【廃村】高佐手集落 – 岩国市美川町南桑
はいこんにちは今日は山口県医学西市川 町名にある 高さという集落に向かいたいと思います この集落は大正8年では9世帯45人が 暮らしていたようですが現在は配損となっ ております 名付近より土歩道が通じておりますが現在 はインド石山線より 車道が通じておりますので そこから集落付近まで進んでいきたいと 思います それではGoogleハースで場所の方を 見ていきましょう ສ はいここがランド処理場ですねこの左から ま集落に通じているんですけど もう少し進んだところまここの辺ですね この辺からも集落に通じておりますので ここに車を止めてから 集落を見に行きたいと思いますちょっとね この辺に広いところに車を止めてこの ガードレルのすぐ左から集落に入っていき たいと思いますはい それでは見ていきましょう 集落の近くまで 来たわけなんですけど車から出たら虫が多 いいので白火使ってちょっと虫置けとして 利用しますちょっと本当多いちょっとね 階段に拭きかけていきます本当虫が多い ヤぶかとかが多いから支えたら晴れるので ねきっちり破壊かけて進んでいきますはい 準備ができましたので 高さで集落に進んでいきたいと思いますで は向かっていきましょう この ガードレールの右側から進んでいきます もうすでにここから石垣きが見えています ねこの辺ね石垣きが見えますんでまあなん かねありますけどコンク立線なんかはいま ここから進んでいきます一中の方は把握 できてないんですけどこの 左に進んでいくとおそらく中落に通じる道 があると思いますこの右をねまっすぐ進ん でいくと石山に繋がっているみたいですま 徒歩道がね通じています前回ね行った時に 徒歩道をね結構登ったんですけどかなり 長かったので行くのはやめましたここから 進んでいきます 集落 はもうすでにこの辺も含まれてんではない かと思います大正 8年ではね9世帯45人が住んでましたの でこの辺にもおそらく 建物があったのではないかと思います ペットボトルとか生活圧のようなものが 見受けられますのでまほら8とかね 散らばっていますねまこの辺にもあったん じゃないかと思いますま下はもう崖となっ ておりますねえすぐ進んでいくとお地蔵様 が見えますのでまでもここがね多分この辺 自体がもう道だったんではないかと思い ますま今もう本当林道のシ動がね通じて おりますんで林道石道山線よりちょっとま 荒れてはいますけどおそらくこの辺が道 だったと思われます ですので石戸山までねど歩道があるんだと 思いますこれかなうんこれっぽいですね 多分今杉がありますけど ここだと思われますま水測でしかないです けど 昔はもっと綺麗だったのかもしれないです 前回来た時はね目多かったんですけど今回 全くいませんねそっちの方がすごい助かる んですけどよいしょあとね目いがね じめじめした場所にいますので雨が降った 時とかはね発生するかもしれませんこの 辺りより上がね残度処理場となってると 思いますここがね多分道で合ってるはずれ てますけどこれが元々の石山に通じる道の はずですこの下かなどこだろうこっちで 正しいか全くわからないおそらくここで 合ってるはずなんですけどねショート カットしたい方ここザ度処理場あたりから ね見えづらいですけどみあのちゃんと道が ありますのでこの辺にもなんかガラスとか 落ちてますね ま後ほどねまこの上のね山に鬼に上がって いくんですけど頂上かな荒れてますけど こことですさてこの辺が高さの入り口だっ たのでしょうここに墓地がありますね墓地 と 頭の落ちた お地蔵さんがね眠っておりますこれはもう 何でしょう自然に落ちたものなのかなこれ 配物気釈ではなくて まこれねもうまこんな感じだったん でしょうね まちょっとね落ちてしまうんでもう いや置いとこうか一応 まくっつか まこんな感じでね道くものを見守っていた のでしょう失礼いたしますはいでは先に 進んでいきます大体こういうま観音様って