U字工事の旅!発見#294 鹿沼宿の2本の道 ~栃木県・鹿沼市~

有事工事の旅発見今回のテーマは沼の日本の道 戦国時代沼城を中心に行われた浄化町の整備によって町には 2 筋の道ができました江戸時代には街道の整備が進められ沼はミ通り最大の宿場町となりました [音楽] バッティングセンターとかい バッティングセンターいいすね 今回は栃木県沼市の町に今も残る 2本の道の 知らなかったメケをお届けしますそれ 2 人でメケを探し歩く知的旅番組裕の旅発見 [音楽] どうも子です
どうも え前回続き今回もうカでね旅したいと思うんですけども はい後ろが新鹿沼駅 新鹿沼は東武線だね新カ沼はね新宿行きみたいのあるんだよね それに合わせられると帰るの我々楽みたいななんか結構メっケなんすよね そうねゴジ台に1 本あるんですけどそれに乗れるとすごく流れがスムーズてありますけどねはいあと目が 2ですけど急に あ本当なんでだろう寒さのせいかな寒いんですよ今日は で前回は
前回ね
金沼ってことでね いやまた勉強になりました色々 え長岡さんとか
ねえ どんなになるのか まだカまでメッキがあるってことですか まだまだあるんですね うわあじゃちょっとまた
江先生に 登場していただきましょう
江田先生 お願いしますお
願いし よろしくお願いします
お願いします 皆城宇都宮城金沼に引き続きご案内いただく江田さんは高校の教員県立博物館の学芸を経て現在は宇宮短期大学人間福祉学科の教授を務めています 前回は金沼 はい で沼の時でえ覚えてらっしゃると思うんですけども沼の麓元には道があって下神団の暮らすその道を内塾ともう 1本戦国時代のメインルートが他塾という ですから浄下町として 2 つの道が通っていたということになります ええ つの道もですね実はの街並に大きな影響を与えているのでえ え今回は2 つの街道を歩くことによってえその特徴をめっけてみたいと思ってます へえその当時の回答が4 年影響して面白いですね はいですからあの彼頃ですね 500 年近い歴史を経って今のか沼の町になってるってことが具体的に分かるかなと思います そうですか 今回も色々ご案内よろしくお願いします はいこちらこそよろしくお願いします よろしくお願いします まずは沼区の入り口と言われる場所へ向かいましょう 先生これ道がこうぶわって分かれるちょっと真ん中に神社があるんですけど出てます 不思議なとこですねこれは おっしゃる通り不思議な形ですよね 2 つの別れ道の間に神社があってトリーがあって地名はトリードって言うんです はい鳥の後と書いて トリードって言います実は今から800 年近く前から 鳥ーがあっては
ええ でその鳥がただの鳥ではなくて はい
本のよ友が日光に両地を起進した はい その際に作った鳥という風に伝承されています すごい歴鳥なんですよ
はい そしてそれは日光との関わりで作られたトリー ええ なので二さ神社光産神社の神社がこちらにえ鎮座してるということになります ですから区の入り口でもあるんですがそもそもは日光への入り口が ここにあって だからこそ鳥を立てたという鳥の後がこの場所になります あそうなんですか 先ほど落ちた日本の道ここで分かれると そうなんです こちらの地図になりますがこの鳥からカルマ城の近くを通る街道が内通り かつの内塾という宿で はい それから田町通りかつては他多熟と呼ばれていたですからカルマシを通る 2つのはい
街道の分岐点がこの トリードということになります なんで一方に集中しなかったんすかね そこですよね 屋敷を中心とした街道 それから庶民
を中心とした街道に分れて 2 つのメインストリートがカましは作られてということだと思います [音楽] この後ですね実は日光との関わりで はい
東宮が作られます
はい
はい 家安康の意外を日光に移す際に八王寺さんというところに 4日間以外が私したと言われてます ええそれとにこちらの街道沿いが整備されてるということで はい今度はこちらが 江戸時代以降のメインルートになるという時代を経ています 4日間もたんですね はい まあなんでそんなことになったのかは是非ってみて見つけてみたいと思うんですけどこれ こちらが徳川イ康校の意外が滞在したと言われる伊王山田員王子 新言 州産派の寺院で鎌倉時代の双権とされています 本当ラーメンの暗記さん入ったらこんな奥に広いあるんですねお寺さんが [音楽] 立派なお寺ですよねえ え
こんにちは
あこんにちは
お邪魔します お邪魔していますよろしくお願いします よろしくお願いします ようこそおいでくださいました お邪魔します
