【ポルトガルワインから見る大航海時代】ワインを日本で一番最初に飲んだのは織田信長!?

[音楽] [音楽] それでは第2回 えっと今日のテーマはポルトガルワイン から見る大公開時代というのでえっとなん で僕がポルトガルワインを選んだかって いうのを長期的にななるんですけど ちょっと説明しますので皆さんあの今日は オーディエンスもね皆さんもいますので 大いにどんどん質問してもらって合わない のでよろしくお願いします ということで でまずは第1部2部構成でやっていくん ですけど初めの第1部はまそうどのような 経緯を取ってポルトガルワインが日本に 入ってきたかっていうところから第1部は また始めます [音楽] で第1部の初めのテーマまずはポルトガル はなぜ海へ出たのかっていうところから 入りますんででそこにはねあのすごい様々 な理由があってまずは地理的な理由 で経済的な理由そして宗教的な問題ですね あと技術的な技術ですねこの4つが大まか なことがあってまポルトガルはそ世界に出 たんですけれども それをこうこっちの ところに で話しますこそもそもそもそも ことの発端はまワンピース言うとゴールド ロジャー的な人がいるんですよ僕はそれを このマルコポーロこの人がねそもそも 1200年代1271年頃に こうヨーロッパにこう色々広めるんですよ ま皆さん見たことあると思うんですけど 東方県分っていうのをね中部分に世界で あの 聞いたと思うんですけどこのマルコポール さんが 東の果てに 黄金を見た的なことを言うんですよそれが 黄金の国パングですね黄金の国ジパング って言ったのがこのマルコロなねこれで マジでそんな東の金の国があんのみたいな そういうこうロマンを求めて初めはこう海 を目指すんですけど 全くねその時のその時のね技術がないん ですよ海を渡る船もないしえっと 要は技術がないからそん時はまだ船渡れ なかったんですよでなん その時はなんで船渡らなかったけど そもそも船渡らずともいろんな国と陸続き であの貿易やってきたんでそうあの ヨーロッパ 1番の貿易はねやっぱ中国とかそのインド とかのところですごい貿易するんですよね なんでその [音楽] コルドガル戦はこう海へ出たのっていう すごい理由があったんですよこのみんなね このインドを目指すんですこれなぜインド を目指すかって言うと その当時これとあのヨーロッパの主要の あの冷め物はお肉とかそういうものだった んでお肉をその 保存するように保存できるように胡椒とか そ夏めぐとそういうのを取りにあのインド あ流してたんですよねこうインドがその 故障とかの熱かになってこのインドにね みんな目指して旅にできるでそん時 どんどんどんどんインドとねずっと氷まあ あのシルクロードですね中国からシルク ロードに乗ってこうち喜ばにやってくるん ですけどでそこのコ路が陸続きのコ路が ある1つのあの問題で閉ざされてしまっ たっていうのがこれですイスラム教のあの 対藤もうイスラム教がすごく勢力が大きく なってきてキリスト教はどんどんどんどん ねこう勢力弱ま弱まってきてでこの オスマントルコトルコの辺りにオスマン トルクって大帝国をイスラム教が作るん ですよそこが作ったおかげでそこができた おかげでこう陸きでインドまで行けなく なっちゃったんすよね だからあった王子をどうしようつことで あの なんなんとかあんねえもんかなみたいな そういうところからここの世界のあの大国 時代を始まる 感じますで1番初めそのま今回ポルトガル の主要メンバーとスペインの主要メン バーって2つに分けたんですけど まずは前哨戦初めにはねまずはポルトガル の国王が 海から行ったらいいんじゃねえのみたいな なんとか海のこポルトガルってまそもそも あのトマすげえちっちゃいんすけどポルト ガルって大西洋に面したすげえ高地なんす よねでもヨーロッパの中では1番西の果て もうすんげえ超国まそもそもあの日本で 言ったら九州ぐらいの面積である ちっちゃな国だったんですけどそこが1番 立チが良かったっちゅうのはこう海に面 てるのっていう法律だったんですでこの海 から なんとかインドを目指していけねえかって 初めにあの行ったのが バルトロメロディアス さんで148年にこの希望ここですね アフリカのアフリカの1番先この希望にの コールを作ったのがこのバルテロバル バルトロメディアスさんっていう人が 1488年にのコールを見つけた でそもそもこの海へ出られた1つの理由の [音楽] 最大級の上まで前まで要は技術確信ですね あの こう中国からねシルクロードにその時 こっち側からやってくるのは来れたんで シルクドが来た時にこのラシ版っていうの とまコンパスですねあのワンピースでロブ コースすそうログポースが来たんすよマジ かみたいなあのグランドライン行けるぜ みたいなそんな感じのログポースのラシ版 あとアソラベっていうま星を見る技術です ねそうあのそれがその技術発展とあとは 公開線の進化ですねここの公開線の進化が あったおかげで海に出られるのがあるま1 つの3大容器ですね そうですそうですで こっち側に移りますね行くか でここねさっき始めてこれがなぜ出たのか とさ地理的要件前は大正用に面たていうの と経済的前あの更信料を目指して貿易し たかったであの当時更新とあと銀とキと それがすごい貿易の最大のあのま一番設け