神田神社 毛利輝元が広島城を築城し、広島城の守護神として祭りました。 広島市南区宇品御幸4丁目1−15 #広島 #広島市 #武田山 #毛利元就 #毛利輝元 #千田貞暁 #宇品 #神田通り #新開地
明治22年神領地は旧陸軍省の用地となり、神田神社は当時千田貞暁が埋立てた新開地である宇品へ移転しました。
神田神社 広島市南区宇品御幸4丁目1−15 #広島 #広島市 #武田山 #毛利元就 #毛利輝元 #武田光繁 #千田貞暁 #宇品 #500年記念碑 #守護神 #牛田村 #東区 #神田通り #新開地 20250528 @akibingo
文亀5年当時祇園町の武田山にあった銀山城の城主・武田光繁が、祖国甲斐の国から城の守護神として安芸郡牛田村、今の東区スポーツセンターあたりに奉遷したのが始まりだと言われています。
その後武田氏は毛利元就に滅ぼされ社殿は荒廃しましたが、元就の孫の毛利輝元が広島城を築城して入城すると、輝元は神田神社の荒廃を嘆いて天正19年武田氏の遺臣池田宮内を神主として社殿を再建し、広島城の守護神として祭りました。
明治22年神領地は旧陸軍省の用地となり、神田神社は当時千田貞暁が埋立てた新開地である宇品へ移転しました。宇品の住民は神田神社の奉遷を心から祝って最初にできた道路に神田通りと名付け、以後春日通り、住吉通り、八幡通りと神社にちなんだ名を付けました。明治33年台風による津波で神社は大破し、昭和6年現在地に新築移転しました。昭和60年4月21日不慮の火災により全焼しましたが、翌年9月約2億3千万円の浄財で復興造営しました。
【平成15年10月 神田神社鎮座500年記念碑より引用】