第1617回「雨降るとも」2025/6/11【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師
[音楽] [音楽] おはようございます北有教にこんな話が あります心理の下と物語大蔵出版を参照し ながら紹介しますお釈迦様の頃の話です 磁石戦の背後に74家のバラモンがいて 前世の良い行いによって救われると考えて いましたこの場合のバラモンというのは 当時のバラモン教の修行者を言います お釈迦様がその村に到着しましたお釈迦様 の光輝く堂々としたお姿を見てみ警服し ました お釈迦様は木の下に座ってバラモンたちに 問われましたこの山中に育世代いてどの ような制御によって日々の糧を得ているの かとバラモンが答えましたここに34世代 いて他を耕し牧築して制御としていますと いうのですお釈迦様はさらに問われました どのような修行をなして商事を離れようと するのかとバラモンは答えました日月に 使え設に応じてお祭りをしている死者が ある時には大人も子供も集まり凡天に 生まれて商事を離れますようにと唱えます というのですそれに対してお釈迦様は バラモンたちに語られました他を耕し牧築 して日月水を祭り天に生まれますようにと 唱えるのは永遠に存在して商事を離れる 方法ではない非常に副得が多くても28点 以上にはならない悟りの知恵はなくまた 散々に落ちてしまうただ出血して症状な心 を修行し弱滅の教えを実行すれば値半を 売ることができるとお示しになったのでし たそこでお釈迦様は次の下を解かれました 真実を虚儀と思い虚偽を真実と思うそれは 誤った分別であり真の利役を売ることが できない真実を知って真実と思い虚偽を 知って虚偽と思うそれが正しい分別であり 必ず真の利役を売る世間の存在には全て死 があり3には平安がない天の神々は楽しい が副得が尽きるとまた楽しみを失う世間を 観察するとせが終わらないということは ない商事を離れようと発するならば仏道の 親髄を修行しなさいという言葉でしたそれ を聞いた70人のバラモンたちは喜んで心 が解放されてシャ門となりたいと願いまし たお釈迦様がよく来たビクたちよと言わ れると髭や神が自然に落ちてみ門となった という話でありますよく来たビクたちよと いうのは観約では全来でありますお釈迦様 が出刑して修行したいというものに全来 手発おら落ち今朝身につかんと言ったの でしたよく着たビその神と髭は自ら落ち 今朝が身にまとわれるであろうという意味 ですそうすると神は自然に抜け落ち今朝を 着たビクの姿になるというのですそして お釈迦様はビクたちと一緒に少者に帰られ ました途中まで来た時祭祀が恋しくなり 帰りたいという思いがありましたまだまだ 煩悩が強く残っていたのですその時雨が 降ってきてますます憂鬱になりました お釈迦様は皆のそんな思いを知って道端に 数十件の家を陣痛力によって作り中に入っ て雨を避けさせましたところがその雨には 雨盛りがしていましたそこでお釈迦様は 雨盛りがしたことにちなんで毛を解かれ ました屋根が緻密に吹いていないと雨が 降れば漏れいる心が投魚されていないとな 思いが穴を開けて入ってくる屋根が緻密に 吹いてあると雨が降っても漏れいらない心 の闘技を実践すると横島な思いは生じない というであります も松先生の役によればそらに吹かれたる家 に雨降れば漏れ破漏れ破るべし核のごとく 心整えざればどんよくこれを破らん心込め て吹かれたる家に雨は降るとも漏れ破る ことなし核のごとくよく整えし心は どんよくも破る術なしとなっています投げ を聞いてビクたちはなんとか道に進んで いこうと思うのですがまだ心がぼんやりと してはっきりしません雨が止んで進んで道 を行くと道に古い紙が落ちていました お釈迦様は言われましたビクたちをこれを 取れと拾ったビクにお釈迦様は訪ねました これは何の神だと思うかとビクたちは答え ましたこれは光木を包む神です今捨てられ ていますが元のように香りをとめています と答えましたおこを包んでいた神だったの ですおこの匂いが残っていたので分かった のでしたさらに進んでいくと地上に縄の 切れ端がありましたお釈迦様はこれを拾う ように言われました拾ったビこれは何かと 問と問と問いますその縄は生臭いので魚を 吊るす縄ですと答えましたそこでお釈迦様 はお切法されました物は本来症状である皆 