道が無いから海を歩いてみた/ある意味で廃道

皆さんこんばんは。です。今回は石返し 明日の泰助にある予想後に行っています。 石返市のアタは町村合併以前ア田村という 独立した自治体でした。ヤは明日区田と ゴキビルの中間あたりの地名でかつては 海岸沿いに予村集落がされていました。 今回はその集落の鉱石を調べるとあ田村市 に乗っているこちらの謎の移行が現存する のか確か。ということで石返市あ、区堂 11号月線から国道231号に入ります。 ア田の地名は相手民族の折り物である市の 現状であるアッタが問えた頃から来てい ます。江戸時第の年間から名前が登場して おり、和人の季節的なでかすぎ漁場でした 。後に石田 の3場所が開かれ、江戸時代末期には和人 も停住するようになり、別線が30隻以上 する意味合いでした。明治に入ると各地 から集団移住が始まり、集落が形成。明治 35年に一体の集落を合わせてア田村が 誕生しました。江戸時代の安静にされた ゴキビル三道はアサのヤからゴキビルの間 に開かれた10kmほどの感染道路で国道 231号が開通するまで唯一の陸でした。 主義に陸軍が馬や車両による教皇軍を見た というからびっくりです。結局失敗したの ですが江戸時代の三道に車を走らせようと したとは。八からゴキブりの間は険しい 山岳地帯のため昔の技術では海沿いに道を つけることができませんでした。しかし民 たちはそんな場所でも盛が取れるとあれば あの手この手を尽くしたようです。その 痕跡が残っているかどうかこので確かめて いきましょう。国道を進んでいき竹 トンネル前に駐車できるスペースがあるの で入ります。実はここゴキビル三道の ヤス側入り口です。 このように三道の看板が限られており、 案内版もあります。三道は融資の手によっ て保存されており、現在も通行可能です。 で、私の用事は海岸の方だが、国道の橋の 下から降りられないだろうか。うむ。ダめ そうだな。反対側を見てみるとはしごが かけられている。ありがたい。使わせて いただきまして浜に降りました。橋がない と正直きつかったな。降りることはできて も登えないかもしれない。 [音楽] 久しぶりの浜歩き。砂浜と違ってゴルゴし た石が足首に悪い。カオクは現在の国道の 場所に立っていたのでしょう。おっと、 早速何かあるぞ。 これは石ですが何の後だろうか。袋っぽい 感じではありますが、それならもっと海に 生い出していてもいい気がする。したのか 、あるいは袋として掘り込んだ場所が年で 浜に戻ったのか。ともかくここに魚民の 生活があった証です。歩いていくとさらに 移行らしきものを発見しました。 コンクリートの構造物。何だろう?これは 。近くにもう1つ似たようなものを発見し ました。うーん。 浜に引き上げるためのウインチ跡でしょう か。そういう機械の基礎に見える。 なかなか残っているもんですね。これは この先にも期待が持てる。竹トンネルの 小口がちらりと見えますが、そこより先は 旧外地帯。Googleマapの表記では この先にヤスの滝があるようです。それが 今の正式名称なのか分かりませんが、明治 時代の地図では滝沢と表記されています。 トンネル名はここから捉えたのでしょう。 滝沢より先は大沢と言われる場所で昔は2 がよく取れた巨上だったそうです。崖下の わずかな場所に野と呼ばれる施設の 船付き場や二の所有場を作り、さらに足場 のない波打ち際には崖にいくつも穴を掘っ て丸田剤を差し込み上にアミータを乗せて オ来したと言います。 冒頭でポントをお見せしたアスター ムラッシュの写真はその歩コ路の後だった わけです。果たして今も見ることはできる のか。 ちょっと平レな場所があります。明治の 地図だとこの辺にも建物が描いています。 これは自然の地形なんだろうか。いやを 人工的に傷ったようにも見える。何のため と言われると分かりませんがうん。そう いう目で見るかは何だろうか。 この先が安の滝滝沢ですが厚田村の季を 読むと滝沢と大沢をひっくるめて大沢と 故障しているのではないかと思います。の 川加工という救図 で見る限り周辺に川があるのは滝沢だけと いうのがそう考えた理由です。で、九段の 安スけの滝に到着です。 うん。なかなかの工程さ。ただし水量は 少ない。ま、季節や天候によって違うん でしょう。崖のオーバーハングが圧管です ね。この滝を登ったところにかつてバ屋や 二の星場がありゴキビm三道の通行人が 休憩や宿泊で利用したそうです。星場が あったということはそこまで2を運んだと いうことですがこの崖を登ったんだろうか 。昔の人はパワフルだな。じゃあ私も少し 根性出しますか。この嫌を超えてさらに先 に行きましょう。ん、待てよ。ここって もしかして通りやすいように片動門にして いないだろうか。