228)沼田城【49歳独身の黙々とひとり旅群馬編】関ケ原の戦いでは、真田信之の妻・小松姫が義父・昌幸を追い返した逸話が残る 続日本100名城(群馬県沼田市)Numata Castle

228)沼田城【49歳独身の黙々とひとり旅群馬編】関ケ原の戦いでは、真田信之の妻・小松姫が義父・昌幸を追い返した逸話が残る 続日本100名城(群馬県沼田市)Numata Castle

2025年5月4日に訪問。
前日はルートイン沼田に宿泊。前日は早朝から出発したこともあり寝不足ということで、朝はゆっくりと出発。
沼田市観光案内所前にある無料駐車場には9時ちょっと前に到着。観光案内所が開いてたので、入ってパンフレットを物色していると、すいません〜9時からなんで、と追い出されたが、うまい具合にパンフレットはゲットでき城跡に。
沼田城は北関東の要衝にあり、軍事上の重要拠点として上杉氏・北条氏・武田氏などが争奪戦を繰り広げた城だ。
その後は真田家の居城となったが、一時期、天領となった際に城は破却され、堀も埋められ、その後も本格的な城の復興はされなかったため残念ながら遺構は少なめ。
ただ捨曲輪跡のまわりをよく見ると、河岸段丘の先端部に築かれた天然の要害の地に築かれた城というのがよく分かる。
ちなみに真田信之の妻で徳川四天王の本多忠勝の娘・小松姫が関ケ原の戦いの際に孫に会いに来た真田昌幸を「たとえ舅であっても敵である」と言って武装した姿で追い返したものの、自ら子供を連れて昌幸のもとを訪れ、舅の願いを叶えた逸話が残るのが、ここ沼田城だ。
昌幸には沼田城に立ち寄り、そのまま城を奪取する意図があり、小松姫はそれを見越した上で穏便に解決した、とも言われているが、もし奪取していれば、昌幸に同行していた真田幸村(信繁)の命もなかった可能性がある。ということは、大坂の陣の中身が変わってくる可能性があるな。
歴史のターニングポイントになった城であることは間違いなさそうだ。

入場も駐車場も無料です。

【投稿のいきさつ】
49歳独身の自分がただ黙々と一人旅をした映像です。大学を5年間でなんとか卒業後、24歳より西日本で有名なブラック企業に入社。1年のうち平均358日が仕事で、早朝から深夜まで数字に追われる日々を20年近く続ける(休日はお盆2日、年末年始5日ぐらいのみ。勤務時間は普通の時で朝7時〜夜11時、ひどい時は書きたくないほどひどい)。そんな会社もそこそこ営業結果を残せれた為、小さい営業所の所長をやったりと、ズルズルと在籍。そんな会社も数年前から労基の指導や働き方改革で週に1日は休めるようになる(最近は2連休もある)。当初は20年近く、毎日一息もつけない働き詰めの生活の反動から休日は全く何もしたくない、と思い本当に何もしない生活を続ける。ただ、この20年間、働き詰めで仕事だけのこのままの生活ではいけない、少しだが時間もお金もある、と思い、自分は何がしたいのかを考えたところ、自分は城跡を見るのが好きだったことを思い出し城跡を巡るようになる。2020年3月にスマホにかえたのを機会に投稿を始める。それ以前に訪問した犬山城、岐阜城、広島城などの記録を残さなかったことに後悔しつつ投稿を続けています。

#概要欄も読んでね
#続日本100名城

Write A Comment

Exit mobile version