【首里散歩】御茶屋展望台の下にある古い墓~首里の裏道散歩~崎山公園~
こんにちは町歩き沖縄です 今日は守城の南側に広がる崎山町を歩いて います 絶景の展望台で景色を眺めて滝山町を ゆっくりと歩いてみましょう グーグレの地図にはこの駐車場がうやと なっています しかし内屋の範囲はもっと高範囲 で左手のカトリック主理協会を含めたこの 辺り一体にう合うがあったと考えられます うん復元計画がありますがまだまだ先に なるでしょうね 修理 先山内や展望台の下にある古い 赤手にうちゃや展望台があるの 展望台からの景色を眺めてみます 崎山公園となっていますこれはどういう ことでしょうか 公園は右手方向80mほど先です 茶の復と合わせてこの一体も先山公園に 入れてしまう計画でしょうか しますこの階段を下れ ばここに義マ新庄のお墓があります 今回は展望台からの見学の後 向こうにある階段から下に降りてみたいと 思います 左手の9階段を降りますがその前に案内版 を見てみましょう 義マ新庄の墓はこの通り沿いにあるので 訪問したことがありますが国ぬの墓は行っ たことがないです 1番下の肘川 は肘川という脇水がある坂道のことです この階段をずっと削らると肘が扉に抜け られます ちょうど近場石畳道の携帯用途と同様 に首から半田川や敷内円方向に行くことが できる坂道です この坂をずっと下っていくと半田川やに 出ることができます 義馬新庄のお墓に到着しました 整備された立派なお墓ですね 案内版があるので読み上げてみたいと思い ます 義マ新庄の 墓義馬新庄は1557年に柿の花に生まれ ました1593年に回し紛り今村の自島に 認じ られ1624年は上方になり88歳で没し ました 新庄は1605年も野総官が中国から もたらした感賞をもらい受け てその栽培と普及に力を注ぎました 16009年さ島が新入後補助となった 少年王に突き従って鹿児島に赴いた際も 模面の趣旨を沖縄に持ち帰りましたその後 も模面の栽培とも折り方を琉球に広めまし た また中国から砂糖の製造方法も導入して 国中に広めたことから義馬新庄は沖縄の 産業の御人と消されていますなどと説明さ れています 義馬新庄の鉱石を称えた石板ですが 黒い石に黒い文で私には全く読めません 感謝が鹿児島にわって地元では辛いもと 呼ばれています それが全国に広がるとさ芋と呼ばれるよう になったのは有名な話です ね 今回のうちゃうん後の周辺散歩もそろそろ終わりの時間が来たようです この階段を上がって帰るとしましょう あれ右手に何かの道案内が出ています 国の墓があるそうです この細い路ジを行くんですか この道は通ったことがありません少々不安 ですが進んでみましょう [音楽] 住宅街に出てきましたがアスファルトの 路面に四角い石の飾りが付いています これはこの道沿いに歴史的な移行がある サインですから道的には当たっていると 思います プシぬヒの墓15 世紀頃の人1450年から56年 糸のマ部まり国吉の自当職に認じられまし た また五丸の子供精神をかまい育てたとも 伝えられています このお墓は元々那覇軍港近くに義馬新庄の 墓と並んであったが 戦後アメリカ軍により立ちの木に会い 現在地に移転してきた墓です 国ぬこの人物 は後に沖縄の部組の主人公として作品化さ れており高にその名を残している人物です 国の墓は元々那覇軍港にあったものを戦後 になってここに移したものですから 歴史的な繋がりは薄いのです が国ぬヒは国吉よ家のとなっているの で現在も子孫の人々がここで祭りを行って いるようです さあ今回は本当に戻りますここは山公園の一部でしょうか 私も初めて通るので現在値が頭の中で整理 できていません 正面に変わった建物があります 素敵な建物ですね起動感のような感じです がここは何でしょうか 表書きには見晴し感とあります 調べてみると主理咲山ハイ辻地会だそう です 公民館的な役割だと思いますが素敵な 佇まいの自治建物ですね この階段を上がるとどの辺りに出るん でしょうか 全く想像できません よいしょ いやあここですか山公園の中にある雨子ゆの前に出てきました この先山公園を出るとすぐに内ヤ店跡に出 ますから 測らずもヤ店後をスタートして2の墓を 巡り再び内ヤゴ店後に戻ってきたようです このルートは肯定差があったので少し きつかったけれど 歴史的な移行から素敵な現代の公民館 見晴し感を見たりと良いお散歩コースだっ たと思います 本日も最後までご視聴ありがとうござい ました
琉球時代の儀間真常の功績~甘藷~砂糖~木綿栽培
7 Comments
こんにちは
いつも撮影ありがとうございます
ナレターの声 ほんとにいい声
聞き惚れました。
儀間真常さんと野国親方がいなかったら人々は食べ物に苦労したのかな😢
街歩きokinawaさん。おはようございます。
高台からの『首里散歩』良かったです。
社会もコロナが収束し、次はコメ問題と、忙しく移り変わっています。
琉球国が激動の時代に儀間真常さんの甘藷、砂糖、木綿栽培と働いて社会を豊かに
した功績は素晴らしいです。
こういった功績はいつまでも伝えていきたいです。
豊かになった成熟社会では大切な歴史遺産ですね。
おはようございます。街歩きさん
儀間真常さんは、神様として、奥武山、世持神社に祀られているそうです
そして、奥武山で開催される
沖縄産業祭りに繋がっていると記憶しております
沖縄が大好きになった琉球の時代、歴史。
はるか昔の時代、琉球王国ってロマンがありますね!
お疲れ様です。
上り下り大変されましたね。このあたりは、坂ばかりであまくまめぐるのも難儀しました。
墓の再建工事は、職場が近かったこともあってから、見学に来ました。どうやって組んだのかわからないが、上手に元の形にやるのが不思議で、何度か見に来ました。
例の飾りのついたコバルトブルーのじーしがーみーが、並べられたのは壮観でした。
お疲れさまです。今回はダイジェスト版?でしょうか。後半部分はもしかして改めて撮影に行かれました?崎山公園周辺がわかりやすくまとまっていてありがたいです。一通り歩いたつもりでしたが記憶っていい加減ですね~(笑)いろいろと思い出すことができました!
街歩きokinawaさん、撮影ご苦労様です。首里散歩は、私も行った事が無い所が沢山見れたので良かったです。 首里は高台なので、見晴らしは良いですね。儀間真常のお墓や国比屋の墓なども行った事がありません。 最後の獅子は動画で見た事がありますが、実際には見た事がありませんね。 梅雨が明けて、昼間歩こうとすると暑すぎるので、夜街灯がついている小さな講演を何周かしていましたが、まだまだ歩くのが大変です。これからもよろしくゴザイマス。