってい た暗吉線、その配線跡が今なお残っている ということで、そこがハイキングコースと しても人気。そして一部区間ではとっても 美しい景色も見られるようなので、え、 今日はその配線後を歩いてみようと思い ましてやってきております。で、以前です ね、え、2024年の5月1度ここ暗吉へ 行きた時にその配線後一部歩いてきてるん ですよ。で、それが、え、市駅から ちょうど今映しているこの天神の向こう側 の騎士まで、あの辺りまで以前歩いてきて おります。で、今回はその続きをここ天人 側の反対側の騎士から ずっと この先辿どって歩いていこうと思っており ます。では、この後もゆっくりとお楽しみ ください。 で、先ほどの天神の部分、あそこに、え、 武田鉄橋という橋が鉄橋がかかっており まして、それを渡り終えたちょうどこの 先辺りに 倉吉線1つ目の駅、上田駅というのがあっ たようです。あれ当時の移行ですよ。あれ 兄弟の後。これ絶対そうですよ。ね、 こっち側にもほら、 箸がかかっていたその兄弟の名残りが ここに残されております。この上を勝つて の暗吉線は走っていたというのがこれを見 てはっきりと分かりました。 はい。で、その橋を超えたところから このかつての配線跡が綺麗に言道として 整備されています。さあ、この辺りに上田 駅というのがあったはずなんですが、その 名残り一向がどこかないかちょっと探して みましょうか。 さっきからずっと目に入っていたこの 石作りのモニュメント。これは何かな? うん。 あ、あった。見つけました。これです。 暗吉線上田駅。後地 よ。やっぱりちょっとね、広くなってる ようなところ何かしらあったんだろうなと 思ったらやっぱりそうでした。駅ですね。 今はこのような形で残っております。これ が倉吉線かつての上田駅があった場所。 その後地です。 よし、ではここから先も一直線に続く配線 後進んでいきます。この辺りはね、まだ 住宅や商店や建物が多く立ち並んでる地域 。このど真ん中をこう一直線に突き進んで 歩いてきております。 ほんまにもう気分転換にちょうどいい ところやな、ここ 家の近くやったら毎日でも散歩したいわ。 で、そんなこと言ってたらまた 目の前に現れましたよ。 近づいてみたらこんな感じで こちら時空というタイトルのモニュメント 。 へえ。あ、それでね、これほら、またこう いった彫刻あるじゃないですか。ま、ここ にもね、ほらで、ま、気になって調べてみ たら ちょうどこのU歩道、配線後のU歩道が ですね、緑をテーマにしたモニュメントが 飾られている。そういう風な空間として 活用されておりました。 こうやってね、 配線後散索する方のね、楽しませてくれる 演出いいですねと言ってたら、あ、ここを ご覧ください。蒸気機関車C11型。あ、 これ入れるんかな?入って良さそうなんで 。 よし。蒸気機関車の運転台登ってみ ましょう。 さて、どのような空間なのでしょうか。 すっごい。 いや、このゴツゴツした感じがええよね。 自気機関車って。 うわあ、かっこええな。ちょっと座って みようか。ちょっと危機器を壊さないよう に気をつけながら。手前の速度計ってあり ますね。圧力系で。このね、線窓、 ワイパーがぐるぐる回る線窓ですね。ここ から前方を見ながらこの手元のハンドルを 操作していた。お、かっこえ。 ここのケーキ見たら昭和59年10月検査 って書いてありますわ。 私昭和55年生まれなんで、つまり私が 生まれた後もまだ現役で走ってたいうこと になりますよね。は、 いや、私より蒸気機関者を知らない世代 ですけれども、ただ私の知らないところで は現役で走っていたんですね。昭和10年 製造 川車川崎車両ですかね。 あ、ここに書いてありました。 このSLに関して詳しい解説書きがあり ます。はい。ゆっくりがゆっくりご覧に なりたい方はここで一時停止してご覧なっ といてください。 この奥鉄道記念。 じゃあ入ります。 動画撮影オッケーかな? 自分でつけて、自分で消して帰って くださいと。 おお。 さあ、 うわあ。 すごい。かつての この周辺の歴史が展示されています。 さよなら。そうなんです。の今歩いている クライフ線昭和60年3月31日で廃止 配線となってしまったんですね。 それより以前の時代 あ、これがあれですね。今日のスタート 地点あの天神側にかかっていた武田川撤教 。 