【神奈川】小田急沿線、3つの町の人口を分析して分かったこと

皆さんこんにちは朝川です本日は小田急 沿線の3つの町の人工に着目をしていき ます 東京都の新宿から神奈川県か特に県王聖 湘南に向かって路線を伸ばす小田急その 沿線の末端部分周辺に3つの町があります 松田海晴いこれら町が存在します ただこれらの町ですが取り分け人口の増減 に着目をしてみると大幅に増加をしている 町があったり一方で減少をしている町が あったりと近接し合っているのにも関わら ず非常に興味深い動きを見せています 実は人口の分析や要因の考察など様々な ことを探っていきたいと思います まずは3つの町の基礎的な情報を確認して いきましょう今回紹介するのは松田町 大井町そして海晴です全ての町が足柄上軍 に所属しています また松田町には小田急小田原線が通り それぞれ新松田駅と海晴駅が設置されてい ます 大い町には小田急線が通っていないのです が車バス等で先2つの駅に容易にアクセス することができ自質的に沿線の町と言って もいいでしょう 次に3つの町の人口を確認していきます 25年4月時点の人口は松田町が1万で 259人大井町が人口1万7283 人改正町が1万8751 人人口が最も多いのは海晴で 大町最も少ないのが松田町ということに なります次に面積松田が37.75 km大井が14.38km 海晴が6.55kmですこちらはマ田が 1番大きくそして海晴が最も小さくなって います特に海晴は面積がかなり小さく 神奈川県で最も小さな自治体全国的に見て も高知県田町についで22番目に小さな 自治体です そして改めて交通について見てみましょう まずは鉄道からご案内の通り松田と海晴に は小田急小田原線が通りそれぞれ新松田 海晴駅が設置されています またこの周辺にはもう1つ鉄道路線があり JR5殿場線が松田町と大井町を走ってい ます松田にはJR駅が大いには相模金子駅 と上井駅が存在します JR松田駅は小田急の新松田駅と近接して おり一応独立した駅ではあるのですが実質 的な乗り換え駅として機能しています また大いから海晴新松田へのアクセスも 用意でJR5殿場線を利用するのではなく 自価用者やバスなどでこれら駅にアクセス というパターンも多くあります 次に道路ですまず高速道路は5等地周辺 透明高速道路が走っています そして大町と松田町の教会に大いマ田 インターチェンジが立チそしてその大い マ田インターチェンジと接続するのが国道 255号と現道78号線です 255号は実質的に松田と小田原を大い 経由で結んでいる国道同時に大いの主要な 道路でもあります剣道78号線は大い田 インターチェンジを起点に西側に伸びる 道路インター西町とを結ぶ役割を持ってい ますまた225号は大井松田 インターチェンジの北側900mの場所で 国道246号や剣道72号線と接続この 接続により松田へのアクセスを担ってい ます 地域内の移動という観点で見ますと1つ 着目したいのが足柄四水橋という橋こちら は2014年に開通した海晴いの間に かかる橋です この橋は大い町内と海晴の移動を大幅に 短縮しより層多いから小田急の利用が便利 になったという側面があります 最後にこの3つの町の特徴としては各町の 中心部が非常に近いことどこを中心とする かというのは非常に意見の分かれるところ ですがひとまず街役場を起点にしてみると 松田町役と海晴場がおよそ2km松田と 大いが2.9km大いと海晴が3.1km と非常に近くなっていますこちらもご地 周辺の特徴と言えるでしょう 次に3つの町の人口の増減を見てみ ましょうまずこちらの表は松田海晴大井の 1995年2015年2025年の人口を 示したものですまず1995年の時点の各 町の人口は松田が1万3270 人 大位が1万5599 人海晴が1万2698 人1番少ないのは海晴で最も多いのが多い という構図でしたそれが2025年には 松田が1万tで259人大井が 1万7283 人海晴が1万8751 人最も少なかった改正の人口が1番多く なっています 改正町の1995年から2025年までの 間の増加率は47.67% 大幅に増加していますまた期間内の増加率 では神奈川県で最も多いものとなってい ます 大いも30年目線では増加をしておりその 増加率は10.8%この数は県内ですとざ 市や相模原市と2増加率となっています 一方で減少をしているのが松田町1995 年から2025年の減少率は22.69% これは箱根町山北町マ鶴町三浦市についで 高い減少率となっています 10年間の人口増減で見ても海晴いは増加 しているのにも関わらずは減少という形に なっています 単に交通的な面で見ると松田は透明の インターチェンジも近くにあり五殿場線と 小田急線が乗り入れる交通の要少また特急 ロマンスカ朝桐改め富士3号が新松田駅に 停車小田急の新宿発新松田折り返しの列車 