られたていうですねまず宗教的ちゅうのが オスマントルコがその大勢力みたい陸続き 行けなくなったっていうのが1つそして 技術的なもう公開道具そのラシロ6コース 羅シ版あとはアラそれと 船のシですねそれをこれがあってようやく 外に出られる そこのがまずこれ1つ で次えっとね ここですね この大海時代その当時はえっとポルトガル とスペインが歯を争って世界を鈍した ぐらい効果に出たんですけど [音楽] まずバラテロメディアスさんビアス氏が 148年にこうキモのコロ行ってで次に出 たのがコロンブスあの要はウィナーさん 知ってるコロンスですねコロンブスはあの スペインの人ですそうでこの大公開時代に えっとポルトガルが東回り甲路 でスペインが西回り路を攻めていったん ですけどでそもそもなぜスペインは 西回り路に行けたかって言うと このこれも宗教的なあの理由ですねレコン キスタっていうま要はヨーロッパの中から あのイスラム系教系教を排除しようって いう動きがずっとね700年ぐらいから 14700 年間ぐらいずっと増えてたんですよで ようやくスペインのポルトガルのね ちょっと上にスペインの量があるんです けど大西洋に面してるところがあるんです けどそこのちょど本当にわずかなその海に 面したそこの場所の イスラム強化排除がついに決まったんです デコンキスター完了したとことところで えっとスペインの北王がえっとコロンス さんに命令を出してじゃ西回りコー路 ちょっと行ってくれっていうことで 1492年にコロンスさんがこうスペイン から西回り後路こう行くわけなんですけど 体勢を渡って行ったら1番初めの大陸に 割と早くたどり着くんですよあれみたいな 割と早いぞっていう感じでついたんですよ そこがあの インドだと思ったんですよねコロンビス さんはここインドだよみたいな感じでもう 割と早くインドに着いたみたいな感じで あの来てでもそのままなんかインドっぽい 人インドっぽい体陸であったそしてまた すぐ帰ってきたんですよで次バスト高ガマ さん1498年に ついにねインドを到達するんですよこの 西回りあ東回り甲路で基本行ってついに インドまで行ってこう帰ってくんですよね で1番初めにこの量の貿易海の海の貿易を 果たしたのがポルトガル あの次にこうスペインの国王がもう本当に そこはインド本当にインドなのかっていう 舞台を作って遠征して海に出したのが アメゴベスプッチさんが1499年にあの ベスプッチがそこのアメリカアメリカでも こうあれですねこうそこはインドなの かっていうところを探索しに出かけるわけ ですでどんどんどんどんデスプッチ アメリゴさんはどんどんどんどんインドか などうなのかわかんねえけどとりあえず 回ってくるんすよどんどんどんどんそう するとこの 大陸のどんどんどんどん難化していくんだ けどどうもう 体でかいぜインドじゃねえなこれはって いうので1回帰ってくるんですよほんで あそこなんかちょっとインドじゃなさそう だっていうのでで初めにその大陸を見つけ たっちゅうので今のアメリカ大陸は アメリゴでベスブッチさんっていう人が 見つけたんでアメリカねあの名前になっ たっていうそう だ僕が見つけたらなみたいになったんです みたいになってたんですけどそう ていうのでアメリコベスプッチさんがあの そこはどうも インドではないアジアではないなどこなの かわからないっていうので 皆のあの大陸を発見したっていう でその次1499年ベスチさんが行って その次 えっとさっきバスコダガマの話もしてたん だと思うんですけどバスコーダガマは 1998年にもうインドのコ路を回って 入ってきてあの 旅文化甲新貿易はもうここでポルトガルの 方はなってて スペインの方はまだどうも西頃でその インドりつい てないっていうのであの そこで出てきたのがこのマゼランさんです よね あの有名なマゼランさんが初めにね ポルトガルの北王のところにプレゼンに 行くんですよどうも西回路に行って行った 方が早く着きそうだ これどうあの ポルガルの方校にそっちの方西回りともう 攻めて見ませんかって言ったら国の国王の 方はいやいやいやもうあの東回りでねバス ガマさんがもうあの貿易インドとのコ路を 見つけてるんでもうそっちの方はあの 西回りはねポルトガルもう行かなくていい よっていうのでで今度このマゼランさんは ポルトガル出なんだけど次にスペインの方 にスペインの国王にプレゼンしに行くん ですよ ちょっとつってあの西丸厚労行きませんか そこでスペインの国王がオッケーので マゼランさんはスペインポルトガル出身な んだけどスペインの国王の名を受けて 西回りコ路をこう行くわけですよねでこの マゼラさんが結局最終的には世界一周を 成し遂げるんですけど こう大スペン海西洋に向かって行ってま アメリカ大陸ねアメリゴさんが見つけた アメリカ体陸ここはもうね本当スペイン スペインがもう職民地か 占領しに行って何回も行ってこのアメリカ 大陸をまマゼランさんがどんどんどんどん こう回っていくんですけど その間にマゼランさん戦死しちゃうんすよ でせ最終的に世界一周したのがアンテナ たちがあの世界1周してこうたどり着く わけなんですけど でスペインはそうやっそういう感じで世界 を果たしてい でこここっ [音楽] 大川時代のえっと文源ポルトガルvs スペインっていう