【国鉄の遺構】筑後川昇開橋を観光!吉野ケ里遺跡も大急ぎで見学して1日佐賀観光完結

さあということで佐に着きましたここから後編っていうことにして動画を分けようと思うんですがこっからですねバスに乗ります鉄道は一旦ですね佐で途中下しまして新トまでもう少しなんですがあと 2 箇所ぐらいご紹介できればなと思ってます佐駅の周りも結構立派になりましたよね あれ停どっちだっけ なんかこんなのがですね私のもう何年本当に何年ぶりだから全然風景が変わってるなあここの銅像は一応紹介した方がいいかもしれないけどまちょっと時間がないんで後でしましょうバスに乗ってやってきましたこちらは海前というバです目の前に見えていますこの橋が海という橋です 詳しい説明は向こうでやろうと思ったん ですけども結構人がいるのであらかじめ 簡単に説明しておきます紹介について アフレコで少し説明を加えたいと思います 紹介鏡というのは橋の1部分が上下に消行 することによって船がその橋の下をくぐる ことができるようになるそういった端の ことを言います今回の場合ですと真ん中 付近がぐっと上に持ち上がることでその下 を船が簡単に生きすることができるように なります小さな船ですとこの橋が降りた 状態でも橋の下をくぐることができますが 中規模以上の船になりますとそうはいか ないため橋を上に持ち上げてそしてその間 を通っていくというなそういったことをし ていますあるいはこの皮の水が増えて内種 は塩が満ることによって水面が上昇します と小さな船でもこの下をくぐることが困難 になりますそういった時にも紹介を動かし て船の往来をスムーズにしていたようです ここですこの部分をですねぐーっと上に エレベーターのようにして持ち上げてです ねその間を船が通ることができるように するわけですま他に一応国内にもですね何 箇所かこういうのはあったりしたんですが 現存する中で最古のものがえこれだそう ですもう少し近いところまで行きましょう かねま鉄道の強量らしい見た目をしてます よね赤いのトラス鏡でこれに今はもう誘道 化されてますが元々は線路があってって いうような作りだったわけですねで向こう の方に一直線に伸びる道路があります佐 からここまでバスとかですね車で来ますと まその配線後の道路を走ることができます 先ほど説明しましたように国鉄佐賀線と いう路線のその線路跡を整備しております 当時使っていた踏切りのこの切り替えの ポイントなんかもですねそのまま残ってい ます ここには元々諸という駅があったようです 国鉄佐賀線というのは現在のJR長崎本線 の佐賀駅から福岡県内にありますJR 鹿児島本線の背高駅までを結んでいた路線 です 途中にある大きな町が福岡県の大川市この 川が佐賀県探しと福岡県の大川市を結んで いるあごめんなさいこの川で隔立てて そして橋で結んでいるというわけです 現在でも船がですね多数このようにして 浮かんでいますがこのくらいの大きさの船 でしたらですね多分紹介を上げる必要なく 塩が引いている段階であればくぐることが できるはずです 天気も良くて今日は良かったです こっち側にも書かれてますが向こうが佐賀 県でこっちが福岡県です佐賀県のと福岡県 は大川市ですね ち若って書いてますがこれも昔の線の駅 ですよね ここから橋に入ります ワイヤーをだから結局エレベーターと同じ 仕組みですよね エレベーターもワイヤーをずっと釣り上げたり釣り下げたりして動かしますがそれと同じ感じですこの辺がなんか鉄道の橋って感じがしますね やっぱりこの色なのかな がった ちょうど今もう少しで下げ終わろうって いうとこですが おお今下げて下げてますねこれ これぐらいの速さですがあでも見れて よかったサムネイルの写真が欲しいんです よ [音楽] この下をくぐれるんだ 鉄橋は当時のものですよねこれおお なかなかいいじゃないですか こちらは和駅の後地です踏切りとかも多分 当時のやつだと思うんですがこれが駅舎の 後かな 向こう側の川岸のところにも諸という駅が あったんですがそんなに近かったんだね駅 が これなんか駅舎というか待ち合い室みたい な感じかでここら辺からプラットフォーム に繋がってたんでしょう なんか冒頭でバスが昔の急線跡を通ってる みたいなこと言ったと思うんですがよく見 てみ地図を見てみるとですねその急線の わずかに離れたところに今の国道かな剣道 かなバスがその路線バスが通る道ができて いましてなんでそれのわずかにえそれた ところがサイクリングロードに今は整備さ れているようですすいませんちょっと説明 に謝りがあったんで正しておきます少し 上流の方に来たらフォトスポットがあり