気仙沼と南三陸にある津波の伝承石碑を巡る②気仙沼市内編

はいえ引き続きですねえ南三陸とそれから 気仙沼のえ津波関連の石碑を巡るという ことでえ実施をしておりますえ前回までは えこちら南三陸町内5箇所の石碑を巡った わけなんですけれどもいよいよこの後 気仙沼市内に入ってきましてえ残り13 箇所ですねえどのような状況だったのかと いうのをご覧いただければという風に思い ます えところ変わりましてここはですねえ 気仙沼市に入ってきましたえ気仙沼のえ 小泉地区にありますこちらが総裁場なん ですけれども えここにですね石碑があったはずなんです がどうやら撤去されていますね えここに あの跡だけえ台座の跡だけ残ってるんです けれどもでここにあった石費は今もう何ら かの理由で撤去されてしまったようですね えGoogleップの情報によりますとえ ここはですね昭和三陸津波をえ記した石碑 がどうやらあったようですえそれが今はえ 今もうちょっとこちらなくなってしまっ てるということでえこれはちょっと Googleマapの方がま情報がもう2 年前ということなんでそこからもう古く なってるのは仕方ないかなと思います けれどもまちょっとどういった理由で撤去 されたのか分かりませんけれどももう やっぱり古くなりすぎの危険があるとか そういうことなのかもしれないですね 実際の交通規制や注意して走行してくださいその先 200m目的中で開 左側にあります 宮県内7 店舗のバックラーメンオスペシャルイケメン女 はいえ続いてやってきましたのがこちらえ気仙沼の元町ですね えこちらにある石碑なんですけれどもえ これは明治三陸王津波のことを記した石と いうことですねえこの場所なんですけれど もえ青院というお寺のえ墓チがえありまし てその墓地の手前にですねえこの石碑が 立っているということになりますえこの 墓地の方にはですねあの大きな観音様など もあったりするんですがえま比較的この 観音様はまだ綺麗な感じですかねそこまで 古くはないかなという気がしますえそれに 対してこの石碑はやっぱりえ何かこう勇所 が際立ってるなという感じがしますよね えこちらに解消記念費という風に刻まれて いますえ解消というのはえ海で起きたその 災害ですとかそれからあとあの遭難事故と かその辺りも含めての表現ということに なるんですけれどもまよくこの津波の記念 費では使われてるえ表現になりますねえ さすがにちょっともエジの石費だけにです ね書かれてる内容というのはもう鮮明には 読み取りづらい状況ではあるんですけれど も ま最後の方にこちら明治30年という風に 書かれておりますのでえ明らかにその 明治波みの石だなというのが分かると思い ます えここは元吉町というところでえ元々は 気仙沼市とは別の自治体があったところな んですねえそこがえ平成の大学合併で 気仙沼と一緒になりまして今ではこちら 気仙沼市元義町という住所になっています 結構このお寺は大きなお寺ですね 本道なんかも結構立派な建物です に早い ありがとうございますラスト今日はちょっと短いですが皆さん最後までよろしくお付き合いください忘れますほらオでしかオでしか知れないスペシャルなですユニティ え続いてこちらはですねえ下仙沼市の橋上 地区の方にやってきましたえここにある 石碑はえ昭和三陸津波の石碑です 結構新しそうに一見えるんですけれどもえ きちんとこちらの方にはですね昭和8年3 月3日ということで刻まれておりまして 地震があったら津波の用人というのが非常 にくっきりと刻まれていますねで昭和 三陸並の時にですねこの地区一体でどの ような被害があったかということをですね こちらの方の石費で記されております え東日本大震災でもこの橋地区はえ大きな 被害を受けました え向こうの方にある建物がですねえ気仙沼 紅洋高校というえま海洋関係を学ぶ学校 だったんですけれどもで今はですねえあの 建物はえ津波の伝承ということで運用され ておりましてえ中にはですね当時の被災し た状況をそのまま残してあるといったもの をですね見学することができます を守ります 伝説のバンドの伝説のアルバムが発売いたしました シュガーベ ど 先ほどの石碑の場所から車で5分と走ら ないところにこの石碑がありますここは ですねえ自腹寺というお寺の中にあるえ石 なんですけれどもえこちらはですね明治の 大津波の方を記されてるということですね えこちらの方に解消記念費ということで 書かれております えちょっと中身文字の方はこれ遠くてよく 読めないんですけれどもおそらく明治の その三津波みの内容をえ記してるものと いう風に思われます まそうですねやっぱりえ先ほどから見てき てる通りえこちら神社物格のところに石碑 も気づかれてるというパターンがやっぱ 結構多いですね でこの石碑の後ろを見て分かったんです けれどもえこれが立てられたのは昭和40 年の6月ということなんですねですのでえ だいぶもう時間が経ってから改めてえこの 地域に津波の恐ろしさを伝えようという ことで立てられたのがこの席ということに なりますね 震災前はこういう形で結構建物なんかも いっぱいあったんですよねま集落が気づか れていたということなんですが え住まれてた方も別の箇所に移転されて いるという状況です 試合はジャパ まもなく右方向ですその先三鉄自動車道です まもなく左 間もなく目的地です 三島レコあ所ところ変わりましてえこちらはえ気仙沼の浪波板というえ地区になりますこちらの皮はですねちょっと見つけづらい場所にありますね えこれがえ道路からですねかなりま高い ところに登ったところにこの石がありまし てえお寺の中ですかねこれもやはりえその 敷地の中にあの立てられてるという状況 ですただこの石碑は本当にもう海に向かっ て立ってるって感じですねこちらの方が海 なんですけれどもえその海の方を向き ながらこのメッセージを走ているという ことですね [音楽] えちょっとですねこの石品の近くまで 行こうと思ったんですがどうやらこの建物 はお寺とかではなくて普通のあのオタクの ようでしてえちょっとやっぱり中に入って 見させていただくのははかられるかなと いうことでここからにしたいと思いますが え書かれてるのはここからでもあの昭和8 年という文字が見えますねですので昭和 三陸大津波の石費であることが分かります そしてここに刻まれてる文字なんです けれどもえーGoogleップでここを 紹介していただいてる方がいまして それによるとえ 王自身ドント沖空津波と575になってる んですけれどもそういったメッセージが こちらの方に書かれているとま兵語みたい なもんですよね4と りっていうのがなかなか独特な表現だなという風に思いますがまここもやっぱり知れずひっそりとたずんでるといったく感じがしますねでもやっぱりこういうのは大事なんでしょうね [音楽] [音楽] は右側にあります え続いてこちらやってきましたのはえ 気仙沼市のえ二浜というところですねえ 場所としましてはほとんどあの大島に近い ところになりますえ大島に渡るま今橋が できてるんですけどもそのほぼ橋の多元の 辺りですねえそのところにこの石碑が立っ ています えこちらはえもうくっきりと文字が見え ますけれども昭和8年3月3日え昭和三陸 大津波の席ということですね えこちらに刻まれてますえセリフ 王子それ来るぞ大津波ま非常にシンプルな メッセージですけれどもまやはり兵庫の ような形でえこちらの方に刻まれてると えさっきのそうですねあのあった石碑とま ちょっと形状というかあの形式が似てるか なという気がしますよねでこの形も やっぱりこの昭和三津波の石え特有の形に なってましてまおそらく朝日新聞のえ気造 によるものという風に思われます でこちらの席で興味深いのはですねこの メッセージですね えこの日を平成23年3月11日に発生し た東日本大震災の津波到達店に移設すと いう風に書かれています ま要するにこの席元々別の場所にあった ものをえこちらの東日本大震災の津波に 到達地点でありますこの場所に移設をして きたということなんですねこのパターンは え石の中では初めて見ました ま元々ちょっとどこにあったのか分かり ませんが災害に応じてですねきちんとこの 構成に伝えるという機能を果たすために やっぱこういう風に場所も移してきたと いうことなんでしょうね 任せ流れた えここはですねえ先ほどの二の浜地区と もうほぼえ程え3の浜地区というところに なりますえこちらにもやはりえ昭和三陸 大津波の石器がありまして えこちらに刻まれてるセリフは 王子ド成空波 えー前の前に見てきた石とほぼ同じセリフ ですよね まこの辺りが集中してこの石碑が置かれ てるというのは何か意味があるのかなと いう風に思ったりもするんですけれどもえ 周りの状況を見てみますとやはりこちらに ですね鳥がありますえ非常にま新しい鳥 ですよねえここは本当にもう海がすぐそば ということなのでまおそらくここにあった 元々あった鳥は流されてしまったん でしょうということですね えうつで見てきた配置と似てますよね元々 の石碑が古い石碑があってその横に新しい 鳥が立っているとえ鳥が流されてしまい ましたがこの石碑は流されなかったという ことなんでしょうかま大あのこちらの台の 方は 新しくえ作ってますね令和4年ということ ですのでつい最近かなという風に思います まひょっとしたらこれも移設されてきた 可能性はなくもないですよね えただここはあの石があるだけじゃなくて ですねこういった形でえ明治三陸地震津波 解面から6mということでえー わざわざま案内というかえ知らせの表示が 標識が立っておりましてこれは気仙沼が 立てたものですね でさらにですねこれはシリジ地震津波と いうのはこの昭和三陸津波の後に実はあっ たんですけれどもそれの水移もこちらの方 に書かれえ表示されてる と2.9m結構な水移ですよね そしてですねさらにこれはもうかなり 古い警告標識ですよね 津波寺一時避難場所ということでこの先に ありますよともうとにかく上に上がれと いうことがえこちらの方で警告されてる わけですね でその横にもですねえ地震が来たら津波に 注意ということでえこちらのま地域の避難 場所は敦ヶ浦生活文化センターですという ことでえ書かれていますま この2つの標識はまおそらく東日本大震災 の前からあるものということですよねです のでまこの地域まそれほどあのお家とかは 多くはないんですけれどもますぐそこに 漁行があったりもしますのでえこの辺りに いる人たちにですね津波の警告というのを こういう形でもうひっきりなしに警告走し てるというのが見て取れます 石団の先が神社ですがま神社も避難先に なるんでしょうね ま昔からこういったその神社とかお寺と いうのはえそういう津波とか災害が起きた 時のその人々の避難場所になってるといっ た話も聞きますのでやっぱりそういう神社 物格が立致してる場所というのは ま津波の教訓を踏まえてそういったとこの 高いところに立てているといったことが 結構多いみたいですね あ

多くの災害に見舞われてきた日本にあって、災害伝承のために古くから用いられてきた手段のひとつに石碑があります。そして、過去に何度も津波に襲われた三陸沿岸では、東日本大震災よりも前位に発生した明治三陸津波と昭和三陸津波について記した石碑が数多く点在しています。今回は気仙沼と南三陸町の石碑を巡ってきましたのでその様子をお届けします。
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