ポルトガルは西え東回りポールでスペイン は西回りポロ行きましょうねっていうその あの条約が1494年にトルデシリアス 条約っていうこの勝手に2つの国でもう 世界鈍しようぜみたいな感じで分けちゃっ ても条約してポルトガル西ねあポルトガル 東ねスペインは西ねというのであの この2台勢力がこう大艦隊が出て出てく わけですそこでほとんどその当時あの世界 鈍したって言われてポルトガルとスペイン 今世界に鈍したっていうで今1番あの世界 で喋られてる言葉はスペインです [音楽] そしてえっと ポルトガル線もう今勢いに乗ってる ポルトガルなんですけどこのリスボンって いう首都があるんですけど大声優に面した ところにちょうどポルトガルの真ん中 ぐらいの時リスボンがあってそのリスボン からその どんどんどんどん船が出て貿易をしていく んですけどその中でま本当インドの故障 東アジであの金アフリカの金で日本の銀 ですねその当時日本の銀は世界で1番あの 取れたっていうぐらいの日本ってすごい裕 な国だうん そこでえっとどんどんやっていくんです けど そもそもそのポルトガルもどんどん どんどん出ていくいいのが大公開時代の 貿易でどんどんどんどんあの儲けてはいる んですけどやっぱり時代がちょっとずつ ちょっとずつ変わっていくとどんどん どんどん衰退していくんですよそれはね キリスト教のあの まもあるんですけど 結局キリスト教ってそのこの当時 結婚したら 離婚できないっていうそういうシステム だったんですよだからこう 王族にしてみたら1回結婚して子供が 例えば女の子からあの 男の子が生まれるまでみたいなでそういう ので結構中京的な縛りがあってなかなか こう人的に反映できなかったみたいなね速 の縛りがあってどんどんできなかったん ですよでそこであの 反映できなかったポルトガルをま見たあの ま支配化に置いたのがスペインです [音楽] でなんでこのスパスペインがあのポガルを 支配化に受けたのかって言うとスペイン ンってそもそものあのスペイン用室って このハプスブルグ家県っていうヨーロッパ 最大のあの家もう制略結婚のもうもう最強 の家計みたいな青略のハプスブルーのあの 家の出身をスペン要てでポルトガルも実は その ポルトガル国王の奥さんはあの スペイン王室の人だったんです そうそれでえっとポルトガルの王室があの 戦争で色々負けてどんどんどんどんね内人 死体なんかしてあの後鳥がいなくなっ たっていうのでペリペ王子っていうポあの スペインのね悟王の息子ペリペ王子はあの ペ王子の母親がポルトガルの王の娘だった んですそこでペディペがえっと ポルトガルのところに 後いねんだったら俺ポルトガルの血も入っ てくから俺でもいいんじゃねっていうので 乗っちゃうんですよポルトガル王ペルテ さんのこのポルトガルあのスペイン国王の 息子のペルテ王子ちゅうのがあの ポルトガルノットここでだからここでここ でもさっき話した通りこのここですよねえ [音楽] こっちか この取 デシリアス条約っていうところでえっと ポルトガススペインで世界鈍っていうその 条約結べるようになったというかそう がここの問題 でどんどんどんどんポルトガルが徐々に ちょっとずつちょっとずつあの 衰退していくっていうところが入る っていうところで今第 [音楽] 1 部が終わりにかかりさり差しからゴローしてるんですけどあの説明の仕方はどうですか 質問タイム質問タイムみたいな [音楽] どうすか?なんごっちゃになってんだな なっていどうすか?ちゃになってます [音楽] いやだいぶ分かりやすかった 分かりやすかっ分かりやすかったですはい 本当ですか?ハプスプスプルテの野望の分ってことです [音楽] そうです あのねそう世界を鈍したところはこのハグ見てこれがねすごくあの要はでかい組織なんですよねヨーロッパをヨーロッパ市場最大の最強の家計 [音楽] [音楽] こう制略結婚しちゃうっていうそういう家計でそう [音楽] ここであの まポルトガルスペインが世に出てあの海に 出ていってで最終的には結局その ホールドガとスペインもどんどんどんどん 疲弊していくんですよ あのでなんでかと言うとなんで疲弊してく かって言うと やっぱり宗教的な問題で反映できなくなっ ちゃうんですよねそうキリスト教の宗教的 な問題で でそこであの出てきたのがイギリスです でイギリスはその宗教的な問題を解決どう解決したかって言うとイギリスだけうちはちょっともうキリスト教えちゃおう もうあの結婚しても離婚してもオッケー みたいなそんな感じのあのキスト教を変え てイギリス国境会っていうその独自のね あの宗教を作ったのでその中でその イギリス国王はどんどんどんどん結婚して 娘が生まれて結婚して娘が生まれて結婚し て娘が生まれて結局男の子生まれなかった んですけどで最終的にあ イーストの2番目の奥さんの娘があの イギリスの国王になるんですよそれが エジタベス一生ですでこの人エリザベス 一世さんちゅう人がものすごいやり手で この人がこの人のおかげでイギリスが すごくその後産業でを持ってくるぐらい あの 力をつけてでまそれはねこの時代が終わっ た後でなんです [音楽] [音楽] なんか今ここの中で結構その質問みたいなあります初めまコボーロさんがまゴールドジャー的な感じで金の国を見たそれがもうことの発端 [音楽] 1200年それから200年後 ポルトガルのバルテロバルロメイオディア ディアズさんが 海に初めに出てでコロンブスが石回り行っ てでこういう感じであのマゼランが世界 一周を果たすまでになったんですけど 今ねそのアニメとかでも結構人気あるん ですけどさっきねワンピースのあの大東 時代の話なんですけどこの地っていう知ってます?