南紀州の旅と釣り(1)熊野・新宮の奇岩~鬼が城、花の窟、ゴトビキ岩などを訪ねる

鬼賀城にやってきました。 ここには鬼がいたわけではなく、 タ丸という悪東が 悪児の限りを尽くし、その根拠地がここで あったために鬼賀城と言われたそうです。 この高丸は8世紀から9世紀にかけて活躍 した坂田村まによって討伐されたという 伝説が残っています。 この辺りは地震のために自盤が5回ほど 留気したという記録が残っています。 は流門が系の火災岸で構成された業界癌が 中心となっております。この岩の形は 面白いですね。何か 地面のものを加えつこうとしてるような 感じがします。 確かにこの角度で見ると1500平米 ぐらいはあるかもしれませんね。 屋根の部分も激しい新色を受けています。 この辺りは多方に が見て取れます。 こうして海を望むととても 怖い感じがします。 僕だったらこんな場所は目ジにはしたく ありません。 それにしても至るところでタコの様子が 見えます。よっぽど塩分が良かったのかも しれません。結構道は険ばしくなっており ます。 ここは奥の木度という風に名付けられてい ます。確かに この間は 道が偶然にできたのか、あるいは人工的に 作ったのかは分かりませんけれども、この 壁はどういう風にできたのでしょうか? なんとなく この後に行く小座側の1枚を連走させる ものがあります。 道は 有子道は このようにずっと抜いています。 うん。 これが鬼の広というそうです。 くぼんで見える場所が広と考えられてい ます。 ただお湯はどうやって沸かすんでしょうか ? 鬼だから 行かれば真っ赤になるんで、そうすればと 水はあったまるのかもしれません。 これはかつてあったU歩道のような感じが します。 ただ岩が大きく崩れているので このように海岸沿いに道を作ったようです 。 また橋が見えました。 こうした 人間の 知恵によって 私たちはこうした悲願の姿に 気軽に、ま、本当は怖いんですけど、ま、 あえて気軽に触れることができる というものです。 ここは見事に夕肌が崩れています。 相当高い波の影響を受けたのか、それとも 地震の影響かは分かりません。 中にタコがよく見えるので、 この辺の 表面は意外とも脆ろいのかもしれません。 ここは犬というそうです。 こちらにも階段があるので、 以前はこの階段を上がっていったのかも しれません。 こうなるとここに崩れた場所があるので とても歩くことはできないので 犬戻しという風に名前がつけられ 犬もなかなか渡ることができなかったんだ と 推定されます。 なんだか離れた岩に 木ですか何かの表式らしいものが立ってい ます。 猿と犬と来たので、 あそこは生地が止まる場所なのかもしれ ません。 え、 低い岩という様があります。 多分あれが その低い岩と思われます。岩が木を食った のではなく人口的に打ち込んだんでしょう 。ここにあったお城は タが丸が建造したものではなく16世紀の 前半に有間泉の神という人が陰居として 気づいたと言われています。 現在でも折り割りが残っているそうですが 、 ここは標高150以上あるので、今私が 歩いてるところとは飛行が130mぐらい ありそうなので、僕にはとても登ることは できません。 これが確か岩という岩だったのじゃないか と思います。 そうだとすればあのちょっとしたこん堀り したものが目でこの下が口なのかもしれ ません。遠には霧美浜がよく見えます。 の三浜は熊ノ川が グった細かなき を 黒音の流れによってここまで運んだものと 推計されています。 暑くて 参ってきました。 こっから引き返すだけでも大変なのでと いってもっと進んでも景色はあまり変わら ないかもしれませんのでもうこの冷しで 撤退をします。 確かにこうして斜面を見てみると斜面を見 てみると 犬や猿ではとても 渡ることはできない。相談です。 生地なら飛ぶことができるので簡単なこと でしょうけれども、 こうして下からずっと 上を見ても お猿さんが上がれるようなところはあり ません。 ま、表面が割れてタホニが見えるところを うまく利用せいけないことはないのかも しれませんけれども、 それは相当困難なものがあると考えられ ますんです。日差しがあるので 間の休速ができます。 やっと洗場時期近くまで戻ってきました。 もうこれからは 楽勝です。 はい、戦場時期です。い いの落ちちゃうね。ああ、涼しいです。あ、ここに階段がありました。