も存在するためなんとなくですがイメージ 的にはこの辺りで最も発展している イメージもありますそれではこの近接する 3つの町でなぜここまで差が出てしまうの か理由を探って行きましょう まずこれらの町は小田急線の起点の新宿駅 から見ると71kmから75kmほどの 位置にあります他の地域と比べてみますと 中央本線の新宿から大月までがおよそ 78km千葉方面の総武本線東駅こちらが 東京駅からの距離がおよそ77kmです 列車の運行速度や運行本数またその他地形 的要因や2次交通の充実など様々な差が あるため一概に比較をすることはできませ んただ都心からこのような距離感の町では 近年人口の現象が顕になっていることが 多いです 距離感で見ると松田大井海晴れ に入る距離感と言えるでしょう また近隣の都市についてですがこの3つの 町は小田急で都心にアクセスすることも できますただ近隣で1番大きな都市である 小田原への通勤通学率が高くなっています 近年は小田原も小田原で水体がさやかれる 年ですが一定数の拠点性を持った町新松田 駅から小田原駅までは10分から15分 程度 拠点都市近郊の町であるとも言えます 次に3つの町の地形条件を見てみましょう まず最も面積が広いのが松田町こちらは 長域の多くが山地に占められており特に町 の北側ではそれが顕著です まとまった兵地は町の南部にわずかにある のみ全体的に兵地が少ないと言える でしょう次に大い町こちらは町の頭部が 給料地帯とはなっているものの西側に まとまった兵地が存在します最後に海晴 こちらは懲役が狭いもののほとんどが平置 に締められていますこう見ますと松田は 懲域内の大半の場所が大規模な開発に向か ないような地形一方で大いは長域の半分 海晴は大半が平置で開発のしやすい地形で あるということが考えられますではこれら 町たちはどのような発展を遂げてきたのか 歴史を見ながら振り返っていきましょう まずは松田町について松田の発展において 大きな変化をもたらしたのは現在のJR 松田駅 松田駅は現在JR5古殿場線の駅ですが 海峡当初は東海道本線所属の駅でした 東海道本線は東京神戸間を結ぶ日本の重要 幹線現在五地周辺に関しては国津駅からは 小田原マ鶴湯河原熱海を経由して沼津に 至るルートとなっています しかし1888年に 沼間が開業した際は現在の5殿場線の ルート 松田小山五殿場裾を経由して沼ずに至って いました 重要な東西感染が松田を通ることとなり 若干衰退傾向にあった松田の町が息を 吹き返したとされています ただその後松田駅の地位は徐々に低下して 行きます1927年現在の小田急小田原線 新松田駅が開業 東海道本線経由よりも都心まで早く向かう ことができるということで乗客が徐々に 織田急シフトしますまた1934年に現在 の東海道本線熱海経由のルートが開通した ことにより松田五殿場経由の路線は5殿場 線に解消 これにより松田駅はさらに地位が低下都心 と直通また近隣の大きな都市である小田原 に直通する小田急新松田駅の地位がさらに 向上します ただこれは駅に限ったお話松田の町自体は 鉄道の決点として大きく発展を遂げて行き ますそして現在から見るとそれなりに昔の 時代に松田の発展が起きていたということ がわかります次に大い町大井の長域は伝統 的に脳が広がる場所でした現在も大い町の 高知面積は311hこれは懲役のおよそ 1/5を占めています 大において農業というのは今も一定数の 存在感があります そのような大いですが1960年代より 事情が変化して行きますまず1968年に ある大きな企業が大い町に本社を移転また 翌年の1969年に透明高速の大井マ田 インターチェンジが開用これをきっかけに 東京都心へのアクセスの良さに着目した 企業進出が進みますそれに伴い宅地が増成 されるようになり人口が増加大いは発展を 遂げて行きますただ2000年代に入ると 少し事情が異なってきます 2008年に多い進出の川切りとなった 大きな企業が株式会社以降に備えて事務所 を再編することになります に伴い大いの本射機能を移転これにより 大いに務める従業員が他のオフィスに移る こととなりました 大い町の人口ですが実は2010年の 1万7972 人がピークで一旦減少に入っています 事業所移転の影響が出ていると見てもいい でしょう ただその後長域内での宅地造成が行われ 2010年の水準で比べると低くはなって いるのですが微造傾向にあるこちらが大い の歴史及び現状です 最後に改正町です改正町に関しては1点 大きな特徴があります 改正町は長域内を小田急小田原線が通過し ているのですが町内には当初駅が設置され ませんでした 現在の改正駅が開業したのは小田原線の 前線開業の1927年から60年近くが 経過した1985年また海晴駅開業直後は 駅の周りはほとんど何もないような場所 