【車載動画】FIAT500で姫街道を行く【愛知・静岡】
姫道とは本道に対する脇道の一般的な 呼び名でいくつか存在しますその中でも おそらく1番有名なのは東海道のご有塾と 三塾は浜松塾を迂する本通りかと思います 今日はこの姫道と本通りを走ってみたいと 思いますゴールは静岡県の浜松塾です おはようございます 私は今愛知県豊川市の東海道有塾にある 五湯の松波資料館に来ています 朝早くまだ資料館は開していません 今日は大変な道のりになることがもう 分かっているので早速出発します 好きでやってることとはいえあ気が重い [音楽] まずはご湯沿いを走り東海道まで行きます ここから以前走った東海道となります [音楽] ここから姫道が東海道から分岐します 左にはヤ島と道辺がありますが道の反対側 から移設されたものです [音楽] 国道1号と名鉄名古屋本線を超えここから は剣道5午5号を走ります [音楽] 今日走る姫道と本通りの歴史は古く平安 時代にはすでに利用されていた記録が残っ ています本作通りが姫道と呼ばれるように なった由来についてはいくつか説があり ます最も一般的に信じられているのは女性 に対して厳しい取り調べがあった東海道の 新井石書を避けるために女性に好んで利用 されたからという説です石書ではよく言わ れる入り鉄砲で女の検閲が行われましたが 新井石書では入り女にも手型が必要とされ ましたまた断奏して石書破りをする女性を 見抜くため女改めという下半身を確認する ことも行われていたためこれを嫌った女性 が多かったとも言われています他にも本道 に対して副的な意味で姫と呼ばれた説女性 が浜な子の今切れの私で渡るリスクを避け た説今切れという致名の演技の悪さを女性 が嫌った説などいくつかありますこんな裏 ルートの姫道でしたが1707年の法衛 地震により今切れの私は壊滅した後には こちらの道にも宿場が置かれ公式に認め られるようになりましたまたここ豊川市内 の姫道は法来寺や秋葉さんに参拝するため にもよく利用されました伊勢神宮におかげ も出に行く際にこの2箇所に立ち寄るため あえて遠回りをした人も多かったようです [音楽] この左には豊川なりがありついでに参拝し た旅人も一定数いたようです 中央町1丁目交差点で以前走った稲海街道 を横切ります 名鉄豊川線とJR飯田線の線路を渡ります [音楽] バ場で国道151号を渡ります ここからしばらくは国道362号を走り ます この辺りに三橋の一塚があったようです [音楽] 中ム村を走ります [音楽] の集落に入ります東後には豊側を渡るため の都線場があったため旧道の街並びの 雰囲気が少し残っています [音楽] 本来はここから東の渡しで豊川を渡ります 東橋で豊川を渡り豊橋市に入ります [音楽] ここから姫街道に戻ります 国道362号に戻ります この左にはバト観像があります 一般的には観音様がメインですがここのは 馬メインです [音楽] ここは脱事交差点で以前走った別所街道を 横切ります [音楽] なら良一塚前を通過しますここながらには 吉田塾に向かう道の追い分けがありそちら の道も姫道とされることもあります [音楽] だんだんと愛知県と静岡県の健である山が 近づいてきました [音楽] ここ市場では道が加念手となります [音楽] 国道を外れ姫道の宿泊であった塾に入って いきます 1707年の法衛地震で東海道が普通に なっていこう姫道には人が押し寄せキャパ オーバーとなったため1764年に幕府が を祝場と公認しました [音楽] 車で入れるのはここまでなのでここからは 徒歩となります スタートしてまだ1時間も経っていません が本日最大の南所本作峠を超えます結構 長いため再生速度は10倍速にしています 高速の動画も用意しましたのでゆっくり見 たい方はそちらをご覧ください 車は峠を超えた先の駐車場に止めてある ため映像は袋です今更気づいたのですが別 に片道だけ撮影をすればいいので国道を 歩いてここまで来れば良かったのですなぜ か思いつきもせずに馬カ正直に遠を超えて きてしまいましたなのですでに足は パンパンの状態で歩いています この辺りの道はまだ快適ですしかしこの先 をすでに見てしまっているため憂鬱です [音楽] 巣山の一塚に着きました 締め街道では唯一な形で残っている一塚 です [音楽] 道は細くなってきましたがまだまだ女の口 です [音楽] 中国道を横切ります現在は本トンネルが ありそちらは国道362号です この辺りから本格的な山道となります [音楽] どうやらここには茶やがあったようです そこそこ歩行車交通量があったこの険しい 道で茶屋を開けばそれは儲かったこと でしょう 私ももしここにコメダがあったら間違い なく寄っています [音楽] 水場後に着きました ここからは七曲がりというつら折りの道と なります [音楽] 