【廃線跡】駅も街も消滅しました。その27 Stations and towns have disappeared.Part 27
今回は今まで巡った廃線跡で、かつては駅を中心に形成された街(市街地、集落)が消滅、もしくは著しく衰退してしまった場所を駅跡を中心に紹介していきます。
27回目の今回は北海道の羽幌炭礦鉄道(1970年廃止)、名羽線 国鉄非営業運送区間(1970年廃止)より曙駅跡と三毛別駅跡です。 炭鉱最盛期には駅周辺に商店街、住宅街、学校が作られ、街が形成されましたが、1970年の羽幌炭鉱閉山後に炭鉱施設と共に街は消滅。現在の駅跡は、かつての街と共に原野に還りつつあります。
動画で使用している過去の航空写真はこちらで閲覧できます。
国土地理院HP:https://www.gsi.go.jp/top.html
42 Comments
ひろりんさんへ
今晩は。私も噛み締める様にこの一本を拝見しました。今回は炭鉱で栄えていた曙駅と未成に終わった名羽線の三毛別駅の変遷を扱われたとの事で、終戦直後の1948年・1977年・今の航空写真とあなたのドローンに依る空撮(羽幌の本坑の敷地)を交えて見せられ好感を持ちました。三毛別に遺るホッパーは上が漏斗(四角錐を逆さにしたよう)状で下が馬の四肢の様に柱で支えるという構造が興味深かったです。原野と言えよう曙駅の跡は枯れた木々が立つ上茶路駅(無き白糠線)の一帯を彷彿させますね。
→夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡
と、この一本でも松尾芭蕉さんのこの名句が過りました。ひろりんさんも気を取り直して梅雨時なので健康管理に注意されますよう祈ります。
2025.6.15
ここを訪れれば、道内の現存竪坑櫓コンプできるんだけど、なかなか機会が…
北海道の炭鉱鉄道の中でも、
この辺りの炭鉱は国鉄線からかなり隔たった山奥にあって
路線長が20km弱あったところが多いですね。
そんな奥まった地でも労働集約型産業である炭鉱は町を2つ3つと作ってしまう。
しかし炭鉱がなくなれば、そこは熊などが棲むただの山奥。残る人がいないのは当然かもしれません。
しかし、仮に国のエネルギー政策の転換が無かったとしても、
羽幌と名寄を結ぶ意味
(最終目標は名寄を結節点として日本海沿岸とオホーツク沿岸を結ぶ短絡ルートとなること)は
本当にあったのかどうか。
まあ北海道ではそんな路線はここだけではないですけれど。
完成区間が三毛別鉱からの積み出し線として借受利用されただけでも
他の未成線よりはマシかもしれません。
私は農業関係の仕事してます。農地を潰して炭鉱にしたところを再度農地にというのは場所にも寄りますがなかなか厳しいと思います。
炭鉱で栄えたところの消滅衰退何故か地方都市の未来に見えてしまうことがありますね。
かなり前になりますが、吉村昭氏の「羆嵐」に影響されて三毛別事件の復元地に脚を運びましたが
名羽線の廃線もあったとは当時は知りませんでした
このような凄い山奥に入植を行ったり炭田を発見して石炭を掘ったりと、以前の日本は活気があった
んだなあと思ったりします 結局は農業も炭鉱の立ち行かず原野に還ってしまいましたが…
北海道の炭鉱は何処もそうですが、駅も街も消滅しましたと云うより、よくもこんな山奥に駅や街をこしらえたものだと改めて思いますね…
にしても曙のホーム、よく見つけましたね…流石はひろりんさん。
荒廃した在りし日の曙小の映像は学校教員だった父を思い起こし、こみ上げるものが…
いつも貴重な映像を配信頂き、ありがとうございます。
今回の学校の解体前の画像はある意味最期にして最新になるのか
学校跡とか見るとそこの規模がある程度分かるイメージがありますね
思ったより大きなモノが残っていて驚きます
撤去されているものも多いけど、こうした遺構が残ったままにできるのは北海道のフトコロの深さなのか
この先50年後とかどうなってるのかなあ
あの、三毛別事件の、三毛別なんですね…🤔💧
こんばんわ。
そして誰もいなくなった…
おっふです。
羽幌町ももう少し、閉山遅れたら、市に昇格するかも、結局は、間に合わなかったが、道路だけが、残るさびしさかな〜
ホームが残ってるだけで、感激しますね。
高度経済成長期の石炭から石油へのエネルギー政策の転換の影響は計り知れないですし、道内に限らず国内の石炭業の斜陽化で…😌
今回も凄い動画ありがとうございます。
物凄く炭鉱線らしい沿線の廃線あととかありいっぱい原野に帰った
のを見ると鉄道による人々の繁栄が、浮かんできて感銘を受けました。
今回もひろりんさんらしい、学校やホーム、炭鉱施設、原野に還った炭鉱跡地 見どころいっぱいの動画でした。
ありがとうございます。
今回も中々のおっふ案件でしたね。時代の流れとは言え、寂しいものがありますね。
三毛別のホッパー跡が複線というのが、往時の規模と賑わいを感じさせます。
As always, thank you for preserving these memories for future generations. いつもながら、この思い出を後世に残してくれてありがとう。
北海道のかつての栄光は廃れ、草木と共に自然へ還ってしまった……
