(83)【日本一周修学旅行】東日本大震災の復興をたどる《福島》

さて福島の中心部を出まして今から向かっ ていきますのが今回僕が日本1周を行うに あたってここだけは絶対に外せないという 風に思っていた場所です日本人全員が同じ 記憶を共有するというのはなかなかない 出来事なんですけれども最近であれば コロナウイルスですねあそこで日本人は1 つの記憶を共有したと思いますしかしその 前という風に言いますとおそらく2011 年の3月11日の記憶ではないでしょうか 当時僕は高校2年生で学校に行っていた時 でしたねだから学校の中でテレビを見る なんていうことはありませんでしたので 学校が終わってバスに乗り家に帰っている 途中に当時は携帯電話っていう風に呼ばれ ていたあのパカパカガラ系ですねあれで インターネットを使って情報を集めている 最中に何やらものすごいことが起こって いるということに気づきました当時から YouTube自体はあったんですがあの 頃のインターネット事情っていうのはね 携帯電話でIモードといったうんな何て 言えばいいんだろうな電話回線を使ってる んですかねちょっと回線が弱い インターネットみたいなものがあったん ですよよって僕がバスの中で集めることが できる情報というのはテキストベースの 情報でしたバスから見えている光景という のは僕の記憶の中ではそんなに暗い印象で はないのでおそらく僕がその地震のことを 知ったのは4時か5時かそのくらいの時間 帯だったと思いますそっから先はあんまり 覚えていませんねバスの中でおそらく いろんな情報を集めていたんだと思います いることというのは家に帰ってまず1番 最初にやったことがテレビの電源をつける ということでしたそこで僕が1番最初に目 にした映像というのは僕は今も鮮明に覚え ているんですがヘリコプターが飛んでいる んですねで映像というのはその ヘリコプターの内部から取られた映像で あり下の方を移しているんですよで下の 方向にはえ田ぼが広がっていまして画面の 中央辺りに田ぼの中を通っている真っすぐ な道が通っておりそしてその道を1台の 自価がずっと進んでいくんですよ右から左 の方向に進んでいましたで右側の方向から 水が迫ってきているそのような様子でした 1番最初に触れた映像はそれだったんです けれどそこから先はねもうどんどん映像が 変わっていくわけですいろんな各地の映像 が映されましてテレビ局の内部で物が揺れ て落ちている映像他にもえ仙台空港だな 仙台空港でたくさんの水が入ってきている 映像色々と覚えています僕は当時福岡にい たので直接的な被害を受けたというわけで はないんですがやはりね記憶には鮮明に 残っています多くの人がそうであるように 僕もあの事件事故以来周辺の地域を訪れた という経験がありません今回日本一周を するということになったのでいや是非そこ は見ておかなければならないだろうなと いう風に考えて現在向かっています今 向かっているのは福島県の海岸部です おそらくこの動画を視聴している方々の 多くもそうだと思うんですが僕は現在近く まで向かっているもののどれくらい近く まで向かうことができるのかということを 知らずに向かっています一応各報道期間の 報道によって少しずつ制限が解除されて いったということは認識しているんです けれどもどの程度解除されているのかと いう詳しいところまでは理解していません しかし周辺にはすでに人が住んでいる場所 もあり産業も発達していっているという ことは認識しているのでまどこかしらまで は進めるんだろうなという感覚です とにかく進めるところまで進んでみ ましょうさて岩気ジャンクションまでやっ てきたので結構海岸線に近づいてきている 頃だと思うんですが今までは南に向かって いたもののこっから有するような形で北へ と向かっていきます の出口で高速を降りていきますここから先は下道です 進行できます [音楽] やっぱりね九州とかに住んでいるとこの辺りの情報っていうのはなかなか流れてこないのでどういう状態になっているのかということすらも分からないから窓から見える景色というのをしっかり見ておこうと思いますここを曲がったところが国道 6号線ですねここの交差点は第2原子力 発電所交差点できるだけこの周辺にお金を 落としたいなと思っていたので今日はここ に宿泊ですホテルオーシャン富岡でも チェックインの時間が15時現在時刻は 13時28分だからまだかちょっと周辺見 て回ろっかなさっき地図を見てみた感じだ とこの先少し進んでいくとハロ感っていっ たものがあるそうで多分これ があそうですね東京電力ハロ館ここは大型 バスも止まってるしたくさんの人が来るん だろうな 中って書いてあるけどツアー形式でご見学 いただけますあ受付やってるな今が1時 46分なんでえ14時が開いてるオッケー いける規則として許可を得れば撮影はでき