通行人が数人のシャッター街に観光客が殺到!? 新品なのにヴィンテージな激レアデニムにマニアの中で人気爆発 今や聖地となった滋賀県東近江市の挑戦に密着

[音楽] 人通りが少ないはずのシャッター商店街にマニアが砂と。調査するのは初めまして。入社 [音楽] 18年目ではありますが心は若手 MBS アナウンサーの川本三正です。どうぞよろしくお願いいたします。 今回の舞台東大市は滋賀県を代表する有名人が生まれた場所。 [音楽] それが横断歩道などで見かける飛び出し坊 。この男の子の名前は何でしょう? 正解は飛び出し とび田君です。 [音楽] とび田君の誕生は昭和48年。高度経済 成長期に自動車が急速に普及したことで 交通事故が増加。そこで子供の飛び出し 事故を未然に防ごうと東大市の看板屋さん によってこの看板は作られました。 と君は今年で52歳。 今では関連グッズが作られるほどの人気に 。 結構、あの、このグッズ目当てに来られてあったって言って喜んで購入されていきますね。 では目的のマニアが殺藤する商店街は の本町商店街に行って見られたらいいかと思います。 その商店街は妖日市駅からほど近くに商店街の中に入ると確かにシャッターが閉まっているお店が多く見られます。 そんな中、 これ立派な連れありますけど 商店街の中ほどで見つけたのは今年で創業 79 年目の佐野成肉店。相の人気ナンバーワンは大牛コロッケだそうですが [音楽] 見てください。ハムカツ。ほらここにもハムカツでもう 1つここにもハムかつ。 ハムカスだけで3 種類もありますよ。すごい。うち チーズが今とろって出てきてて。これもうまいっすね。いい感じの仕になってます。 もしかしてマニア殺東の秘密はこのハムか? ここちょっとデニムの聖地 っていうので今商店街がやってるんです。 デニムの聖地? デニムの聖地?はい。 え、デニムってあのジーンズとかジンとかの そうです。そうです。 あれですか? そうです。 え、ここにそんなところがあるんですか? そうです。 ええ。 そこの連れもそうですね。 本当だ。 これよく見てみたらこれデニムのあの生地ですね。ええ、 [音楽] そう。本町商店街は今デニムが熱い。これらの旗もジーンズのポケットをイメージしたデニム記事。引き続き商店街を調査しているとなんかこの辺りだけ急に雰囲気変わってきましたね。アメリカの国旗が見えます。 あといつもとちょっと違う雰囲気のとび田 君が なんと君もデニム仕様に。このお店こそが マニア殺藤の49。2007年に本町商店 街にオープンしたアメカのセレクト ショップです。 マニア殺のデニムは店の奥にあるという ことで案内してもらうと 見せてもらったのは一見どこにでもあり そうなデニム。 一体何が特別なんでしょう? [音楽] ヴンテージって言われるそういう昔のものを、ま、今この時代に自分たちの工房でこうやって作ってそれを、ま、販売させてもらってるのがここなので ビンテージという言い方ではありますが新品の はい。そうです。これはもう新品。 販売されているデニムは店内の攻防で手作り昔の味わいや質感を表現しているんです。 [音楽] このデニムを求めてイベント時には 200 人以上の大行列ができたこともそんなマニアを魅了するデニムを手掛けているのが 東大は デニムの政治 49 の代表小中義明さん小中さんが作るヴンテージデニムは 1930年代から1960 年代にアメリカリーバイスで作られたデニムを表現しているそ で、実際に当時のデニムと比較してみると 幅とかも はい。 こうやってやると全く一緒でしょ。 あ、ぴったり一緒です。あ、同じ幅ですね。 [音楽] はい。運シも一緒でしょ。 はい。 当時のものと重ねてみても縫い目の幅までもがぴったり同じ。 もしこれ値段つくとするならばおいくらぐらいになるんでしょうね。 うん。もうもう4桁わ。 1000万以上。 はい。 服でそんな値段聞いたことないです。 でもビンテージ買える人おっても怖くて切れないです でしょうね。 はい。 家を切るみたいなこと。 家切るやから雨降ったら偉らいことですよ。 そうですよね。 はい。 ビンテージデニムを着たくても高すぎて気軽に着ることができない。それならば自分で作ればいいと考えた小中さん。あらゆるビンテージデニムを見て独学で研究し、現在の形にたどり着いたのです。 [音楽] [音楽] 中でも1940 年代のモデルがマニアに人気だそうで 1940年代って何がありました? お世界対戦という戦争があった頃ですよね。 そうです。そうなんです。その対戦モデルっていうのが 5年間だけ作られてるんですよ。 はい。 それがまずすごい 戦中は物資が不足していため戦後モデルと比べてデニムの使用が異なります。 [音楽] その対戦モデルの特徴が 本当はね、ボタンが5つボタンなんです。 はい。 でも1個取りなさいってなって4 つになっての分かりますか? ボタンが1234ですね。4 です。 対戦モデルは戦後のものと比べてボタンの数が 1 つ少ない上に胸ポケットの蓋もない。さらにもう [音楽] 1つ対戦モデルには大きな特徴が。 [音楽] で、さらに言うと縫いが荒い、非常に汚い。 ああ。 で、この時代唯一あの素人募集してるんですよ。 ああ、そうなんですか。 はい。工場が。 へえ。 戦治中は未経験者や未熟な職人が働いていため縫いが荒い。時代の特徴を忠実に表しているんです。新品なのに当時の味わいを表現できる理由。 [音楽] その秘密は小中さんの工房に こんな感じです。 おわ、見てください。ものすごい数のミシンがずらーと並んでますね。これ実は [音楽] 1900ま、10年20年30 年ぐらいの年代のミシンになります。 デニム作りに使うミシンもビンテージのもの。 さらにミシンの数にも秘密がある。 1 台ぐらいでGパちゃうかなみたいな。 はい。全部同じミシンでやって。 はい。なるほど。なるほど。実は僕らが今調べたとこでいくと 16種類 にま仕事が分れてて はい。 そのそれぞれにミシンがあるっていうのが分かったんですよ。 はい。 で、それがこれです。 パーツや縫い目によってミシンが異なり、 16台のミシンを駆使して1 着のデニムを作り上げているんです。例えばジンのポケットの上側の部分は生地同士を巻き合わせて縫うミシンを使います。巻いて巻きながらチェーンで塗る。 うん。うん。うん。うん。 はい。分かりますか?生地を前こうですね。はい。これがやっぱ今のジーパンやってないので、これも昔の時定です。 お中さんは毎日 12 時間も作業しているそうでこうやってずっと手でやってるから手の筋肉がめちゃくちゃ発達して ええ、 こういう手のね、なんかなんかよくわからんですけど、この厚み はい。 私の手がこれですから全然違いますよね。ここのところが 厚み まさに匠の手。さらに指先はインゴの色が染みついています。 [音楽] でもどうして小中さんはシャッターが目立つこの商店街でお店を始めたのでしょう。 元々僕の地元なんすよ。 あ、そうなんですね。 ここが ええ、 ま、ほんまにほんまシンプルにこの地元好きだけなんすよ。 はい。 もうそこも何の偽りもなくて、もうただ好きやし僕の店がそこにあったし、それがたまたま商店街にあったからやったぐらいのそんな感じですよ。 小中さんがお店を始めたのは今から 29 年前商店街近くの商業施設の中にあった小さなお店でした。その当時何をやってもお客さんがけえへんっていうもう伝説の角があって はい。 でそこ2つだけ開いてたんですよ。 でそこやったら使わしたるって言われて ええ チャンスって思って でその2つからスタートです。 へえ。うん。 僕の考え方はじゃあやれる場所あるだけええやんと何やっても誰も消えへん場所って言うてはのが人の話であって俺らやったら呼べんちゃうのと。 そこから徐々に店舗を拡大しフロアで 1 番の売上にまで成長。その後本町商店街の中にあった自宅を回送して現在のお店をオープンしたんです。 当時の商店街の雰囲ってのはどうだったんですか? ま、地獄ですね。 地獄。もう多分 1日に人の通り 3人ぐらいっていうもうお化け出そうな はい。 商店街でした。 それでも小中さんはこの商店街に人を呼ぶ自信があったと言います。 僕ら元々誰もけえへん場所でやってるんであんま関係ないですよね。 ああ、こう違和感なかったというのか ないです。 もうそこの経験あるから、あの、お客さん来ること分かってるから、あとは僕ら次第やるなっていうのではい。 あそこでやるっていうのにはもう何の躊躇もなく行きました。 すると小中さんの読み通りお店は大強。そこにはある秘密が。 我々が作ってるデニムはてないんです。 ええ、ここで問題。 [音楽] ヴンテージデニムを求めてマニアが殺藤 するわけ。は小中さんが決めているある ルールがあるから一体どんなルール でしょう? [音楽] デニムを買いに来た人に話を聞いてみると 今日は静岡の浜松からきました。 このお店はネット販売をしてなくて、えっと、このお店に来て しか購入ができないので、 そう、手作りのビンテージデニムはネット販売をしていない。そのためイベントがあるとデニムを求めて商店街にご覧のような大行列が。 僕らはお店をやってお客様に来ていただい てものをこう感動で渡してやってるのがお 店やってる人間の仕事やのにこんな画面 だけでポチポチされて顔も分からんどこの 誰も分からん人に物渡してお金だけもらう のなんかやなと思って逆様に渡すのは物 だけじゃないんですよね思いとかこういう 匂いとか空気も渡すのが僕はお店やってる 人間のできることやと思うんでやっぱその 通 販売だけで売るのはどうかなというとこに至りました。 