先ほど本作通りは女性が好んで利用した ため姫ドと呼ばれるようになった説が有力 と言いましたが異論もありますその1つが ほぼフラットな東海道の見つけご有塾に 比べて本りは道が険しすぎるということ です確かにこの道を当時の女性が好きんで 歩いていたとは思えないくらいの経営です [音楽] 高防水と呼ばれる水場に着きました 今飲んだら下痢なのでやめておきます [音楽] やっと峠の頂上に着きました 風が気持ちいいです ここから静岡県浜松市に入ります中国名も 三川から等々となります 道は下りとなりますがおで足元が滑り結構 気を使います映像も手ブレがひどくなり ますがご容赦ください 愛知県側の食林されたであろう森とは違い 減ポさが残る森の中の道を歩きますこの 辺りの土上は切界が地室であり生えている 植物も切開地植物が多くなります 林動を横切ります [音楽] つきの原輪を歩きます 鼻の見頃は1月から3月のようです [音楽] 再び中国道に出ました 旧国道は打行した道ですが姫道は直線的で あるため何度か旧国道を横切ることになり ますしかしその旧国道もこの本峠のほぼ 真下を通る新しいトンネルができてからは あまり利用されなくなりました旧本 トンネルは心霊スポットとしての方が有名 です [音楽] 鏡に着きました当時の女性はこの岩に姿を 移して水クいしたそうです 結構余裕ありますね [音楽] 鈴折りの道を下っていきます徳川イエ康は この本坂峠を通って2度浜中北部に攻めっ ています3000人もの兵と馬がここを 通るのは何だったことでしょう [音楽] また旧国道を渡ります ここまでくればあと少しです店園と ブレブレの映像を見せられてせっかく動画 をご覧いただいていた方もかなり離脱した 頃かと思います 見ていると気分が悪くなるという方は次の チャプターまで動画を飛ばしていただけれ ばと思います [音楽] やっと視界が開けました 静岡に入ると一気にみか畑が増えます ここ浜町市美地区は日本有数のみ生産地 です 国道362号に戻ってきました 左には2台の攻防大四を祭る工防道があり ます 本を無事に超えることができました 車の映像に戻ります国道362号を南に 外れます 本の集落に入ります この先の気に石書ができるまではこの左に 本作席書があったようです [音楽] 本来のルートはこの左で上にはバト観門と 本一塚があります 道が細いので回り込みます [音楽] [音楽] キび沢の集落を走ります [音楽] ここからは黒道を北に外れます [音楽] 井花子に注ぐ川を渡り姫道の宿場町である 3日美塾に入っていきます 本来のルートはここ直進ですが昼になった ので休憩します J3日に立ち寄ります 日といえばみかランチのデザートにみか ソフトを食べました3日でよく見かける この子は3日みかの公式キャラクターみか ちゃんです若く見えますが1979年 生まれです 本来のルートに戻り3日美宿を走ります [音楽] カビ一律ガードの前を通り過ぎます 牛の集落に入っていきます [音楽] この坂には牛のチャイヤがあったそうです [音楽] [音楽] みか畑の中の道を走ります [音楽] 透明高速道路を渡ります [音楽] ここ峠の姫道は厳密には一旦左の山に入り 高速を南に横切ります [音楽] この先旧道は透明高速三日 インターチェンジにより喪失しているため します ここから旧道に戻り駒場の集落を走ります [音楽] 一旦剣道308号に出ます 黒坂の森の前を走ります この辺りには大家の茶屋があったと言われ ています 姫道第2の南所である稲峠と続く道を登っ ていきます [音楽] 車で入れるのはここまでなのでまたここ から歩きとなります [音楽] はい本日2度目の峠声ですまた再生速度は 10倍速にしていますこちらの高速の動画 も別で用意してありますのでよろしければ ご覧ください車は中間地点である稲里峠 頂上付近にある駐車場に止めてあります 高速道路のインターチェンジにさというの がありますがここのことだと今回初めて 知りました稲は何独なのでひらがにしたの でしょう 右には石投げ岩があり投げた石が岩の上に 乗ると無事に峠を超えることができるそう です 乗らなかった時のリスクを考えてやりませ ん しばらくは綺麗に整備されている道が続き ます締めは締めを守る会という融資によっ て復現され維持管理されているため峠声の 道であっても分かりやすく綺麗です おかげでこうやって歩けているので頭の 下がる思いです 坂が急になっていきます この坂はゾナ坂と呼ばれます 1729年にベトナムから長崎に連れてこ られた像が江戸の徳川吉宗に健上される ためにここを通った際に悲鳴をあげたこと が名前の由来と言われています こんな旧坂を登らされた像も飛んだ際なん です [音楽] 左には奥浜なオレンジロードが走ってい ますきっと気まぐれに名付けたのでしょう [音楽] 