東海道線の旧線(大津→京都)廃線跡を歩く

[音楽] 石 ホマミや3セットでございます 。今日はここ滋賀県JR大津駅に来ており ます 。えー、今日は歩きます。はい 。この大津から京都まで行くのに、え、 現在ではこの先トンネル2つを抜けて直線 的なルートですっと行けるんですけれども 、この東海道線が開業した開通した 1980年代の後半、その頃というのは今 とは違うルートを走って京都まで行ってた そういう時代がありました 。その100年以上前の鉄道の旅に思いを 寄せながら今日はその東海道線の急線の後 を歩いて京都まで辿ってみようかと思い ます。厳密に言えば歩くのは節見までの 予定で、え、節身からは、え、またJR けれども、ちょっと天気が悪い、小雨メが 降るような天候ですので、ちょっと本ぶり ならないうちにもうさっさと出かけること にしましょう 。はい。で、え、今いるのが、え、JR 大津駅の 南川で、そのすぐ横、え、国道1号線が 走ってるんですけれども 、かつての東海道線はこの今の国道1号線 のところを通っていたようです。え、今の ゼの辺りから、え、この上を走っている 現在の国道1号線のルートの上を走ってい たようで、で、今のゼというのがかつての 大津駅でした。で、その後、え、今の 新しいルートに切り替わった後、大津駅が こちらの今の場所に移されて、かつての 大津駅は、え、途中バという名を経て現在 のゼへと変わったと、そういう変遷があり ます 。で、大津駅から少し登ってきたところで 、はい、こちら国道1号。この場所に かつての東海道線が走っていたということ らしいです。 新橋を早が者は離れたりあの山に 入り残る月を旅地の友とし てで今歌ったのは皆様おな染み鉄道消化の 1番えこの鉄道消化というものは、え、 100年以上前ですね。当時の東海道線の 旅を車窓を歌にしたものとして知られて おりまして、え、1番から66番まで続く 。全部歌えば1時間以上もかかるという とっても長い歌 。ま、ただその歌の所どに東海道線の、え 、各地の名所、車窓、そういっ た見所が歌われております。で、えっと、 1番新橋出発した後44番でこの辺りが 読まれて歌われております。 昔ながらの 山桜うところやの 里の後は知らねども大阪山はそのまま にで歌われている大阪山がこちらです 。大津市 大阪はい。先ほどの場所から少し下ってき まして、今JRの上に、上に来ました 。この短いトンネルを抜けた先から、現在 の新大阪山トンネルというのが京都府の 山内へ向けて続いておりますが、え、 かつては違うルートだったというのが 先ほどお話ししたこと。東海道線の、え、 現在のこの大津と京都の間の区間が開業し たおよそ150年前というのは、え、まだ 長いトンネルを掘る美術というのはござい ませんでした 。そのために、え、この先にいるこの 大阪山、そして、え、京都の方にある稲山 、東山、そういった、え、大きな険しい 山々を迂する必要がありまして 、この 先この山合を塗って京都の山品の南の方へ 抜けていってた、そういうルートで走って おりました。 え、ただいまですね。 半神線の踏切りを渡っておりまして、この 先旧大阪沿道東口後というのが地図場に 見えます。はい。大阪という石碑があり まして 、そのトンネルの東側出口がちょうどこの 辺りにあるはず 。おお、これ、これありました 。ここから行けますね。 はい、ご覧ください。これ 鉄道記念物旧大阪随道東口。さあ、この先 、これが かつて東海道線海業当初に使われていた トンネルの後。おお。 こういった解説書きもされております。え 、ゆっくりご覧なりたい方、ここで一時 停止してご覧ください 。このような感じ 。 そしてこちら側にもう1つトンネルの出口 があるんですけれども、ちょっとここから 先は立ち入り禁止のようにバリケード貼ら れておりますので、この下り方のこの トンネルだけご覧いただくことにします 。すごいな、これ。当時の まんまね 。