【廃線】夕張の山奥に存在した錦沢遊園地は今どうなっているのか? 北海道夕張市
かつて鉱の宮として栄いた夕張の山奥に 遊園施設を備えた観光名所があったことを ご存知だろうか ?夕張鉄道の駅に作られたオアシス は時に花火大会も開催されるなど夕張り随 の後落地として賑わった。 路線廃止から50 年の記憶に残るその場所は今どうなって いるんでしょうか 夕張りの観光地といえばシューパロコや 石炭博物館、映画のロケチなどが有名です は、かつて夕張りで1番の名所と言われた のがこれから向かう西沢遊園地だったん です。皆さんはその存在を知っていた でしょうか ?私は西沢遊園地のことを全く知りません でした 。場所は堂々3号から2kmほど山奥に 入ったあたりで、こんなところに遊園地が 本当にあったのかと思ってしまうような 場所にあります 。夕張の遊園地といえば石炭の歴史にあっ た遊園地が真っ先に思い浮かびますが、 こんな山奥にも遊園地があったんですね。 どんな場所なのかとても楽しみです。早速 現地に行ってみましょう 。今私がいる道路が堂々3号で、ここから 分岐する形で山川に入っていきます 。さて、こちらの道元々は 幌駅と夕張本町駅を結ぶ夕張鉄道線の線路 があったんですが、1975年に鉄道が 廃止になり、その後サイクリングロードと して再整備された道になります 。しかし現在ではそのサイクリングロード も沿線上にあったトンネルやロの老朽化に 伴い、ほとんどの区間が通行できない状態 となっていました 。なお、一部のサイクリングロードは堂々 3号の付け替区間建設により消滅してい ます 。こちらの橋はその時に作られたもので、 堂々3号の先にある夕張トンネルも新たに 建設されました。 サイクリングロードがいつ頃まで管理され ていたのかは分かりませんが、すでに自然 に帰りつつあります。 石炭博物館の近くにあったサイクリング ターミナルまで12kmと書いてありまし た 。今通ってきた道の脇には大蛇の沢川と いう川が流れているんですが、そのに遊園 地時代の移行らしきものがありました。 これは庭や公園でよく見かけるパーゴラだ と思われます 。当時のエハきをよく見てみるとこの パワゴラが映っていました 。屋根の部分に植物のつを絡ませて 日差しけに使っていたんでしょうか。 オープンカフェみたいなスタイルでいい ですね。そして左側には建物と石書きが 見えますが、その移行もしっかり残ってい ました。 7年に西沢駅が設置され、1930年頃 から駅周辺の開発が行われました 。江垣では建物の前に息があり、貸しとで 楽しむ人々が映っていますが、現在は川が 流れているだけで池そのものはありません 。調べてみるとこちらの池自然にできた池 ではなく川を人工的に咳き止めて作られた 貯水地だったそうで1970年の平園と 同時に池はなくなってしまいました 。1976年の航空写真で見てみると助水 位置があった場所に洪水刃キらしきものが あります 。早速探してみるとありました。 ゲートのハンドルや洪水きがあり、ここで 水量を調節して池を作り出していたんです ね 。チス位置からさらに先へと進んでいき ます 。この先は鉄道が急勾倍の地形を直進で 登ることができないため、ジグザグに スイッチバックしながら進んでいくという 特殊な区間になっています 。折り返して2段目の道に来ました。右手 に見えるのがさっき通ってきた1段目に なります。 昔の写真で解説すると、さっきは1段目を 歩いてきて、今は2段目を歩いて折り返し てるということになります 。線路は3段になっており、上下線ともに 駅がある2段目はスイッチバックで進行し ていたということになるわけですね 。2段目をしばらく進んでいくと開けた 場所に出ました。この辺りに遊園地があっ たんでしょうか ?何か当時のものが残っていないか見て いきましょう 。駅のホームかと一瞬思いましたが、これ は右斜面の傭壁ですね。 これは防化水槽でしょうか?