稲峠の頂上に着きました [音楽] 3日地区から細い地区に入り峠を下って いきます 車を止めた稲峠休憩所を通り過ぎ姫道を 下っていきます当然後でここまで戻って くる必要があります 前回の動画でも都北感はありましたがそれ ほどの距離と傾斜ではありませんでした しかし今回は2度の峠声でもう体力は限界 に近いです意外と下りの道も足の負担が 大きくて辛いです前回身長した トレッキングシューズの実力が試される ところですが今のところ豆ができた様子も なく快適ですこの先も研境超声の動画が 続くと思いますので買っておいて良かった です 舗装されている道に出ました 今日初めて浜なが見えました 浜な湖は元々は炭水庫でしたが冥王自身に よって結し海と繋がり奇水庫となりました 山と呼ばれた湖が結では東海道は都を利用 する必要がありましたがこの都法衛地震で 壊滅人々は締めに迂いせざるを得ません でした [音楽] ここを間違えて右折してしまいましたが 早めに気づいて引き返して直進しました [音楽] 地雷は5所の横の道を下っていきます ここまで来ればあと少しです しかし先ほども言ったようにこの後車の 止めてある峠に引き返す必要があります 帰り道はオレンジロードで戻ろうかと思い ますがライダーに人気の道でありにバイク が通るため別の注意が必要です やっと車の通れる道まで来ました 車の映像に戻ります [音楽] 岩の集落に入っていきます 車に戻ったばかりですがここからまた歩き となります [音楽] こういう地元の人しか使わないような道は 魅力的です も石畳となっており旧海道の雰囲気が 味わえますしかしそれを楽しむ余裕は今の 私には残っていません6月になったばかり ですが気温も高く汗だになりながら坂を 登っていきます [音楽] [音楽] ここ濃いなさは継承値で浜がよく見えます [音楽] ふうなんとか登り切りました 車の映像に戻ります [音楽] 東海地方の人には田上を真似てのリを作り 始めたといえば誰のことだか分かります左 にはその代ぼっちの足跡と言われる池が あります そしてまたここから歩きです このちょこちょこ出てくる歩きが実に しんどいです体力も去ることながら メンタルも削ってきます 左には山田の一があります [音楽] 左には今川吉本の家臣であった山村修理の 墓があります被害一期を主導した山村修理 は焼け落ちる堀川城を見ながらこの地で 自陣したと伝えられています 浜松でゆるキャラやってるこの人もここで は結構なジェノサイドをやらかしています 車の映像に戻ります [音楽] 吉本の集落を走ります [音楽] [音楽] レの集落を走ります 国道362号に戻り地海の宿町である木塾 に入ります 本来のルートはここ直進ですが寄り道をし ます [音楽] 天竜浜鉄道の線路を渡ります 気書に着きました [音楽] 先ほど女性は新井石書の厳しい検閲を避け て姫道を利用したと言いましたが石書の 検閲も厳しかったと言われています 本来の木画書は本通りにありこちらは復言 された施設です 本来の姫道に戻りますがもう1つ立ち寄り たいところがあります [音楽] 浜松市締め堂同の歴史民族資料館に着き ました こちらの資料館にはこの辺りで出度した やい時代の動卓や浜な湖で行われた量の 玉具などが展示されていますまたこの地域 は法映による津波によって浜中沿岸の水電 は壊滅沿外にも強いイ草の裁判に切り替え 畳の生産を行ったそうです隣にある細い 神社は全国的にも珍しい自震余けの神様を 祭っていますこの地域がいかに地震の影響 を受けてきたかが分かりますまた近くには 犬くぐりがあります茅ヶ石書の検閲は 厳しく地元住民の普段の生活に支障があっ たため体をめらと追っても良いという ガバガバ理論で通行を許可していたよう です本来のルートである国道362号に 戻り我塾を走ります本来の気画石書はこの 左にありましたここからは剣道261号と なります 宮田川を渡ります [音楽] 国道を外れますが国道沿いにはハンバーグ で有名な爽やか細い本店があります 本来の姫道はこの右の道のためまた歩きと なります 本日5回目にして最後の歩きですもう今日 は車に乗っている時間より歩いている時間 の方が圧倒的に長いです 時刻は5時近くになり辺りは暗くなってき ました [音楽] 左には桶の戦いで今川吉本を打ち取り後に 徳川イエ康のカ心となったはっ取り古兵 最後の地の日があります この辺りは元々今川亮であり恨みを持った ものに打たれたと言われています 車の映像に戻ります おヶ谷の一立カートの前を通ります 明治時代の地図ではすでに今の剣道261 号が姫道となっていますが日本のこちらの 道の方が本来のルートのようです [音楽] ここから剣道261号に戻り南東に走り ます [音楽] この辺りは武田神玄と織田信徳川イ康連合 軍が戦った味方ヶ原の戦いの戦場でした 