「ファミリーストーリー 家族のキズナ」母から娘へ 3代目女将の想いとは(7月17日放送)
[音楽] 夏になると岡一面にラベンダーが先誇り、多くの観光客が訪れる神の町。 はい。ですね。 うわ、 豚玉丼大盛 サ度返しの米の量に甘から慣れを絡めた豚肉の山。 前回も食べた。 お実績あり。 お客様助 きまえの良い料理で客を喜ばす第 1食堂 なんと365日休まず営業しています。 店を切り盛りするのは名物の神西永リカ香さんです。 [音楽] [拍手] え、どこの上?マークデーク、 デマーク。お、ウェルカムホ ありがとう。ありがとう。明るくていいですよね。元気いただきますよね。 お話旅の人は本当に なんかね、あの、ほっとするっていう ごめんなさい。ノー食だと思ってる。好きだった。好きじゃなかったできないわ。この仕事は。 半端な弁当箱あるからさ。あるある。 これ半端2 代目を神佐々木みさんリカさんの母ですなって あっち手つけたりっち手つけたり また怒られていつも怒られ 44ちゃ毎日怒られてるあと [音楽] 18個 うん 足りないでしょ 5 年前リカさんが3 代目を継ぎましたがさんは 84歳になった今も厨房に立 し続けています。 [音楽] お母さんいつまでいるんですか?今日だと忙しいの投げて投げていきたいけど。 [音楽] ネットの口コみで人気に火がつき、地元の人のみならず外国人観光客も多く訪れます。 [音楽] この店に1 回来たことがあって、また食べたくなってきました。 おいしい。 おいしい。すい。 もちろん表なしも忘れません。 [音楽] ジャパリす。 ありがとう。あ、回して回して。 あとジャパニーオリラビ。 Nextウ。 ありがとう。 ありがとう。いよくよく動くよね。 [音楽] 本当りからてさ、元気いっぱいだわ。真似できないですね。 2人ともね。 せっかく上ぷに来たのにさ、ここも食べるとこなかったらかわいそうじゃん。すっげえ観光名所ってないでしょ。けどたま寄り道なんよここはきっと。だからここで少しでも足を止めていただけたらと思って。 [音楽] 1958年、仙台で祖母の故郷さんが第1 食堂を開業しました。 その7年後、店を現在の場所に移し、母 さんが継ぎます。休まない営業スタイルは この頃から始まりました。 [拍手] ただ育てたちゅだけだわ。食べて育てた だけ。 そんなこも連れて歩くなんちゅうそんなことなかったね。生活に追われて。 ただね、あの子はね、やっぱり食堂が好きだった。野菜も切ったりね、そういうことが好きだったの。 みんなさ、とこ行くじゃん。休みの日とかさ、ゴールデンウィークとかさ、 [音楽] ちっちゃい時さ、海とかさ、 行って行かんか行けんかった。 [音楽] それでも食堂が好きだったリカさんは18 歳の時第1食堂で働き始めました。 最初はさ、わかんないからばあちゃんの やり方でやってたけどだんだんこう自分の やり方やりたいようにやりたくなっちゃう でしょ。なったわけさ。そしたらこうばあ ちゃんとさ、うちの母をなんかね、そんな んじゃダめだとか、そんなリカはこんな風 にするからこんな風になるんだとか めっちゃ言われて親子喧嘩だろさね。一言 言えばこうだ。あだあっちはこうだって 言したろしね。わがまま出るしさ。お互い に担人様でないからね。もうね、 次第に考え方の違いがエスカレートして いきました。 たまに溜まってたんだよね、私がね。うん。それでもう、もういいわって言ってね、荷物をまとめてね、出て帰ったんだよね、もう家に。それからもう うん。 当時リカさんは34 歳。店を出て保険会社に務めることに。しかし組織に馴染めず悩んでいました。 [音楽] およそ1年後、店に戻るきっかけになった のは感地が難しいと言われる病い感出性 肺炎を患らっていた母の姿を見た時でした 。 しばらく会ってなかったけどなんか ちっちゃくなったんだよね。