ハートにぐっと北播磨【多可郡】 和紙が生まれる音、神が鎮まる森。360°で感じる多可

[音楽] ハリマの国には1300年前の奈良時代 から神が作られていたということが知られ ています。当時は全国でも12人を争う ほどの生産量を放っていたと記録に残って います。また神の本場である中国にも 贈り物として選ばれていましたので質的に も優れていたということが分かっています 。 杉原神の名前が出てくる最も古い文献は今 から900年前の平安地代になります。 藤原のザが自分の子供に素晴らしい過法と 共にす神を送ったと1116年7月11日 の日記に書いています。すでにこの時代に は美しい杉神ができていたということに なりますので奈良時代から続く張神の系統 を強く引き継いでいるものと考えられます 。その後の杉神は鎌倉幕府の紅葉使われる など次第に全国広まっていき町時代以降に は全国で杉神の名を冠無理した神が疲れる ようになります。杉に関してのエピソード があります。1つは豊秀吉が杉神を愛用し ていたということです。秀吉は5年近くの 国で過ごしたことがあるのですが、当時 有馬の代表的特産物であった杉神の良さを 知ったことから織田に健上するシジの1つ に杉300速を送ったと対抗機に記されて います。もう1つは今では定番となって いる初動用紙の阪ですが、元々は大番の杉 を縦半分に切って用いたことからそのよう に呼ばれるようになったということです。 古来から多くの人に愛用されていた杉です が、江戸時代中期をピークに徐々に衰退し ていきます。明治時代になりますと、機械 での精子技術や安い輸入が日本に入ってき たことから日本全体で手き足の勢いが 弱まり始め、杉神も同じく衰退していき、 対象年を最後に休止することになりました 。それから約半世紀のブランクを経て昭和 47年に杉研究所を設立して見事に復活を 果たし、現在に至っています。 それでは、今から紙をすいていきたいと 思います。え、紙をすくには、え、こう いった道具が必要になります。これは、え 、桁と言います。で、こちらに置いている のが酢と言います。これを合わせて、え、 使っていきたいと思います。まず桁の蓋を 開けまして、 はい、こちらの巣をこの桁に挟んでいき ます。 で、え、桁の蓋を押して [音楽] 閉じます。 はい。で、え、この、え、合わせて透けた と言いますけども、今からここに材料を 組み込んでいくわけです。で、今この巣の 上何も乗ってない状態ですけども、え、今 からということでこの上に紙を作っていき ます。ではきます。まず1番最初ですけど も、材料を組み込んだらすぐに前に水を 流します。これ2回繰り返します。これを 化粧水という風に言います。最初は薄い膜 を、え、作るということになります。で、 次から紙に厚みを作っていきます。 すいったらこう上下によくゆって繊維を 強く絡めていきます。 で、杉ハみは主に上下にゆっていく。 ゆっていって線をよく絡めて強い紙に作っ ていきますが、紙によってはあんまりこう 横を入れることもあります。 この上下にする作業を何度か繰り返して紙 に厚みを作っていきます。 よくゆることで丈夫な紙に仕上がっていき ます。 この紙を厚る厚みを作っていく 工程を、え、調子という風な言い方をし ます。 で、そろそろ厚みができてきました。ここ の辺りは食人の缶になります。 で、厚みが終わりましたら最後 また軽くすって前に流す、え、捨て水と 言いますが、この捨て水を割ると紙の厚み ができたということになります。 で、少し水を落としまして、今度は、えー 、この桁の蓋を外します。そしてこの巣 だけを、えー、持ち上げます。この今酢の 上に紙が乗っているわけです。それを今度 は後ろを向いて紙を積み重ねていくという ことになります。上に置きましたらこの巣 を外しますとの上に乗っていた紙がここの 台の上に乗ったということになります。 それが上月の一伝の流れになります。 [音楽] [音楽] Yeah.

荘厳な雰囲気の青玉神社(あおたまじんじゃ)・1300年前の奈良時代からの歴史が紡ぐ杉原紙(すぎはらがみ)研究所では、和紙が出来上がるまでの工程を追いかけています。楮の川さらしは見物です!The CANYON CAMPの夜空は息をのむ美しさです。

Write A Comment