<郷土史を歩く>第2回 勝坂遺跡公園(後編) 2025.03.29 (宮ケ瀬レイクサイドエフエム)
武が見えてきたよガブよ今夜 [音楽] [音楽] も村地山地836 宮レイクサイドFM [拍手] [音楽] ですさあ続きましては強市を歩くでござい ますえ相模らしい歴史馬会の会長でござい ます大さんと共にえ相模の強を歩くこの コーナーでございますえ今月の頭でしたか ね1回目の放送ということで相模原市荒磯 地区にあります勝坂遺跡公園えこちらを大 さんと共に歩きましたま大さんはねこの 勝坂遺跡公園のま設定とか制定とかねえ そういったところに尽力された方でござい ますのでそういった思い出話を聞きながら の歩き方でございましたえ勝坂遺跡公園と 言いますと勝坂遺跡というねこれはもう 荒磯地区が誇る相模原市が誇る日本が誇る 縄文時代の遺跡でございましてそれに まつわるま公園まつわるというかまそこが あった場所にある公園という表現の方方が 正しいかもしれませんけど ねさあ前回は春伊勢公園の駐車場から春 遺跡公園まで歩きましたえ今日もね大き さんと共に今年を歩いていきたいと思い ますえ今日はですね勝坂遺跡公園の中に ある縄文時代の住居跡を再現しましたえ 縄文の縦穴式住居この前のところから スタート です当時の人たちのねあの生活の後もね 当時はこういった家がいっぱいあったて ことですいやさっきも言ったにいっぱいは ああいっぱいはすけここにてみたいて感じ なんですねだこれもそこほらくぼんでるの ははいあのなぜくぼんでるかって言うと 元々あそこに家があったんだよでその家が あの世代の交代化あるいは移動した後の人 が来た時にそれをまた改良して家を作る こともあるんだけどその隣に家を作ること もあるんだようんうんうんだからこういう 風に縦穴住居がある隣にはあのかつて あるいは前に住んでいた家の跡っていうの があくぼ地として残るんだようんでそこに こう使ってた日常品を捨てたりするからあ そうすると縦穴重機発掘調査をすると 縦の住居の中から帯びしい時がたくさん出 てくるはいでそれはそういう風に考えるん だねっていうその1つのストーリーの中で このあえ住居跡あるいはその隣の廃絶した 家の跡というのをこ確認していくそういう 並びになってるんですねそうそうそうこへ 来てねそれをま子供たちにあそこは何なん だろうねっての問いかけをしてで子供たち にそうだねそうも考えられるねとかって いうことで子供たちのその歴史に対する 考え方ってのかな一方的な記憶じゃなくて うんえ自分がどういう風にえ考えてるのか あるいは今の自分の生活どういう風に見 てるのかっていうことを引き出してくうん そういう教材にするってこだよねでこれ 作るの大変だったんじゃないですかこれ いやこれこれはだって俺委託だからああ そう委託でこういうの作るとこあるんです いわゆる業者だから業者であるんですね作 で私なんかは古い人間だからそれこそ反 世紀前の人間だからはいあの新州だとかね あるいは東北や九州の人たちもあるいは あのま特にそうね岡山あの辺りの人たちの ようにね縦穴住居発掘調査をしてその縦穴 住居を色々比較することによってどんな家 だったのかっていう模型を作ったりうん あるいはそのそに自分たちで当時のを使っ てじゃ家を復縁しようよっていうそういう 運動があったんだけどね昭和40年代から 50年代まそういうような 家作りをしたいなっていうことを私は考え ていたああなるほどまでも当時の文化庁の 人たちとは愛入れ なか業者に任せましょって話ま業者に任せ よってか四角に訴えるそういう中ではえ きちんとしたものを作りましょうっていう うんだけど縄文時代の人が果たしてこれ だけのものをすごいしてますもんねなんか こ言とやっぱあのま柱をねあの中柱なんか を見てはいま分かるんだけどさ よいしょまここにあの死となる柱がこう ここだと1本2本3本4本5本ぐらいあん のかなはいでそれでそれをま合唱的にあの 屋根をあのたきで拭いてるんだけどあして これだけのねものが 木材をねはい当時石だから縄文時代はそう ですよねこんなに綺麗に切れ切れなかった