【旅エイター】ドローン空撮「 我が生まれ故郷・色川」 『64歳からの一人旅』日本の旅・海外の旅

え、これから私の生まれ故郷である和歌山 県ナ浦町 を、え、ドローンで、え、撮影しましたの で、え、それをご覧いただこうと思います 。 え、私はこの色川の1番奥の集落になり ます。貸原というところで、え、生まれ ました。え、そして中学卒業まで、え、 育ったんですが、今からナ和浦町の役場が ある勝浦から色の中心地、大野、そして、 え、私が帰った小学校のあるか、 その奥の坂橋と柏原までを、あの、順に 撮影していきましたので、え、それをご覧 いただきます。 [音楽] まずは出発点のカ浦からです。カ浦は、え 、西日本で1番マグロの水上げ量の多い ところで、え、温泉の町でもあります。 [音楽] お [音楽] おロワ [音楽] [音楽] お [音楽] [音楽] [音楽] え、勝浦から天、え、そして、え、JR駅 があるんですが、え、夏の海水浴上ですね 。え、それも見えています。 [音楽] 色川は、え、元は色川村と言いました。え 、昭和30年に勝浦町や町 などと合併してナカ浦町になりました。 合併した昭和30年は、え、私が9歳の時 ででしたけれども、え、604初体そして 、え、2932人の方が住んでおられまし た。 え、平成30年にはですね、え、193 初体、333人という人口になっています 。え、色川生抜きの方だけで言うとなんと 169人、え、なのだそうです。 なぜ人口があ、増えているのかというと、 全国から移住してこられた新規の住人の方 が、ま、いわばアイターンの方ですね。え 、その方々が半分くらい、え、おられると いうことなんですね。 ここは南平の地区です。え、剣道から下に 降りていってですね、え、人家があったの で、え、この南平についてお話を伺おうと したんですが、え、おすばかりで、え、 なかなかあの人と会うことができません でした。 え、走行しているうちに、え、塩崎さんの 奥様が車で来られましてですね。え、 そして、え、お家へ入ってくださいと言っ て招き入れてくださいました。 え、ちょうど 以前郵便局にお務めだったという、え、 新者様もおいでになっておられてですね、 え、その95歳になるという塩崎さんの お母様に色々話を伺いました。 え、私の父親のお母さん、え、つまり私の おばあさんですけれども、この南平野の 出身なんですね。え、それで、え、 いろんなことをお伺いしたいと思ったわけ です。 [音楽] [音楽] え、ここは小坂地区です。え、妙法山に 登っていく道路からですね、見ると見晴し がいいのでそこから写真を撮りました。 え、小坂について伺うと、え、どなたか人 がおられるところと思って、え、郵便局に 伺いました。ちょうどこの日はお休みだっ たんですけれども、え、西浦様に色々お話 を伺うことができました。 [音楽] 私が子供の頃にはなかった円満寺公園です 。 現在色川の盆踊りなんかは、え、他の地区 では行われてないんだそうですけども、 この円満寺公園で、え、唯一行われるんだ そうですね。 [音楽] [音楽] ここは唇色地区です。 え、現在最も初対数も人口も多い地区なん ですね。 え、正面に見える、え、立派な石垣きの 残るオタクは、え、私たち下向い、え、毛 の総本ケにあたる清水漬け の元の屋敷後だというんですね。 え、清水漬けというのはですね、え、平の 清森の孫で、え、これ森のまたその長男が 作ったということなんですね。 [音楽] [音楽] 私が小学生の時に来たことがある唇色のお 寺です。懐かしく思い出しました。 下向会家の話に戻りますが、え、口川の 清水本家の15台森明の次難である森地が 下向会家の初代だということです。 それから後坂橋の初代商屋になった下向い 理が 12代目になります。 こちらは剣道沿にある立川 診療所です。 診療所のすぐ近くに茶工場があります。 色川の気候がお茶の栽培に適していると いうことで、え、私が子供の頃お茶の栽培 が始まりました。 ここは色川の中心営地とも言える大野地区 です。 ここにはナ町役場の広川出張所や郵便局 などがあります。え、私たち子供の頃には 、え、3つの小学校と1つの中学校、え、 あったんですけれども、それが配合されて 、え、現在は広川小中学校になってですね 、この大野にあります。 [音楽] 広川小中学校の生徒数なんですが、小学校 は17名、中学校は6名、合計23名と いうことでした。え、保育園も付属で、え 、あるんだそうでして、え、現在10人の エンジが通っているそうです。 ここは私が通っていた色川中学校が当たっ ていた後地です。私は柏原から3年間片道 6kmの道を1時間半かかって、え、歩い て通いました。 [音楽] [音楽] お [音楽] [音楽] 耕地区です。 ここから 西の方面に向かって坂足や柏原など、え、 いくつかの集落があって西武地区と呼ばれ ていました。 [音楽] その西武地区の7つの集落から 小学校に子供たちが通っていました。 お [音楽] [音楽] お [音楽] [音楽] え、ここは互いとの一部になるんです けれども、え、か護地区です。 え、ここには私たち子供の頃には、え、小 学校、小学校があってですね、え、ここは 、え、思い出の土地ですね。 小学校はだいぶ前に、え、 大野小学校に統合されて、え、もう学校は ありませんけれども、え、故郷塾という施 ができています。 え、これは、え、アイターンの方々を 受け入れるための施設だと思います。 え、私たち子供に回った二宮近次郎の銅像 が昔のように立っていました。 [音楽] その故郷塾でですね、アイターンの方々の ための懲栄住宅が立っていて、え、子供 さんも産んでおられて、え、ちょっと 嬉しかったです。 [音楽] え、この籠地区は、え、明治剤に増成され たんだそうですけれども、平坦になってる んですね。そして、え、一直線の道路、 この道路は色川で、え、唯一のものです けれども、え、それがあります。 そしてお店屋さんや承人宿ですね、2件 ずつあって、え、ちょっとした町の雰囲気 がありましたね。 [音楽] [音楽] こちらは坂足地区です。 [音楽] ここには、え、坂橋の翔夜として下池が9 台にわって、え、住んでいたというところ です。 この辺りには何元かの下向家の文家の屋敷 があったということです。 これからは柏原地区です。色川の1番奥の 集落。え、そして私旅いた下深いサトルの 生まれ故郷です。 [音楽] 川村が合併してナ和浦町になった昭和30 年には52件254人の人がこの柏原に 住んでいたと言います。 平成30年には元からの柏原の住人は0人 になりました。 平成30年現在柏原にはアイターンで来て くださった2体4人の方がおられます。 この航空写真は1968年に撮影された ものです。柏原にあったくさんの棚田が 見えます。この写真が撮られた2年前の 1966年に私の両親が、え、田畑に木を 植え込んでここを張らねたために田畑の 輪郭だけが見えます。 [音楽] [拍手] もう一度の写真をご覧いただきましょう。いかに変わったかをどうか見てください。この写真は私が両親に故郷の柏原を飛行機から見るという飛行をプレゼントした時のものです。 [音楽] 食林した木が大きくなって上空からでは なかなか正確な場所が分かりません。 小さな川が流れている谷を見て大体の場所 を推測するより他ありませんでした。 室町時代の古文書には柏原の地名が乗って いるということです。 しかし根 され棚田が広がっていた柏原が700年の 時を経て元の緑の森の姿に帰ろうとしてい ます。 [音楽] え、今回の我が生まれ故郷はいかがでした か? いいねと思われた方は、え、是非高評価 ボタンやいいねボタンを押しておいて ください。え、そして、え、感じられた ことをコメント欄に入れていただけると、 え、とても励みになります。え、最後まで ご視聴いただきありがとうございました。 え、またチャンネル登録の方もお願い いたします。