ま、この辺りはざっとカメラにと移して いきますので、はい、こちらの方も ゆっくりご覧になりたい方は実際にここへ お越しになってください。 ほお。 はい。こんな風な施設です。昭和47年吉 線のダイヤ。 当時 よし。こんな具合で 列車が運行していた時代。昭和47年の ことです。 では一通り見終わりましたのできちんと 消灯して帰ることにしましょう。あ、 そうそう。それで大事なことを言い忘れて ましたが、この 鉄道記念館、そして公園SLが生態保存さ れているこの場所、ここにかつてのうつ駅 があったようです。そのう駅の後地がここ です。 はい。今そのう駅のあった後地、え、 さらに進んでいこうとしてるんですが、 横幅の広い敷地がここからぎゅギゅっと 絞られて、再び単線でこの先進んでいった ものと思われます。 さあ、U歩道の区間はここで終わり。え、 この先は、え、自動車が走る道へと転用さ れている様子です。 はい。ではまた次の川を渡ることになり ます。これが 小が川っていうかな。小が川を渡ります。 で、おそらく 、え、かつての暗吉線は今この画面の中央 の奥の方へ伸びていってたものだと思われ ます。というのは橋の麓もっとですね。 この路地がこの道とはちょっとるような 角度で斜めに 道が敷いてあるのでおそらくこの道のこの 線に沿っていくとあっちの方向に多分線路 が伸びてたんだろうと推測できます。はい 。じゃあ、先ほどの場所から川を渡ってき まして、この見えない線をなぞっていくと 、川を渡ったと うーんと 多分こっちの方向に来とったんじゃないか なと思うんです ね。 なんとなくここの土地ちょっと斜めにね、 区画があるような気がするんですけど、ま 、多分ここでしょうね。この先へ線路は 繋がっていたものと思われます。さあ、え 、どっちから行こうかな?こっちから 行けるかな?で、ちょ、進んで行ってみ ましょう。 ここですね。ここを多分走っていってたん でしょう。 よし、でこの先 進んでいきます。 こんなん見つけました。これ溝にかかって いるこう歩いて渡るための橋というか、 踏板というか。 これ間違いなく配線跡からね、再利用した 枕木ですよ。 はい。そしてここありました。 これ 公園のように整備されておりますがレール が残ってます。 ホームのベンチをイメージして立てられた 屋根でしょうかね。はい。これ西倉敷駅の 後地です。 今ここ ですね。現在ちょっとペイントが 剥がれかけてますけれども。 ええ、これホームの高さってこる 、え、こんなに低いホームだったんかな、 昔。 え、どうなんだろう。ちょっとこっち側 行ってみよう。こっち側もホームあったん かな? 一面2,000のホームか。 いや、どうなんだろう。分からへん。どう いう形で駅や本、駅舎やホームがあったん か分からへんけど。でもま、こういう風な 形でね、公園として 残されております。 西倉敷駅。 え、先ほどの、え、西倉敷駅から、え、南 方向へと進んできまして、え、次の次の次 の駅、赤金駅があった場所がおそらくここ だと思われます。 移行であったりとか看板のようなものは どうやら残されてないみたいです。あり ました。ありました。ここに駅があった 名残りと思われるもの見つけました。さあ 、これです。ほら、駅前自治公民館。駅前 って書いてますからやっぱりここ駅あった んですよ ね。今はもうこういった公園広場になって ますけれども、確かに駅のあった名残り、 それがこの 駅前公民館。この看板に残されておりまし た。よかった。見つけられた。 よし、じゃあ次行きましょうか。 さあ、ついに来ました。 暗吉線の廃線後。本当に面白いのはこっ からです。 自動車が走れる道路はここまで。そして ここからほらご覧ください。 線路がそのまんま残されております。 旧暗吉線廃線後 当時のまんま残されてる区間がここから先 しばらく続いていきます。 線路の上を歩きます。 はい。線路集団標式。これが車両侵入禁止 の看板として使われてます。こっちも。あ 、こっちもやな。 ま、配線となったものは仕方がない。それ を観光地としてこのように活用してくれ てるのは とても感謝すべきことです。で、そういう こと話していったらここ振り返りますと 観光案内所があります。 行ってみましょう。 はい。裏側から回ってきた。あ、山駅。 これ、これですね。この暗吉線の集客駅と なっていた山駅の駅名表と腕式信号機。 こんなんがここに移設して残されてます。 