その横には 潰れた小屋の屋根だけが残っていました 。こういった探索では事故や怪我につがる 要素が草に隠れてる可能性があるので足元 をよく観察しながら進みます。 この付近には何も残されていませんでした が、増よて設けられた広場であることは 間違いないので、ここに遊園施設があった んじゃないでしょうか。 昔の航空写真を確認してみると、やはり 優遇しきものが複数設置されているのが 確認できます 。これが当時の様子で1963年にミニ新 幹線回転木場飛行島が導入され動物園も 備わっていたそうです 。55年前までここに遊園地があった なんて信じられないぐらい自然に書って ますね。 さらに進んでいくと西沢駅があった場所に あ屋が見えてきました 。自転車専用道路として再整備した際に 設置されたものでベンチやタバコの灰皿が 置いてありました。 昔の空缶なんかも落ちていました。今では 見かけなくなったプルトが時の流れを感じ させてくれます 。あ屋の奥にはサイクリングロードの全体 頭蓋描かれた案内版もありました 。夕張市内の観光地も描かれてますが、今 はそのほとんどが廃業家閉鎖になってい ます 。この広場にベンチが設置されていたん でしょうね。奥にはトイレも残っていまし た 。自転車置け場のスタンドもそのまま残っ ています 。そして西沢遊園と書かれた石碑もあり ました 。調べてみると駅周辺が公園として整備さ れた1933年に設置されたようです 。なぜこの山奥に遊園地ができたの でしょうか?その歴史は今から100年 ほど前に遡ります 。1926年西沢信号場として解説された この場所は翌年の1927年西沢駅となっ て一般営業開始 。スイッチバックで到達する珍しい駅と いうことに加え公園として整備されたこと で市内有数の後落地となる 。春は300本植えられた桜の花見。夏は 花火大会。秋は紅葉の名所となり、 レンタルボートや有具施設、動物園など 大変な賑いを見せていた。 63年になると電動遊具も導入され現代的 な遊園地に発展。しかし石炭で栄えた夕張 にエネルギー革命の波を小せ。相つぐ炭鉱 の閉鎖によって限りが出始める 。1970年西沢遊園地 平園1975年鉄道路線 廃止それから50 年後落地のおかげはすっかりなくなって しまったが当時訪れた人々の記憶の中には 今も西沢遊園が存在してるのではない だろうか。 今回は夕張の山奥に存在した西沢駅と遊園 地跡を訪れましたが、いかがだった でしょうか ?今は昔のおかげがほとんど 当時を知らない私はこういった部屋書きや 写真を見て想像するしかありませんが、 人間にとって豊かとは何か物や利便性だけ では得られない豊かさがこの時代にはあっ たんじゃないか。そんなことを考えさせ られました 。今後も昔をテーマにした動画を制作して いきますので、是非またご視聴ください。 ではまた次回の動画でお会いしましょう。 さようなら。
1975年に廃止となった夕張鉄道線。かつてその路線に三段スイッチバックデ到達する錦沢駅があり、隣接された錦沢遊園地は、貯水池で楽しむ貸しボートや遊園施設に動物園など、夕張随一の行楽地として知られていた。廃止から50年経過した今、そこがどうなっているのか現地に行って調べてみました。
夕張にある謎の地下施設を探る
夕張にある炭鉱跡地を探索しました
#錦沢駅#錦沢遊園地#秘境駅#夕張市#夕張鉄道
■■撮影機材(Shooting tool)■■
Nikon Z6 ミラーレスカメラ
DJI Mavic2 Pro ドローン
GoPro HERO8 Black アクションカメラ
動画編集ソフト
DaVinciResolve Studio.19
——————————————————————
【SNS】44ヤマグチ
twitter
Tweets by 44Yamaguchi
Instagram
https://www.instagram.com/44yamaguchi/
1 Comment
全く知りませんでした😢