今は閉鎖されていますが、昔はこっから鬼賀城まで行けたのかもしれません。 それともあくまで鬼専用なのかもしれませ ん。 ここは何か動物のような姿に見える場所 です。 洗浄時は この奥にありますけれども、 ま、左手は洗浄時のジ部だと思われます。 これは鬼をかったんでしょうか?それとも トトロをか取ったんでしょうか?ま、 どちらでもいいような気もしますが。 ちなみに伊勢島から続いてきたリアス式 海岸はこの 鬼賀城で終わり、この南には先ほど言い ましたように 七美三浜という長い さ木浜が続いております。これが獅岩です が、これは国道から眺めると獅のように 見えるそうです。こっから見たでは 動物のようにはとても見えません。 こうしてみると確かに獅士に見えなくは ありません。 しかし 私は獅子というものを見たことがないので 断定はできません。人面岩だそうです けれどもどう見てもゴリラにしか見えませ ん。 ここが花の岩や神社です。 アがンサスがとても綺麗に咲いています。 三道もなかなか綺麗です の。紫がいいですね。 ここには大稲様の鳥が並んでます。 先ほどの紫とこの赤が対象的です。 両側に こ犬が 並んでます。これは丸石シ、丸石神という そうです。 この丸石は 今の地方では最も大きいそうです。 これが花の 岩屋の ご最新です。 最新は 水の見です。 この岩山は高さが45 あります。これを岩倉と呼びます。 これがホ穴で高さ、幅2.5m、奥行き 50cmあります。 ザの御は 焼かれて 死んでしまったので ここ有間村に花を添えてイぎを祭ったそう です。 それでここを 花の岩屋と呼んでいるのです。上倉神社に やってきました。 これから厳しい坂を登っていきます。 上がれるかどうかは分かりません。 てぺんにあるごと引き岩を見るためには この急な階段を登らなくてはなりません。 階段は全部で538段あるそうでこれは 港元の友が進されたと言われております。 見上げるだけで嫌になりそうです。でもまだ 1/00ぐらいしか来てません。え、第 2段階です。まだまだ女の口です。 こんな階段がずっと続いていきます。 最初よりはやや緩やかですが、足場が とても悪いんで並行します。 ややなだらかになってきたのが唯一の救い です。 あ、疲れた。 有水が流れ出しています。 正面には 別の鳥が見えてきました。 でも まだまだ 先なはずです。右手には拙車が見えてき ましたけども、拙車には拙車に行く元気は ありません。 鳥をくぐります。 あれ、 なんかもうすぐな感じですね。 あれ、 こんなに楽だったとは思えませんけれども 、あれ、 勘違いじゃないですよね。確かにわがり ます。なんかこんな楽だったとは かなり抜け です。 前の時よりは体力は落ちてるはずなんです けれども、 いや、もしかしたらこのところ腰の調子が いいので体力は 回復してるというか落ちてないのかもしれ ません。 これがごとび引き岩で 先ほど見た 花の岩屋の 音が隕石であればこちらは 洋石となります。こうした岩そのものを 進行の対象とすることを岩倉進行と言い ます。 この石を見れば分かるように 鬼画城の石とそして花の岩屋と 同じ岩出です。 総称して 熊の賛成類と呼びます。 ま、学的には 注文岩室の 軽石業界が と考えられます。 この 最初の坂がきつかったんです。 登りよりも 下りの方が 危ないので慎重に降りてきます。 ここでも言いますが、ここは危険が危ない ところです。 やはり最初のこの階段が 1番厳しい場所だったです。 これをクリアすればあとは意外に楽です。 ああ、なんとか無事で戻ってこられました 。 初めて杖を使いましたけども、やはり足が 3本あると楽ですね。 ここでは自分を褒めたいところです。

南紀州は奇岩が多いことでよく知られています。とりわけ熊野や新宮には、熊野カルデラが残した流紋岩質火砕岩が各所で露頭し、一種、異様な雰囲気というか興味深いというか面白い形状の奇岩を目にすることができます。今回は、その中でも世界遺産に指定されている鬼が城や獅子巌、花の窟、神倉神社のゴトビキ岩を見て回りました。皆さんもきっと興味を抱かれると思います。

1 Comment

  1. 随分な高所、頑張りましたね😅でも絶景を楽しませていただきました。それにいい磯だらけで冬に行きたくなりました🎣

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