地震モンスタードッグゾ だな。でも可能性はあると思います。 [音楽] いやあ、久しぶりですね。この感じ。 海沿いの配道探索みたいだ。配道の表現が 間違いではないか。しかしここの地形は どんなもんだろう。元々はオーバーハング だったものがこのように落下したと見える 。国道チェリの2018円の航空写真と GoogleMapプの最新の航空写真を 比較すると2018年時点では崩れてい なかったように見えだとすればごく最近に 今の状態になったことになります。崩れた 後に来てよかったな。しかし、それは他の 場所でも起こりるということだから、その ようなリスクのもでやっていることを 改めて肝に命じなければならない。 さっさとこのからおさばしたいと思いつつ も死なないように気をつけるのは前提です 。 で、ここはなんだ?ちょっとドッキリだな 。水深は浅いけど、極力足を濡らしたくは ない。うまいこと足明かりを探りながら クリアしましょう。足がガクガクしている のはぶりのせいかそれともビビっているの か両方だと思います。 ここはどうする?海側危なそうだな。 じゃあ、高巻きすればよい。真剣でやった とこだ。 え、明治の地図の大沢はこの辺りと思い ますが、歩コ羅の後はあるんだろうか? いやあ、新穴らしい穴は見当たらないぞ。 背面から2mほどのところに直径15cm 、奥行き10cmの横穴が1.5m感覚で 23個あったとのこと。アスタ村市の写真 は1960年代の長年のハローで消出して しまったんだろうか。なんとなく それっぽいものがあるような気はするけど 確信は持てません。残念ですが心で退散し ましょう。 さて尺が足りないので剣道を通って ゴキビルの主役に行っています。 竹沢トンネル1978年進行延長 1242m 内側からは分かりませんが滝沢の辺りは川 を渡るため巻き立てが露出しています。 ゴキビル三道から探れば見られそう。 だんだん三道にも行きたい気分が高まって きた。 トンネルの後はすぐに芝内トンネル 2002年進行延長2455 海側に球道があり道沿にはルーラン海岸と いうかの名称があります。大沢と同じく ルーラン海岸一体も2のとして境え国道 231号が開通してからはビュースポット としてしまいました。しかし、国道が振動 に小かったことで現在は立ちできなくなっ ています。もったいないですが現代では 安全どうにもならないでしょう。で、 ぶ島内トンネルの次は新赤岩トンネルに 入ります。2008年進行延長963m。 こちらも球道は海側旧赤屋トンネルにて 通過しました。 新赤いトンネルを出ると左にゴキベル主の 入り口があります。 休道を進んでいくとまもなく交差点右折が 集落です。球道のフェンス前に踏させて もらいましょう。 フェンスの向こうの球道はこんな感じです 。え、こちらがゴキブりの集落。小さな 水際の崖という意味のアイゴが依頼との こと。集落を流れるゴキビル側は厚さ場所 と浜の教会でした。集落にはゴキビル旅行 が整備されています。こちらは集落内に ある旧木村屋です。いわゆる2点の1つで ワイオ設中の冷凍な魅力を持つとなってい ます。しかし老朽化が住んでおりいつまで 姿を保すことができるのか高世のところに ゴギービルサ道の入り口がひそりとあり ます。脇にあるバス停の待合らしき小屋は 三道の休憩所となっています。まあ今後の 参考のためにちょっとだけ行ってみ ましょうか。 乗っけから作定の脇を通ります。 奥にももう1つありますね。 サーを渡る場所にはブロックが置かれて いる。私はナスなので問題ありません。 ここちょっと間違えそうですが、右が正解 です。ここからは勾配がきつくなります。 長靴なので。ちゃんとやる時は登山を沸か ないとな。 急行勾を登ると視界が日焼け総電線の鉄道 が設置されています。三道が総電線の維持 管理に使われているという話を読んだ記憶 がありますが、こういうことか。鉄頭の 草刈りは年に12回行うそうですが、人が 来ないような山奥の草刈り作業なんて 考えるだけでも大変なのが分かります。 まずたどり着くまでが大変だし、熊の危険 や熱中症の心配もあります。電気を使う ためにはこうした地道な作業をする方々が いることを忘れてはならんですね。 日になっているのがありがたい。道も わりかし歩きやすいです。ただし雲の巣が 結構あるので注意してください。ゴキビル 3道のルートは時代によって変更がある ようですが、いえ性をここ車両が通るのは 厳しいですね。雰囲気がつめたのでここら で退散することにしましょう。 ということで今回は石返し八作の安介に ある女向をしいました。ゴキビル賛動側 からの調査も検討したいと思います。では 以上です。ありがとうございました。 [音楽]