この木の奥、え、国道1号線走っており ますが、その1号線からまっすぐここへ 続いてきて、 ぐっとこの大阪山トンネルへと入っていっ ていた。それが150年前。え、この トンネルが開通したのが1980年のこと ですね。明治13年。え、その後、え、 1921年頃まで使われてたようです。 ですからおよそ40年余りですね 。で、1921年に現在の直線的なルート へと切り替わりましたので、このトンネル は使われなくなりまして、で、しばらく、 え、何も使われてなかったようなんですが 、えっと、現在は、えっと、京都大学の、 え、地震の研究チームがここを観測所とし て利用しているそうです。 はい。ちょっと中に入ってきてみたところ 、こちら近代化産業遺産 と そしてこのようなレガ作り 。日本で鉄道が開業した1980年代の 後半というのはまだまだ日本の土木技術と いうのは見発達でして欧米の方がそういっ た土木技術は進んでおりました がこの旧大阪山随戸大阪山トンネルという のは日本で初めて日本人だけで作り上げた そういう記念すべきトンネルだったそう です 。で、この大阪山トンネル、え、一般人は 通行できない上に、え、もう反対側の出口 はすでに塞がれております。というか地中 に埋まっております。なのでこの国道1号 線の方迂して、え、大阪の反対側の方へと 進んでいきたいと思います 。国道1号線486km地点。この国道1 号線は東京の日本橋起点。そして、え、今 ご紹介している東海道線は、え、かつては 新橋からでしたが、現在はJRの東京駅が 来て、大体かつての東海道に沿って敷かれ たルートですので、JRもほぼ同じぐらい およそ500km程度ここまで進んできて いることになります 。ご覧ください 。大阪条夜島というのがありますよ、これ 。え、ここはかつての東海道、江戸時代に 整備された五海道の1つ。その中でも おそらく最も重要なルートだったんだと 思われます。この東海道というの がその時代江戸時代から江戸時代はね、今 みたいに街当なんてありませんでしたから ね。 夜中夜中も雪買う人の足元を照らす雇島と して設置されたもの。それがあれは当時の ままなんかな。なるとも100年200年 300年何年や。ちょっと歴史苦手や から分からへんけど。そんな何百年も残っ ているとしたらすごいことですね。あ、た 歴史さんを大事にしましょう。 大阪山関跡後かな?これですね。大阪山に あった東石の後、大阪の席の後、これが門 の支中だったものでしょうか。こういった ものも残ってます 。はい。大阪の席、その後地です。その 大阪の席のあったところから、え、国道1 号線を少し外れてこのちょっと山奥の方へ と進んでいってみることにします。ま、何 があるのかそれは一手のお楽しみ 。はい、こちら多数の車が雪買う名速道路 。この名高速道路を超えたこの先にある はずです。あったったった。これや。あり ました。この石ご覧ください。 旧東海道線大阪トンネル 後トンネル後なんですよ。これ がご覧のよう にトンネルの出口らしきものは一切 見当たりません 。はい。というのはどういうことかと言い ますと 、この石碑の裏に書かれております 。読みますね。ちょっと全部画角に入り きらないので 。明治13年日本の技術で初めて作った旧 東海道線大阪トンネルの西口は名神高速 道路建設にあたりこの地下18mの位置に 毎したここに時代の水移を思い火を立てて 記念するという風に書かれております 。そうなんです。この地中18下に大阪 トンネルの西側の出口が埋まってしまった 。それはこの名高速道路を建設するため だったんですね。で、先ほどお話しした ように、え、かつての東海道線のルートと いうのは1921年に新しいルートに 切り替わった後、え、しばらく残されて おりましたが 、その後、え、1963年東海道新幹線 よりも1年早い年ですね。この日本で 初めての高速道路、名速道路を建設する際 、かつての東海道線のルートがそのまんま 転用されたということなんです。