よろしくお願いします 住職をしております松と申します 今日はようこそおいでいただきました 江田先生からお聞きしたんですけども家康の意外が 4 日間もこちらに行ってました本当なんですか そうですねはいえま家康小島と家 そして天開商人たこでえ日光に行く時にですね私としてこちらの方でご用 させていただいたというま歴史があるお寺でもございます はい 詳しいお話を伺う前にまずはお参りをさせていただきましょう おいいつも鳴らせないいいこれワニ打ちでしたっけ そうですあそうござい 結構鈍い音出てた時多いんすけどここすごい音いいすね ありがとうございます すごいすね音に対するコメントがあ がま本道でございますね正面のお寿司の中にお役様がられております ああの奥が33年そうですねはい あの写真写真そうですね特別あそこに置きました あありがとうございます10 月にくれば今まで見られたんですね もうそうです
はい
へえやっぱ絵になるな ありがとうございます 黒いのがちょっとなんかお坊さんとた感じの住職が薬に伝わる特別な資料を見せてくださるそうです [笑い] 当時の薬王寺の経の書いた図がこちらに残っておるんですけどもね やっぱ一緒なんですか 配置は大体同じでございますでこれを見ると分かるようにここに東少具神社があったということでございます そのまどうして薬王寺にそんなにその徳が明けと関係があるのかっていう話になりますと うん徳川イエアっていうのは結構その仏教に関しても結構深い知識をですねえ持っておられた でそのジ員のま法律って言いますかねそういうのを作ろうとしてたんですね そしての弟子のここ薬王子の 6 代目の住職にありますという住職がいらっしゃいましたでその春があの前でも抗議をしたりして仏教とはこういうもんだっていう風な抗議をしたという風なその言われがあるんですね でこの1 年の関東一のま触れ頭と言いましてあのいろんなその自社ま出張みたいな形のを行ってたとでそこでまた展開承認とま関係があったというな形になっておりますねですから徳が明とは古いあの付き合いがあったというでございます [音楽] [音楽] はい そのけで東のま神社があったりとかですねしたんですけどもこれは今もうなくなっております 配物釈時代の流れがあったりなんかしまして今はそれはないんですけどもこっからこの辺のところにその社があったろうとは言われているんですけどもねえ そんな深い歴史を持つヤ王寺には家康子校が滞在した際の記録が詳細に残されているそうです 現2年ってことですね4月の17 日っていう風な形で苦山にえ奉能されたと はい
は山より日光山にまりましょうという 2 代目その秀たこのま命令もありましてここに運びましたよっていう富士山 36 にも行ったりとかですね何日にどこに行ったっていう風な形がずっとこのような そうで川越ですねこれはええあのま天商人のがあるところでございますけどもね [音楽] あ栃木って出た
そうなんです
そこですああ その隣には そしてその上には 八王寺でことすごいあ 間違いないということではいには [音楽] 3月の29日にえ着いてで 4月の4 日にあの日光の方に着いたというですから中 4日っていうことなんですね今日4月1 日だからちょうどこの時この時期にあってでずっとその大のその結を引いてずっと大変なその法容をですねえ極をされたまそれが旬がという [音楽] 6代目のま住職 てことでございます すごいですね
はい でそれでまあの方にま運ばれたということですねこれが東宮の都の木ま渡るということですね [音楽] 言われでございます
はい でこの巻き物には次にここに太 あですね 太の魚の 家も非常にその家康をしっておりましたしねおじさんとしてね でえやはり私も亡くなったならば日光にって言ってま臨時の方にえ大めするわけですけどもこの金沼の方この薬王寺の方にえここに止まったということ書いてます そうですね
金沼薬王寺そうです ですから家康安家光で天商人も沼の方に私粛したぞとそれがこの東省のきでこの 3 人にわたっての説明があるこの巻き物でございます 明治時代の新物分離により経にあった東宮神社がなくなりましたが今も 3大将軍家光鎧い島は残されています これが3 大将軍の家光の太優院というですね日光にある同じものっていうことで起していただいた別名を鎧いと と言いましてですね
えこの鎧を着てるお姿 でございます でこの八角形になってるんですねはい これがま特徴でございますね やっぱ石もちょっと歴史やる感じしますもんね周りの人 そうですね でま昔はこれもきちっとしたそのお道の中にあったとはあの言われてるんですけどもね [音楽] はい
なんか力強さを感じますね あねそうですねねはい やっぱ古さを感じるって言いますかね はい
薬王寺を後にして3 人が向かったのは薬王子のすぐ近くにある公園 から
こちらはどんな場所なのでしょうか 実は道にまつわる重要な場所がこちらになるのでご案内したいと思いますはい はいなんかさっぱりした公園にしか見えないですけど はい今はそうなんですが昔はこうだったというのがこちらに書いてありますので 本人宿跡って書いてある
ほ え金宿でこの辺が1 番じゃ大きいだったですか
そうですね 大名とかが止まるその本人がこちらにあってということになりますた [音楽] はいあ
