(101)【日本一周修学旅行】国宝瑞龍寺と高岡城《高岡》
[音楽] おはようございます本日は6月3日の 火曜日現在地は富山県の高岡に来ており ますこの周辺は江戸時代頃には前だけの 所量だったという過去がありましてこの 高岡も浄下町としての歴史を持っています ということでまず最初に向かっていくのが 高岡城です雨が降っていてちょっと心配で はありますがま大丈夫でしょうやってきた のが高岡城ですが実はこの高岡城結構短い 期間しか使われていません現在はどこかと いうとここ北側に当たりますでずっと入っ ていきますとお掘りがあってそのさらに奥 にあるのが本丸ですねとにかくまずは本丸 へ向かっていきましょう昨日富山を訪れた 際に富山城は家事で燃えてしまったとお 話ししましたがこの富山城に住んでいたの が前田俊年永という人物でえ住んでいる 場所を失った前田俊長は新しいお城に移っ ていますというのが現在僕がいるこの 高岡城です前田俊長永がこの高岡城に移っ てきたのは江戸時代が始まるか始まらない かぐらいだったと思います江戸時代初期に 作られたお城の中でもこの高岡城はお掘り や土の様子というのがしっかりと残ってい ますので当時の様子を現在にも伝えている 重要な遺跡ですそんな高岡城に設置されて いる銅像が前田中の銅像です富山城から この高岡城に移動してきた前田永ですが その数年後にすぐになくなってしまいます その後このお城は用姿となっていた前田と が管理するようになったんですが江戸時代 に入ってすぐということで全国的にお城を 少なくしていこうという条例である例が 出されてしまいましてこの城は短いその 役目を終えたのでした雨が降ると片手が傘 片手がカメラという状態になってしまって 全然自由がないので嫌ですねあまり テンションが上がりません今日はあんまり 進まないでいいかないくつか刺を見て回っ てそして次の場所に移動しましょういや マジで雨嫌ですね基本的に僕引きこもりな んでもう外に出ることもあんまり好きじゃ ないのに雨が降ってるとなるとさらにね やる気が失われてしまいます本当は高岡で 行きたい場所をあといくつかピックアップ していたんですけれどもこの雨で屋外の 撮影っていうのがなかなか難しいのでいく つかは削除しましたそれでもここだけは 逃してはいけないだろうと思うお寺があり ますのでそのお寺に向かっていきます次に 向かうのは随竜寺です随という名前につい て話しますと先ほど僕がお話ししたお城に やってきてすぐに死んでしまった前田俊長 ですね彼の死んでしまった後の名前という のが随流院でしたその名前から随流寺と いうお寺が作られたので名前から分かる 通り前田永の母台をっているお寺ですお寺 の目の前にはこのように真っすぐの道が 伸びておりその道の横には石道郎が立て られていますこの道の途中に前田豊永の 銅像があったはずなんですがもうちょっと 先だったかなああこれですね右側にあるの 分かるかなちょっと雨降ってるんでここ までは歩いてきませんがここに前田年長の 銅像がありますさて到着したこちらが 随流寺ですこの規模の真っすぐの道が ずっと続いているというのはお寺では なかなか珍しいなと思いますがこの道を まっすぐ奥の方に行った先にあるのが前田 豊永のお墓で現在僕がいるその道の反対側 の端っこにあるのが随寺ですここに説明が 書かれていましたは班の2代目半種である 前田永の母台をらうために3大半種の都が 混流したお寺ですうん立派ですね材力を 持っていた半だからこそ作ることができる お寺です先ほどお見せした3問も国報です がこの正面にあります物ですこのお寺は 本当に国報の多いお寺でして価値が高い それを認められているんだと思いますこの 周辺は雪が冬には降りますので多分それに 対応した河になっているのかな光沢がある のでおそらく金属だと思います丸の先端に ついている家紋を見てみるとこちらは梅の 花です 前だけは菅原の道を家のそしていますのでそれに関連する紋がつけられています内部を映すのは失礼に当たると思いますのでお見せしません僕はちょっと見てきます高岡の模型がありましたここに映っているのが高岡城でその奥には浄化下町が広がっています大手門がここにあるということはこっちが正面ですね で今回ね雨が降ってるから行きませんでし たがここに大仏がありましてさらに奥には 町って書いてあってえー町の名前を見る 限りは町人がたくさん住んでたのかな あそこにご本人があるからあのご本人って 書いてある場所はおそらく街道がありこの 町の中心地だったんでしょうあこっちには 町会大空町はいはいはいで大工町が伸びて いきまして現在僕がいる場所が随寺です この随竜寺の目の前の道をずっとまっすぐ 行きますと前田年中の母所があります都に あってもおかしくないと思えるほど立派な お寺です少し雨も落ち着きましたね随流寺 の目の前の道をまっすぐ行きまして前田 豊永の母所へと向かっていきますこんなに まっすぐの三道のような道があるというの は本当に珍しいなと思って調べてみたん ですがどうやらこれは中国にあるお寺を モデルとして作ったそうです日本で宗教 施設の目の前にまっすぐの道があると言い ますとやっぱり神社ですからね正面に見え てきたこちらの森のようになっている場所 が前田豊永の場所中に入っていきますと 大きなお墓が見えてきますこのお墓は日本 全国回っても戦国部将の中ではこれが1番 大きいと言われているお墓でして周囲には 堀が巡らされていてまるでお城のような 作りをしていますこの高岡の発展に木をし た前田俊長は今もここで眠っているのです 雨は止んだのでもう大丈夫だろうと思って 傘を車に置いてきたんですが雨が降ってき ました濡れていますやばいな
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#旅行 #日本史 #日本一周修学旅行
5 Comments
高岡市に住んでるけどこんな模型とか歴史は知らなかったから、この動画を見て学べて良かったです
前田利長墓所、お掘りまであるのですね。さすが、加賀百万石です
高岡城の江戸時代初期の状態を保存されてある風景は趣があって素敵です
廃城令ではなく、一国一城令では?
なるほど、日本はおろか世界中を旅する引きこもりか…