はい。で、ここ配線後観光案内場所 ちょっと入ってみましょうか。ちょっと 動画撮らせてもらってもいいですか? ありがとうございます。 かつて使われてたものが残されております 。 第三角全面防衛。 あ、皆さんが撮った写真が数々並べられております。 あ、こういうジラマもでは、え、観光案内所で少し休憩も兼ねて休みましたので、これからこの先これですよ。耐久と林、こっからが 1番面白いところです。 さあ、 ここから左へ。ちリンエリア約1km。 さあ、行きましょう。 てんてんてんてんてんてんてん てんてんてんてんてんてんてんてんてんててんててん はい。で、ここで 一旦線路が途切れております。銀河鉄道 39のようにこっから空中へと飛び立って いくそんなわけはない。 はい。ここから再びレールが残されており ます。あとちょっと なんかこの辺りなんか これ今でも普通に列車来そうですよね。 なんかこの雰囲気 なんかここ 線路の上歩いても良さそうなんやけど ま、やめときましょうか。うん。こちら側 の一般道歩いていきましょうか。 [音楽] え、このように線路沿いを歩いてきまして 、このしの奥、 この奥に 耐久駅があります。はい。ここですね。 かつて耐久駅があった場所。 [拍手] はい。 耐久駅。 はい。ご覧のように当時使われていた ホームがそのまんま残されております。あ 、 あ、当時の駅名表ももう色わせてはおり ますが しっかりと残されております。 ちなみに今映してるのこれホーム場じゃ ないですよ。ホームよりしたこれ。 線路が敷いてあるところから移しており ます。 普段はこんな味方できませんよね。 はい、ではいよいよここからが日本で1番 美しい廃線後と呼ばれる遊園。その景色を ご覧いただくことにします。 この景色 ご覧ください。 両側から滝が迫ってくる。 この迫力の空間。そして線路と線路の間 から生命力の強い滝がニョキニョキと 空高く生えております。 どうですかこの景色?これ配線後歩けるん ですよ、こんなところ。 すごいな、これ。 まあ、 実を言うと私ここ来る2度目なんで、 どんなところか、ま、実は知ってたんです けど、それでもやっぱりね、何回来ても ええわ、ここは。うん。 すごい幻想的な空間。 今ね、ここ正面誰もいなくなりましたけど 、もうさっきまであの観光客の方、もう皆 さん思いの当時で記念撮影されてる方がね 、大勢いらっしゃいまして。 今日平日の昼間ですけど、やっぱり大人気 ですよ。うん。 ほら、振り返ってみたらほら、こんな ところが歩けるんですよ。線路がその まんま残ってて、 で、 で、このカーブを曲がった先にはい 、トンネルがありました。 はい。え、ご覧のように入り口塞がれて おります。 ま、基本的にこの中、え、通行することは できないんですが、ま、ただあの ウォーキングのツアーやあと複数の団体で のイベントなどをね、企画して申請すれば 、え、特別に中も通行できるということな ので、もしね、あの、このトンネルも興味 あるという方いらっしゃいましたら、え、 ちょっと暗い押し線、配線後トンネル歩く みたいな感じで検索してもらえたら、ま、 その詳細が出てくるんじゃないかなと思い ます。え、ここから、えー、ま、実質 行き止まり、歩いていくのは行き止まりに なっておりますので、えー、一旦引き返し てこのトンネルを迂してこの先回っていき たいと思います。 はい。まもなく停車場接近。 ちょっとこの木も改めてみるとすごいな。 これ もうレールに根っこがめり込んでますよ。 なんでこれあれでしょ?当然配線になった 後にこれだけ成長したわけやからね。 植物の生命力ってすっごいな。改めて 感じるわ。こういうところてみるとね。 はい、では耐久駅戻ってきまして、え、 ちょっとさっきね、気になるものがあった んですよ。こちら 来場記念切ッ符ガチャ。何が出るか ちょっとやってみようかなと思います。1 回200円。はい、出ました。 さて、中身は 山森駅。 線の執着駅、山森駅の入場券入ってました 。 はい。これみんな大好き貢献です。記念に 持ち帰りたいと思います。 ちょっとずれたけど。はい、今日の日付も スタンプしました。 え、先ほどのトンネル迂してきてここあり ました。そのトンネルの出口。 トンネルがこの奥に見えてるでしょうか。 そして線路も途中でぶち切られた跡が見え ます。