家康は配送後に次回のために描かせた像は 有名です 東大山の一立塚前を通過します [音楽] この辺りには締め街道の松波が残ってい ます剣道261号沿には約3.8kmに わたって黒松や赤松が約180本植えられ ていますかつては街道の両側に植えられて いたそうですが道路の拡張によって今は 片側のみとなっています古は10連200 年を超え江戸時代のリアルな街道を見て いるかもしれません [音楽] 透明高速道路の上を渡ります [音楽] 左には追い分けの道がありますさてここ から姫道はルートが3つに分かれます1つ 目はここから東に向かいの塾を経由して 天流側を渡り東海道の江戸から数えて28 番目の宿場町である三塾に向かうルート です2つ目は一の塾から南下東海道の アン分に向かうルートです 3つ目はこのままなんかし東海道29番目 の宿町である浜松塾に向かうルートです 1番古いのは1つ目のルートですが天流側 の東から三宿までの区間はかなり中海道は 喪失しています今回は3つ目のルートで ある国道257号を走り浜松塾を目指し ます国道257号は以前稲海道を行くでも 走っており浜松を起点とし岐阜県小川村 まで続きます静岡大学浜松キャンパスの前 を通ります [音楽] 左には味方ヶ原の戦いで敗した家康が一死 報いたサガけ戦場があります 江戸から数えて29番目の宿バである 浜松塾に入っていきます浜松城の浄化町で もありの国で最大の宿場町です現在の浜松 市は全国2位の面積の広さで面積の約6割 を3カ部の天流区が占めますが人口の約 97%はそれ以外の地区に集中しています 現在県庁所材地の静岡市よりも浜松市の方 が人口は多くなっています 本来の道は加年となります かつてここ連町に浜松城大手門の考察場が あり地海道街道の起点と言ってもいい でしょう 最後に浜松城に向かいます [音楽] [音楽] 浜松城公園に到着しました 浜松城の全身は15世紀頃に逐上された 上州不明のひ城であると言われています 1514年に今川市の家臣となった井市の 城となり今川吉本の死後は井立が上司と なりましたしかし井立は今川市を裏切り 徳川家康と内通した疑いで暴殺されたため その妻であったおの方が城を守ることに なりました 1568年この地方に進行を始めた徳川 イエ康は性質の月山と進仰のあったお尋の 方に城を開け渡せば交代でモてなす交換 条件を提示しますしかしお尋の方はそれを 拒否家康は変に城を攻めさせます日年の 鎧いをまとい前線したお尋の方でしたが 最後は18人の事女と共に内地にしました 2つの刀の鳴き柄は埋葬されその死を傷ん だ月山殿によって100本のつ木の木が 植えられましたつ木の木は毎年美しい赤い 花を咲かせ付近の人々はホタの方をつ木姫 と呼び忍びました その後1570年に徳川イエ安康が入場し 浜松城と解明し浄化町の基礎を築づきまし た安安は約17年この地で過ごし1586 年にここより東の寸父場に居場を移しまし たそれからは代々徳川の不大名の城となり ましたが明治時代になると廃上連により 取り壊されました 今ある天手は1958年に復言されたもの です [音楽] ご視聴ありがとうございました [音楽]
江戸時代、東海道の新居関所の厳しい検閲を避けるため女性は「姫街道」と呼ばれる迂回路を好んで利用しました。この「姫街道」こと「本坂通」を愛車のFIAT500で、なるべく当時のルートでトレースした車載動画です。愛知県豊川市、豊明市、静岡県浜松市を巡ります。
00:00 スタート地点・御油の松並木資料館
06:44 嵩山宿
07:20 本坂峠(徒歩)
14:50 本坂峠(終了)
16:14 三ヶ日宿
19:30 引佐峠(徒歩)
24:04 引佐峠(終了)
27:00 気賀宿
33:18 浜松宿
34:33 浜松城
今回のルートはGoogleマイマップで公開しています。細い道もあるため通行の際は十分ご注意ください。
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1q5fV9AbfdvbGV2XLch9d798ud1LGgjE&usp=sharing
ホームページ:http://sakanade.com/fiat500tabi/
Twitter(X):https://twitter.com/FIAT500tabi
2 Comments
こんにちは
これからも徒歩で峠越えされるなら、虫除けスプレーもマダニに効果のあるものが良いですね
愛知県の山でヒルに遭ったことないのですが、違うエリアに行くことになったら、
ヒルにもお気を付けて下さいね
ロングドライブ&峠越え動画、お疲れ様でした、ありがとうございました
あと、青オタマだったのですね
実はずっとサカバンバスピスだと思ってました
『オレンジロード』と『気まぐれ』に命名でおもわずクスッとしてしまった。