第1585回「母への孝養を尽くした禅僧」2025/5/10【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師
[音楽] [音楽] おはようございます連休の間の日曜日は緑 の日でありました元々5月4日というのは 休日ではありませんでした私なども学校に 行っていた頃は休日ではなかったのでした それが1986年に国民の休日とされる ようになり第1回の国民の休日は1988 年だったようですそれが2007年に4月 29日を昭和の日に5月4日を緑の日に 定められました緑の日になってからももう 18年も経つのでありますその日は午前 10時から鎌倉FMのラジオ生放送に 出かけました 祝日は車が混むので鎌倉駅まで電車で行き 駅からは歩いてにある会社に出かけること にしました鎌倉駅は午前9時でしたが かなりの混雑でありました挨拶を出ようと すると横から歩いてくる人とぶつかりそう になりましたこれは失礼と思ってみたら なんと村上信さんでしたこんな偶然という のがあるものです村上さんは鎌倉駅から 江野に乗って駅まで行って会社に行くとの ことでした私は混雑している電車に乗る よりも歩く方が気持ちが良いと思って歩い て行きました鎌倉FMの会社まで距離は 1.6kmそれを18分で歩いて着きまし た時速5.3kmのスピードですから 早歩きであります会社には私の方が早く 到着しました歩いて着くともう汗が出てき ました早くも汗場もむ季節となりました5 月の放送ですから母の日にちんで話をし ました私の役目は法和と前後の解説と坂村 新民先生の死を読むことの3つであります それぞれ15分くらいでいいのです気楽と いえば気楽でありますあとは音楽を流し たりリスナーの方の手紙を読んだり質問に 答えたりしていますほとんど全て村上さん が取り仕し切ってくださるのでこちらは 至ってのんびりしています法和では縁学時 の解散仏行国士と私が初めて参000した 和歌山県長の広告時の解散を北国しそして 縁学時の中高大有告し3人の前の母への 高校の話をしました 無学厳寺は13歳で出血し14歳で近山に 登り修行を始め物前事を始め湿経前事や 機道前次について修行されて28歳の頃に は修行を成受されています その後30代の頃およそ7年もの間白案に 住まわれて母への紅用を尽くされています そして44歳で大州新入寺の10時になっ ています日本にお見えになったのは54歳 の時でしたそして61歳でお亡くなりに なっています30代の最も気力体力の充実 した時に母への公用を尽くされていると いうのはいかに親高校であったかと察し ます その時に作られた監視が素晴らしく5に 残っています2つほど紹介します風林を 描いて雪に密関東派なく空層による誰か 知るこ破れ家残るところそいたり工量かの 長きを威しますと風が吹いて林をかき乱し 雪が吹き込んで床にも積もる藤の木は歯が 全て落ちの木にも歯がないこのあれやまい の様子を誰が知るであか誰も知らなくても 心の中では母と一緒に楽しい夢を見ている のだというところでしょう昔の家は今の ように密閉されていませんから雪が降ると 部屋の中まで吹き込んできたのでしょう そういう中で母親と2人で暮らしていまし たこんな暮らしをしているとは誰も知ら ないだろうけれども母と2人楽しい夢を見 ながら過ごしているのだという死です 当然残郎多くなきを苦しむ愛して無言遺憾 一度路島を謝って不教を通し3章煙は 日やかなり9番だ これは大晦日の死です 塔の前に座って今年も残り少なくなってき ました母と向かい合って言葉なくして座っ ているが教中は実に無限の考えだというの ですこの不教というのは職の国今の視線省 です こんな個持がありますこれは朝日草原老師 のしっかりやるよから引用させてもらい ます昔楽用に沿館というお坊さんがいて 友人と不教に行く途中村の娘が川で選択 するのを見て泣いていうには自分は3章の 間岩の家で岩の上で座然していた今そなた を見て不教に行くことをやめそなたの腹を 借りて生まれ変わりたいと思うと友人と 別れるに望み君を来年不教の帰りに訪ね てくくれた前その時1人の子供が生まれて いるだろうその子は君を見たら笑うで あろうそれが私であると友人は不教の帰り に立ち寄れば生まれて3日目の赤子がいた 窓に抱いて行ってみると果たして一生した という話が元になっていますそこで ちょうどその円環と呼坊さんが選択してい た娘を見てそこで子供になってしまった ように母に対して私もあなたのお腹をかり て生まれたというのです路島を謝って不教 投資というのはあなたのお腹を拝借した ために食に行かなかったことを表現してい ますバンダとは岩尾のことです3章の間 座善した岩はモヤがかかっていていかにも 日やかだというのですこんな死を残されて いますほ国士もまた母思いでは知られてい ます60歳になって自分の母が年置いて いることを知って和歌山県の広告寺から 春バ長野の神林というところまで迎えに 行かれますご自身が60歳ですから お母さんはかなりの高齢だったと思います でも北東国士は自分の寺に引き取ってお 世話したいと思われました60歳の国士が 高齢の母の手を引いてある時は背負い ながら長野から騎州和歌山の広告寺まで 連れて帰りました当時広告寺はすでに修行 の道場でありましたのでお寺の中に母を 住まわせるわけにはゆかずお寺のすぐ門前 にいよりを立ててそこに住んでもらい国士 は毎日いよりに出かけては高校を尽くされ たと伝えられていますのためお母さんは わずか1年ばかりで亡くなりますがその いよりを寺にしてそこにお母さんの墓を 立ててなんと北東国士は90歳でお 亡くなりになるまで毎朝裸でお母さんのお 墓参りを欠かされなかったと伝えられてい ます大有国士は70歳の時に99歳まで 生きたお母さんが亡くなりますお母さんが 88歳のベージを迎えた時のお祝いの手紙 が残っています国士は母をなくすと母の 母台のために最国33種の札所を回り 始めるのです車で回るのも大変な巡礼です が車のない時代は一層大変な苦労であった でしょう それでもお母さんの苦養のために翌年71 歳になるまで2年であるのです旅の途中に 遠学寺から帰ってきてくれと度々手紙が来 たのにも関わらず1度も鎌倉に帰らずに 最国33不打所を回ったのでした そんな3人の前の逸話を紹介しました ラジオの生放送もこれで6回目となりまし ただいぶ慣れてきたものです それでは姿勢と呼吸と整えてまいります まず両方の足で床をしっかりと踏み締めて この第地に支えられていることを感じて足 に力を入れてよし立ち上がるぞという 気持ちでお尻を5cmないし10cmを 出すと持ち上げていってストロします 息を吸いながら肩をぎにと持ち上げていっ て吐くと同時にストンとろします もう1度息を吸いながら肩をぎにっと 持ち上げていって吐くと同時にストンと ロします 最初一息き息を強く吐き出しますこの時に はお腹の底に溜まっている空気も全部 吐き出してしまうつもりで胸に抱えている 思いや患いも全部吐き出してしまうつもり で口を開いて1息強く はと吐き出し口を閉じますと鼻から新鮮な 空気がいっぱい入ってまいりますおへその 下腹いっぱいに新しい空気が満ちてさらに 体の隅々みまで新しい空気が生き渡って いくのを感じながらあありがたいな嬉しい なとこの思わず微笑みがこぼれてまいり ますそんな気持ちでその後は口を閉じて ただ鼻から息が出たり入ったりする様子を 静かに見つめて座りましょう はいありがとうございますどうぞ今日も 良い1日でありますようにお祈りしており ます
【サムネイル写真を募集しております】※概要欄下部をご覧ください。
■管長日記「母への孝養を尽くした禅僧」
https://www.engakuji.or.jp/blog/38994/
■Voicy
https://r.voicy.jp/gJmZYEXyKBP
■note
https://note.com/engakuji/n/n05214d57ee44
最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
————————————————-
連休の間の日曜日は、みどりの日でありました。
もともと五月四日というのは休日ではありませんでした。
私なども学校に行っていた頃は休日ではなかったのでした。