へえ でその本人を営んでたのが鈴木家というオタクなんですがその鈴木さんに関わる有名人がこちらの方なんです お石教は元々本人を営んでいたんですけども後のですね小兵という江戸の最高学府なんですがそちらで学んだ後カルマに戻ってきてえ塾を開いて ええ でその塾で学んだ中には宇都宮ゆかりのガムを君平 完成の3期人と呼ばれる有名人の 1 人なんですがそのガ毛平を教えたのも鈴木教で [音楽] そしてえ特に社 事業にも大変貢献した方で天名の大基金という基金があったんですがその時にはあ困ってる人たちを助けた なんてことも書かれてますそして最終的には宇都宮城ともゆかりがあって反の教授になったという方でもある へえすごい 勉強がそうやって得意なの分かりますけど民を救ってこんないい人本当にいるんだなってぐらいすごいすね はい やはりあの樹学を学ぶっていうのはそういう人の道とか人の生き方と学ぶっていうことでもあると思うのでそういう意味でもあの優れたですねえ人としての西を教える ということでえ大きな貢献をした方がゆかりの鈴木説教っていうことになります 今回のテーマは沼の日本の道 [音楽] 戦国時代沼中心に行われた浄下町の整備によってできた二筋の道江戸時代徳川イ康校の日光海層で整備された内塾内通りをめけた裕師の 2人 続いては他塾通りへ こっちは先生 暗期艇の前の通料よりは少し静かと言いますかお店も気持ち少なめな感じに見えますけど そうですよね あの今となってはとても落ち着いた感じのするう道筋だと思うんですがあの先ほどトリードのところでご説明した通り [音楽] かつてはこちらの方が人とか承人とかそういうのを含めたあたくさんの人たちの暮らしていた場 ですからあ戦国時代のメインストリート と言ってもいいんだと思うんですですから奥行きが広い ああ それこそ真口は狭いんですけども奥行きは大変広い形での祝場ではい あ でちょうどあの重向きのあるお店屋さんなんですけど お猿れなカフェですね 本ん当ですねキーボールコーヒー ロースター
ローター
行ってきます
はい お邪魔いたします [音楽] 2024年にオープンしたキーホールは コーヒーとスイーツ磁場のお野菜をふ断に 使用したサラダボールやプレート料理が 人気のお店です 1回はカフェ2回はコアーキングスペース で現代アートの作品などを展示している そうです お願いしますこんにちはよろしくお願いし ます お兄さんもおしゃれな方ですねスラッとしててみんなかっこいい ねお兄さん2人とお姉さんで いやあよろしくお願いします お願いします ここはリノベーションしてできたところなんですか はいあそうなんですあのこちらはですね地区 60 年の元経店の建物をあのリノベーションしてまカフェにあカフェ しました で元々カフェを経営されてたんですか 私あの新聞販売店を経営しております 全然作業室じゃないですか そうなんです新聞屋さんなんです さん
なぜカフェを 弊社でマルシェをやってまして人と地域との繋がりを大切にしているマルシェなんですけどもそこでできたコミュニティだったり繋がりっていうものを新たな展開としてあのカフェを作ってみました 新聞屋さんやれただから新聞めちゃめちゃ充実してんですよね そうなんですうちの取り扱いし全部置いておりますね こんだけずらっと揃ってるとなかなかカフェないと思うんですよ そうですねここもこだわりとしてはい置かせていただいてます ああちょっとゆっくりとじゃちょっとはい コーヒーでも
あいいですね ちょっと表今日寒かったんで あそうですよね足元悪いな 3 人はコーヒーと手作りのケーキをだきます [音楽] お待たせしましたこちらが当店自慢のカフェラテとバスクチーズケーキですねあ 食べてください
このカフェラテもこれ 絵は描かれてますね そうめちゃめちゃ可愛いっすよね 可愛いっすね うちらあのイケメンバリスタが作ってるんで そうなんですよ
バリスタって言うんすね もうまさにバリスターの鏡です へえ コーヒーは分かるけどさこのバスクチーズケーキ はいはい これちょっと耳られないものなんですよでフランスって思いがちなんですけど本とはスペインのお店のレシピで作られたのがバスクチーズケーキっていう最初の由来なんですよ 先生でした
知りません 知りませんなかなか先生知らないことないぞ あそうなんですかホ一のところにブラックペッパーってのまこれがパ そうなんですよ 最初にチーズケーキ行ってもらってから生クリームけて食べてもらうと変わって美いしいと思うんで あめちゃくちゃしっとりしてる美味しい ありがとうございます 少し甘めなところがまた なこれと合うんでしょうねホイプとありますか でもあリガリっていうのこれ
うん 美味しい
あ中のトロトロ感がすごいっすね そうなんですよ
胡椒ョのとこつけてみよう うん
よりふわ感がます あでアクセントで腰来ましたね 来ました来る