いうのは首が取れていますよね配物触色に よるものなのかそれとも自然に取れたのか わからないんですけど随分と 歩いていますここで間違いないですこれ だけ綺麗に されているのでここが徒歩道だというのが よくわかりますねまこの下ずっと下って いくと名古駅付近に行きつくようです本当 は名古屋駅周辺から行こうと思ってたん ですけどやっぱりシ動が通じているのでし たシャド行った方が楽だと思いますもしか したらこの辺から見いが発生するかもしれ ませんすでにねあの飛び回ってますただ さっきの白火を 使ったおかげで虫が寄ってきません 本当 山に入る際はね白っ壊おすめですここには ね石垣き見えてきましてますね [音楽] まあもうすでにね家の方はないんですけど やっぱり集落をね寝のため見に行きたいと 思います他にはすでに瓶が見えてきてます ね この上にもなんかありそうですけど多分 ないかな現在の状態を見るとかてはあった のかもしれませんがお危な よしょ でこの右をねずっと進んでいくとま名古屋 駅付近に出ます これはセメントでなんか固められてますね この左側は おっと危ないここは 一応ね少し進んでみましょうか あここに書いてあるほら石堂山山頂と縦札 があります 実際この先 かなり進んだんですけど何もなかったので こっち側には進みません [音楽] じゃ下に降りていきます おそらくねここ白があるのでこの下側が ま水電とカウがあったと思われます 危ないなこれ これが降りるための道 この確かねこの辺にねあったような気が するんですよ ちょっとで よいしょ 一応周辺を散索してみましょう 何もないかもしれませんか あある なんかあるねあそこ 雲のいる壺がありますねここに ま間違いなくこの辺が 顔でしょう 下はもうねま完全水年跡っていうのがよく わかります あここら辺にあったんでしょうなんかね 前回来た時よりだいぶ開けてますねもしか したらその時が 暗かったからかもしれませんちょっとね雲 の巣がついてる取れたかなちょっと明るさ でわかやっぱりついてる失礼 [音楽] [音楽] はいそれではこの壺がある 下側に進んでいきます よいしょ 危ないけど進んでいけるはず はい石垣きがあります まここから下はもうね完全に水電跡って 感じですね うわ虫が多いすごい虫がいる 1974年の時点ではね1個だけ残ってた ような気がしますウイスキーのようなビ体 だけねあの見受けられたのでこの辺かな もしかしたら違うかもですけど なんか1世帯ほどね残ってあこの辺ですね これがそうじゃないですかこれ ボットン分かりますボットン跡がねここに ありますまその他の移行は あんまり 残ってないですね もうひだらけで よし 地面があんまり見えない ま1974年の時点で1世帯だからもう 本当理が その頃からもう行われていたのかもしれ ませんね はい綺麗な石垣きです こんな感じですね うーん瀬戸物が落ちてますねこの辺には こういうものがね これとかね 流れてきたんでしょ上からこの上から流れ てきたかまこっちの方左にあったん でしょうね [音楽] ん瓶もある リもあるけどおそらく上からでしょこれは ここは水電後のように見えますねもう12 段ぐらい下がありますね [音楽] 行ってみましょう 確かね墓チ跡みたいなのがこの辺にあった ように気がしたんですけど [音楽] 確認はできないですね [音楽] 以前来た時はね墓チ跡があったはずなん ですけど 思い出せないどこにあったかまこんな感じ です [音楽] 気が刺してると見やすいですね この辺りにあったはずなんだけど だめだ 東北でよく見えない [音楽] 川が流れてところまで行ってから上部に 上がっていきます集落の 最株までやってきました こんな感じとなっていますね まもうこの辺が集落の1番下に当たる場所 ではないかと思いますま上から見えたね 小だきが 沢があります ここからね 小だきがありますはい ということでねこれから上部まで進んで いこうと思いますま先ほどのね残度処理場 付近までね 