長崎対馬北東部【2025年長崎壱岐対馬旅DAY7・8】

はい、とです。私の旅と美暴録をご紹介します。 今回の予定です。関西から長崎松浦佐賀から経由し、長崎の島津島。この動画では長崎津島北東部の様子をご紹介します。今回はマイカーのアクア GRスポーツを利用しました。 津島3日目の天気もよくありませんでした 。 この日もまず津島を北上。津島空港の 滑走下ろしたトンネルを抜けます。 この日最初に山砲大跡に向かいました。 しかし取り付け道路は非常に狭くり 勾配も急対抗車が来たらどうしようかと 思いました。 マイカーで狭くて急な坂を上がった後、 駐車場からもダートの坂道をしばらく歩き ます。 足元が悪い道を15分程度歩くと 広場に着きました。 レガ作りの建物が見えてきました。 こちらは事務所の後でしょうか。中にも 入ることができました。 奥に住むと砲台と当時使われていたと思わ れる砲弾の模型が置かれていました。 昨日も竿崎公園で砲大跡を見学しましたが 、ここ神山 放題は日路戦争に備えて建設された施設だ そうです。 1番先には 砲台やとか見張台のようなものが残されて いました。 電気が良ければ見通しもいいんでしょう けどね。 続いて国道382号を北上し満席橋にやっ てきました。橋の多元に駐車場があり、 津島は元々1つの島でしたが、旧日本海軍 が軍用館を通すために運河を解 に分かれました。運河は戦後さらに克服さ れたとのとことでした。 ここで明日津島の北勝工発福岡博多行きの フェリーを予約していたのですが、九州 優先から月が決まったと連絡が入りました 。 予約を持っておりになったのは明日の夕方 津島北部の日勝を出航し福岡博多港に直行 する瓶。 安5号津島南部の伊豆原港校を出航しての 裏を経由し福岡博多港校に向かうは秋が あるとのことで振り返てもらいました。 明日津島の東海岸を北上し観光してから 津島北部にある北括校に向かう予定でした が帰りも南部の伊原校を利用することに なったため急遽予定を舞倒ししこの日津島 北東部を観光することにしました。その ため急遽昨日に引き続き国道382号で ひ勝に向かいました。まず明日利用する 予定だった日勝国内ターミナルにやってき ました。ひ勝の街中から少し離れた場所に ありました。 ターミナル内はこんな感じ。伊豆原口港に 比べればかなりは小さいです。 ボーディングブリッジも設置されていない ようでした。 私が予約していた明日の瓶は結構ですが、 この日の瓶も結構。博多からの瓶はすでに 入行している時間でしたが、船は見当たり ません。昨日博多初の瓶も結構だったよう です。 この日の昼食はひカの食堂会館食堂へ行き ました。 津島ひ勝の名物はちゃんとのことでした。 九州の旧単鉱では豚ホルモンの味噌炒め がんちゃんと呼ばれ食べられていましたが ひたカつのとんちゃんは豚バラ肉が使われ ていました。他にはキャベツ、ピーマン、 玉ねぎなどパっとみ中華料理のホイコロの ようでした。実際食べてみるとジではなく 赤唐辛しで絡みが使われていましたが確か に保育の方に近いような気がしました。 ごちそうさでした。 北勝の町の外れにある三浦田浜にやってき ました。 日本のナさ100に選ばれてるそうですが 風が非常に強く飛びスが痛くさっさと退散 しました。 ニ田浜の近くには津島にもう1件ある東洋 コイン津島ひ勝がありました。その棚に 上津島温泉ナ佐の湯がありましたので入浴 しました。 画像はホームページからお借りしました。 恐怖のため露天風呂は閉鎖されていました 。単純線がカ温循環で使われていました。 剣道39号を南へ。昨日も今日も風が非常 に強かったので道路上にはカレ派が散乱し 非常に運転しづらかったです。 狭い剣道通りことと書いて金と読む小学へ シンボルの大腸にやってきます。 金の大腸は過去2度の火災に見舞われて いるものの生き延びている霊1200年と も1500年とも言われる胃腸の木との ことでした。 訪問したのが3月の上旬でしたので幅は 落ちていました。しかしかなり大きな木 です。 過去火災にあったためが補強するための 鉄骨が組まれ支えられていました。 長崎県の天然記念物に指定されているとの ことでした。 続いても擬浜海水浴上へ。ここも風が ものすごく強く飛び砂が当たってとっても 痛かったです。 には軍艦の法頭が飾られていました。 