でしたただ2000年頃より小田急伝鉄 主導による宅地増成が開始開催駅の周辺に はマンションや住宅商業施設が立ち並ぶ ようになります これに伴い人口も大幅に増加することと なります また改正駅の利用者数もどんどん増加して おり2003年には6998 人であった上数が2023年には 1万2389 人と大幅な増加を見せています また改正駅は海業当初ホーム有効庁が6両 分しかありませんでした 小田急の急行は海晴駅が開業当初6両で 運行されることも多かったのですが 2004年に快速急行という種別が誕生 この快速急行は小田急でロマンスカーに 継ぐ速達性を持つ種別です基本的に10両 編成で運行そのため改正駅に停車すること ができませんでした ただ徐々に小田急の即達別の主力が急行 から快速急行にシフトまた急行自体も10 両で運行される列車が増えたことから都心 直通の列車が海正に停車しないという時期 も続きました しかし利用者増加を受けて開催駅のホーム 延長工事が着手されます 19年にホームの延長工事が改良し同年の ダイヤ改正で10両編成の列車が停車する ようになります 当初は快速急行が新松田駅で主別変更を 行い新松田小田原間は急行として運転この ようにして実質的に快速急行が改正に停車 するような運行形態となります このような運行形態を取る快速急行 2022年のダイヤ改正で大幅に増加当駅 を通過する列車はロマンスカーと早朝1本 の下り快速急行のみとなりました そして2025年3月のダイヤ改正で正式 に快速急行が改正に停車するようになり ます このように海晴駅自体の利便性も年々向上 しています 3つの町についてまとめてみますと発展を 遂げた時期が異なるというのが顕著に現れ ています 祭は明治期から昭和の初期に現在の街並が 発展大いは昭和の中期から末期にかけて大 規模な開発また近年も開発が進む場所が ありますそして海晴は開発が始まった時期 が最も新しく現在もその影響が続いてい ます 古から発展した松田は町の発展が法和し 近年は水体傾向に向かっているまた3地の 面積が多いため新たに開発をする余裕も あまり残されていないその他2つの町は 開発時期が新しくまた兵地も多く開発の 余裕も残されているこのような違いがあり ます そして今回人口を観測したのが1995年 から2025年と比較的最近の期間この 目線で見ると松田と多い改正の退避がより 大きく映るこのように考えることができる かもしれません ここまで交通については鉄道を中心に着目 をしてきましたが道路にも着目をしてみ ましょう 広域輸送に関してはご案内の通り透明高速 道路の大田インターチェンジが担ってい ます このインターへのアクセスは先ほどもご 案内した通り各道路で円滑にアクセスを することができますただその他の詳細を 見ると松田に関してはご案内の通り発展が 早かったことまた元々百沢王冠の千場町と して発展していたこともあり特に中心部 松田新松田両周辺は細い道が入り組んで おり若干車での交通に何がある部分もあり ます 一方の大いや海晴は比較的余裕を持った 道路配置となっています ご当時はモータリゼーションの進んでいる 場所車の利用のしやすさという部分も 大きく影響すると考えられますまたその 目線で見ると近年小田原市では小田原駅前 の市中心部に加え坂川を渡った東側に商業 や工場の集席が見られます この辺りのエリアは鉄道から遠く道路交通 が主役その面で見ると大い町はこの小田原 市の街当エリアへの車でのアクセスが3つ の町の中で比較すると良くなっています また改正町も隣接する南足市に精密科学 メーカーの大規模な工場があるため自動車 でのアクセスという面では若干勝さる部分 があります このような事情からも松田より比較的条件 が上回る2つの町が居住地として選ばれる 傾向があるかもしれません最後に今後に ついてですがまず最終的には海晴い町の 人口増加は今後どうかそして現象に向かう と考えられます これは日本全国の人口が現在減少傾向に あるということ再生町に至っては懲役が 狭いということもあり松田が直面した発展 の法和という時期が訪れると考えられます また軽く触れましたが小田原の都市として の強さここも重要になってきます海晴い マダはどちらかといえば居住地という側面 の大きな町雇用に関しては小田原に大きく 依存する形となります また都心からの距離これも比較的遠い場所 であるので今後東京1局集中が続くと状況 としては厳しい立地と言えるでしょう この3つの町だけではなく日本全国では 同じような事情を抱えた地域が多く存在し ます人口や産業というのはまるで生き物の ようで単純にそして簡単に捉えて対策する のは難しいと考えられます も3つの街の水着目していきたいところ です さて今回の動画はここまでとなりますご 視聴ありがとう存じますまた次回も一生 懸命頑張りますごきげよう