因縁によって在合や福を生ずるのである 懸命な人に近づけば正しい道が盛になり 愚かな人をとすれば罪悪がやってくるまた かもあの神や縄が光北に近づけばカばしく 魚を吊るせば生臭いようなものである次第 に染みつき習慣となるが誰も自分では 分からないと賢い人が人を染めつけていく のは香りの良い光に近づくようなもので ある知恵を進め全が習慣となり特業が成受 して後結となるという義を解かれました 70人のシャ紋はこの聞いて執着を離れ荒 の悟りを得たという話であります君という 言葉があります物に香りが移り移りしむ ようにあるものが習慣的に働きかけること により他のものに影響作用を植えつける ことと高事園に解説されています同原前は 霧の中を行けば覚えざるに衣しめる良き人 に近づけば覚えざるに良き人となるなりと 大になっています霧の中を歩いていると 濡れると感じなくてもしばらく歩けば しっとりと衣が湿ってきますそのように 良き人のそばにいれば人柄も自然と良く なっていくというのです良い環境に身を 置いて良い人に教えを受けているとおずと 良くなってくるのであります雨は降るとも 良い教えを聞いて心を整えることであり ます それでは姿勢と呼吸と整えてまいります まず両方の足で床をしっかりと踏みしめて この第地に支えられていることを感じて足 に力を入れてよし立ち上がるぞという 気持ちでお尻を5cm10cmほどすっと 持ち上げていってストンとろします 息を吸いながら肩を持ち上げていって吐く と同時にストンとろします もう1度息を吸いながら肩をぎゅっと 持ち上げていって吐くと同時に ストンとろします 最初一息を強く吐き出しますその時には お腹の底に溜まっている空気も全部 吐き出してしまうつもりで胸に抱えている 思いやわいも全部吐き出してしまうつもり で口を開いて人生息 強く は吐き出し口を閉じますと花から新鮮な 空気がいっぱい入ってまいりますおおへそ の下腹いっぱいに新しい空気が満ちて さらに体の隅々まで新しい空気が生き渡っ ていくのを感じながらありがたいな嬉しい なとこの思わず微笑みがこぼれてまいり ますそんな気持ちでその後は口を閉じて ただ鼻から息が出たり入ったりする様子を 静かに見つめて座りましょう [音楽] はいありがとうございますどうぞ今日も 良い1日でありますようにお祈りしており ます
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『法句譬喩経』にこんな話があります。
『真理の偈と物語』(大蔵出版)を参照しながら紹介します。
お釈迦様の頃の話です。
耆闍崛山の背後に七十余家の婆羅門がいて、前世の善い行ないによって救われると考えていました。
この場合の「婆羅門」というのは、当時のバラモン教の修行者を言います。
お釈迦様がその村に到着しました。
お釈迦様の光り輝く堂々としたお姿を見て、皆敬服しました。
お釈迦様は樹の下に坐って、婆羅門たちに問われました。
「この山中に幾世代いて、どのような生業によって、日々の糧を得ているのか。」と。
婆羅門が答えました。
「ここに三十余世代いて、田を耕し牧畜して、生業としています。」
というのです。
お釈迦様は更に問われました。
「どのような修行をなして生死を離れようとするのか。」と。
婆羅門は答えました。
「日月水火につかえ、時節に応じてお祭りしている。
死者があるときには、おとなもこどもも集まり、梵天に生まれて生死を離れますようにと唱えます。」というのです。
それに対してお釈迦様は婆羅門たちに語られました。
「田を耕し、牧畜して、日月火水を祭り、天に生まれますようにと唱えるのは永遠に存在して生死を離れる方法ではない。
非常に福徳が多くても、二十八天以上にはならない。
悟りの智慧はなく、また三途に堕ちてしまう。ただ出家して清浄な心を修行し、寂滅の教えを実行すれば、涅槃を得ることができる。」とお示しになったのでした。
そこでお釈迦様は次の偈を説かれました。
真実を虚偽と思い
虚偽を真実と思う
それはあやまった分別であり
真の利益を得ることができない
真実を知って真実と思い
虚偽を知って虚偽と思う
それが正しい分別であり
必ず真の利益を得る
世間の存在にはすべて死があり
三界には平安がない
天の神々は楽しいが
福徳が尽きるとまた(楽しみを)失う
世間を観察すると
生が終わらないということはない
