【峠路】鳥居峠 ~白看板と馬頭観音が残る越後街道の峠|国道49号|越後街道|会津街道|新発田街道|白看板|馬頭観音|福島県耶麻郡西会津町~新潟県東蒲原郡阿賀町|2022年5月中旬【車載・探索動画】

[音楽] 懐かしの風景を望む峠道。 国道49号は福島県岩木市から新潟県新潟 市中央区に至る一般国道です。 [音楽] 今回国道49号の球道を走行してトリー峠 を超えていきます。 それでは行ってまいります。 [音楽] 現在国道49号を新潟方面へ走行しており 、早速鳥井峠のある旧国道へ向かいます。 そして旧国道へ入ってからすぐに砂利道の 見路へと変わりましたね。 今となってはただの林動にしか見えません が、当時はこれが現役の国道本来の姿で あったと思われますので、なんだか信じ られないですよね。そんなわけで無事に鳥 峠までたどり着けるのか非常に楽しみでも あります。 さて、これから向かう鳥峠とは新潟県 東原町と福島県山軍西合津町の協会越後 山脈場にある標高199mの峠であり同盟 の峠は他に私が知っているだけでも長野県 と群馬県との教会や山梨県などに存在して いるようです。 若干ながら和立ちがあり、多少なりの通行 はあるようなので、突如道がなくなったり ままみれの配道になったりすることはなさ そうですが、峠までの道乗りは約10箇所 ほどあるカーブ、つずら折りを繰り返し ながらどんどんコードを上げて進みます。 [音楽] [音楽] さて、この旧国道ですが、2000年平成 12年前後の頃は配道真しグの荒れた状態 となっていたようですが、2008年平成 20年頃に再生日が入ってからは肉の車両 でも何く走行できるくらい国道当時の おかげが残る道中なのかなと思われます。 [音楽] 江戸時代の頃、鳥井峠はムの国津若松と 越後の国柴田を結ぶエチゴ街道が経由して おり、これは当時柴田班、村上班の参金 交代に利用されるなどして、当時定められ た合津街道に選定されるなどとても重要な 街道であったとのことです。またさらに トリー峠はエチゴ街道の南所の1つとされ ており、エチゴからはや塩などの産物と それに対して合津からもエチゴに出ていく 産物がこのトリー峠を経由して運ばれてい たとされております。 その後明治時代に入ると当時の福島県で 三島三道市の政作により合津散歩道路の 事業が行われ、この事業では鳥峠を経由し ていたものの旧の鳥峠ではなかったよう です。そして1945年昭和20年の第二 次世界大戦後には本格的な自動車交通の 時代が訪れ、当時越後街道は1級国道49 号に指定されましたが、以前この球道を 経由しており、その後1965年昭和40 年代の国道49号一時改良で現在の峠北側 を経由するルートに変更されて現在に至り ます。 くねくねとした道が続いておりますが、そろそろ峠が近づいてくる頃合いでしょうか。思っていたよがき届いておりましたので、ちょっと片すかしを食らった感はありましたね。 [音楽] 間もなく新潟県との研境付近トリー峠 近づいてきましたが、よく見ると道路の 右側に何やら大きな看板らしきものがあり ますね。 [音楽] ということで、ちょっくら歩いて看板を見 てみましょう。 [音楽] 看板の裏側は全体が赤サまみれとなって おりますが、表側の状態は良さそうな感じ です。 これは通称白看板と呼ばれる1950年 昭和25年3月に制定された案内で標識 コード102の都道府県104の方面及び 距離のものが合体して1枚の大きな看板と なっておりますね。ちなみに看板に記され た平とは現在の福島県市平地区に当たり ます。 [音楽] 峠を超えて新潟県に入り、またもや道路の 右側奥に目をやるととある石碑を見つけて しまいました。 [音楽] [音楽] [音楽] なんとこんなところにも馬ゼ音が設置され ていましたね。 [音楽] 費には1906年明治39年97月21日 と刻まれておりましたのでこの旧国道は約 110年以上前から存在しており馬車など で往来していた車道であったことは間違い ないでしょうね とここから舗路に切り替わり八田集落へと 入ります。 [音楽] なんだか懐かしさを感じてしまうくらい 良い雰囲気の景観ですよね。 