なんかあ、 やべえやべえことしたな私と思ったりも 反省もしてたよ。だけじゃこれは戻って 頑張ろう。 って思った。私もできんくなったらもうカも商売上手だしああ良かったなと思ってる。 おはようございます。 おはようございます。本日 2 時起きでございます。もういつもう来た瞬間から帰りたい。帰りたい。帰りたい。 帰りたい。帰りたいって言いながらやって その生活を もう 早4年と7ヶ月と 今日で10日 年中無休で働き続けるリカさん。 私1 人じゃないって。え、自分と分かってるよ。もう、もうなんかこんな生活やばいなって [音楽] うん。 ったんですけどね。お客さん可愛いだ。 うちのばあちゃんだったらさ、できるべか。 [音楽] うん。 食堂で提供する食事以外にも近くで働く人のために毎朝弁当を作っています。 [音楽] おはようございます。 午前8 時堂に足を運べない高齢者のために見守りも兼ねて配食も行ってます。 [音楽] またね。 おいしいわ。 良かったま。 午前11 時の回転と共にアフレばかりの客が押し寄せます。 [音楽] 午後7 時過ぎ、ようやく閉店。その後は材料を買いに近くのスーパーへ。 [音楽] 翌日のメニューはその場で考えます。何がいるかわかんないけど。 [音楽] いっぱいいろんなもん食べて欲しいからね。いろんなものも作った。 [音楽] 365 日休まずに働き続ける娘を見て母はどう思っているのでしょうか? 健康でね、ずっとやってくれればそれでいいんだ。うん。ね、商売も好きだしさ、嫌な商売してるんじゃないから良かったんだね。あれで食堂やってて一生懸命動いたりするから。うん。楽しんでやってんだもん。そうやってリカちゃんからお手紙が届いております。 [音楽] [音楽] ばあちゃんが 母への思いを手紙に書いてもらいましたの食堂を手伝って早いもので 26年間2人で長い間一緒にいましたね。 これからもしな [音楽] [笑い] これからも2 人一緒にこの食堂をやっていきましょう。長きしてください。ありがとう。 リカりあぶちた。 [笑い] いやいや、これ初 あれなんだありがとう。いいた 1分まだった。
あたたかい家族の姿を描くコーナー「ファミリーストーリー 家族のキズナ」。
今回は、母の後を継いだ、陽気な人情女将に密着しました。
年中無休の小さな食堂の”名物おかみ”母娘の絆
夏になると、丘一面にラベンダーが咲き誇り多くの観光客が訪れる上富良野町。
その中富良野町にある人気店のメニューが…
豚玉丼大盛。
採算度外視の米の量に、甘辛ダレを絡めた豚肉の山!
札幌から:「前回も食べた」
理佳さん:「お客さんへの愛がたっぷり。大盛」
気前のよい料理で客を喜ばす「第一食堂」
なんと、365日休まず営業しています!
店を切り盛りするのは名物女将、西永理佳さん(44歳)です。
理佳さん:「where are you from?」客:「デンマーク!」
理佳さん:「Wow welcome to hokkaido」客:「アリガトー」
東神楽町から:「明るくていいですよね。元気いただきます」
東神楽町から:「話しやすくて、旅の人は本当ほっとするというか」
理佳さん:「天職だと思ってる。好きじゃなかったらできないわ、この仕事」
2代目女将、佐々木美和さん、理佳さんの母です。
美和さん:「あっち手つけたり、こっち手つけたり」
理佳さん:「また怒られた。いつも怒られる。44歳、毎日怒られる」
5年前、理佳さんが3代目を継ぎましたが、美和さんは84歳になった今も、厨房に立ち続けています。
ディレクター:「お母さん、きょうは何時までいる?」
美和さん:「きょうはこんな忙しいのに投げていかれんしょ。投げていきたいけど」
ネットの口コミで人気に火が付き、地元の人のみならず、外国人観光客も多く訪れます。
デンマーク観光客:「この店に1回来たことがあって、また食べたくなって来た。オイシー」
もちろん、おもてなしも忘れません!