それを追い打ちをかけるように鉄道が次々に無くなっていく……
北海道はこのまま消えてしまうのかな
と思うと悲しい
GWに羽幌まで行きました。ひろりんさんがタウシュベツ行ってた翌日です。
築別炭鉱、羽幌本坑まで行きたかったけどドローンを持ち合わせずこの時は断念。
遺構巡りは雪解時期が良いですね。来春リベンジしたいと思ってます。
昭和45年12月14日発行、羽幌炭砿鉄道築別炭礦から築別、記念乗車券70円築別炭砿駅発行、蒸気機関車による石炭列車のデザインに14,580,000トンと書かれています。恐らくここから産出した石炭の総量でしょう。そして、動画の冒頭で塔に書かれたのと同じ社章が記された乗車券。これを手にしつつ動画を拝見しました。そうすると、動画の中でもおっふ連発なのに、更にぐれいとおっふが襲い掛かりました。このような動画の楽しみ方もあることに気付きました。どうも有難うございます。
沿線の近くには留萌鉄道、天塩炭砿鉄道といった運炭鉄道もありましたが、きっと同じようなおっふになっているんでしょうね。
この羽幌炭鉱は何度もいろいろなサイトで見ていますけどいつも心を打たれます。
突貫で全国からガーダーを集めて径間を合わせて建てた橋脚、当時の最新技術を結集して建設された立坑、社名が残るホッパー…全てが夢の跡…
ちなみに命脈を止めたのは最晩年に導入した水力採炭の不調だったそうです。
営業係数が60ぐらいまで行ったという栄華、名羽線の構築物も大半は撤去され全ては幻と化しました…
以上失礼しました。
いつにも増して寂寥感が漂いますね。オウッフー😗
勿論、街灯なども無いでしょうから、感傷に浸る間もなく撤収されたことでしょう。お疲れ様でした😀
投稿待ってました。この地も閉山と共に鉄道や街が消えて原野に戻って行ったんですね。今回も探索ご苦労様でした。
三毛別・・・
例の羆のトコだよね🐻
何処かで実物大のヤツ
見たけど、恐かったな!(泣)
今回もおっふ中のおっふでした🐻
ひろりんさん❕️羽幌炭鉱鉄道跡は遺構が分かりやすい❔️ので良しとして、天塩炭鉱鉄道や留萌鉄道の遺構となると…………難しいですね❕❔️Google mapで探しても……オッフ❕️ですかね❔️
三毛別ヒグマ事件は北海道に住んでた時、よく出てくる話しでした。
北海道には、随分と無くなった街とかがやたらに多いですね。
だったら外国人どもに消滅して久しい街のエリアへ引っ越させて、自分らで開拓させておくより他は無いのでは?
われわれ日本人で、「外国人大嫌い」と思ったりする人はかなり多いし。特に、欧州系はマナーが‥‥。
大好きな羽幌炭鉱鉄道の第二弾、ありがとうございます!
何かの動画で曙駅にキハ22が進入して沢山の人が乗り降りするシーンを見たことがありますが、ホームが残っているのは感慨深いです!
曙の小学校の校舎(解体前)、羽幌本鉱の立坑とホッパー跡、そして奥の方に続く名羽線(未成線)…
賑わった昭和中期を彷彿とさせますね。
現地に行けていないので、来春にでも行ってみたいと思います。
三毛別といえばあの痛ましい熊の事件の場所ですね😢
炭鉱のあった街はどこもおっふ…なのが悲しい😭
私が見に行ったのは20年前ですが、そこからあまり変わっていないですね。ちぐはぐ感のある橋もそのままです。
羽幌炭鉱行きました。真夏だったので草で生い茂っていた記憶があります。一部橋梁が残ってました。
校舎は無くなっていたんですね。ホッパーは現存なようですね。
お疲れさまでした。
いつも思いますが炭鉱が閉山するとあっという間に人々が去ってしまい何もかも消滅してしまうのですね。
やはり山間部というもあって不便な立地も影響しているのでしょうか。
ふっと賑やかだったころの映像記録などがあれば往時の雰囲気が分かるのになー、と思いました。
消滅…駅も街もそして人も
自分も炭鉱で働いていました。閉山後の街が今現在どうなっているかわかりません。幌内炭鉱😢
鉄道そして郵便局も学校も診療所も商店もなくなっていく😢
都会人は冷笑込みの賢人目線で、仕方ないな。ヒトは集約してコンパクトシティにする、農林水産業は輸入したら良い……何を言わんや😢
本当に動画に使用されてるBGMを聴くと切ない気持ちが爆発しそうになりますね。なんか兵どもが夢のあとみたいな
オフッ‥‥ってより‥‥ゲフッ(吐血)ってレベルですよね‥‥
今後、どうなって行くんだろう?(´;ω;`)
栄枯盛衰は世の常。かつてそこにあった人の営みを垣間見た気分になりました。
遥かなる朱鞠内…。
ひろりんさん、今回も素晴らしい動画をありがとうございました。アップされたのは昨日なのに、2022年5月の解体前の学校の写真があるなんて…どれほどのご苦労をされて一本の動画が出来上がっているのかと考えただけで、ただただ頭が下がります。これからの動画もとても楽しみにしております。
名羽線が運行されていたのはたった8年とはいえ、毎日毎日掘り続けていた石炭を都会に送り続け、日本の近代を支え続けていたのですね。
その産業遺産、そしてその子弟が通っていて、今は解体されてしまった学校。ひろりんさんがしっかりと記録し続けたこの映像は、関係者の心に沁み、また関係しなかった人々にも後世まで語り継ぐ貴重な映像になりますね。
これからも事故のないように、お気をつけて記録を続けてください。いつもありがとうございます。