でしょしそうそうそうそうそうまあの叩き おるっていうことだからねうんあの木を 倒したりそれから木を割ったりはね石でも 簡単なんですよはいだけど木をこうあの なんていうの小口を取ってこう切 るっていうことはねうんもうほとんど 難しいやねですよねから昔のほら縄文時代 のあの丸く船なんかが発掘されることある んだけど多くはだから切り倒したやつの 端っこをこう削って真ん中人間が乗る ところはもしてるよねおおうんそれでこう 単価さしたものをこう削ってあなるほど それでいわゆる船にしてるよね人が乗れる ようにうんだからこう木なんかもこうなん 叩いて切り口を作ってそこを持したりして あの倒したりっていうこともするだろうし まするとしてもこういう風に木をこう立っ たものをこんなこんなにや るっていうのはまちょっと現実すぎでは ないよねまあ確かにあの今でもさ例えば ほらあのま私はあのえっとまトナアジアと かも行くんだけどもはいあのま簡単に言え ばYouTube見てもらえば分かると 思うけどYouTubeで今ベトナムの人 やフィリピンの人たちの生活っての いっぱい発信されてるじゃないはい見ます 見ます未だにま彼らはその簡単に身の回り にある竹田とかうんあるいは廃材であると かまそういうものを使って匠に家を作っ てるよね今住んでるうちでさえでうんうん だからそういうこと考えると縄文時代の人 の果たして家って考えるとねあの三内丸山 だとかさあるいはまやいでもあの九州に 行くとえあれなんだっけえっと佐賀県に えっと吉野吉野はいま吉野狩の時代もう鉄 が入ってるんだけどやいだからうんそれに したってさうんいや別にいいんだけどはい あそこまで綺麗なものを作る必要があるの かなっていうのは感じるよねまそうですね うんあんまり現実的じゃないやねうんで やっぱりあの季節的な移動をしてたんじゃ ないかっていう考え方をする人は多いやね ああ10年も20年も同じ場所同じ家を使 うってことはああやっぱりそう ないんだろうでま人類学の人たちがあの よくあれするんだけどあのあのネイティブ インディアンの人たちがさはいはいあの 時期的にある場所へね例えば日本なんか だったらこれはあくまで想像だけどねはい あのま相模川も多分当時はえっと鮭がね 相場したと思われるんでね想像ではねそう いう時期にまそのまこの辺あるいはこの1 段下のところに家を作ってねそこでこう 狩猟してあのま魚良だねしてそれでそれを あの解体したりしてえそしてそれをえま 干肉にしたりっていうような形ででまた どっかへこう移動するとかねあるいはこう あのどンこう非常にこう取れる時そういっ た時にそういうものが豊富なところへこう 移動してブラを作るとかねそういうある なんか一定の時期あるいは季節場所にあの それまでこう分散してた人がそこ集まって あそこでこう え一段が詰まってそれだけの人間がね春 からまたね夏は秋冬そこ1年間いてさらに それが2年も3年もいたら多分これ辺の ものて食性っていうのは当然れるんだろう ああ確かにそうそうですねうんいわゆる 最終文化だからそとやっぱりまた違うとこ にこう移動してていうことはそのさっきも 言ったあのまネイティブだとかねあるいは アフリカとかねまそういったところま人類 学の人たちの成果が多いけどねまそういう 風には考えてますよねいや確かにそうです ねそれは確かにそうですねま縄文時代じゃ なくてね野時代になって米作水工作はは逆 に水を作るってことは定住することによっ て水ってのは作られるわけでで水っていう のはは作と違っては作ってほら輪作障害 ってあるじゃんはいありますね何度も作っ ちゃめてことそうだ同じ場所に麦は負け ないし同じ場所におかは負けないから3年 開けないとあの負けないから同じ場所には ねうんだけど水は同じ場所に巻けるわけだ つまり同じ場所い逆にね水ってのはだそう いうことで定着して住してくるってことは ま当然の考え方として出てくるわけだけど ねだから縄文時代の人考える時にそういっ たあの考え方っていうのかな実際の今の それに近いような自然ま最終民族の生活だ とかあるいは最終民族の記録だとかそう いうもとあと発掘調査して出てきたもので 考えてるという方法取ったがいいから考え 方を取ってくとね多分にちょっと立派 すぎるなっていう感じはするよねこれほさ こっちとこっちはどう違うここれはあの 草ぶきだよねでこっちはね土を 被あそうなんうんで土を被せた本はね保温 性が高いんですまあ見た感じそうですよね うんただ土を被せるってことははい もうそう想像できんでしょ はい重くなるとかそういったことですか うん湿気だよねああきああ中のそうですね もう腐っちゃうはいはいうんだからそれ それこそ一時しのぎだよねああ草きって いうのはあんなに見事な草でなく普通に草 を拭くんであれば通気性があるからはい うんあくまで屋根え屋根っていうのはその ほら雨ついをしむししむのがいわゆる あのなんて家っていう発想じゃないはいね はいはいだからそれが本来であってでただ その当期うんうん冬になるとそれそれだけ ではえ済まされないすごいあの寒い時期に なるとそれを保温性高めるためにこう土を 被せるってことはあの考えられるしうんま 犬てのようにあの氷で家を作ったりするっ てこはね当然あるわけだからあるんだけど ただ土を被せた家は持たないやねうん実際 その白調査で出たえっとどこだっかえどこ だっかな私も行ったんですよはい復縁した とこね行ったらもう崩れすあそうですよね なんか見た目2年ぐらいでねもうダメに なっちゃうすでここもそこをっっちゃった んだからこ入ああそういうことへんでます もんねこところっっちゃったあもう腐っ ちゃいますよすぐにそうですよね日本はね あのま博物館でこあの教えたけど日本って のはカの入るうん気候だから湿度と温度が あるからうんうんヨーロッパはほらあの それがないから昔の中世の絵なんかその まま残るけど日本は残んない絵でさえ残ら ないのうん建物でねいくらそこで毎日火を 炊いていたとしても土をかしたらだめだね ああでも土を被せなければ過ごせない季節 があったんですよそういうことなん でしょうね非常に寒い季節 そうそうだからユニットなんかだって動物 の怪我をまとったり動物の怪我を家家を家 を覆ってテントにしたりっていうのはその ね寒さからしのぐためにやる本を試すとは やるわけでだからこれはこれとしてだから 冬なら冬の住居っていうのかな土かせて いうものがありますよで一般的なものが ありますよまそういう事例として出してる わけねやっぱ昔の人も生活のんですね やっぱこうやって色々考えてま必死っって いうか今みたいに便利じゃないから逆に はいそれこそほら我々のなんてゅうのかな 数台前はいえ江戸時代だとか江戸時代も中 ぐらいの時代っていうのはほとんどがどで どの上に柱を立てた要するにま荒屋のと ようなところに住んでいたわけだからそれ を思えばさそんなに 悲惨なわけでもないと思うみんながその 生活してられまそうそうですねうん1人 だけね今のような家に住んでたってんだと だいぶねなんでうちはこんななんだって いうけどみんながみんなそういうとこや 住んでればベトナムのようなそうですねま ベトナムが悪いっていうんじゃなくてね インドだとかそういったところのま普通の 山岳に住んでる人たちの生活ってのは みんながみんなそういう生活してるわけだ から話しで子供が今でも遊んだりしてる わけでだからそういうとこに住んでいれば その靴がなくてもあるいは着るものがね下 に置いて上に置きてというそういうことが なければねうんうん歴史見る時になんか やっぱりこう今の感覚で見ちゃうとやっぱ なかなか理解できない時もありますよね 当時のことっていうのはそうねだけど子供 たちは意外とそういうの分かるんだよね うんあの直感的になんでなんでっていう 子供の発想の中にはそういうなんていうの かな さあこの時間は京都市を歩く相模 レキシコン若のえ大きさんと大き会長と共 にえ相模の共同車を歩くということで今回 は春田関公園歩いておりますがえお聞 いただいた通り風が強いでしたあれなんか 収録中あんま気づかなかったんだけど今 聞いたら結構結構風強いねうんま坂遺跡の 中にある縦穴中教前でのお話でございまし