それが一九八六年に国民の休日とされるようになり、第一回の国民の休日は一九八八年だったようです。
それが二〇〇七年に、四月二九日を昭和の日に、五月四日をみどりの日に定められました。
みどりの日になってからももう一八年も経つのであります。
その日は午前十時から鎌倉エフエムのラジオ生放送にでかけました。
祝日は車が混むので、鎌倉駅まで電車で行き、駅からは歩いて長谷にある会社に出かけることにしました。
鎌倉駅は、午前9時でしたが、かなりの混雑でありました。
改札を出ようとすると、橫から歩いてくる人とぶつかりそうになりました。
これは失礼と思ってみたら、なんと村上信夫さんでした。
こんな偶然というのがあるものです。
村上さんは鎌倉駅から江ノ電に乗って長谷駅まで行って会社に行くとのことでした。
私は混雑している電車に乗るよりも歩く方が気持ちがよいと思って歩いてゆきました。
鎌倉エフエムの会社まで、距離は1.6キロ、それを一八分で歩いて着きました。
時速5.3キロのスピードですから、早歩きであります。
会社には、私の方が早く到着しました。
歩いて着くと、もう汗が出てきました。
はやくも汗ばむ季節となりました。
五月の放送ですから、母の日にちなんで話をしました。
私の役目は、法話と禅語の解説と坂村真民先生の詩を読むことの三つであります。
それぞれ十五分くらいでいいのです。
気楽といえば気楽であります。
あとは、音楽を流したり、リスナーの方の手紙を読んだり、質問に答えたりしています。
ほとんどすべて村上さんが取り仕切ってくださるので、こちらは到ってのんびりしています。
法話では円覚寺の開山仏光国師と、私が初めて参禅した和歌山県由良町の興国寺の開山法燈国師、そして円覚寺の中興大用国師、三人の禅僧の母への孝行の話をしました。
無学祖元禅師は、十三歳で出家し、十四歳で径山に上り修行を始め、仏鑑禅師をはじめ石溪禅師や虚堂禅師について修行されて、二十八歳の頃には修行を成就されています。
そののち三十代の頃、およそ七年もの間、白雲庵に住まわれて母への孝養を尽くされています。
そして四十四歳で台州真如寺の住持になっています。
日本にお見えになったのは五十四歳の時でした。
そして六十一歳でお亡くなりになっています。
三十代の最も気力体力の充実した時に母への孝養を尽くされるというのはいかに親孝行であったかと察します。
その時に作られた漢詩が素晴らしく、語録に残っています。
二つほど詩を紹介します。
風、長林を攪いて雪牀に満つ
寒藤葉無く空桑に倚る
誰か知る戸破れ家残る処
添い得たり、黄梁客夢の長きを
意訳しますと、「風が吹いて林をかき乱し、雪が吹き込んで床に積もる。
藤の木は葉がすべて落ち、桑の木にも葉がない。
この荒れ屋住まいの様子を誰が知るであろうか。
誰も知らなくても、心の中では母と一緒に楽しい夢を見ているのだ。」
というところでしょう。
昔の家は今のように密閉されていませんから、雪が降ると部屋の中にまで吹き込んできたのでしょう。
そういう中で母親と二人で暮らしていました。
そんな暮らしをしているとは誰も知らないだろうけれど、母と二人、楽しい夢を見ながら過ごしているのだ、という詩です。
灯前 残臈多く無きを苦しむ
相対して無言 意いかん
一たび路頭を錯まって巫峡遠し
三生煙は冷やかなり旧磐陀
これは大晦日の詩です。
灯の前に坐って、今年も残り少なくなってきました。
母と向い合って、言葉なくして坐っているが、胸中は実に無限の感慨だというのです。
この巫峡というのは蜀の国、今の四川省です。
こんな故事があります。
これは朝比奈宗源老師の『しっかりやれよ』から引用させてもらいます。
「昔、洛陽に円環という坊さんがいて、友人と巫峡に行く途中、村の娘が川で洗濯をするのを見て泣いていうには、「自分は三生の間、岩の上で坐禅していた。今そなたを見て、巫峡に行くことを止め、そなたの腹をかりて生まれかわりたいと思う」と。
友人と別れるにのぞみ、「君よ、来年巫峡よりの帰りに訪ねてくれ給え、その時一人の子供が生まれているだろう。
その子は君を見たら笑うであろう。それが私である」と。
友人は巫峡の帰りに立寄れば、生まれて三日目の赤児が居た。
窓に抱いて行って見ると、果して一笑した、と。」