向かっていきたいと思います入石 が詰まれているところまで戻ってきました あそこから降りてきた場所ですねで こっち側 まこの辺はねまこういうね 瀬戸物が落ちてるんですけど おそらく墓地はこの上じゃないかなと思う んですよねなんか墓チっぽい感じがする うわあ目いが あ何これ が絵柄が綺麗な なんだろお皿か壺か ですねこれじゃないですかねぼチは あ雪は昨日雪の下が咲いてるんだほら雪の 下が綺麗さてこれです墓チ跡は あおそらくここが墓地跡だと思われます なんか墓地ア跡っていう暴空号の多いけど うんなんだよ暴空号を掘ろうとしたのか 浅いです こっちにもなんかあるんですよねでもこれ はねおそらく 墓地跡だと思いますここにまここの上にね 墓地があったんじゃないかと思うんです けどあけど何もないですねすごい雪の下が すごい咲いてる これ室 あの昔の貯蔵庫みたいな 浅いのでそうかもしれない ね食物貯蔵するなんかなちょっとその辺 よくわかんないんですけど うわこっち側荒れてますねあここがね本来 の あの道がある場所なんですけどあれすぎて 見えない やば多分ですけどこの石垣の ところにもねカがあったはず 1番古い 古いじゃなくて1番新しめの科学があった んじゃないかと思うんですけどこの荒れた 大地 多分ねこの辺だったと思うあの1番 新しめのカクがあったの だめだ痒いこの草むを通ると ちょっとね草むがないとこに行く体痒く なる あまた1段石垣きが なんだろうこれかなもしかして顔 なんだろうかこれ あ行けない草む通ると痒くなる ああとはここで セメントで固められた壁 ちゃんと道が気づかれてますよまこの上に もねあるんですけどもあれでしょ消出し つつあるああ という感じでしょうか はいということで ちょっと失礼 観音様がいる辺りまで戻っていきますはい はい今観音様の近くまで戻ってきたんです けどまこの道にまこの辺ですねあそこ さっき蓋塞 のバリケードの近くの上見たらねま石掛き が結構な 数詰まれていましたここまあ4段ぐらいか な上まではまこの下風でここ鳥があってま この辺なんか甘台があるねなんかあったの かもしれないですねまこの上に行くとねま 墓地跡があるんですけどま後ほど見に行く んですけどでもすごい数の石段ですね ここの上は多分何もないはずなんですけど 何もないていうか墓地しかないはずなん ですけど 結構な だんだんの石書きがありますねまもう少し であの観の近くまで 到着しますあそこにありますねカノン様 戻ってきました 失礼しましたでは最後にね 墓チとジンジャートを見ていきましょう [音楽] ここから進んでいきます まずはここにかなり古いと思われる墓地が あります 失礼しますま別はもう すでに壊れてますけど このとかも特にね古いとかなり古いと思わ れます 失礼します [音楽] では最上部に 上がっていきます [音楽] [音楽] [音楽] すごいですね石垣きは さっき見えた石垣でしょが よいしょ [音楽] 結構広いせいか [音楽] 場所が把握できない [音楽] ここに の野花立てがありますねああ この辺にポチがあるんでしょうありました これですね まこっち側にあるかどうかちょっと 分かりやんないんですけど 上に上がります 成功員 なんてかって書いてある はい [音楽] 待てね一応 [音楽] あんまりだけ手を手だけ合わせたいと思い ます [音楽] この上くとちょこあるんですけど [音楽] あこっちの右側どうなんだろう [音楽] ああ 台座が落ちてきてるここに 墓地の台座ですね あ瓶とかもありますねまこれはあの上から 落ちたものですよの塔もここありますが え これとかは相当古い まお墓でしょ昔の 本当野とか瓶が散卵してますねこの辺は カビがあったりの番の建てがあったり 古いものはもう落ちてしまったでしょうね これなんかイノシシが掘ったりとか まこういうね台座だけ残っているものと 多数見に受けられますけど もうすでに埋まってしまったものだったり 根に絡まってねもう もう