ましたあ確かにここからだとすごく取れる の綺麗に なんか逆行ではあるんですよね 佐に帰ってきましたチャリだよ 本当はですねもう1箇所坂場後もご紹介 できればよかったんですけどもちょっとお 城ばっかりになるのと吉野遺跡が17時で 閉まっちまいますんでそっちを優先すると こっちにどしても行けないということに なりましたんで軽く説明だけはしておき たいと思います駅前に銅像が立っており ましたけれども真ん中の方のえ鍋島直正と いう人物がいます佐賀半ではすごく有名な 方でま佐賀の人だったら誰も知ってるよう な有名な方なんですがまその人の1つ前に 竜造寺というえま今でいう苗字ですねを 名乗っていた竜三寺という人物えま一族が ですね佐賀城というものを立てまして場所 というとま駅の前の通りこれをまっすぐ 行った先のところになりますそこに立てて でその後ですね鍋島市がえ佐賀班をま 納めることになりまして受け継いだという わけなんですがまそのお城の後後ですね もう現在は配場になっておりますんでえ それを一応バスでここからだと10分 ぐらいかな行くことができるんですが ちょっと後の吉狩公園の方まで今日は行き たいのでそっちを優先したいと思います 佐賀城のま見るべきスポットポイントと 言いますとえっとね佐賀のランと言いまし てあの母神戦争とかですね結局爆末なん ですがその神聖軍に対抗するためにま各地 で氾濫が起きたのがあったと思います佐賀 でも佐賀のというものが起きましてえその 時に江藤神兵という人物をリーダーにです ねま氾濫を起こしたわけなんですがえその 時のえ鉄砲の玉の跡とかがですね白の門の 扉なんかにま今も残っているということで まその辺とかですねあとは探しないまこの 辺は全てなんですがち川が気づき上げたと 言っていいんですよねがえ形成していった ま平野が広がっておりましてもう あちらこちらに水路が張り巡らされてい ますということもありまして坂条はですね 攻め込まれた時には一気にその水路から水 を引いてきてもう堀を一気にですね堀の中 に水をたくさんも一気に溜め込んでそして 外の侵入を防ぐようなえことをしていたと していたのかわかんないですがま実際に そういう機能を持っていたということで 沈み城なんていう別面がついていますま その辺なんかもだから堀とかですねま さっき言った段まこの辺をメインで観光 するといいんじゃないでしょうかじゃあ次 の列車乗ってですね吉野狩公園という駅が ありますがその駅で降りてえっとね15分 ぐらいでアクセスはできるんですけども なるべく急いで向かいたいと思います特急 に乗ったら6分ぐらい早く着くんですが 特急料金が500円なんですよ6分を稼ぐ ために500円を払うかどうかっていう今 葛藤の中なんですがどうしようかなま特急 に乗るっていうのも面白いかな結局買い ましたま仮の新幹線を指定席じゃなくて 自由席にすればいいかなみたいな考えで やったんですがまそもそもねこの入場が 16時30分ぐらいで締め切られる可能性 があってねそれに間に合わなかったら ちょっと500円以上の損失ですんで4 番い です多分5分ぐらいで着きます まあいいでしょう しがり公園のちなみに全部の特急が止まるわけではないのでもし特急で行こうっていう方がいらっしゃったらね要注意です何でも特急に乗ったら大丈夫だっていうわけではないので 乗った列車は特急緑号 783系ハイパーサルーンの車両です 1駅ですからもう何もくつろぐようなこと はないんですけれども足置きに足を乗せて ちょっとだけの間 ここで休憩が できそうでできないようなそんな短い時間 です進行方向の左手側に注目してますと 吉の遺跡のその外からは少し見えるんです けれどもま内部についてはこれから入り ますからここでは詳しいことは説明しない でおきます さあ16時今2分とか3分とかなんですが 歩いて20分ぐらいあればもう完全に展示 してある内部まで入っていけるんで 間に合いはするけどよっしゃ着きました 多分早歩きで来たから10分ちょっとで ここまで行きました10分ぐらいかでこっ から先その有料のエリアに入るまでまた 10分弱歩くんでま合計20分って考えて たらいいんじゃないかな中に入りましたま ですけど大丈夫ですかつたああ分かって 分かってますっていうか大丈夫です人の とこだけ見て行きますてみたいな感じで とりあえず適当に走いましたけども 5時までにここに戻ってこかなきゃいけ ないんでやっぱり30分の観光ですという ことでとりあえずですね見るべきポイント はこ南内閣と北閣 それからま時間があればこのと市とかです ね村この辺かなとりあえずその内閣って