神津島の名組湾(なくみわん)とトロッコの跡

湾とトロッコの後この周囲の高い山々は 粘土そうで土上が流されやすく雨が降ると すぐに水が濁るという特徴を持っていまし た昭和30年代まではこの周囲の山から 粘土を祭祀し海岸近くまで設けられた土上 に集められた粘土と呼ばれる運搬線に 積み込み伊豆諸島を初め横浜方面へ運んで いた産業がありました運搬のための手段と して海岸から山の中複までレールを敷き トロットを使って粘土を運搬していました レールを敷くために赤沢の大沢からレール を運び込む際には後島では珍しいタビット クレーン式運搬線が使われたと言います また年度以外にも昭和初期にはダイビング コイントなどで知られる赤崎からも トロックを使って塩の採取が行われていた という記録が残されていますも湾の海岸に は当時ボンプを切断させていた船つき バートやトロッコ線路跡が確認でき王子の 産業を伝える貴重な場所となっています また線路跡の枕木にはコンクリートや木材 が使われておりコンクリートには当時の 製造メーカー名が刻印されていることから 3両高古学的な検地からも価値があるとさ れていますなお状と粘土の質によっては トロッコ線路の勾配も異なっていたようで 比較的勾配が急な場所ではトロッコに乗っ て粘土を運搬するのは非常に危険だったと 言います平成15年8月島村 商か [音楽]

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名組湾(なくみわん)とトロッコの跡

この周囲の高い山々は粘土層で、
土壌が流されやすく雨が降ると
すぐに水が濁るという特長を持っていました。

昭和三十年代までは、この周囲の山から粘土を採取し、
海岸近くまで設けられた土場に集められた粘土を、
ボンプと呼ばれる運搬船に積み込み、
伊豆諸島をはじめ東京・横浜方面へ運んでいた産業がありました。

運搬のための手段として、
海岸から山の中腹までレールを敷き、
トロッコを使って粘土を運搬していました。

レールを敷くために、
赤沢の大沢川からレールを運び込む際には、
神津島では珍しい「ダビットクレーン式」の
運搬船が使われたといいます。

また、粘土以外にも、
昭和初期には、
ダイビングポイントなどで知られる赤崎からも、
トロッコを使って、
塩の採取などが行われていたという記録が残されています。

現在も、名組湾の海岸には、
当時ボンプを接岸させていた船着場跡や
トロッコ線路跡が確認でき、
往時の産業を伝える貴重な場所となっています。

また、線路跡の枕木には、
コンクリートや木材が使われており、
コンクリートには当時の製造メーカー名が
刻印されていることから、
産業考古学的な見地からも価値があるとされています。

なお、採取場と粘土の質によっては、
トロッコ線路の勾配も異なっていたようで、
比較的勾配が急な場所では、
トロッコに乗って粘土を
運搬するのは非常に危険だったといいます。

平成十五年八月

神津島村商工観光課

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