るっぽいですが僕は別に許可取ってません のでここまでですねすごく分かりやすい 施設でした僕も動画で人々に物を教えると いうことをしていますのでどうやったら 相手に伝わりやすいかなというのをよく 考えるんですけれどもあのそういった人間 だからこそですねあすっごい丁寧に緻密に こういった構造で人々にこの順番で説明し ていけば理解が進むだろうみたいなねそう いったなんだろうなま教育やってた人間 ですのでこのような観点からもすごく 分かりやすい説明をされているなという 感じですこの動画で僕がその内容を薄めた 状態でお話しするとちょっと東京電力さん の意図とは別の方向性で伝わってしまう 可能性がありますので内容についてお話 することはしません実際に行ってもらえれ ばもうね本当に知識ゼロでも分かるような 説明をされていますので是非足を運んでみ てくださいとりあえず僕はホテルに向かう んですがご飯を食べる場所はなさそうなん でこのローソンで買うかなと思ったけど ローソンでご飯買ってもこの町にお金は あんまり落ちないと思いますのでま フランチャイズのオーナーさんは助かる でしょうけどそれよりもねもっとここにお 金を落としていきたいなと思って調べた ところ一応開いている相材屋さんみたいな ものがあったのでそこでご飯を買いますと いうことでやってきましたのが桜モール ルっていうのかなここは夜19時まで営業 中いいですねよしご飯も購入したので ホテルにチェックインですちょっと海岸 あたりまで足を伸ばしてみましょうかこの 周辺は一時的に避難していた辺りですから やはり新しい家と空き地が目立ちますね 富岡駅があるからちょっと見てみましょう ああこんな感じなんだ結構この辺りも 新しく作られた感じに見えますね立教を 通ると海側に抜けることができそうです 太平洋だ ああ周辺は本当に空地ばっかりになってる こっち側はうーん運転しているだけでは ちょっと実感が湧きませんねでも地形とか 建物の状況とか見てみるとこういう状態に なっているのかという現実は確認できます 観光という単語が正しいかはちょっと疑問 ですけれども何にせよ人々が訪れてお金を 落とすというのはねすごく助かることだと 思うので是非お金を落としましょう今回は 2階ですね ほうはあよしよしよしそういえばこちら 先ほど僕が行きました東京電力ハロ修両館 の目の前にですねご自由にお取りください という風に書いてありました網えの水安全 ですよっていうことでね是非飲んでみて くださいという風にPRしていましたので 僕がここで飲んで安全性を僕の体水 からご証明したいと思いますきっと未だに 風評被害と戦っていらっしゃると思います のでねそのご苦労は想像できます今日の 夜ご飯はカレーと普段はね2個買うこと なんかほぼないんですけどこちらは唐揚げ です電子レンジもあるのでさっきの場所で 買って もあったかいご飯を食べることができます 僕は宗教を信じていませんが代わりにね 科学を信じていますので科学的に安全です よって言われてるんだからそれをなんか ごちゃごちゃ言っている人の気持ちは全く 分からないんですよねすげえなこれでかえ 何個か入ってるのかと思ったらこのサイズ が3つ入ってますよマジか [音楽] えこちら常磐線の富岡駅です駅の中はえ ホームも駅舎もほとんど崩れ落ちてしまっ ていてえこちらにある改札口だけがえ残さ れています おはようございます日付が変わりました 本日は5月23日の金曜日です天気はご覧 の通り晴れであり周辺の施設風景というの がどうなっているのかというのをしっかり と見ることができそうです現在地はどこか というのを地図で見てみると福島県の海岸 中部くらいですかねここからずっと海岸を 北に向かっていきまして今日は仙台まで 行こうと思っています発生当時僕はこの 周辺はもう人が住めないんじゃないかと いう風に絶望していたんですが復興に全力 を出してくださった人々のおかげで たくさんの人が生活するようになってい ますしかし現在のこの状態を復興が進んだ と考えるべきかそれともまだまだ復興は 途中であると考えるべきかはやっぱり人に よって感じ方は違うと思いますので僕が どうこういう問題ではないなという感想 ですやっぱり1番の方法というのはこの 映像を見た後に自分でその現地に足を運ん でみるということだと思います大町大熊 どっちか分かりませんが自治体が変わり ました福島第1原子力発電所があるのは この大熊町で現在も多くの人々がここに 帰ってくることはできないようになってい ますこっから先は僕はもう喋らないで いようと思いますのでこの映像を見て復興 が進んだと思うのかそれとも現在はまだ 復興の途中であるのか様々な考えがあると 思いますがご自分で考えてください [音楽] 違入てきたらいいかっていうこと [音楽] ピちし [音楽] です [音楽] これ [音楽] 中ご案内いたします [音楽]

