【廃線跡】石炭輸送で賑わったのも今は昔・・・。美祢線 大嶺支線(南大嶺~大嶺)廃線跡、駅跡巡り

2024年12月に1997年に廃線になった山口県の美祢線 大嶺支線(南大嶺~大嶺)を巡ってきました。美祢線は石灰石輸送のほか、大嶺炭田からの石炭輸送でも賑わいました。1970年に大嶺炭田のほとんどの炭鉱が閉山、大嶺駅近くにあった大嶺炭田最大の炭鉱であった山陽無煙炭鉱も同年に閉山しています。分岐駅だった南大嶺駅も2023年7月の大雨で被災して、現在は荒れ放題です。今回は大嶺支線の駅跡の他、炭鉱跡地や炭鉱住宅があった場所も巡ります。

被災運休中の美祢線(厚狭~美祢~長門市)の動画は↓

動画で使用している過去の航空写真はこちらで閲覧できます。
国土地理院HP:https://www.gsi.go.jp/top.html

32 Comments

  1. インフラは国が維持しないと民営化すれば確実にこうなる。
    有事の際の輸送網としても維持するべきだった。
    毎年海外に数十兆円ばらまく金があるのに
    国内に使う金はない
    この国も長くないかもと思う今日この頃

    あくまでも個人的見解です

  2. 最初に敷かれた路線がまっすぐで、延伸された本線がカーブで分岐というと、加古川線と鍛冶屋線に似ていますね。

  3. 用途を失った本線が枝線化し最終的には廃線…夕張線…石勝線の夕張支線を思い出しました😀
    沿線の旧宇部興産が再三路線の強化(複線化・高規格化)を申し入れていた話は有名ですが、こうなってしまっては後の祭りですね…😔

  4. 懐かしいです。

    昔、キハ30のタンコロに乗った思い出があります。

    因みに大嶺駅にはかつて、ホームに「マイルストーン」があったのですが・・・保存されているのか・・・

    それとも駅舎と一緒に無くなったのか・・・

    ご存知の方が居ましたら教えて欲しいです。

  5. 先日この一帯の散策をしたのですが、美祢斜坑は13:17 の場所が正面だと勘違いしてたみたいです😅
    その他荒川水平坑、大明炭鉱、大嶺無煙炭鉱坑道を辿りました
    美祢線の木造駅舎も全部行ったつもりでしたが、重安はうっかり行き忘れました
    九州の廃線巡りとうどんのレトロ自販機巡りも掛け持ちしててスケジュールがキツキツだっのでやっつけ仕事(?)になってしまったのかも知れません…
    でも解体直前の戸田駅を見れて良かったです😢
    そう言えば斜坑の入口は長門本山駅近くにもありましたね…

  6. 日露戦争まっただ中、戦艦三笠や敷島の燃料に充てるために炭鉱を拡張し、徳山の練炭工場に送るために突貫工事で敷設された線路です。ルート選定の甘さが今になって響いてしまった感もあります。
    最初で最後の訪問は平成4の年末一番列車。寂れた街に味のある切妻駅舎、無駄に派手な色のキハ30のアイドリングだけを聴きながら折り返し時間を過ごしました。

  7. 産業と鉄路が消え、人が減り、町が終焉に向かう。なんにもなくなっちゃうんですね…

  8. 廃線跡と被災で廃線になりそう路線の組み合わせが何とも…
    賑やかだった炭鉱の街が、無人のソーラー街に侵食される姿は何処も同じと云うことでしょうか…

  9. 美祢線は以前貨物列車やサロンカーなにわが入線した時に撮影に行ったことがあります。
    ただこの大嶺支線は知りませんでした。ちょうど廃線になったのが鉄道写真撮り始めた頃ですね。
    動画を見ているとやはり貨物輸送が無くなった時点で役割を終えたような気がしました。
    美祢線も現状鉄道での復旧の可能性は極めて低いでしょうね。
    どうもBRT方式が検討されているみたいです。

  10. 仮に美祢線がBRT化するなら
    ついでに大嶺支線をBRTで復活させるのはどうだろうか。
    できるなら更に大嶺〜於福も繋ごう。
    専用道路は別になくていいので

