「ブラっと!歴史を歩く」ロマン感じる 甲府城下町の明治スポット

[音楽] ブラッド歴史を歩く。 さあ、今回のスタート場所なんですが、ここはどこでしょう? 本日している場所は府市の中央 3 丁目になります。今回は明治の町に関するスポットがありますので、今日そちらをご紹介したいと思います。 明治ですか?今度。 はい。 山梨の歴史を追い求めて 30年。市教育委員会佐々木充さんです。 [音楽] そもそもここはどういった通りなんですか? はい。フリップでね、 ちょうどですね、この 通り。 これ、 そうですね、このこの通りがずっとこう南の静岡の方にこう抜けていくあの魚町という通りになってまして、元々この辺に魚市場とかそんなものが この通りが皆さんの台所支えてたみたいな。 はい。そうですね。 今もその名が残る魚待ち通りで注目の場所が こちらになります。 こちらですか? はい。 おお、また 確式高そうな建物ですね。 時代を感じさせるこの建物は こちらの方が商帝というですね、 江戸市代の中頃にこうオープンした両亭の後の建物になるんですけども 両亭だったんですね。そうなんです。 死の中心にありながら航空を逃れた商帝。当初は 3階の建物までありました。じゃ、ここで [音楽] 1つ歴史クエスチョンです。 お来ました。 来ました。ここの建物ですね。利用した超有名人誰でしょう? 超有名人? はい。 この両亭を利用した歴史的人物は じゃここに来たのは はい。 ここに来たのはこの方です。伊藤広さんが実はこの場所にいらっしゃったということが この部屋の中に実はその証拠があるんです。こちらですね。 ああ。 はい。はい。よく見れば 分かります。ここ。 ここ 伊藤ひですね。 伊藤広文は中央線通時に幸福を訪れ小定を利用した。そう。 [音楽] 大学労という風に読むそうなんですけれども、 大学労 富士山とその 3 階立ての建物を比較してですね、同じくらいとは言いませんけども、ま、非常に立派な高い建物だねっていうようなことを読んで残したんじゃないかなという風に思われます。 県内外の用人御用しの高級両亭。今も大切に保存されています。 [音楽] その魚を通りすぎると近代山梨の基礎を作った重要な場所を発見です。こちらですね。 [音楽] [音楽] おお。証拠道でいいんですか?佐さん。 そうですね。証拠道と読みますね。 はい。小中高校取り扱い書店。 はい。 どんな本屋さんなんでしょう? こんにちは。 こんにちは。あ、いらっしゃいました。 出迎えてくれたのは天手の東浦さん。 とっても歴史がある本屋さんだって伺ったんですけれども、創業ってどのくらいなんですか? え、創業名治 5年1872 年ですか? はい。そうですね。 1872 年 153年目ですね。 5 代目天手東浦さんの早祖府次郎が起こした証拠道。 [音楽] 出版人として江戸にいた英治郎が山嵐に来たわけとは 元々ですね、明治政府で全国に学生というそういう学校制度を作った時にですね、この交付山梨で教科書を作ってくれと言われて、ま、江戸からここへ、え、来たわけです。 [拍手] 証子歩道は山梨で初めて教科書を制作する出版社となりました。 [音楽] 当時の教科書には初代次郎の名前が え、これが教科書。 そうです。 触っていいです。 さ、どうぞ。 え、これはどういった教科書なんですか? 知事ですから。知事ですね。 あ、これ見てください。 県内の山が書かれてます。かれてますね。 沖山が富士山でで、八ヶ、駒。 はい。駒 で、これ高さを記してるってことですよね。 そうですね。ち、富士12327 尺か。 あ、あ、 あ、尺って書いてありました。 じゃあ当時は尺で測ってこの山の高さを比較してたという 山梨の教育の石を作った鼓道。今も独自で出版もしています。商人の町をブラッすると近代明治の足跡がありました。 [音楽]

今にぎわいを見せる甲府城下町を、歴史目線でゆるーく探索します。

シリーズ6回目はロマン感じる甲府城下町の明治時代スポットです。

さぁ、いつもの景色が変わります!

(2025年7月10日 YBSワイドニュースで放送)

YBSニュース
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