【金田城・姫神山砲台跡】対馬で外国の脅威に最前線で相対した2つの遺跡を歩く
対馬は朝鮮半島に近く、古代以来、 近代に至るまで常に国際的緊張の最前線に 立たされていました。 金田城は、日本書紀によると飛鳥時代の 667年に築城されている、日本で五番目に 古い城となります。 姫神山砲台跡は日露戦争直前の 1901年に完成し、 172mの姫神山山頂付近に砲座跡や 兵舎跡が大規模に残されています。 本日は、時代は違えども国際的緊張の 象徴とも言うべき二つの遺跡を巡ります。 まずは金田城に向かいます。 最初は樹林帯の中の立派な道を進みます。 このアプローチは、とても分かりづらく、 駐車場も数台程度で、とても狭いということは、 お伝えしておきたいと思います。 ここは、日本書紀に登場する古代の城の中でも、 場所が特定できているという意味で とても貴重です。 そのため、文化財では国宝に匹敵する 特別史跡として1982年に指定されました。 奈良時代には廃城となり忘れ去られて いましたが、大正11年と昭和23年の 調査により、ここが金田城であると認識されました。 660年に滅びた百済の帰化人の指導で 築城されたため、朝鮮式と呼ばれています。 皆様、今歩いているこの道は、古代の 城にしては、やけに立派すぎると思いませんか? 実は旧日本帝国陸軍が明治時代に 要塞として転用した際につけられたもので、 石垣で補強されています。 この道の続く先の城山頂上付近には、 明治期の砲台跡もあります。 突如、前方が開けました。 絶景が目に飛び込んできました。 浅茅湾(あそうわん)です。 この海岸は、リアス海岸で、 川の水で削られた平原が 海に沈んでできたものです。 崩れかけた大量の石が 山上から海側に連なっています。 朝鮮式の一つの特徴として、一山が このように石垣や列石で包囲されていることが 挙げられるようです。 ここでは向かって左手にある 標高276mの城山の頂上まで 石塁が延々と続いています。 飛鳥時代に、このような石垣が積まれた城が、 築かれていたとは驚きますよね。 今回は山上に登るには石垣が崩れて 危険を伴いそうなので、下方に進んでみます。 この暖地性のシダが、この山全体に繁茂しています。 少し下ったビングシと呼ばれるこの場所では、 門の礎石を見ることができます。 こちらの土に埋もれかけているのは本物です。 こちらはレプリカだそうです。 やはり若干作り物っぽさが出てますね。 このあたりはご覧のように平地となっており、 周辺には古代の監視所と思われる 数棟の掘立柱建物跡があります。 さて、二ノ城戸(にのきど)までやってきました。 ここからがいよいよ石垣が堪能できるエリアですよ。 立派で比較的新しい案内板が設置されていますね。 この石垣に挟まれた通路のようになったところに 城門を設けて、下方の海から沢を登ってくる 人たちを、チェックしていたようです。 この木道から下に海が見えます。 かなり近いですね。 石垣の下にさらに下ってみましょう。 ここの石垣の上部は積み直して復元したとのことです。 石垣の積み方は、戦国時代の終わり頃より後に 現れた城の石垣とは、見てお分かりの通り、 かなり趣が違いますね。 上部は無数の石が無造作に転がっていますね。 さて、さらに北側すぐのところには、 一ノ城戸(いちのきど)があります。 また、別の沢筋に門が設置されていたようです。 ずいぶんと高くて立派な石垣ですが、 これを見て皆様何かお気づきではないでしょうか。 上部は、加工された石が布積みにされていますね。 下部は、先ほど二ノ城戸で見たのと同じ積み方です。 江戸後期に対馬藩が修復したと考えられているようです。 さらに奥にも高い石垣がありました。 二ノ城戸から逆に南側に移動すると、 三ノ城戸が、また別の沢筋に現れました。 これらの城戸から、古代には、 防人が出陣してゆくこともあったのかもしれませんね。 中世以降の城とは異なり、 城域が戦場となることを 想定したわけではありませんでした。 主に、敵の侵攻に備えた監視所としての 役割のために、築城されたのだと思います。 この城が築城された時期は、朝鮮半島にて、 日本・百済の連合軍が、唐・新羅の連合軍に敗れた 白村江(はくすきのえ)の戦いの直後でした。 強大な唐の脅威に緊張を強いられていたのだと思います。 近世近代になって、対馬藩や旧日本帝国陸軍が 利用するようになったということも興味深いですね。 今は平和な海が広がっているように見えます。 波が穏やかなため、カヌーやボートなどの 体験型レジャーも盛んなようです。 さて、今度は10キロ東側の 姫神山砲台跡を訪れてみます。 駐車場からは、北側に広がる穏やかな表情をした 三浦湾を見渡すことができます。 頂上からは対馬東側の 日本海を見渡すことができ、 天空の要塞とも言われているようです。 ここは、金田城と同じく、対馬の南島にありますが、 日本海を望む標高172メートルの姫神山山頂にあります。 先ほど眺めた三浦湾は、西側の浅茅湾と、 万関瀬戸(まんぜきせと)で繋がっています。 