面白い味だな コーヒーと飲んだらまた わあったれ ミルクたっぷりで美味しいですね ああうまい これ俺はいつも喫茶店行ったら必ずもうなんだらかも何も見えでブラックでお願いしますって言ったんですこれいいっすね ミルクだけの甘み 優しいっすね
とんでもないす なんか噂によるとこのこれを入れてる 機械がなんかすごいって聞いたんですけど そうなんか日本にまだ4台 えないちょ見た目 本人呼んてすごくないですか?それが沼にあるって ねそうなんすよ どこさんなんすかね映画 オーストラリア
オーストラリアなんか どうですか?機械
めちゃめちゃ使いやすい 使いやすい
うん はあなんかやっぱり都会とは違うこうゆったり感があってすごく そうですいい時間ですね はい 昔の人はこ歩いてたんだと思いながらじゃあコーヒーただきます キーホールのある玉町ち通りかつての他塾には戦国時代から続く神社があります こちら12社神社ってことで12 の神様が祭祀んですけども実はミ上手がカルマに拠点を置いてでその後の神社を作って で場所はもう庶民のメインストリートですのでたくさんのその人々の信仰を集めた神社がこの 12社になります 社代には木光の町か沼ならでは立派な彫刻が全ての面に掘られてます サイドすごいな
壁の通合立派ですね はいさすが木光の街だと思うんですけども鳥物もそれぞれ思考を凝らしていて 屋根の方にも乱も含めてそれぞれ彫刻が加えられてて住人たちの進行の場としてえ 500 年近く受け継がれてるってことですからこのカ沼のですね ね歴史を語る貴重な神社じゃないかと思います でまたあの一腸のいい季節にはまさにご親睦って感じですよね 本当にここに
ああ太い すごい ちょっとパワーもらっていいですかね せーの最グじゃんけん どういうボケ いやいやパワーもらったからじゃんけも強くなったんじゃないかと思った いやわかんないよそれそのふり全然わかんない 手離しちゃいけないとかそういうあれなのかとかなんか 頭いらしてる場合じゃねえよ いやいやわかんないってそれかる 最後に江田先生が案内してくれたのは お橋
いよいよ小成橋まで来ました でり橋というのはこの金沼の 2 つの街道が合流した先の橋ということになります はい
ああ
ということは
はい 日光へ行く道それから宇宮へ行く道の分岐点で で特に日光に行く場合は 下のをご覧ください こんな感じで
施設が日光に到着する そういう場所がこのおり橋ということになります うわお じゃあお2人
はい あちらをご覧いただけると はい
ちょっと今日はかんでますが 日光連山が
おお
おおそっかそっか じゃあ江戸から来た人はいよいよ日光に作るってことですね そうラストスパートっていう感じですね どういう気持ちだったのか そうですね
ねどんな体力でね うん まそのさにこのカましくというのが重要ポイントだったっていうことが改めてここに来て分かるんじゃないかなと思いますねはいうん よくわかりました 有裕二工事のお2人
はい 金ましくの日本の道 はい
何かメケはありましたでしょうか ありました
ありました やっぱ家康の意外をこう運んでそれによって道がこうメインの道が変わるんだそれぐらいのやっぱ力があったってことはこれびっくりしましたねイアスこの力に はいで道の真ん中にね 鳥があって2 手に分かれるのすごい分かりやすく見えたってのもありましたし歴史が深いってのも改めてよく分かりましたね ええ雨中色々ありがとうございました こちらこそありがまし 体温てくださいたあ 個人的なメッキはなんかありました ありましたはい
あの薬さんなんですけども はい
毎朝6時に金をついて 近くの方にこう時刻を教えてるらしいですようんああ はい夕方は6時鳴らしてて冬は5 時に鳴らしてるって言ってましたね そうだね
八王寺さんの住職さんはねはい ま今日我々ロケ来るからもう23 草むとかねすごいっぱい手入れしてくれたらしい だったもんね
ありがとうございます本当に うんなん
かありました個人的な あちょっと似てますけどおじさんにね 可愛いワンちゃんがいましたおおあお あびっていう
はいはいはいはい 髭の配可愛いさ ワンちゃんいたんでとっても癒されました ていうのがメっケでしたね
はい あと薬王寺の復食 うん 雨降っててみんなこう寒がってるのに復食だけ一切傘さないんで堂々としてますさすがですね修してますから はい
はい じゃあ色々ありがとうございました こそありがとうございました はいというわけで本当に今回も知らないことばっかりでごめんねごめんねしました [音楽] か沼の2 本の道は戦国時代に作られ江戸時代には宿場として大きな役割を担い今も沼の町を形づるとても大切な道でした [音楽] 有事工事の旅発見 回は群馬県林市から林の辻祭りで発見こうしまして 来た来た お楽しみに
うまいこれ
俺をたまに
はい 超空腹の時に豆乳建てとか飲む [音楽] 空腹の時に飲むんすね
そう豆乳建てを いや食え空腹に喫茶店に入ってる余ったら食えよ [音楽] これかっこいいな スカにしたい もう結構スカジでも早そうですねこれねよし [音楽]