#大井町 #開成町 #神奈川県

神奈川県の南西部、いわゆる西湘地区と呼ばれる地域。この地域は小田原市を中心に、発展を遂げてきた地域でした。
また、その小田原市と同じ足柄平野かつ小田急小田原線沿線付近に隣り合う町が3つあります。それが松田町、大井町、開成町です。

人口減少が日本全体で話題になる昨今ですが、特に開成町は大きく人口を増やしている町。一方で、松田町は人口が一定の割合で減少していっています。

本日はこの3つの町たちのデータや現地の様子などを見て、なぜこのように結果に違いが出ているのか、考えていきたいと思います。

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28 Comments

  1. 小田急のマニアックな3町の解説、かなり興味深く拝聴しました。渋沢もいつかお願いします

  2. 松田、大井、開成
    今私の住んでいる場所の近くなので非常に興味深く見ております。
    個人的に秦野市も詳しく分析していただけたら面白いです。
    山もあれば、市街地も広い上に、小田急の駅が4駅もあるという一つの市として珍しい場所なので

  3. 松田町は平地が少ないのが祟ってますね、土地がないので企業の新規誘致がしにくい、開成と大井は元々田んぼだったところですからね、誘致しやすかったのでしょう、
    ここにでてこない南足柄はカメラのフイルムメーカー城下町ですし、小田原はかつて専売公社の工場があったのですが未だ空き地ですね。
    御殿場線沿線は神奈川でもかなり静岡の香りがする地域ですね。

  4. 21:10 富士フィルムは仕事で何度も行った場所。大雄山線の赤電もギリギリ乗れた。
    5000人も働く大きな工場なのに電車通勤はほとんどいませんでした。多くは自動車通勤で金持ちなのか外車が多かった。

  5. 動画で触れたように、足柄上郡は、時代によって首位が変わってきた地域ですよね。
    松田の全盛期は戦後から昭和中期にかけてでしょう。鉄道交通に長けた松田は、古くから発展していて、町制も戦前と、最も早かった。ただ、この発展時期の早さが、現代においては街の更新を妨げ、開発余地が無くなっていると思います。人口が減っているのは、中山間地域の寄を抱えているのも大きい理由だと思います。
    次に大井町。大井の全盛期は、昭和末期から平成初期でしょう。大手保険会社が本社を構え、宅地造成を促しただけでなく、財政も裕福だった時代があり、この時代に大きな体育館などが作られました。現代は大手企業が撤退し、岐路に立たされています。とはいえ、道路交通の良さは変わらぬ強みです。
    最後に開成町。全盛期は平成後期から現在でしょう。駅が無い時代は、かなり田舎で、開成の元町長は「昭和中期は山北の方が栄えていた」と言うほどでした。駅が開業し、周辺のインフラ整備を、コツコツ進めたことで、近年になって評価される街になりました。南足柄の富士フイルム関連工場も、一部移転してきていますね。現在の上郡の首位は開成です。しかし、急速に人口が増えたので、将来的には、急速な人口減少に直面するかもしれません。
    次の時代は、どの町が首位を握るか、楽しみですね。

  6. 小田急沿線の3町は知ってたが、様子が分かりました。合併して市制しなかったのは残念ですね。

  7. なるほどですね。
    東京都多摩地区における八王子市と立川市みたいな関係なのですね。
    東京都あきる野市なんかも、JRが本気出せば人口増加しうるのかな。

  8. 今回はマニアックなとこトピックにしたな~wこの地区はゴルフ場、大井松田🆋のイメージが強い!知り合いのDEディーラー営業によると顧客達はこの大井松田🆋をいかにストレスなくいけるかが車の性能基準にしてると言ってるw地方都市の外れの扱いだから地場密着地区無理に開発しても、、若い時分箱根、丹沢湖に走りに行く時通るとこ、懐かしい~