という話がもとになっています。
そこで、ちょうどその円環という坊さんが、洗濯をしていた娘を見て、そこで子供になってしまったように、母に対して、わたしもあなたのお腹を借りて生まれたというのです。
「路頭を錯まって巫峡遠し」というのは、あなたのお腹を拝借したために、蜀に行かなかったことを表現しています。
磐陀とは巌のことです。
三生の間坐禅した巌は、もやがかかっていていかにも冷ややかだというのです。
こんな詩を残されています。
法灯国師もまた母思いでは知られています。
六十歳になって、自分の母が年老いていることを知って、和歌山の興国寺からはるばる、長野の神林をいうところまで迎えに行かれます。
ご自身が六十歳ですから、お母さんはかなりの高齢だったと思います。
でも法灯国師は自分の寺に引き取ってお世話したいと思われました。
六十歳の国師が、高齢の母の手を引いて、あるときは背負いながら、長野から紀州和歌山の興国寺まで連れて帰りました。
当時興国寺は既に修行の道場でありましたので、お寺の中に母を住まわせるわけにはゆかず、お寺のすぐ門前に庵を建てて、そこに住んでもらい、国師は毎日庵に出かけては、孝行を尽くされたと伝えられています。
高齢のためお母さんはわずか一年ばかりでなくなりますが、その庵を寺にして、そこにお母さんのお墓を建てて、なんと法灯国師は、九十歳でお亡くなりになるまで、毎朝裸足で、お母さんのお墓参りを欠かされなかった伝えられています。
大用国師は、七十歳の時に、九十九歳まで生きたお母さんが亡くなります。
お母さんが八十八歳の米寿を迎えたときのお祝いの手紙が残っています。
国師は母を亡くすと、母の菩提のために西国三十三所の札所を回り始めるのです。
車で回るのも大変な巡礼ですが、車のない時代は一層大変な苦労であったでしょう。
それでも、お母さんの供養のために、翌年七十一歳になるまで二年がかりで回るのです。
旅の途中に円覚寺から帰ってきてくれとたびたび手紙が来たのにもかかわらず、一度も鎌倉に帰らずに、西国三十三札所を回ったのでした。
そんな三人の禅僧の逸話を紹介しました。
ラジオの生放送もこれで六回目となりました。
だいぶ慣れてきたものです。
横田南嶺
————————————————-
【サムネイル写真の募集】毎日の管長日記と呼吸瞑想
————————————————-
この度「毎日の管長日記と呼吸瞑想ラジオ」につきまして、皆さまからのサムネイル写真を募集いたします。
いただいた写真を「毎日の管長日記と呼吸瞑想ラジオ」のサムネイルとして使用させていただきます。
■撮影対象場所
臨済宗大本山 円覚寺山内
■応募内容
・山内のお勧めスポット
・季節や時間帯で変わる円覚寺の風景
など、皆さまのお気に入りの写真をお送りください。
また、お一人さま何枚でもお送りいただけます。
■撮影について
カメラは横向きで撮影お願いいたします。
■応募方法
下記のメールアドレスに必須情報をご記入の上、写真データをお送りください。
※ファイルサイズは25MB以下とします。
【応募必須情報】
・お名前
・フォトネーム (写真を使用させていただいた場合、YouTube概要欄に記載するお名前です。)
・撮影した場所
・撮影日 (不明な場合は記載なしで構いません。)
【応募メールアドレス】
engakuji.yt@gmail.com
■応募条件
応募者がすべての著作権を有している写真に限ります。
応募者ご自身が円覚寺山内で撮影した写真であれば問題ございません。
ただし、被写体に人物が含まれている場合は、事前に承諾を得るなど、肖像権の侵害等が生じないようご確認ください。
■著作権及び著作者人格権の取扱いについて
お送りいただいた写真データについては、応募の送付をもって、著作権を円覚寺に譲渡いただきます。また、写真データの利用にあたっては、応募の送付をもって、応募者様が著作者人格権(YouTube、SNS、Webコンテンツ、印刷物等に円覚寺が写真を利用する際の氏名表示の可否及び写真の翻案、改変、加工、その他の形式で利用する場合の同一性保持の可否等)を行使されないことに承諾いただいたものとします。
————————————————-
#管長日記, #呼吸瞑想, #毎日更新