鹿沼市の旅。戦国時代、鹿沼城を中心に行われた街の整備によって、街には2筋の道ができ、江戸時代には街道の整備が進められました。今も残る「2本の道」でめっけします。

2025年5月8日放送

■U字工事の旅!公式サイト
 https://www.tochigi-tv.jp/program/?id=1059
■U字工事の旅!公式ツイッター
 https://twitter.com/tabihakken

8 Comments

  1. 2:52

    鹿沼宿だの、内宿だの、田沼宿だの、色々出てきて混乱します。
    この鳥居も源頼朝が建てたとか、薄い歴史しかないし。
    だから、粗末にはしてないけど、そんなに大切にもしていない。
    現代人の信仰心が失われている感じが表れていますね。

    4:45
    これを最初に説明したら分かりやすかったのに。

    人と交流を深めてる薫さんの方が、先生より話の構成が上手ですね。

    6:48

  2. 東照宮といえば徳川菩提寺であった増上寺(芝東照宮)と寛永寺(上野東照宮)にありますね。あとは天海僧正の関係なのか、川越・喜多院にも仙波東照宮が存在。他で存在を知っているのは久能山東照宮くらいかな。

    薬王寺における逸話は斬新でした。東照宮が現存していればどれほどの価値があったか知れない、本当に惜しいですね。

  3. 21:25御成橋は日光・宇都宮に向かう分岐という話だけれど、これは将軍日光社参は鹿沼経由と宇都宮経由の2つのルートがあったという認識で良いのかな?
    たしか宇都宮城の本丸御殿は将軍日光社参のために設けられた施設だった筈(だから吊り天井逸話がある)なので、鹿沼→日光が一般ルートだとすると宇都宮城の本丸御殿の意味は?となってしまうので。いや、それよりも宇都宮に宿泊後、鹿沼経由で日光へ向かうと考えるほうが自然なのかも。いろいろと疑問に思うことがいっぱいでてくる、だから歴史は面白い。

  4. 歴史を学びながら一緒に街を散策している気分になりました😊お得な番組に感謝です!

  5. 江田先生のファンです!
    わかりやすい解説と魅力どころの説明に
    毎回惹きつけられてます。

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