生死を離れようと欲するならば
仏道の真髄を修行しなさい
という言葉でした。
それを聞いた七十人の婆羅門たちは、よろこんで心が解放されて、沙門となりたいと願いました。
お釈迦様が「よく来た、比丘たちよ」と言われると、髭や髪が自然に落ちて、みな沙門となったという話であります。
「よく来た、比丘たちよ」というのは、漢訳では「善来比丘」であります。
お釈迦様が出家して修行したいという者に、「善来比丘、鬚髪自から落ち、袈裟身に著かん」と言ったのでした。
「よく来た、比丘よ。その髪と髭は自ら落ち、袈裟が身にまとわれるであろう」という意味です。
そうすると髪は自然に抜け落ち、袈裟を着た比丘の姿になるというのです。
そしてお釈迦様は比丘たちといっしょに精舎に帰られました。
途中まで来たとき、妻子が恋しくなり、みな帰りたいという思いがありました。
まだまだ煩悩が強く残っていたのです。
そのとき雨が降ってきて、ますます憂鬱になりました。
お釈迦様は皆のそんな思いを知って道端に数十軒の家を神通によって作り、中に入って雨を避けさせました。
ところがその家には雨漏りがしていました。
そこでお釈迦様は雨漏りがしたことに因んで偈を説かれました。
屋根が緻密に葺いてないと
雨が降れば漏れ入る
心が統御されていないと
みだらな思いが穴を開けて入ってくる
屋根が緻密に葺いてあると
雨が降っても漏れ入らない
心の統御を実践すると
よこしまな思いは生じない
という偈であります。
友松円諦先生の訳によれば、
そあらに 葺かれたる 屋舎(いえ)に
雨ふれば 漏れやぶるべし
かくのごとく 心ととのえざれば
貪欲これを破らん
こころこめて 葺かれたる 屋舎に
雨はふるとも 漏れやぶることなし
かくのごとく よくととのえし心は
貪欲も破るすべなし(『法句経』講談社学術文庫)
となっています。
この偈を聞いて比丘たちはなんとか道に進んでいこうと思うのですが、まだ心がぼんやりとしてはっきりしません。
雨が止んで進んで道を行くと、道に古い紙が落ちていました。
お釈迦様は言われました。
「比丘たちよ、これを取れ。」と。
拾った比丘にお釈迦様は尋ねました。
「それは何の紙だと思うか。」と。
比丘たちは答えました。
「これは香木を包む紙です。いま捨てられていますが、もとのように香りをとどめています。」と答えました。
お香を包んでいた紙だったのです。
お香の匂いがのこっていたので分かったのでした。
さらに進んで行くと、地上に縄の切れ端がありました。
お釈迦様は、これを拾うように言われました。
拾った比丘に「これは何か。」と問います。
「その縄は生臭いので、魚をつるす縄です。」と答えました。
そこでお釈迦様はお説法されました。
「物は本来清浄である。
みな因縁によって罪業や福徳を生ずるのである。
賢明な人に近付けば正しい道が盛んになり、愚かな人を友とすれば、罪悪がやって来る。
あたかもあの紙や縄が、香木に近付けばかんばしく、魚をつるせば生臭いようなものである。
次第に染みつき、習慣となるが、だれも自分では分からない。」と。
賢い人が人を染め付けてゆくのは
香りのよい香木に近付くようなものである
智慧を進め善が習慣となり
徳行が成就して高潔となる
という偈を説かれました。
七十人の沙門はこの偈を聞いて執着を離れ阿羅漢の悟りを得たという話であります。
「薫習」という言葉があります。
「物に香が移り沁むように、あるものが習慣的に働きかけることにより、他のものに影響・作用を植えつけること。」と『広辞苑』に解説されています。
道元禅師は、
「霧の中を行けば覚えざるに衣しめる。よき人に近づけば覚えざるによき人となるなり」と仰せになっています。
霧の中を歩いていると、濡れると感じなくても、しばらく歩けば、しっとりと衣が湿ってきます。
そのように、よき人のそばにいれば、人柄も自然とよくなってゆくというのです。
よい環境に身を置いて、善い人に教えを受けていると自ずとよくなってくるのであります。
雨はふるとも、よい教えを聞いて心を調えることであります。
横田南嶺
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【サムネイル写真の募集】毎日の管長日記と呼吸瞑想
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