いう風に書かれてるところがですね昔のえ 看護集落と言いますがその堀で囲まれた 集落ですねそれが大きく分けて2箇所あっ て結局そのな何て言うんだろう階級高い人 とそうじゃない人みたいな感じで 大きく言うとですね ま別れていてそれを実際に再現しているえ エリアが2箇所あるんでそっちを見て いこうか言ってみれば日本の集落の原型 ですからね看護の感じのその由来ですと 呼ばれてる由来も分かるように真っ赤場に 堀を作っているということでそのさらに 内側にこのようにして外からまああとは 動物とかからもですね守るためにこういう 風な木を立てた柵を並べていますここが南 内閣ですこれが物宮ここはですね兵士が 周りの様子をえこの外部の様子ですね省略 のそれを見ているというところですここは 大臣の家 まあ このなんて言うんだろ集落のさみたいな ことですけども あ全然入ることができますねでもまこんな 感じっていうのは分かるでしょうね教科書 で見える縦穴住居を再現したものですこの 掘ってあるこの縦穴自体も多分ねこれ再現 で掘り直してるようなと思いますよここに 元々こんなすっぽりとああのなんて言うん だろ縦穴があってそこに再現してると あんまり考えられないですよねここが2滝 今で言うとこのキッチンです台所ですね まこんな立派な棚はなかったでしょうが 食べ物は魚とか木の実とかまそういうもの かな 野菜があったのかなこんなに 南内閣の観光が終わりましたので今度は 北閣へ移動しますこっち側が身分が最も 高かったそして神聖な場所として扱われて いたエリアなようです なんか入り口も南内閣に比べておそこな 感じがしますがこっちもやはり同じように 掘があってですねそして柵が巡られてい ますこんな感じで 当時もですねびっしりと柵が立っていたと いうことではないかもしれませんが見えて きました最も大きなランドマークであり ます主伝というものです 縦穴住居を見てみますけれども南内閣より 若干広いような感じがしますね寝床なんか が置かれているんでやっぱりこっちの方が 身分が高かったのかなというような感じが します全てこれ再現ですけれどもおそらく 医療流品であったりそっから発掘された ものによってこの付近には身分の高い人が 住んでいたのではないかという風に 高校学的に推測されているわけです高ゆ式 の倉庫もたくさんあります食べ物なんかを 保管するための倉庫です そして主催電最も 無立った建物があります高さ16m以上 あるようですここに登りますと 中にはですねそのやい人たちがこうやって 集まって食事をしながら何か会議のような ものを行っていたそんな様子が再現されて います この辺に縦穴中がいっぱいありましてま こういうところが1番な何て言うんだろう 再仮装って言ったらなんかちょっとあれ ですけど身分が1番低い人は中学住んでた のはこういう感じかな こういうところだと思いますさっき ちょっとちらってみましたけどもま全部 作りとしては同じですね役割が分担され てることもあったようでしてこの建物では お酒を作るこの建物では料理をするこの 建物ではなんだろうなま普通に寝泊まり するとかなんかそういう感じですかこの 吉跡は時代で言ったところのやい時代から 古墳時代そして奈良時代の初頭ぐらいまで かな それぐらいですね水が豊富な場所なんでで しかも大陸からの文化が結構なんだろう その地理的に近いっていうのもあってです ね入ってきやすい場所だったんでちなみに なんですけどもこの なんて言うんですかこの木がいっぱい立っ てるところの下のんところこれね今はこう いう風になんか固められてますけど元々は 土でこういう風にド類みたいな感じですね 持ってでそこにこれを立ててでここに掘り でその外にもまた掘りみたいな感じで とにかく外の侵入を防ぐような作りになっ てますさあ登りました確かに外部の様子も 見えますねよくあの辺が何だったっけな ああちょっと開けないけれどもまだ見て ないところですあそこがとにかく食べ物 なんかたくさん保管してるようなとこです ね高岡になってのがよく分かると思います で縦穴がたくさんあってで矢グもこんな 感じで立ってます 向こうのさっきの宮電の方もですね少しは 見えるかな こっちはクラと1って書かれてましたね クラというのは倉庫のことで位置っていう のは市場ですから食べ物をこう分け与える とかなんか交流する場所みたいなそんなに あるんすかな ここら辺ですね最後また東ゲートへ戻らないといけないですあっちにもなんか入り口があるみたいなんですけど東ゲートに戻らないと駅がねトの駅になっちゃうとまた切符置かなきゃいけないんで