地球が丸いそうかそうかそうかそうそうそもそもねそれまでねそのままゴラスさんとかさプラトンさんとかアリストテレスがさ 紀元前とか言ってるんですよ 地球は丸いっていうのはもうあの去年の 紀元前にもうなんとなく地球は悪いんだよ ねっていうのを提唱してたんですけどまだ ここの当時 ディアスさんが世に出るちょっと前までは 本当に丸いのかどうかちうのは分かって なかったです でそこで あの これ天道説っていう地球が中心で その周りを太陽とかいろんな国星が回って るっていうのがその このアニメの地ってやつのま せ世界っていうかそう説から自動に変わっ ていくこの瞬間みたいなのもここの地って っていうアニメはすごい今やって流行っ てるんですけどまさにこの当時 この 天堂説をあの行ったのが2世紀大体100 何年ぐらいのやつですでそっから コベルクスさんが天堂を話すまで1400 年ぐらいなんすよ1200年ぐらい天道説 なんです ずっとでその自動説を唱える人は結構割と排除されてったんですよねそういう話がちっていう話ですでちょうどここ今もそうですけどあのはい [音楽] じゃあええ起動説が出てくるじゃなく前は はいえっと後悔をしようっていうことには うんはいならなかったならなかったす 全くならないです結局世界は丸じゃなくま 丸っていうのもあったんですけど丸どう やら丸いらしいっていうのがあったんです けどいやいやいや違うよね世界先に行っ たら落ちていくよねっていうこう船でこう 行ったら落ちていくっていうのが 割となんとなく都市伝説的な感じであの あったから誰も冒険しようとしなく そうそうでそこでもうこの辺ですよね 1200のマルコポコールさんぐらいがま 色々こうその当時も海では回ってって なかったと思うんすけどどうもこっちの アジアの方の国のなんか中国から色々 シール通りに乗ってってどう蒙金の国を見 たっていう 記述があるぞっていうのでマルコポロさん まこう大公時代に先日をこうみんな海で みたいなあるぞみたいなそんな感じの成長 した でそうそうそもそもその前は海で出ようなって誰も思ってなかっこさんがちょうどちょうど同じぐらいこのコロンブスとかねアスさんがちょうど出るぐらい海にでか出るぐらいにこのコベルニプスさん [音楽] 1473年から1543 年の間ぐらいに指導説を唱えるんです そうでガリオガリさんが その宗教裁判かけられて それでも地球は回ってるっていうことを いったこの2人は殺されてないんですよ 結局牢屋に入れられてもう遊園されるん ですけどこの2人は殺されてないそうま あの ここのこのトペニックスさんとガリオさん の前にこうね自動を唱えた人っていうのは 結構迫害されてねあの世に出てこなかった 人たちもいっぱいいるんですけどそもそも この背景が大公開時代のその 行ってもいいんじゃないかっていう海で 出かけてもいいんじゃないかっていうのの 1つのですねこのシねあの時代の流れ的な 感じで それが今チっていうアニメですごい入って ます このでもねある一定のあるんすよその僕も 地点全部見たんすけど天道説から自動この 切り替わる瞬間っていうのはこの当事者の 当事者にど真ん中にいる人たちはもう圧倒 的にあこれで変わったんだってなるけど 周りの人たちにしてみたら それで変わって何があったのみたいなそう そうそうまさに今でその例えば今AIとか 出てきてるじゃないですか本当ど真ん中に いる人たちマジこれ革命だぐらいに思っ てるんですけど周り人たちはええみたいな それで何か変わんのみたいなそんな感じ まさにねあの時代が変わる瞬間にこの大家 時代があるっていうのがあのそういう時代 が変わる瞬間ちゅうのはいろんなことが もう今まで訂ったね当たり前だったことが 覆えるようなことがどんどんどんどん起き ていうのが今のこのちょうどこの時代 に合わさってますっていう感じですかねで他なんか質問ないですか?第一 [音楽] アメリゴさんがつけたからアメリカはい そうですねでインドだと思ったから そうですそうそうですまさにその通りで あの コロンブスが始めに行ってその後あの アメリゴさんが行くんですけどコロンブス が始めに行ってここはインドかもしんな いっていうところで西インインドショト っていうのがアメリカタのとこにあるん ですよねそうそうそれと同じで インディアンもこれインドンだんじゃない かって言ってインディアっていうのはもう そので割とこのホロングスさんって結構 歴史ではあれですけど結構ひどい人なん ですよ 侵略しに行くんですよ それはこの人まあまあそうですねその当時 このどれぐらい植民に化するっていうのが この スペインとポルトガルのあの主要の目的 だからスペインの その植民地は西回りが多いし ポルトガスの植民地は東回りっていうのが このほとんどこの当時 でポルトガルが初めて出たんです ポルトガルのその宗教的なねその水体と 一緒にスペインがポルトガルを乗っちゃっ てで最終的にスペインが勝つんですけどだ から今世界で話されてるこの共通1番話 