ここからこの道路をまいで向こうの 方へと繋がって行ってたんでしょうね。 よし、もうちょっと行けば執着山駅に たどり着くことができます。 え、先ほどのトンネルを抜けた暗吉線、え 、ここおそらく通ってたんだと思います。 さあ、 日が沈みつつある夕方。ようやく私も執着 駅へ近づきつつあります。 でもこの辺りも緩やかな坂道登っていって ますね。うん。元からそうだったのか配線 になった後少し整備してなったのかわかん ないですけどおそらく元々このぐらいの 勾配あったような感じですね。うん。線路 剥がされて今アスファルトが敷かれてます がそれ以外はあまり変わってないように 思います。で、この辺り、さっきからこれ 国鉄時代の 国鉄の幼地で歩くことを示す教会区 の字が刻印されてる。これがね、結構 あちこちにこの辺り残ってるんですよ。 ク吉の街中周辺では全然見なかったんです けどね。この辺りまで来たらこの 配線後の両側にもう複数残されたままに なってるのが目に止まります。 はい。おそらくここだと思います。かつて の倉吉線の執着山駅があった場所。この この道沿いにちょっと外れたところ。大体 距離で言たらこのぐらいの位置に教界区が 打たれていたんですけど、あの辺りから この後よりもちょっと広めにこの辺りに あっちもここに教界区が打ってある。 こう横に幅が広がってるということは やはり何かしらの施設があったという証拠 ですからおそらくここがその山森駅のあっ た後地だと思われます。 この教会区以外はもう何ひつ その当時を思わせるもの残ってません。 これ観光案内所でもらったマップですけど 、このかつての山森駅とあと現在の様子。 この景色ですね。 これ ですわ。ここですわ。やっぱり間違いない 。はい、ようやく吉から、ま、今回は、え 、上田駅の周辺から来ましたけど、 ようやくたどり着くことができました。 そして本来はこの暗吉線というのはここ から先も伸びていく計画はあったそうです 。 この先中国山産山地を超えて中国勝山奇神 線へと接続するそういう計画があった らしいです。まあ、事情は分かるでしょう 。なんやかんやでここから先は工事なく、 本来は委員連絡戦として計画されたこの 暗吉線もその1部分だけこの山森駅までで ストップしたと。そしてその山駅までの 区間も1985 年昭和60年に廃止敗線になってしまい ました。その後を今日は辿って歩いてき ました。 はあ、 なんかやり遂げた感あるわ。 は、 楽しんでもらいましたか、皆さん ね、 やっぱりあのち林が1番 いい景色だったんじゃないでしょうかね。 はい。ということで、え、今回は、え、 1985年昭和60年に廃止になりました 国鉄吉線、その配線後を辿っていく動画、 そして日本一美しい配線と呼ばれるその 景色をご覧いただきました。え、最後まで お付き合いありがとうございました。 吸い込まれる。 [音楽]
旧国鉄 倉吉線の廃線跡を辿りながら、途中の見所を紹介します。
特に、竹林に囲まれた区間は「日本一美しい廃線跡」と言われており
観光名所にもなっています。
2:27 上灘駅跡
4:46 打吹駅跡/倉吉線鉄道記念館
11:42 西倉吉駅跡/関金駅跡
14:11 レール残存区間/廃線跡観光案内所
18:37 泰久寺駅跡/日本一美しい廃線跡区間
26:09 山守駅跡(終点)/幻の「南勝線」計画
【関連動画】
倉吉線の廃線跡を倉吉駅(旧上井駅)から天神川まで歩いたときの様子
【BGM/動画素材 引用元】
フリーBGM・音楽素材MusMus
https://musmus.main.jp
音楽研究所
https://www.mu-tech.org/Traditional/index.html
#廃線 #鳥鐵旅 #ホンマミーア
5 Comments
🐧さんの語り口優しくて聞きやすい〜
いいですね廃線巡り
毎日暑くてうんざりしていたので、公園を散歩しているような爽やかな気分で楽しく観させていただきました(*´ω`*)
蒸気機関車もテンション上がりました(´∀`∩)↑age↑
京都の外国人だらけの竹林より遥かに美しいですね。
山守トンネル内散策ツアーに、瀬戸さん視聴者集めて近々皆で歩きたいですね!
私が中学生の時に、廃線になった倉吉線(;^ω^)倉吉近辺は、90年代によく撮影に行ったのですが、廃線跡へ行ったことがなく、観光地化され注目されるようになりました(*´Д`)
線路がそのまま残されてるのが嬉しいですね🤗