たやっぱりこうやって保存して再現してえ それで歴史を伝えるっていうことには いろんな手法がありますけどま大さんが 言った通りみんなでえその時代を体験 できるようなえ復元の仕方っていうのは ちょっと僕もねいいなと思いましたね みんなでね立式住居作ったりとかしたら やっぱ当時こうだったんだってのは分かる しなんかあの思い出にすごい残るよね うん是非やってみようかと思いますみんな 集まってやってみる さあえ共同車歩くということで相模です 歴史公会の大木さんと共に歩いております がえこの勝坂伊勢公園から勝坂伊公園の 駐車場まで歩き ますまえっと県のねえま有名なええ歴史家 はここじゃないのかっていう言った場所は この辺りだよねこの辺りに多分5分があっ たんだろう5分がってことはま時代は全然 違います時は違うということですもんねま 古墳時代まこの辺にま高須式の大きな古墳 があってはいからこのえっとなん相模川に 沿った崖のところに横穴興奮放血興奮がず たねあそれでただのあ滝のところまで ずっと続けてあの興奮がずっととブンブし てえあんなとこまでですかそうそうあり ますね今日滝の工の中写真は残ってるわね えで谷原古墳の一部は今あのただ向原伊 公園の中に復縁してらね1個 ね古墳時代にあのこの辺りに人が一距離 来るんですそうです粉時代やっぱりそう やって川沿いていうのはもう長いでやっぱ みんな済むんですねあやっぱりねやっぱり 水水なんですよねうん水がないとねうん こればっかり は住めないやね 水がある特に泉があるとね水つっても 流れる川があってもうんあさっきそうそう 飲料としてはらしくないからね分水が やっぱり必要だよ [拍手] ね昔もここは第一だったことですねおここ 大1ここここここからこう下がっちゃああ なるほどここここ も発掘調査っていうのはもうこのこのカサ エリアはほとんど全域に渡って掘るもんな んですそうだね大体やってるねこの道路 作った時にやったんだこれ昔球道入っ球道 ではいこれ新しく作った道だからはいそれ あの縄文時代の1番早々期はいのあの立あ こ使だから当地としてはだから非常に 珍しいもんでへうん まただだけどそこもじゃどうなんだなんて ったけどそこ残すなんったこれ道路でき なくなっちゃうあ道路できなって一声でき ないからそうですねうんそれは記録保存し て今博物館に展示してあるあそうなんです かそう縄文時代の早々期縄文時の最初の頃 の度機嫌とはい旧跡時代最後の石それが 同じ場所で同じ重出てき [拍手] たさ日の勝坂遺跡公園をえ相模荒らし歴史 公和会の大さんと一緒に歩きましたえま このね勝坂地区というのは至るところに この縄文時代の遺跡があるということで 何かしら開発をすれば遺跡に当たるという とこでしたでもねそのね遺跡を残すために 開発をしないとなると今度は人がなかなか 進めないところになっているということで そこのね攻め合いというか妥協案というか そこでどこどうやって歴史を残すという ことと人が発していくっていうことを両立 させるかっていうところは非常に難しいと いう感じでしたねうーすごいねでもカサっ てすごいねあの辺行った遺跡だった遺跡な んでも出てく何でも出てくると変だけどさ 是非ともね強度士というのはこういった フィールドワーク歩いて感じることが たくさんありますえ京都市の舞台というの は皆さんの周りにいくつもいくつも存在し ますんで是非とも皆さんもお時間ある時に 強を歩いてくださいえ強を歩くまた次回も ですね大さんと一緒に宮相川町旧つ軍 そして清川村の歴史を歩きたいと思います [音楽]
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次回のコーナー放送は4月予定
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相模原郷土懇話会の大貫英明会長と相模原市の郷土史を歩く。
今回は「勝坂遺跡公園」(後編)
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