この内角を外から見るのもまたいですね 一応その一般庶民みたいな人たちが住んでいたようななんて言うんだろう住とかあとはこの辺の倉なんかもですねこの外側にまた看がありますんで別に野らしになってたってわけではないんですけどもただまい人たちはさらにその内側にもう [音楽] 1 回掘と柵を巡らしてるっていうような感じです 放送もかかってることなんでちょっと迷惑をかけないようにしましょう えっとそしたらクはまあこんな感じで社会の教科書見ていただいたら分かると思いますけどもそんな雑な進めでいいのかと思われそうですがまこんな感じですねそれでもう 1つもう1 箇所かなこれで最後だと思います南の村とありますね 村と言いますが結局昔は別に市があったわけでも町があったわけでも村みたいな今みたいな区分があったわけでもないのでま人が住んでいる場所っていうのは全部村とかって言われましたね都市が出来上がったのも確かにやい時代以降だとは言われていますけれども何を基準にそうやって言うのかって話ですよね [音楽] その先の国っていう風になってくると分かるんですがま大きがいるところとかねそこその大きが 1 つの国をえままとめていたみたいなことが教科書にも書かれてるぐらいのことですけども南の村ここは庶民が暮らすですそうですねここが言ってみれば 1番分が下の人ですね 確かにこう内閣があって外格がさらにあっ てその内閣と外角の間みたいな場所です から確かに外的からは1番教わりやすいか もしんないんですけどもま昔も今も同じで やっぱり偉い人は守らないといけないそれ はその人が偉いからというわけではなくて 自分たちの生活を ま危いものにしてしまう可能性があるから というそっちの認識の方が強いといます今 だってそうですよねなんか総理大臣とか 偉い人が危険な目に合うと国民の生活が 危いていうのと同じですさあこんな感じで ここも高化倉庫がありますがうんこの辺も 食べ物を保管していてでそして縦穴住居で は料理をしたりとかなんかなんだろう魚 だったら魚を焼いたりとかですね木の実 だったらそれをすりつぶしたりとかあとは ドキがやよいドキっていうのがありますん で作っている建物とかですねまなんか職人 機質みたいな感じの人もこの辺に多かった んじゃないかなこれでとりあえず1周し ましたもう本当に本当に雑したんで30分 で終わりましたけども本当は1時間2時間 かけてゆっくりと回ってしかももっと早い 時間帯ですとなんか体験ができるとかなん だろうあの火起こし体験とかなんか色々 書かれてましたんでなんか子供でも全然 楽しめるし1日ここに時間を当ててもいい ぐらいのそんな感じがしますがいかが でしょうかとりあえず今回の佐賀観光は これが最後でしてこっから新トに向かって 新都から新幹線で帰るように移動しており ますがまだまだ見所たくさんあります今回 行っていないえ竹夫とか有田今この辺は 温泉があったりですね焼き物があったり あとはんだろうなもっとあり明会の沿岸の 方に行っても鹿島とかですかねまいろんな 見所がたくさんあります トの市内も結構ありますよね今回はもう 新トスをゴールにしてるだけなんでたから の通過点にしかないんですが佐賀県の魅力 はどれぐらい伝わったかな少なくとも下げ たことはないんだろう自分で自付しており ますけどもま興味のある方まみんな九州 って言ったら福岡とかあとは大分の大分で 温泉とかですね長崎のハンボスとかって 下がってどうしても見過ごされがちなん ですけれども1日あれば結構まどっちか だけで今回はカずを探しない両方ともやり ましたんでま空だけ1日かけるとかですね ま探しないだけ1日かけて旅行するとか それぐらいにした方がいいと思いますそう じゃないとこんな風にドタバタ旅行になっ ちゃいますからあんまりお勧めはしません 今回紹介するために回ってるので体力の ことなく全然考えてませんからそこは気を つけていただきたいと思いますそれじゃあ 駅に戻りましょうねさあ新トに着きました あとは新幹線に乗り換えるだけです あっという間でしたねちょうど夕暮れで なんか ああいい景色ですね それじゃあ今回の動画はこんな感じでどう でしょうか またどこか旅行行く際があったですねもう ちょっと本当は地下もご紹介したいんです よねなんか東京の近郊とかですねまたそれ は次回に しようと思いますそれではご視聴 ありがとうございました

佐賀観光の後編です。こんなにバタバタと観光していい県ではありません。多分佐賀の魅力の1%も紹介できていないはず。

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