  9. 1880年代当時東海道線は国府津から小田原・熱海・三島ルートも考えていたようだが熱海から三島間は勾配の激しい鷹ノ巣山を越えなければならなくまたトンネルの技術も進歩していない頃だったので国府津からは比較的勾配が激しくない矢倉沢往還のルートに決定した模様、熱海までなら頑張れば路線を開通することが出来たかもしれないが
    御殿場線は東海道線の本線だったことから複線化もされたが1930年代半ばで丹那トンネルが開通されたことで国府津からは小田原・熱海・三島ルートが本線になり松田・御殿場ルートは支線となった、そして第二次世界大戦時で不要路線に指定され全線単線化された、せめて松田から御殿場間は複線のままにしてほしかった
    また、1991年から小田急との協同で開発された特急「あさぎり」が2012年で廃止になったことも松田の衰退の原因の一つかも

  10. 小田急も四十八瀬川を超えた辺りから平野部が開けホッとする.富士フイルム🏭の南足柄市は知名度がイマイチです

  11. 開成町はこの十数年で一気に人口が増え、工場誘致もあり、新しい小学校までできてしまいました。今まで田んぼだらけで駅も存在しなかったため、逆に開発がしやすくなってしまったという感じ。大井町はこの近辺なら誰でもビルを目にすることができる大企業の城下町と言ってよく、お金持ちの方が住んでいたと思われますが今はもう少し便利な場所に引っ越したかもしれません。松田は古い場所なので駅にアクセスする場合どこも道が細い…
    南足柄市を含め西湘地区ほとんどを「小田原市」にする計画もあったそうですが、開成町が他の市と町の赤字を背負うことになるので無理だと思います。

  12. 確かに大阪上本町から約78㎞の桔梗が丘は衰退してるかも
    逆に名古屋から約78㎞の中川周辺はにぎわってる

  13. 昔は終電の駅とか乗り過ごしとか面白かったけど、最近人口激減だの壊滅だのネガティブな内容ばかりだから登録辞めるわ😂

  14. 素晴らしい動画をありがとうございます。私は松田で生まれました、小さい頃の松田は栄えていました。母の実家は開成で田畑しかない町でした、親戚が大井町に住んでいましたが電車で行くには不便でした。

  15. 昔から東名を走っていると大井松田IC付近に大きな建物が目に入り気になってました。当時からランドマーク的存在でした。

  16. この3町だけではなく県西部をまとめて1つの行政区域に出来なかったことは今後に
    響いてくるはず。
    埼玉県の「さいたま市」のように個々の市があれだけ大きくても合併にこぎつけてい
    るのに、人口が1万や2,3万の自治体がそれぞれ自己主張していては(漏れ聞く所
    では、合併すれば議員総数が大幅に減るので現職の議員たちが率先して反対したとか
    しないとか・・・)これからの発展の妨げになるだけでは??

  17. 大井町に住んでいますが、開成のように小田急が街作りをしているわけでもなく、就職、進学等で若者が町を出ていくことも多いのに、人口が増加しているというのは、我が町ながら、疑問が残りますね。また、私が知らないだけなのか、某大企業撤退前の2000年代前半生まれですが、同級生の中にご両親が某大企業に勤めているということを聞いたことがなかったので、人口の減少への影響は、割と少ないと思います。この町のデメリットは、仰る通り、公共交通機関が首都圏とは思えないほどのレベルになっており、車を運転しなければ出かけるのが難しいということであろうと思います。この点が改善されれば、都心部の免許や車を持たない人、高齢者も比較的住みやすくなるのではないかとも思いますが、ただ移住するには魅力は乏しく、結局小田原で良いになってしまうのが、実際の所ではないかとも思いますね。

  18. 秦野民だけど松田や開成と違って小田原より本厚木や海老名の方が近いのでまだ都会志向が強いよな…

  19. 大井町の大きなビル近くは、最盛期は山間にあるのにも関わらず喫茶店や飲食店が何店舗かありました。
    そして本社だったのは短期間で、後に事務機能と情報システム部門だけが残って事業所再編までに徐々に人が減っていました。
    若い頃にここに訪問する機会がそれなりに会ったのですが、移動手段が車(タクシーは新松田駅からじゃないと乗れない)か最寄り駅からのバスだけで相模金子駅から近いように見えますが高低差があってうっかり徒歩を選択すると辛く、慣れない来訪者だと知らずに徒歩を選択する私のような人もいたはずです。

  20. 御殿場に小田急の普通電車で行ったら新松田の乗り換え時間が長くて
    ロマンスカーで行くべきだったかなと思いました
    まあ帰りも普通電車で帰ったのですが

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