あの話す言語はスペインスペインは1番 喋ってですよね まこの時代の変化っていうかここで時代が 変わったんだろうっていうところがこの 大開時代のまず初めの [音楽] で第2部の1番始めはついにその 1543年鉄砲とワインが日本にやってき たっていうところから入るんですけどこの 1543年に 鉄方がえっとキリスト教と一緒にあの種ヶ島漂着するんですよでこれはあれです あの1543年度のポルトガル戦は元々 ほらさっき言ったみたいにえっとポルト ガルてインドともうこ郡略なんえっと貿易 してたんでそのインドに来た船があの帰り 恐竜してでえっと日本にたどり着いたそれ が種吉でそん時にえっと 鉄砲が初めて日本に入ってき [音楽] そうそうそうそうそうで次に来た人が 1549 年えっとフランシスコザビエルさんですね ザビエルが えっと日本に来るんですけど黄金の軍番組 ついに でザビエルは何をしに来たかって言うと キリスト教を広めるためにあとはえっと 日本が持つあの銀を 絵にあの当時銀すごい世界で1番あの価値 があったものなんででその当時金もねも 日本がこうすごい世界でもあの 持ってたぐらいすごい大国だったあの日本 は知らなかったんですけどねその時にで この先売49年にあのフランシコザビエル さんがこう日本に来てキリスト教と いろんなものをこう 伝えていくんですけどそれが何番文化 かってやつですね [音楽] で南番文化館に 1 番初めにそのこれ面白いって言った日本人がその当時の権力士田信長です 織田信長がえっとちょうど1560年 ぐらいにわけの戦いっていうのであの今 吉本を倒したあの奇襲で倒したあれがも 奇跡の勝利なんですけどあから信長が結構 ね対当してくわけですよ1560年 でえっと1575年に あの種ヶ頭鉄砲を使って流しの戦いって いう竹の ドンパチやる 戦を得てどんどんどんどん信長がねあの 天下ビルになっていくんですけど でそこで信長があの推奨したおかげでこの 難蛮文化っていうのが日本にすごく入って きたっていうのがここがね1つの結構 こう信長と南文化っていうのが [音楽] このポルトガルワインの 初めの 日本人の出会いっていうでどうが1番初め にポルトガルワイン飲んだっていうそれが あの 今言われてることでその時ねすごいのが ポルガルから入ってきたんです 1番食文化でカステラとかねパンとかあと コンペトとか で工芸品ではねビードロとガラス時計 コンパスなんかがねあの入ってきてお時計 とかねで衣服はねマントとか帽子とか 難蛮ズっちゅうのが入ってくるんですけど は結構ねあの好きだったので色々 あの衣装も南の衣装着てでグラスを持って ポルトガルワインを初めて 技術が残っては入って全然関係ないかも しれないですか時計入ってきたんでそれ まで時計なかったです 溶けなかったす溶けないす 日の道 そうですそうですあと金ですゴーンってつえ あ星いくつみたいあ星な何個みたいな感じです でもその金を鳴らした人は何かを基準に鳴らしてるんです そうですそれはねひどひどいですこれそれこそアラウみたいなそういうものが全部あのまでもそれは江戸時代まで引っ張るんですよ だから時計入ってきたのって 普通に一般の人に出回るのって昭和になっ てからじゃないですかあれはそれまであの 寺のお金がゴーンてあってあクレム使う みたいなそういうね時代小説とか見るとあ もうそんな時間かみたいなそういう感じで あのこれ金で鳴らしてた知らせてたみたい ですねうん ま持ってる代名いいねあの例えばお金で大 があったらコンパ時計とかね置き時計とか 持ってたかもしれんですけどそうその当時 が初めて飲んだとされてるのがこの ポルトラインが好きここで初めて輸入 ワインを飲んだのがポルトラルワインを 飲んだのが織田でそこで入ってきたのが この食文化っていうのも結構ね日本に棚に なる影響を与えたっていうのがこの砂糖 それまではね日本はねえっと天才島って いうあのま株みたいなやつからあのさと 甘み生取ってたんですけどここ砂糖キビ から上質な砂糖蒸白灯をあの作る技術を もたらしたのが東京でここでねえっと日本 の食分和食が砂糖がちょっと使われるよう になってきたのがこっから始まるんですよ こうポルトガルがはいのナンバー文化が 入ってきたところから結構始まるで秀吉が 作ったのがあ吉をしたのが前寺と前寺って 秀吉が作ってで自分にっていうのがあるん ですけどそれは石田 あの通りとねく 似た印なんとえっと今煮物煮ける煮物 みたいなやつですね今でも逐前に軸に行っ て結構その地号であの それもちょっと国を出してでそういうのが 全国に広いていうから今の和食文化って 砂糖を見れるのはあのこっから来るです こっからが始まる そうで信田信長がま生を推奨してその いろんな鉄砲だとかそういう西洋の文化を どんどんどんどん吸収してってあの 行くんですけどここ ザビルが来た1549年の時にえっとね 鹿児島の島助っていうのがあって島にね あの鉄何かいるんですよそうでザビエル 元々本当の理由は日本植民地化しようとし に来てるんですよねそうだここがあの ポルトガルのちょっと俺も突っ込まれたら 嫌な部分なんですけどそもそもポルトガル は日本を植民地にして植民しようとしてき たっていうでそこでその 鉄砲をわずか何兆か売ってま3兆か4兆 ぐらい売っても 大丈夫だろうと高をくってたんですけど