なんだろう根と同化しつつある [音楽] カ無か完ムなとか はいまこんな感じです失礼します本当墓地 がすごい多い 感じでしょうかこれも台座でしょきっと こんな感じです [音楽] ここにもありますね ここは比較的新しいように感じますが え 昭和19年ですね なんとか同じところですね [音楽] なんとかゴンべって書いてあったんでま 相当古いと思われます [音楽] よく見たら家紋がありますね はい ここにも台座だけまもうここの下に 落ちてしまって墓地がありません ちょっともう分からないんですけど重た すぎて動かせないですここにもね墓地あり ますね もう もう根が張ってなかなか取れないです まこの辺ね墓チが落ちています はいさらに上がっていきます あ雲の巣 は [音楽] [音楽] 頂上付近にやってきました これは神社の基礎ですね老家鳥が立ってい たんでしょう これ [音楽] ここがもう 形態なんでしょうと この正面まっすぐ進んで 行けるように整備されていたのかもしれ ませんね 現在はあれ果てますけど [音楽] ここが車電後になります [音楽] はい ここにはかつて ひ神社があったようですちょっと失礼 まあねこの日神社には ま出雲大でね有名な大国市の狼様ま別名大 の様が祭祀れていたようです 現在はもう 痕跡がこの 岩にしか 岩しか見当たりませんが はいここに神社があったようですもうね それらしいものが一切見当たりませんあ河 が散乱してるのがあり分かりますねここ これ河 何か模様があればなんかの模様があるけど 分からないですねこれ この辺のね 模様とかは おそしらあるんでしょうこういうまこれが 上部の部分上部なんだけど河はこれとかも なんか なんかの移行っぽいね まここの頂上付近に 神社があったようですね河がまポツポツ この辺に散乱してますこの辺りとか ありますねもうそれ以上のものは見つけ られません ご親睦らしいものも見与えないんでね はいということでね 最後に手を合わせて終わりたいと思います はい はいこれで高さで集落をおしまいにしたい と思いますお疲れ様でしたご視聴 ありがとうございました失礼します
山口県岩国市美川町南桑にある高佐手集落
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4 Comments
神社は20年くらい前までは残っていたようですがねえ・・・ 一応、資料を貼っておきますね。
高佐手人麿神社(人丸神社)
国道187号線南桑本町バス停前、河内神社境内左の山神社に相殿祭祀されている。もとは嘉永五年(1852)に石童山の中腹、高佐手に「火事・疫病除難」に勧請されたもので、南桑駅の上に移り、更に岩日線開通に伴って現在地へ三転された。次のような記録がある。
川向(吊橋の上)に人丸の小祠がある。もと高佐手という高原にあって旧暦八月十三日が例祭日で、神楽奉納などで賑わった。今は山の麓の川向いに神社を移し、七軒で講を作って新暦の四月十三日と八月十三日の二回お祭りをやっている。火納め神社といわれ、その昔高佐手に火事があったが、そこで止まった。八月にお祭をやるのは、夏の疫病が治るといわれているからでしょう。五里もあるところから毎月十三日に必ず参詣する人がある。(「人まろ信仰に就いて」庄司忠『岩国市並びに錦川沿線風土誌稿』1970所収)
岩日線南桑駅の山の裏の中腹にある。この社はもと近くの高佐手にあったが、後に南桑駅のそばに移り、更に岩日線が開通する直前、昭和三十年現地に三転されたものである。木造の鳥居の奥に社殿がある。元来日吉社の相殿であるが、社殿の棟札には「嘉永五年年八月二十日奉上柿本大明神」とある。」(「周防の人丸社」山村律次『山口県地方史研究』53号所収)
26:24
でなんか声が聞こえます
見つけてもらい嬉しかったのかなぁ
杉の木は地が崩れ無い様にの配慮でしょうが無ければもっと往時を忍べそうですね😊
お墓も崩れ、お参りした形跡もないようなので、お家族の方が、骨壺を麓へ移したのかもしれませんね。