今回は石狩市厚田区にある漁業集落の遺構を調べます。
たまには岩場歩きをして生きている実感をヒリヒリ感じるのです。

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BGM、効果音素材

DOVA-SYNDROME 様
https://dova-s.jp/

PANICPUMPKIN 様
http://pansound.com/panicpumpkin/

MusMus 様
https://musmus.main.jp/

甘茶の音楽工房 様
https://amachamusic.chagasi.com/

20 Comments

  1. 海岸の岩場に丸太を刺して歩行路を作っていたとは驚きます🤩
    何度も往来したことがあったのですが濃昼という地名は初めて知りました😊
    暑い中、山道探索までお疲れ様です!

  2. 40歳過ぎてから「確かにそこには人が住んでいた」感が、荒廃した物寂しさ・先人が築いた歴史の重みがたまらなく好きになりました。
    ゾヌさんの変わらない癒しの声も好きです😊これからも動画楽しみにしてます。

  3. よく遠出すると
    「こんなトコに車が停まってるけど何やってんだろう。誰も乗ってないし」
    って事がよくありますけどみんなゾヌってるって事ですね。

  4. 懐かしい・・・😭
    濃昼の浜でキャンプしたことがあるし、何よりも濃昼手前のルーラン海岸は何度も海水浴、スキューバダイビングで行きました。
    地震による崖崩れで新道ができたことで行けなくなったのが残念でなりません・・・

  5. 安瀬海岸を6月上旬位に通ったらトドの死体が打ち上げられてました。撮影されていないということは、もう無いでしょね。

  6. こんにちは
    いつも動画楽しみにさせてもらっています
    ご存知かと思いますが動画にあったルーラン海岸へは濃昼山道から降りる道がありますよ

    2年前くらいに行った時は特に危ないところもなく行けました

    もし濃昼山道の動画を作成する機会があれば、ルーラン海岸へ降りてみてください

  7. 懐かしい濃昼までの旧道😢
    ありがとう。
    そうそう、去年に濃昼を訪れた時には熊出没注意の放送がなされてました。ご注意😅

  8. 厚田から浜益までの区間、海が綺麗だから観光資源になりそうだけど、厳しい自然環境が許さない現実がありますね😂

  9. 水平線がクッキリしていて最高の探索日和だったみたいですね
    自分の住んでる地域ではなかなかお目にかかれません

  10. 安瀬のご紹介ありがとうございます!私も前に、安瀬海岸の左側、倉庫のある芝生横に車を停めて、急坂を歩いて海岸に出たことがあります。もしかしてどなたかの敷地内だったかもしれませんが(ごめんなさい)、素晴らしい風景が広がっていました。その後、反対側の安瀬神社方面に上がり、ひと気のないわりと新しい建物にたどり着きました。以前はピザ?を出すカフェがあったようです。手入れがされていたので、今でも時々主の方が来てるのかなぁ~と。しかしゾヌさんは勇者だなぁ。濃昼山道はちょっこ怖くて行けません。ゾヌさんの動画で見れて嬉しかったです。

  11. 先日波で崩壊した旧道の残骸の上を歩きましたが素人が足を踏み入れてはいけない世界だと知りました。

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