そっから10年後もう1回来た時にその 鉄砲3兆とかが何万兆になってたっていう のでこの日本この国やべえぞと 恐ろしいしかもあの俺が渡した鉄砲よりも 進化してんじゃねえかっていうぐらい射程 も伸びたり射程距離もあったりあと馬の あの馬の上から魔女頭って馬の上から 打てるようなちっちゃ小型の鉄砲とかなっ てたりとかいろんな進化をさせていくわけ ですよ日本人が納得るのでそこで驚愕する わけですよであのキリスト教も広まらねえ んですよなんでとなんで広まれねえかって 言うとなんか日本の人よくわからないと山 に神様が宿ってるとかもね森に神様がいる とかよくわかんないこと言ってるこの国の 人ちょっとやべえぞそれでも 1つ天皇中心にまとまってるっていうのが 恐ろしい国だっていうので侵略を諦めます でそこの中でえっと野田信長がこうあの時 天下日とた織田信長1582年に本能寺の 編のであ明けち光 ま打たれるわけなんですまあねこないだ 大ガドラマもやってましたけど決して 明けち光で悪いわけじゃないです僕は本当 に僕の歴史好きなんでよくわかるんです けど水秀では平和の国を目指したんですよ 信長はね海外を目指したんですよここの中 で圧倒的にその価値観が違ったんですね ナンバーワンとナンバー2の中で価値観が 右腕とね価値観が違った中で三秀でもこれ 一応戦争したくないつって信田が打たれた んですけど でその後あの結局秀吉が朝鮮出発で海に 渡って朝鮮行ったりなんかして行くんです けどそもそも信長の考え方を秀吉が水ね やったとってもううまくいくわけないです よ そうそうそういう感じであの まここで信長がやられたっていうことで かなり その日本の僕の意見です僕の意見はあの 当時信長に殺されて中なければもしかする と共通語に世界の共通語になってたのが 日本語だったかもしれない ポルトガルとスペインが世界に出てって 徐々に徐々に衰退していく中で対当してっ たのがイギリスですよ イギリスのエルバス一世が産業革命を 起こしてどんどんどんどんその世界に出て いく前に信長はもっともっと世界を目指し たからあの当時で殺されてなければもしか すると信長がいろんなところに技術鉄光線 なんか作ってたしすごい技術を持ってたん ですよ監督当時のあの あの海のね 海線技術を持ってたしでその信長が世界に 出てってたとしたらもしかすると日本が 世界の共通都合になってたかもしんないっ ていうのはまこう他人ですね 小田が打たれたと打たれたがために 徐々に徐々にこう鎖鎖と言っていくんです [音楽] で信長を打たれた19812年本の寺の辺 に打たれた後にそうポルトガルとスペイン のあのキリスト教の戦いが日本国内の中で も起こってくるんですけどポルトガルの フランシスコ会っていうのとスペインの イエス会っていうこれも多分聞いたこと あると思うんですけどこの2つが日本国内 でもこのどっちをどっちを広めたらどっち を広めるかっていうので結構ね退屈してた んですよねそう そこをそういうのをこう色々こうなんか見てて桐がちょっとなんか [音楽] やばくねみたいなキリスト教何言ってるかわかんねえしみたいなそんな感じのもしかするとこいつら民地下しようとしているんじゃないかっていうので秀吉がバテレン追放をするわけで [音楽] 1987 年にでこのバテレン追放ってのはなの心もね結構ガルの [音楽] い俺あんまり疲れたら嫌な歴史なんです けどま要は奴隷製造だったんで日本人は 奴隷で持ってこうとしてたんですよねそう いうの秀吉にばれてキャラもダメだと日本 じゃないですで あの 徐々に徐々に ポルトガル戦禁止何万分かNGでワインと かそういう記憶は古文書と両文の中に 埋もれていくっていうでこの後に入って くるのがオランダ線 そう [音楽] ここです1543年来で1551年えっと ザビルが1549年に来るんですけど2 年間コロナあのキリスト教を広めたんだ けどザビル失敗するんですで1570年 あのま信長の手を借りて南貿易が最も ピーク行きますで1575年鳴らしの戦い 信長が鉄砲を使って武田木隊を打ちぼすで 1982年本の編があって信長殺されるで 87年に広島バッテリアン追で1600年 関原 5関の活戦が6月何日だったかなそびだっ たからそうそう1600年もうここの時代 になるともうあれですね家康の時代家出し の時代の中にあの来たのがオランダセンス ルイレムスアダムスが来たオランダセで 最終的に1614年にイエスイアスが キリスト教を禁止してあの完全な国時代 なってですねで1600年に国 完成それでもねなんかちょこちょこは色々 貿易してたみたいですけどほぼこれ 大ぴロゲにキリスト教ま2国戦入るね配信 でこの1600年から今までね2000今 大体約400年あ500年か400年か 400年経った日は [音楽] その 歴史を埋めるために僕がポルトガル版を 日本に広く でここにここに持っていくわけですよ [音楽] そうだからなんで僕俺がポルトガルやる かっていうのがここなんですそうそもそも 植物が似てるんですよねポルトガルと ですごいすごくでえっと焼き魚を食べてそれに合わせてあとサバのサボを食べる分がもあってであとタをすごい食べるんですよ僕は [音楽] [音楽] でタラと言えば日本でも結構ねあの下仙沼 あの宮子宮子の方が一番ねタラと一番 食べるとこなんですけど僕が都行った時に 