理佳さん:「ジャパニーズオリガミ!」外国人観光客:「WOW!!Next winter vacation come back!」
常連客:「よく動くよね。本当行動力あるっていうか。元気いっぱいだわ。真似できないですね、二人ともね」
理佳さん:「せっかく上富良野に来たのにさ、どこも食べるところなかったら、かわいそうじゃん。すごい観光名所ってないでしょ、寄り道なんよ上富良野はきっと。ここで少しでも足を止めていただけたら」
第一食堂の歴史と母娘の別れと再会
1958年、先代で祖母の古里マチヱさんが第一食堂を開業しました。
その7年後、店を現在の場所に移し、母・美和さんが継ぎます。
休まない営業スタイルはこのころから始まりました。
美和さん:「ただ育てたっていうだけだわ。食べさせて育てただけ。どこかに連れていくことはなかったね。生活に追われて。」
美和さん:「ただ、あの子は食堂が好きだった。野菜を切ったり、そういうことが好きだった」
理佳さん「みんなさ、いろんな所行くじゃん、休み日とかゴールデンウィークとかさ、小さいときさ。行けなかった。」
それでも食堂が好きだった理佳さんは18歳の時、第一食堂で働き始めました。
理佳さん:「最初はわからないから母のやり方でやっていたけど、段々自分のやりたいようにやりたくなった。そしたら母に『そんなんじゃダメだ』とか『理佳がこんな風にするから、こんな風になるんだ』とかめっちゃ言われて」
美和さん:「親子げんかなのかね。ひと言いえばこうだ、ああだと。わがままでるしさ。お互いに、他人様じゃないからね」
次第に、考え方の違いがエスカレートしていきました。
理佳さん:「溜まりに溜まっていた私がね。それで『もういいわ!』となって、荷物をまとめて出ていった」
当時、理佳さんは34歳。
店を出て、保険会社に勤めることに。
しかし、組織に馴染めず悩んでいました。
約1年後。
店に戻るきっかけになったのは、完治が難しいと言われる病「間質性肺炎」を患っていた母の姿を見た時でした。
理佳さん:「しばらく会ってなかったけど、体が小さくなっていた。『ヤベーことしたなあたし』と思ったり、反省もしてたよ。だけど、これは戻って頑張ろうって」
美和さん:「わたしができなくなったら、理佳は商売上手だし、よかったなと思って」
365日出勤する理佳さん…第一食堂の一日
理佳さん:「おはようございます。本日午前2時起きでございます。いつもここに来た瞬間から帰りたい帰りたい」
年中無休で働き続ける理佳さん。
理佳さん:「自分でもわかってるよ、こんな生活ヤバイなって。わかってるんですけどね。お客さんかわいいのさ。うちの母がいなくなったらできるべか」
食堂で提供する食事以外にも近くで働く人のために毎朝弁当を作っています。
午前8時。
食堂に足を運べない高齢者のために見守りもかねて配食も行っています。
午前11時の開店と共に溢れんばかりの客が押し寄せます。
午後7時すぎ、ようやく閉店。
その後は、材料を買いに近くのスーパーへ。
翌日のメニューはその場で考えます。
理佳さん:「いっぱいいろんなもの食べてほしいから」
365日休まずに働き続ける娘を見て、母はどう思っているのでしょうか?
美和さん:「健康でね、ずっとやってくれればそれでいいんだ。商売も好きだしさ、嫌な商売してるんじゃないから。良かったんじゃない食堂やってて、一生懸命動いたりするから。楽しんでやってるんだもん」
娘から母へ感謝の手紙…のはずが!?
理佳さん:「理佳ちゃんからお手紙が届いております」
理佳さん、母への思いを手紙に書いてきました。
理佳さん:「早いもので26年間、二人で長い間一緒に居ましたね。これからも…」
美和さん:「ご飯粒」
理佳さん:「これからも二人一緒にこの食堂をやっていきましょう。長生きしてください。ありがとう!理佳より。ご飯粒ついてた。ありがとうございました!」
美和さん:「金一封入れてくれたらまだありがたかったのに」
【第一食堂】
住所:上富良野町
※掲載の内容は番組放送時(2025年7月17日)の情報に基づきます。