この運河は、1900年に 旧日本帝国陸軍により開削されたものです。 もう一か所、船越地区に既に江戸時代初期に 人工的に開削された運河がありますが、 この運河が開削される前は 対馬は、元々は一つの島だったということですね。 こちらの船越の運河は狭く浅く、 軍事目的使用には耐えられなかったようです。 この姫神山から8キロメートルほど西側の 浅茅湾に面した竹敷地区には、旧日本帝国陸軍が 建設した対馬要塞の中核施設がありました。 1905年に勃発した日露戦争のときには、 竹敷から発進した水雷艇(すいらいてい)が、 万関瀬戸(まんぜきせと)経由で三浦湾を通って 日本海に出撃しました。 この姫神山砲台は、三浦湾に外海から 侵入する敵から対馬要塞を防御する 目的で造られました。 この周辺は、姫神山以外にも数多くの砲台が 建造されています。 その中でも、この姫神山砲台跡は、大規模で、 アプローチや見学路も整備が行き届いています。 西洋の近代要塞築城の技術を取り入れ、 砲座、司令室、弾薬庫などが建造され、 今もその遺構がよく残されています。 最初に目にすることができるのは、 棲息掩蔽部(せいそくえんぺいぶ)という宿舎跡です。 表からは、煉瓦が美しい様相を呈していますね。 内部には除湿のために塗られた漆喰が残っています。 上部は草木で目につきにくくなるよう カモフラージュされていますね。 案内板には、28センチ榴弾砲(りゅうだんぽう)が 六門配備されたと書かれておりました。 砲弾は火薬を抜いた実物かと思われます。 こちらが砲台跡です。 このように2門づつ、3カ所に分かれて配置されています。 数年前にこの遺構のコンクリート枠が イノシシにより破壊されたと報道されて おりましたが、この場所かもしれません。 この小さな空間は弾薬置き場のようです。 一部、漆喰が大きく剥がれていますね。 さて、この階段から二か所あるうちの 右側の観測所に上ります。 通路左手に指令所があります。 ここから、この上部の観測所に対し指令を 行っていたのですかね。 さらに階段を上って観測所に到着しました。 台座がありますが、 ここに武式測遠機が置かれていたようです。 測遠機とは、対象物までの距離を計測する機械です。 武式は、最大でも1万メートルまでしか 測れなかったようです。 日露戦争の日本海海戦では、 ロシアのバルチック艦隊は南方から 対馬と壱岐の島の間を侵入してきました。 ここからその様子は気象条件によっては 肉眼でも見えた可能性があります。 しかし、距離を測るには性能からして とても無理だったでしょうね。 対馬という国境近くの離島で、古代の城と 近代の戦跡を巡りました。 さて、視聴者の皆さん、 どのようなご感想を持たれたでしょうか? ぜひコメント欄で教えてください。
白村江の戦いの後、唐の脅威に対応するため築かれた日本で5番目に古い古代の城である金田城。日露戦争開始直前、対馬要塞への外敵侵入を監視する目的で造られた姫神山砲台跡。
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【タイムコード】
◆浅茅湾展望 : 1:59
◆二ノ城戸・一ノ城戸 : 3:26
◆棲息掩蔽部 : 8:38
◆観測所 : 10:42
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【金田城】
◆金田城は、古代の城跡で、国の特別史跡に指定されている貴重な城跡です。海岸線から城山山頂部まで続く2キロ以上にも及ぶ石塁が見物です。リアス海岸で日本有数の美観を誇る浅茅湾の美しい眺めも楽しむことができます。
【姫神山砲台跡】
◆姫神山砲台跡は、日本海軍が対馬要塞を守るための監視所として築かれました。日露戦争海戦直前のことです。対馬には数多くの砲台が建造されましたが、ここは大規模にかつての遺構が維持されており、見ごたえがあります。
◆いすれの場所も、公共交通機関はなく、アプローチはクルマが必要です。
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【チャンネル】
@歩いて旅するにっぽん 城跡を歩く
歴史を紐解くことによって、往時の武士の息遣いや緊迫した雰囲気が感じられる場所を徹底リサーチして厳選の上紹介しています。
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【撮影機材】
◆GoPro HERO10 Black
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【編集ソフト】
◆PowerDirector 365
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動画の一部で、地理院タイルに地名・アイコン等を追記した画像を利用して配信しています。
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