都の旅館ホテルで止まって僕は旧村さんっ てことったんですけど宮子の旧村さん行っ てそのビケあの食べた時に その時はポルトガル人のワイナリの人と 一緒に行ったんですけどそのワイナリの ポルトガル人のロペス がなんだここはガルじゃないかっていったあのまタのフリッドそのタラのフィッシャーのチップスみたいなものとあとはその天ぷラ天ぷランポガル料理ね そうそうそうそうもうそういうもう本当料理が進化したようなのがその宮子にあったあってもうここはポルトガルじゃないかって言ったのがロベスそう [音楽] それぐらいあのポテトガルの食文化と日本 の食文化は似てますねで圧倒的うまいっす 日本の方がもう天ぷらな1つ取ってして 取ってみても全て日本の方がうまいんです けどガウ当時今ねがあのポルトガルの料理 で原型原型っていうか あの治料理で食べるのがもモきがもきは ポルトラあ本当あの原型す天ぷらみたいな ああいうのがきはポッテ ですね でまあね色々ポルトガルのねザビエルとか いろんなのが日本に来て植民地支配しに来 たんですけど そもそもこの 向こうからやってこなければ 今のこういう和食文化をもしかすると そんなに反転してなかったかもしんないま でも日本人はねすごいから勝手に発展させ てるかもしれないですけど時代歴史が ちょっと遅れてそうかもしんないっていう ところですねちょうどそのさっき言った みたいにあのラシ版が出てきたり アストラベが出てきたりね船の進化が出て きたりあとは天道説から地道説に変わって きたその歴史的な瞬間にやっぱりこう ガラっと世界が変わるっていう多分ね一緒 なんですよねああの要素が その同じ時期に来るでそういうもう そもそものこう南文化のこうちょっと 恩返しじゃないですけどそのために僕は もうポルガルワインをやっていたりとあと はその消えたね500年400年の歴史を 今こそ繋ぐ一杯を皆さん今持らっしゃ そんな感じでやってます [音楽] 1つワインを知ってるっていうことが1つ のステータスなんですうん今でフェラーリ 持ってるみたいなようなもんですよマルシ その結局ワインを知ってるっていう時点で どういうところで君を育てられたん だりっていうのがもうヨーロッパの1つの あのステータス そもそもワインって高いし買えなかったり するし今なんかものすごい高くなっちゃっ て買えなかったりするんですけどま20歳 そこそこでねワインのこと知ってる人が そもそもどういうお家で育てられてきたの かっていうそもそもそういうワインを 飲める飲んでそういいワインも飲めるよう な家で育てられてきたっていうのはまま 結局結構そのステータスの1つになって るってうのはヨーロッパので日本のその ソリエはそこまであの権力みたいの持って ないですけど海外行くとソぐれって国家 資格だったりするんですごいもうあの申請 化されてるみたいなそんな感じの職業なん であの 結構ワインを知ってるっていうことが1つ の社交的にも大事だしえっとま今ね若い 世代飲まないって言われてます できるだけワインを知ってた方がなんだ かんだで あのいろんな1つ知ってやり の1つのあのものがあるから是非ワインを してもらいたいなっていう感じですね そんな感じなんか質問ありますか はい はい今国家資格っておっしゃったじゃないですか で今新鮮に扱われてるっていうと うんみさと共に飲まれた 聖の飲み込んてこてその時代のワイン作りの方からはい [音楽] で結構こうなんていうか貴重な存在というか [音楽] として扱われたですかね あめっちゃめっちゃいいっすもめっちゃ いいすあの基本的です基本的にワインは誰 でも飲める底辺の飲み物なんですそうあの 今でこそすごいワインンって高くなっ ちゃったりしてたんですけどまもちろん その当時もあのすごいいいワイン高期な ワインっていうのは貴族が飲んでました けどそれ以外のワインンっちゅうのは そんなになものではなくまビールエールと かそういうものと同じまはブドなんてどこ でも作れるんでどこでも作れるっていうか ちゃんとぶドのベルトがあるんですけど その地域だったらどこでも作れて1番肥料 もいらないし気候さあどこでも1番なれ なる武道あなる植物があのクのぶ道なん ですよ世界だからあの誰でもねでキリスト がそのわ私の主はワインでできて るってちゅうのはキリストって元々その そんなまずね後期じゃないの貧しいところ から早ね出てきた人たちなんであん時パン とワインとチーズこれさえあればみたいな そうそうそうそうでこれが1番そのワイン なんていうのが元々そのだから飲まれる ようになったっちゅうのはそもそも ヨーロッパっていうところはヨーロッパと か日本以外ですね日本以外ってそもそも水 が飲めないんです いい水がないんですだどうやって水分補給 するかっていうとぶドの果重で腐らない ようにしてワインを持ってワインで水分 補給でこの大公開自体もちろんそうなん ですよあの船乗って水持ってくとみんなも 水腐っちゃうんで これですワインを持って 大公開したいんですよねまワンピースの 場合もそうですねあのゾロとかが結構 ワイン飲んでたりとかするじゃないですか ああいうのも全部こういうそのワインが あって水分補給できたそういうところから あのこのワインまだから誰でも飲める1番 丁寧の飲み物がワイン今ね割と他でグラス とかでね飲んでたりするんですけど