和布刈神社・芦屋釜の里・河内藤園観光
芦屋釜
芦屋釜は、南北朝時代頃(14世紀半ば頃)から筑前国芦屋津金屋(ちくぜんのくにあしやつかなや)(現在の福岡県遠賀郡芦屋町中ノ浜付近)で造られた茶の湯釜です。「真形(しんなり)」とよばれる端整な形と、胴部に表される優美な文様は京の貴人達に好まれ、垂涎(すいぜん)の的となりました。その製作は江戸時代初期頃に途絶えますが、現代の茶席においても芦屋釜は主役を務める存在であり、大変珍重されています。
その芸術性、技術力に対する評価は今なお高く、国指定重要文化財の茶の湯釜9点の内、8点を芦屋釜が占めています。
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重要文化財指定の芦屋釜
現在、芦屋釜は国指定重要文化財の茶の湯釜9点の内、8点を占めています。
そのうち、1点を芦屋釜の里が所蔵しています。
河内藤園の歴史
河内藤園の歴史は、創設者である樋口正男が、小学生の頃に読んだ本に感銘を受け「俺も何か一つこの世に生きた証を残したい」という少年の夢から始まりました。
戦中戦後と家族を守り、ひたすら仕事に打ち込んできた正男でしたが、生活も落ち着いてきた頃、湧き上がってきたのは少年の頃に抱いた夢でした。 「この雑木の山に美しい藤を植え、みんなに見に来てもらえる藤園を造りたい」と意を決し打ち明けると家族も賛同してくれ、1968(昭和43)年、長男と共に開墾を始めます。 生きた証を残したいという正男の夢は、この時から家族の夢となったのです。
ブルドーザーのエンジン音が、静かな山中に響きわたる中、地盤が固く岩石を多く含む土地によって作業は難航します。 ごろごろ出てくる石を集めては一輪車で運び出す、気の遠くなるような作業が続きました。 それでも、数年後には山の斜面をひな壇状にする作業が終了し、約1000坪の大藤棚と藤のトンネルが完成したのです。
そして「河内藤園」はじまりの木として最初に植えたのは、河内貯水池建設の際、湖底に沈むこととなった河内村から移植し、これまで大切に育ててきた1本の藤でした。
開墾から50年。「河内藤園」はじまりの木も樹齢150年を越える大藤へと成長し、毎年美しい花房をなびかせ来園者の方々に喜んでいただいております。初代から受け継ぐ深い愛情を注ぎ育てた藤をゆっくりとご堪能ください。