なので その建設工事の際ですね 、こここの名高速道路のこれセミ丸 トンネル、このセミ丸トンネルをホルに あたってかつての東海道線大阪トンネルの 西側の出口は地中に埋もれてしまったと、 そういう歴史があります。はい。そして、 え、国道1号線のルートに戻ってきました 。え、ご覧いただいてるのが京阪神線の 大谷駅 。ご覧のようにものすごく傾いております 。急行の途中の駅。分かるかな ? こちらやっぱり駅まで行かわからんかな。 ホームに置いてあるベンチ 。右と左とで足の長さが異なっていると いう。そういったことでも有名な大谷駅。 それにしてもこの京阪もものすごい急な 勾配走っとんな 。はい。この狭い 山合いわずかなスペースに、え、右側から 名速道路京阪京線、そして北道1号線 と3つ並んで通っております。かつては この場所を東海道線の列車が生きしていた 時代がありました。 旧東海道 。そしてこれ右 一里左大谷町かな?分からん読めへんけど 。ま、こういう一立塚のようなものもあり ます 。お、なんとここから徒歩7時間20分。 めっちゃおもろい動物へ。なんとこれ は節まで歩かんと。こっちまで歩いて みようかな。ちょっと興味そられるな 。はい。では山をだぶ下ってきまして大津 市お湯分町というところまで来ました 。で、この追い分けという地名、え、日本 各地にありますけれども、この分けると いう字ですね、この街道の別れ道につけ られた地名が追い分けということです。で 、ここは東海道から不見の方へ行く不見 街道との別れ道になっていたようなんです 。はい。先ほど東海道と節見街道との 別れる場所。追い分けを過ぎて、え、この 名高速に沿って歩いてきましたが、ご覧の ようにこの 先京都市山品の街並が見えるようになって きました。で、もう当時の 名残り行こうと思われるものは最初に見た トンネル以外もう全然ありません。うん。 ま、ただ当時こんな車窓だったんだろうな というのを頭の中で思い浮かべながらここ まで1時間半ぐらいかな、ちょっと寄り道 しながら歩いてきました。さあ、これから いよいよ山区、京都市山区へと突入です 。はい。で、ただいまこの地点まで来まし た。え、出発したのが こちら大津駅。ここの大津駅 から大阪山をぐるっと迂する形で名高速に 沿ってここまで来ました。で、え、現在の 東海道線のルートはと言いますと、この 大家からこの琵琶湖線というものを辿って 山品を経営して、この東海道本線と書かれ てるところを経営し て京都駅と至る。こういうほぼ直線に近い ルートで新しく敷かれた東海道本線で かつて は東海道線が開業した当時は今いる場所 からさらに南へ明神高速道路に沿ってここ まで南へ回っていくにも分けがありまして えそれはこの節見稲のある串見山これを 迂快する必要があったんですね。 なのでさらに南へ、南へと下っていきまし て 、この 辺りぐるンとカーブを描いて現在の奈良線 に接続していく。そしてこのJR稲駅 から京都駅へと進んでいくとこういう ルートがこの先に待ち構えております 。しばらく歩きまして、ここご覧ください 。東海道新幹線です。この東海道新幹線が 開業したのが1964年。あ、来ました。 ものすごいスピード 。ま、京都に着く手前ですから、多少速度 は落としておりますけれども、え、最高 速度285kmで東京都新大阪とを結ぶ 東海道新幹線 。かつて今歩いてきたこの場所、東海道線 が走っていた時代には東京から東海道線の 終点神戸まで、え、直通の列車で、ま、 ほぼ丸1日かかっていたそうです。それが 150年経った今この東海道新幹線に乗れ ば新大阪まで2時間半、新神戸までも3 時間足らずで2時間40分ぐらいで行ける という鉄道の発展は凄まじいものがあり ますね 。はい。もうこの辺りまで来ると住宅も 立ち並んでおりまして、え、当時の配線の 行こうと思われるものはもうほとんど残っ てない。ま、そもそも名新高速道路建設の 時に埋もれてしまった。