うん。 こうしてデニムを求めてやってくるお客さんが増えたことで商店街全体にも嬉しい影響が [音楽] 今までずっと長いことやってるけどやっぱできてからとできてない前とではも全然違います。 若い人がおになるようになったのでこう食事したりつでも揚げ物の相材を買っていただいたりっていうので そして小中さんのお店の隣には去年クレープ屋さんがオープン。こちらではデニムをイメージしたブルーのサイダーを販売しています。うん。 もう夏が口の中に来ましたね。 本当暑い時にこうごくごく行きたくなる。 そんな感じですね。 なんかデニの地なんだなんか商品があればなんかこう本町商店街としてちょっと書きづくんじゃないかっていうことでさらに小中さんのお店の向かい側にもかつて新服店だった場所を回送してホテルがオープン。 [音楽] [音楽] 客室からは小中さんのお店が見えるということで ナイズのお客様でうちに泊まっていただく方っていうのは当然ま、イベントの時 100人ほど並ばれることがあるので そういった時には上のテラスからその見ていただいた列の状況を見てじゃそろそろ行こうかなっていうことで降りてきていただいてここから列に並ばれるっていうこともあります。 オーナーの栗田さんは以前は市役所の職員。この商店街の移り変わりを間近で見てきました。やっぱナイランスができて商店街に通られる方の若い方々でやっぱりおしれな方々が多くなってきてるなっていう印象を受けて。 [音楽] [音楽] ええ。 はい。 まあ、今もまだシャッターがしまってるお店も多いんで、ま、それはこれから僕たちがみんなで 協力して商店街の空いてるお店にまた新しいお店に出ていただいて僕らもやっぱ日本一の商店街しようと思ってるんで はい。それをね、内乱さんとか皆さんと一緒に力合わせてできたらなと思ってます。 うん。うん。 商店街に徐々に活気が戻り始めていますが、小中さんには何よりも大切にしていることが [音楽] 元々法制業で結構閉鎖的なんですよ。 あ、そうなんですね。 あの、こんなオープンでやらないですね。 やっぱ技術がバレるとか見られるとかっていうのはやっぱ隠したがるお仕事と結構やられてる方はもうほんまに缶詰でもうもうどない とこでもひたすら同じもん伸ばされてって言うてるのをいっぱい耳にしたんですよ。 で、皆さんやっぱりしんどい、やめたい、安いとかっていうなんかネガティブな言葉が多い中で僕は 窓つけてお客様に見られてオープンでできるお仕事になればそれが子供が見たり、もしかしたら大人でもね、なんかそういう思いのある方が見た時にああ、こんな仕事もあんねやな。やってみたいなになればいいなって思いで、っていうのを考えました。 [音楽] ここで問題。 法制業の魅力を伝えるために小中さんは あることを始めました。それは一体何 でしょう? [音楽] 駐車場に入ってきたのはトラック。 車体の側面にはインパクト抜群のイラストにデニムの聖地への文字がトラックに詰まれているのはずらりと並んだミシン。実はこれ [音楽] 2 台をステージにして行う移動ファクトリー。 えっと、来れない方のためにも、えっと、じゃあ 1 回ぐらい俺ら行きますからと、その名目があって作ったのがそれなんです。 [音楽] 今年3 月には東京豊洲のイベントに出。するとデニムを求めて 300 人以上の大行列がデニムを通じて法制業の魅力を発信。 [音楽] そして地域の活性化を目指す小中さんにはさらなる野望が 滋賀でメ下が取れて その滋画面で作るデニムみたいのができるのも、ま、全部じゃなくていいんですけど、一部そんなことがあってもいいのかなっていう風には 現在量から 現在量からちょっとこの滋賀で完結できる何かもあってもいいかなみたいな。 [音楽] たえ、その地域とは縁がないものでも情熱 を持って続けることで新たな名産品は 生まれるのです。

今回の舞台は、滋賀県東近江市。
八日市ほんまち商店街の中にあるマニア殺到の人気店が…
アメカジのセレクトショップ「FORTY NINERS」。
代表の小中さんが店内の工房で作る
ヴィンテージデニムを求めて200人以上の行列ができることも!
小中さんがシャッター商店街に出店を決めたのは…「地元愛」。
「俺たちなら人を呼べる!」という自信があったワケとは…?

〇西乃風ブラン堂〇
毎日放送(MBS)にて毎週月曜深夜0時59分から放送中

■西乃風ブラン堂番組公式サイト■
https://www.mbs.jp/nishinokazebrand/

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