ちなみに鳥峠から新潟県東神カ原軍町も 江戸時代の頃は合津半量であり、現在の 研境はかつての国境ではなかったようです 。 [音楽] さて、せっかくなのでUターンして再び 旧国道を経由し、鳥峠を超えて福島県へ 戻ります。 [音楽] 早々合津側から行く旅人からは鳥峠を境に して合津街道、あ川からを柴田街道と呼ば れていたとのことですね。 [音楽] 集落の末端からぴったりと細路から見舗細 路へ切り替わるのが面白いですね。 [音楽] さて、走行当時のことですが、特に何も 考えずに旧国道を走っていた時でした。 [音楽] 実は馬トカゼ音の石碑の存在に気づいたの があ側から戻ってくる時だったというのは ここだけのお話とさせてください。 [音楽] そしてこの白看板だけを見たい方がおられ ましたら確実にあ側から旧国道の八田集落 を経由した方が非常に楽なのではと思い ます。 [音楽] [音楽] ということで、ここからは車峠の動画でも お話しした越ゴ街道について少しだけお さいをしていきましょう。かつて国道49 号の全身とも言える合津と越を結んでいた 主要道でもあった越ゴ街道 明治時代福島県の三島道氏によってされた 合津方道路の1つでもある新潟へ続く道は 合津若松から野沢を通り車峠を避けて徳沢 に下り鳥峠の近くを通って新潟県中区軍3 号村 新潟県上越市から新潟県東原津町 新潟県東神カ原町へと通じる道路の完成に より古くから合津若松から越後の交通を 支えてきた車峠及び鳥峠の衰退が始まる こととなったようです。その後も合津散方 道路とは別に地域の集落の交通経路として 古くからのエゴ街道として賑いを見せてい たものの1914年大正3年に東日本旅客 鉄道の鉄道路線である満越線の開通に伴い 街道としての機能を決定的に失うことに なりました。北道49号はかつて1952 年昭和27年6月に改正された道路法に より当時は福島県が剣道として整備してい た合津若松市から日本松市へ至る日本松 街道合津若松市から新潟県へ至る越後街道 郡山市から岩木市へ至る岩木街道の3本を 福島県と新潟県が整備管理するものとして 1953年昭和28月に新潟県新潟市から 福島県平市現岩市へ至る2級国道115号 新潟平線として指定されました。そして 1962年昭和37年5月の1級国道の 路線見直しにより2級国道115号新潟平 線は福島県平市現岩市から新潟県新潟市へ 至る一級国道49号に昇格し当時の建設省 現国土交通省が整備管理することとなり 国道115号は相馬稲代線として現在の国 115号に指定され、その後1965年 昭和40年4月に改正された道路法により 一級国道49号から一般国道49号に路線 の名称が変更となり、現在へと至ります。 [音楽] やはり比力な車での峠巡りはダウンヒルの 方が景色も良くなんだか楽しい気分になる のは私だけかもですね。 [音楽] 緑に覆われた自然が残る旧国道の越ゴ街道 と鳥峠の白看板当音 はいかがだったでしょうか? 私はすでに廃道となっていると思ってい ましたので探索に向けて気合を入れてい ましたが現在も綺麗に整備されており当時 の風景を感じやすく気楽に訪れることが できる峠道なのかもしれませんね。 ということで、まもなく現国道49号へ 合流する頃だと思いますので、これにて 動画を終わりにしたいと思います。最後 までご視聴ありがとうございました。また 他の動画でお会いしましょう。 [音楽]

国道49号は、福島県いわき市から新潟県新潟市中央区に至る一般国道です。

「鳥居峠」は、新潟県東蒲原郡阿賀町と福島県耶麻郡西会津町の境界にある標高199mの峠です。
今回は、国道49号の旧道[越後街道]でもあった「鳥居峠」を往復走行してきました。

やはり、見所は白看板と馬頭観音ですね!!

#福島県 #新潟県 #国道49号 #白看板 #馬頭観音 #鳥居峠

1 Comment

  1. お久しぶりです。
    これイイですね! 旧道ロマンを満喫できました。
    磐越道を走行中は国道49号線が気になりますが、更なる旧鳥居峠が走行可能だと高速を降りたくなりますよ(笑)。
    49号線は幾つか峠があるみたいなので、改めて過去動画も再チェックします。

Write A Comment