10-1.私 旅エイターは、和歌山県那智勝浦町色川に生まれました。色川はもとは「色川村」でしたが、昭和30年に周辺の町や村と合併して「那智勝浦町」になりました。そのころ3,000人ほどだった人口は今、300人ほどになっています。しかしその半分ほどは移住してきてくださった方々で、その方々のおかげで色川の体裁が維持されています。町役場のある勝浦からドローンを飛ばしながら、最奥の集落、私が生まれた「樫原」までを撮影しました。

 ちなみに、その「樫原」は動画のスタ-トから20分でスタートします。ぜひご覧ください。

私が生まれた集落「樫原」は、海岸線から35㎞入った山の中で、小学校には石ころ道を片道4㎞ 1時間、中学校には片道6㎞を1時間半かけて歩いて通いました。今はその故郷は限界集落を超えて、居住者0人の消滅集落になりました。しかし目をつぶると、山々に響く子供たちの声が聞こえ、秋の黄金色になった棚田の景色が広がります。多くの人々の想いも載せて、万感の思いを込めて作った動画です。

2 Comments

  1. メールにて視聴可能のご連絡いただき、有り難うございました。早々に視聴させていただきました。時代の流れと言ってしまえばそれまでですが、60年代の林業のグローバル化、米の減反政策なども集落の廃村化の一端に繋がっていると思います。人は(私も含めて)よりよいものを求めて離れていく  その一方で、無くしたものになつかしさを感じるのではないかと。私の記憶の中には、幼い時に見た風景は、何事にも変える事が出来ないものなのです。旅エイター(下向様)の動画はその意味で私にとって、過去を振返り、現在を見つめる為に必要なものなのです。

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