そもそも誰でも飲めたもの誰でも作れただ からここまで広がってったっていうで後期 の飲み物は本当次回やるんですけど ウイスキーです 次回ウイスキーの回なんですけどあの僕が 選ぶ初に飲むハイボール10血みたいな そのこれやるんですけど10本のあの ウイスキーを持ってきて色々説明していく んでそう まウイスキーはね後期の貴族のワインは 1 番一般的なとかの理由とかと一緒ですねうん [音楽] ワインをはい 日本に持ってきた時に はい結構な時間をうん この後崩壊を共にしてるわけじゃないですか [音楽] はいいいすうん でそれをその結果のものを信長は飲んでる そうです それは美味しかったと思いますか あ実際あの同じものが今うちのお店にもありますけどあの美味しいですえ 間違いなく美味しいで今飲んでる赤ワインとはちょっと違うんですよ あの若干甘口甘口のワインにして中にあの 例えば要はあのブランデなんか入れたりし てちょっと甘くしてあの持ってきたって いうのがあの初めポルトガブが飲んだワイ 大体ねその大公開こうあの日本に入って くるまで 昔はねものすごい時間かかったと思うん ですよねでそもそも今現現在ポルトガル から日本に入ってくるあのポルトガル ワインがポルトガルのから日本に入って くるんですけどで最終的には東京の港を得 て熊越村に来てこのお店の地下にあの2万 本ぐらい入ってる埋まってるんですけど そもそもどれぐらいかかるかって言うと 大体3ヶ月から4ヶ月かかります で後路はですね ポルトガ出ます こっち西回りじゃないす東回りです同じ あの当時と同じ回り方ですこっちからこう 出てってまこう回ってこう回ってくる パターンもあればここえっとね地中会を 超えて地中会を超えてこっから陸まで行っ てこっからまたこうなんか2パターンか3 パターンぐらいあるんですけど大体3ヶ月 か4ヶ月ぐらいで日本に入ってきます でちなみにあのポルガルから日本に入ってくる僧侶と日本からつ越cz村に変わってくる魚czから東京から声にかかってくる僧侶の方が高いっす [音楽] そうそれぐらい今物流がすごくてあので国内の物流めちゃくちゃ高いすそれぐらいあの海外から来るのはめっちゃ安いです [音楽] であのポルトガルと日本って今もうEPA っていうその完税よって今ねトランプが 色々ねあれしてますけどそのヨーロと そもそもコロナとヨーロッパと日本のあの 協定で完税はなしです完税はない 完税はないんですが消費税と手税は借り ますそうそうそうそう であの当時あねあの入ってくるまでどれ ぐらい買ったんだろう 111年とかじゃないかなどれぐらいなん だろうねうんかなりこのこういうコ路とか を見たりすると 1年1年そこそこで入ってきたんじゃない かなって思いますけどね そもそもそのマスコーダガマガマさんがアジアルートを確立したおかげでどんどんどんどん早く入ってきたと思うんですけどそう [音楽] [音楽] 結構あったかい場所も通るじゃないですか それってワインは はい大丈夫なんですかいいす えっとねちょっと昔僕がまだねえっと昔の 全職にいた時えっと大体25年前ぐらい ですかね25年ぐらい前は今ほど物流が ドトンってなかったんですでその当時 リーファーコンテナっていうそのま冷蔵 コンテナ冷蔵コンテナで入れてるワインを 入れてる会社ってすごい少なかったんです よ今もうリーファーコンテナーと普通の コンテナーで入れてるのもそんな値段 変わらないぐらいに入れられるんですけど その当時は リーハーコンテナーで入れられ入れられ なかったんでその温度まさにそれもうね 熱帯のような熱帯とすごいあ取ってくる来 たりするんでやっぱ寝あの温度が熱くなる んですよそうするとよくあのダメになっ てるワインがいっぱいありましたうんそう そうそうもうあのねワインのこの ここからねワインが吹いて下のラベルが 汚くなってるぐらいそうでもワインは腐る もんじゃないんであの全然飲めるんです けど味は全然良くないっていうのが結構 ありましたえっとそれもねあの当時 1割ぐらいあったんじゃないかな 今はねほとんどないですほとんど リーファーコンテナうちもそうですけど リーファーコンテナー入れてるんで リーパーっていうのが冷蔵コンテナですね 冷蔵コンテナで入れてるんでほとんどそう いうことがないですで第1回目で話したん ですけどそのつ声の気候っていうのが すごくいい気構なのでワインにワインを 保管するのに適してる場所っていうのは もっと全国でも ここしかないんじゃないっていうぐらい 凄まじい高値です ねワってこうやって日本に入ってきたんだ よっていうのをちょっと感じながら飲んで もらうとより身近に感じられるんじゃない かなっていうのがありますはいという感じ で 以上 あのポルトガルワインから大公開 して次回あるとするなら僕が選ぶ初下に飲むハイボール [音楽] 10血みたいなこ期待みたいな感じさありがとうございます [音楽] [音楽] [音楽]

群馬県嬬恋村にあるポルトガルワインショップ「72season`s」
日本で初めてワインを飲んだのは織田信長!?
実際に飲んだとされているワイン紹介!
ポルトガルワインがどのようにして日本に来たのか。ポルトガルワインの歴史を教えます。

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