  11. 確か、美祢線は、もともとは秋吉台の石灰石を、
    宇部興産などのセメントメーカーに運ぶための路線として始まったと聞いたことがあります。

    ただ、あまりにも運行が不安定で、
    業を煮やした宇部興産が、自腹で貨物輸送専用の私道を建設したとか・・・。

  12. 前に行ったなぁ、その頃は新しい道の整備途中だった、この辺かなぁ、とうろついてた

  13. なんだかんだ言っても本州の方は人が残っていて住宅地もそれなりですね。住んでる人達の歴史の違いなんでしょうか。北海道の炭鉱街の廃れっぷりが異常なのかもしれませんが所詮は移民のような人達が瞬間的に住んでいただけなのでしょうね。つわものどもが夢の跡・・・

  14. 駅舎はなくなり
    炭鉱住宅は太陽光
    パネルがびっしりと
    置かれしまった
    やはり石炭に依存してしまっていた
    付けが現在
    現れている状況
    美祢線自体も
    水害で全線運休で
    いつ廃止になるのか
    のも時間の問題

  15. 美祢線のバス転換で、沿線(のバス会社)への資金提供ではなく、わざわざBRT化して自社でやるのは、山陰本線の益田~小串間と仙崎支線を廃線にして、
    ・益田駅~阿武町の道の駅~萩市街~長門市街~美祢市街~厚狭駅を繋ぐルート
    ・長門市街~小串駅を繋ぐルート
    あたりでバス転換をするための布石でしょうか?
    数年後には山口県の日本海沿いの線路は小串以南だけになっていそうです。

  16. 私は仙台市民ですが、仕事&旅行で福島県いわき市に多数行ったことがあります。ひろりん様の動画を見るといわき市、素晴らしいですね。人口は減少していますが浜通りの拠点として頑張っていますからね。

  17. 本州に有るからか北海道とはまた違う雰囲気の廃線跡ですね。美祢線自体は昔乗ったことがありますが子供だったので覚えてないです(笑)秋芳洞(あきよしどう)をしゅうほうどうって皆が読んでた時代です(笑)

  18. 美祢線ももうだめなんだろうな….
    貨物のため・以前の水害復旧時に導入されら高規格用PC枕木がなんとも悲しげ….

  19. 大嶺支線に1990年に乗りました。その頃既に石炭輸送は廃止になっていたので、大嶺駅は側線も草ぼうぼうで、人っこ一人いませんでした。いまや、本線すら、存亡の危機なんですね…😢

  20. 大嶺支線の廃線跡、2009年に訪れたときには南大嶺駅から少し進んだところに「広瀬第1踏切」の標識と向きを変えられた信号機がまだ残っていましたが、今回紹介されなかったということはもう撤去されたのでしょうね…。大嶺駅周辺はびっくりするほど様変わりましたが、動画を拝見していたら子供の頃に見たそれなりにりっぱな駅舎と広くて人気が無い構内が醸し出していた寂寥感が脳内に甦ってきました。ありがとうございました。

  21. 情報ありがとうございます。🚂🚈🚊🚝🚅あまり無理を、しないでくださいね。🚂🚈🚊🚝🚅

  22. 1993年3月に乗りました。乗客は3人。栄枯盛衰を醸し出す大嶺の大きな駅舎が印象的でした。駅前にあった旧橋も散策したので覚えています。今は全く様変わりしたんですね…

  23. 北海道遠征時の冷たいもの代の足しにしていただけたら…高々1本分…失礼なのは百も承知です。

  24. 1992年7月、「ムーンライト九州」を早朝の厚狭で下車。美祢線に乗り継ぎ、タラコ色のキハ30単行で大嶺も訪問しました。下りは貸切、折り返しの上りは、5人くらいの乗客でした。大嶺駅舎には駅名看板もなく、既に廃屋同様の佇まいだったと当時の記録に残しています。幹線扱いの美祢線本体も廃線の危機に晒されており、時代の移り変わりを感じます。

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