【時代に翻弄された悲劇の路線】田園風景に今もなお残る鉄道の記憶 鹿島鉄道線(鉾田線)
こんにちは!旅さんぽです。
今回は、茨城県石岡市から鉾田市にかけて残る鹿島鉄道線の廃線跡を訪れました。
この路線は利用者の減少に加え、頼りの収入であった航空自衛隊百里基地への航空ジェット燃料輸送が、基地の最寄駅から基地へのパイプラインの老朽化と安全保障上の対策から廃止。さらには親会社である関東鉄道が、つくばエクスプレスの開業により利益が減収。それにより経営支援も打ち切られ、ついに2007年、廃線となってしまったという、不幸が重なった悲劇の路線です。
そんな鹿島鉄道線、ぜひ本動画でご覧ください!
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石岡駅の昔の写真の引用表記を忘れてしまったため、概要欄に貼らせていただきます。
表示順に、
https://umemado.blogspot.com/2013/10/blog-post_20.html
https://tks-departure.sakura.ne.jp/kasimahai.html
です。
0:00 オープニング
0:22 鹿島鉄道線の概要
1:14 石岡駅から廃線跡を辿る(BRT区画)
4:58 今も残る鉄橋と築堤
5:45 当時学生で賑わった「小川高校下駅」
9:35 海水浴(湖水浴)客で賑わった「桃浦駅」
11:02 エンディング
8 Comments
やはり百里基地への石油貨物輸送をやめたのが痛かったような気もする。パイプラインを直して、ディーゼル機関車も耐用年数がきたら、例えばJRからDE10を購入するとかして継続出来なかったのか…と思ったものだった。
昔の写真との対比が何とも悲しいですね。
廃線なので仕方ないかもしれないですが、もう少し保存を進めていただきたいところですね。
廃線跡が茂みになっているのを見て鉄道の線路を管理するのは大変な事だと改めて思い知らされました。
廃線跡を行くの大好きです
そして1人そこへ佇み
当時を勝手に想像するのです。
こんなだったんだろうなー
あんなだったんだろうなー…と
ここ最近では、友達に誘われて
長野電鉄屋代線に乗りに行きました。
今では、この鉄道廃線跡のようになってしまいました。
なんだか、寂しくて寂しくて…
この高校の駅は、高校生らが座り込んだりしているのが見えました。
列車を待っていたんでしょうね。
廃線跡には当時の面影はなく
ただ、草木に覆われ朽ちた駅舎が佇み…
涙が出ます…
健気に運営してきたその思いを考えるとツラくて…
長野電鉄屋代線廃線跡を訪ねてはおりませんが、映像などを見ると記憶の場所がみんな更地になっていたり、朽ちていたり…
この動画を見て思い出してしまいました。
廃線跡って、歴史のモニュメントだと思っています。
近隣の方々にお話を伺いたい思いです。
つくばエクスプレスの開業と石油輸送が継続していたならば………😢
もしかして、いまでも……
失礼、つくばエクスプレスの開業がなかったら です。間違えました。
小川高校まで普段は自転車で通っていたけど雨が強い時はかしてつで通っていた。高校もかしてつも無くなってしまって寂しい。
6:10 その話20年前の日立電鉄でも同じでした。沿線の中高生たちが自分たちの足を守るべく貴重な時間を割いているのは実に気の毒でならないと思います。彼らは何の罪もなく、責任は鉄道会社や親会社、自治体、沿線の高校といった大人の側にあるから…