【道のミステリー】地下には水道管、地上には古墳がある道!郡津水道道をさんぽ。 #2

郡津水道道をさんぽ。
寝屋川から枚方を結ぶ道路、郡津水道道を散策します。
今回は、前回の続きとして「郡津」交差点から枚方方面に歩きます。

この道を「郡津水道道」と紹介していますが、正式名称ではありません。
交野には「水道道」と呼ばれる場所が複数あり、ここもそのひとつなので、便宜上このように呼んでいます。

正式名称は「大阪府道18号」、または「枚方交野寝屋川線」です。
起点は枚方市楠葉、終点は寝屋川市仁和寺町で、終点近くの遊戯施設にちなんで「ニコニコ街道」とも呼ばれます。

「水道道」と呼ばれている理由は、大阪市水道局の送水管と大阪広域水道企業団の送水管が、この道路の地下を通っているためです。

このあたり一帯は、かつて「大塚」と呼ばれていました。
「塚」とは古墳のことを意味し、律令時代にこの周辺に複数の古墳が造られたと考えられています。

そのうち、唯一現存する古墳が左手にある「丸山古墳」です。
詳細はまた別の動画で紹介します。

この道の一部は、大阪府が実施している「アドプト・ロード・プログラム」に参画しています。
道路の一定区間の清掃や緑化などの美化活動を継続的に実施するもので、このあたりではカリスチャペルが実施しています。

ここから建物が少なくなり、空が広く感じられます。
左には田園が広がっていますが、このあぜ道は関係者以外立ち入り禁止です。
右手には畑と田園があり、その間に交野を代表する旧街道のひとつ、東高野街道があります。

このあたりの地域は「藪の下」と呼ばれていました。
かつて周囲には竹藪が広がり、じめじめとした土地だったといいます。
今では想像がつきませんね。

この先の出鼻橋付近も、かつては夜にひとりで歩けないほど鬱蒼とした雰囲気の場所でした。
太平洋戦争前までは山賊が出たとも言われています。

やがて出鼻橋に到着します。
橋の下にはがらと川が流れています。
枚方市との境界まではもう少し先ですが、きりが良いので今回はここで散策を終了します。

少しでもありのままの交野を感じていただくために、あえて編集は施していません。
本当に散歩をしている気持ちで見ていただけると幸いです。

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#交野 #水道 #古墳 #交野市

1 Comment

  1. 80年ほど前には交野に山賊がいたなんて信じられませんね笑 交野さんぽ。さんは戦前の交野にタイムスリップしたらまずどこに行って何をしたいですか?

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