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#旅行 #日本史 #日本一周修学旅行

18 Comments

  1. 僕は当時茨城県のつくばに在住でした。仕事中に揺れ始めて初めはすぐにやむのかなと思いましたけれど長く揺れていきなり大揺れでしたか、2分くらい揺れてましたね。その後に職場の整理をつけて帰りましたが、部屋のなかは照明のコードが垂れ下がって重い本の入ってる本棚が崩れかかってましたね、食糧と水を手に入れるべくコンビニに行きましたが、お酒とカロリーメイトはありましたが他の食糧はあらかたなくなっていて大混雑でした。自販機がまだ動いてたので水を数本買って部屋に帰って、水道がチョロチョロでていたので風呂に水を貯めておきました。電気は止まっていたので一晩中ラジオをつけつつ、一晩中揺れる不安な夜をすごしましたね。ずっと揺れていたのでしまいに酔ってきました、その次の日、朝方に仕事にいくべく歩いてましたが、いつもと違いひとも車も全然往来していない不気味な様子でした。後で聞いたところ原発が爆発するしないで外にだれもいなかったようです。その後しばらくして、今まで嘔吐など生れてからしたことがなかったのですが、2回くらい不意に嘔吐することありましたね、放射線障害に嘔吐の症状があるそうですが、そんなところでしょうか、撲的な体験としては。

  2. 私当時中2でしたが函館に住んでました!
    中3の修学旅行が東北予定でしたのでこの大震災は非常に覚えてます
    代替地は札幌でした

  3. 私が被災地のボランティアに行ったのは、その年の暮れ2011年の末でした。年末年始、関西から石巻へ行きボランティアに参加しました。被災された方、奥様を助けられず目の前で・・・というお話も聞かせていただきました。
    関西へ帰るとき、出来るだけ福島の姿も見ておこうと思い車を走らせましたが、相馬のあたりで迂回させられました。

    体力、時間さえあれば、東北に限らず災害ボランティアに参加し、現場の方々の思いを知り、この目で見て感じたいと今でも思います。

  4. 東北震災は 1933年昭和三陸地震 1611年慶長三陸地震など印象深いです。
    1611年といえば、伊達政宗時代であり、東北震災で大きな経済大打撃を受けて 経済復興するために1613年スペインに慶長遣欧使節を
    送りましたね。日本史で習うと思いますが 支倉常長です。 キリスト教洗礼名はドン・ヒリッポ・フランシスコ・ハセクラ
    結果的には、重い通り結果にはならなかったと私の記憶にはありますが、地震がきっかけで 東北とスペイン国際的な関係だったのは
    印象的深く感じます。

  5. その日外国在住の親戚から電話があり日本で大地震が起きた事を知りました。(私は福岡在住です)テレビを付けると大津波の映像が流れてて愕然とし言葉が出ませんでした。
    被災地から離れた場所に住んでる私は物資の支援しかできませんでした。動画を拝見して今考える事は当時だけの支援だけではなくて今も支援や協力をし続ける事が大切なのだと感じました。
    当時の事を忘れない様にしていくとこが大切ですね。動画ありがとうございました。
    お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りします。

  6. 知人が仙台で今もなお復興支援を続けています。

    被災地から遠く離れて住んでいる身としては実感が湧きにくいですが、

    「帰りたい」と願う方々がいる、
    復興を諦めていない方々がいる、
    ならば「終わった」と断じてはいけないのでしょうね…。

    こんなにも多くの爪痕が、未だに残っているとは思わなかった😢
    行ってくださってありがとうございます。

  7. 宮城県出身で当時被災したものです。
    この度はこのような動画出していただき、ありがとうございます。

  8. 改めて自分は何ができるのかを考えさせられる動画でした。いつか必ず東北へ行きます!

  9. 当時、大阪の梅田駅で受け取った号外の一面に、津波に飲み込まれ、その瞬間海と化した街の写真が掲載されていたのを今でも鮮明に覚えています。

    現地の人間でないこともあり、時間とともに無関心になっていっていると実感させられましたので、福島の震災遺構を一部分でも見ることが出来て良かったです。とはいえ、例えば現地の雰囲気、臭い、温度など体感するものは動画だけでは分からないでしょうし、現地に訪れてみないといけないなと思いました。

    南海トラフ地震などを考えると、大地震は決して他人事ではなく、いざその時が来た日には、自分や家族など大切な人を守れるように備えなくてはならないと思います。

  10. 私は宮城県に住む者です。被災地の現状を伝えていただき、ありがとうございます。震災の記録と記憶も、後世に伝えるべき歴史です。

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