日路戦争当時津島沖置沖で激沈された旧 ロシアバルティック艦隊の巡用館 ナヒーモフのものだとのことでした。 さらに南に何かしも 無然神社にやってきました。 ここにも立派な胃腸の木がありました。 津島と橋で繋がっている沖島と赤島に 向かいました。こちらは津島と沖島の間に かかる住吉大橋。 津島側の海のほりには住吉神社がありまし た。ここにも海の際に鳥がありました。 沖島から赤島大橋を笑って赤島へ。 この辺りには島と島の間に細い海峡、水道 が多く見られました。 ここで再び九州優先から電話があり、この 日の午前中に振り返え予約した明日津島 伊豆原港から博多広域のフェリーが月に なったとの連絡がありました。 これで明日マイカーで津島を抜け出せない ことが確定してしまいました。 さらには 今日明日津島を出航するフェリーが全て 結婚してしまったため、津島から福岡博多 港まで上戦する車両が溢れているそうで、 明後日の博多域のフェリーは全車両輸送は 満席とのことでした。ガーン。 食行便は満席とのことでしたが、津島から 足辺との別の港路に利用したイン道事故 から佐野カ津東校までは秋があるとのこと でそちらを飛び飛びで予約しました。 ペリーの次に抑えなければいけないのが 宿泊施設。この日3泊目となる東洋コイン 津島伊原に戻ってきました。 幸い空があり、一泊をお願いしました。 この日の夕食は伊原の居酒屋星野へ行きました。まずは生ビールを注文。最初に刺しを注文。手前がイカ。 そしてブリがカンパチ 真ん中がサザエ ブリはトロの部分も強されました。カンパチは歯ごたえが良く香りが良かったです。ブリは油のりが良かったです。この日のお刺身のイカ。 昨日すみっこで食べたイカの味が良かったのでイカの子を注文。イルしたもの炭合えでした。熱取りとした食感でした。メニューに大衆そばがありましたので締めに注文しました。津島で昔から栽培されているおそばだそうです。梅は半透明。 具肉に津島椎茸かまぼ 梅は味わい深かったですが温かいそばだったせいかそばは歯ごた応えはありませんでしたが良い味でした 中学生の時バりばっかりやったベート ごちそうさでした津島 4日目の朝も天気はよくありませんでし この日フェリーで九州に戻る予定でしたが 、フェリー全員結行のため、この日も東洋 津島伊原に宿泊です。この日の朝食も3日 連続で宿泊先の東洋津島伊原のバイキング で昨日の朝食とポテトサラダがマカロニ サラダに卵焼きがスクランブルエッグに なっていた以外おかでした。出張で長く 滞在する方は飽きちゃうかもしれませんね 。 今回の動画はここまでです。 この動画の旅び暴録です。津島姫神山砲大 屋とは日戦争当時に気づかれたそうです。 古いレガ作りの建物が残っていました。 ただしアプローチする道路が激、しかも 急勾配。正面から対抗車が来たらすれ違う のが非常に難しそうな道でしたので注意が 必要です。 国土382号にかかる満石橋は日本軍が 軍要線を通過させるために津島を2分割 するように作った運河にかかっています。 え、橋の両端の方に駐車場がありますので 徒歩で見学ができます。観光バスも 乗り付けていました。 津島東海岸の木浜海水浴上には旧ロシア バルチック艦隊の巡用の方針が記念に残さ れていました。え、後で聞くとこの辺りは 地元の津島の方でもなかなか行くことが ないという卑境です。天気が悪かったのが 残念ですけども、天気がいい日には景色は いいものと思われました。また行きたいと 思います。美ロでした。 この日この後は伊豆原の周辺と津島の南部 を巡りました。次の動画でお会いし ましょう。

2025年長崎壱岐対馬旅DAY7・8(FEB/MAR.2025)
9回シリーズの7回目です。

訪問先:
東横イン対馬厳原、姫神山砲台跡、万関橋、比田勝港国内ターミナル、会館食堂、三宇田浜、上対馬温泉・渚の湯、琴の大銀杏、茂木浜海水浴場、旧ロシアバルチック艦隊ナヒモフの砲塔、六御前神社(イチョウ)、住吉大橋、住吉神社、赤島大橋、ほしのや

体力不足のおっさんが、公共交通機関、レンタカー、マイカーを駆使して一人旅する様子と、備忘録をご紹介します。

皆さんが旅行される際の参考にしていただければと思います。

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