なくなってしまっ たんですが、ここ妙健所寺前、この妙健寺 というところに残っているはず 。あった。これですわ。旧東海道線 引き上げ線路したトンネル後かつて信号場 があった場所のようですね。で、急勾配の 途中に設置された信号所なので、え、列車 スイッチバック方式 で行き違いしていたようです。で、この 区間は元から伏線だったので、え、登りと 下りの行き違いのための信号場ではなかっ たようなんですね。詳しく調べてみた ところ、え、輸送力増強のために作られた と書いてある資料はあるんですけれども、 それ以上詳しいこと書かれてる資料が なかったんですよ。ま、それで、ま、私の 推測なんですけど、ま、上り勾配の途中と いうことで、ま、貨物列車のように ゆっくりと進む遅い列車が、え、後から 来る高速の早い列車に抜かれるための退避 設備として作られたんじゃないかなって 推測したんですけど、そのところ詳しくご 存知の方いらっしゃいましたら、え、 コメント欄などで教えてください 。で、この妙健寺の道路を挟んで南側に ある大の奥のこれがその大トリーだね 。この大の奥 の奥のあ、あれや 。このレガ。これが当時場があった頃の 移行名残りで残っていると引き上げ線で あったんですね。この辺りにのはい。え、 ではどういうことなのか、え、航空写真を 使って簡単に説明しますね。え、この写真 、え、上から下へと斜めに伸びている道路 。これがかつての東海道線の配線後で今 歩いている道です。大津方向に向かって 登り坂になっております。そして、え、 この場所に信号場があったということなん ですが、え、現地では確認できなかったん ですけど、え、この航空写真で見ると、え 、現在地とピンを挿してるところの上、 道路に沿ってコンクリートで舗装された平 に見える土地が見えます。おそらくここに 引き上げ線があったものだと思われます。 で、そのまま引き上げ線が本線に沿って 伸びまして、先ほど見てもらったレガの トンネルの上に敷かれていたと、おそらく そういう状況だろうと推測できます 。はい。うんと今津方面振り返ってみて ますが、確かに登り勾配続いてます。車や 徒歩であれば、ま、緩やかな坂道やなって いう程度ですけれども、 鉄道にとってはこの程度の勾配でも急勾配 だったんですね。今歩いてるのがこの辺り です。え、京都市山区の南の方名速に沿っ て、え、南世へとまっすぐに進んでいく道 。ここからもう少し行った場所にかつての 山駅があった場所 。はい、ありました が日本で最初の高速道路名心気候の 地ここが名速道路工始まった最初の 場所ですよ。 旧東海道線山品駅 。これですね 。最初にも言いましたが、かつての東海道 線の後地をそのまま名速道路の用地として 活用しましたので、 ちょうどそのルートの真上に立っている 名速、 そしてその工事に伴ってかつての山駅は すっかりと姿を消してしまいましたが、 その場所だけはこういった形で残されて おります 。この図に表されている黒い太線。これが かつての東海道線ですね。で、その真上に 重なるように現在の名高速道路。この地図 とっても分かりやすいですね。で、今いる のが山市の後、この場所。ここからもう 少し西の方へ行きまして不節の方へと進ん でいくことになります。 おいしか山しなのその 隠れ側も なしき鳥の神びて立つはみの 稲山はいこの歌詞に出てきた大石吉尾と いうのは大石倉之助のことです。厚労士7 士の リーダー赤班の大人 様麻の匠の神が鉄服を命られた後 、その恨みを持つ長本人で あるキラ付之助への内入りを決意するまで ここ山の地でひっそりと暮らしていたと 言われております。 ちょっと前 まで年末になったらテレビで中心グラの ドラマ、ドラマ時代劇毎年のようにやって たんですけど最近見ないですね。なんか そのせいか 中信ぐラアコ老師の話を知らない世代が 増えてきてるようにも感じます 。で、そのかつて大石ク之助がひっそり 暮らしていたと言われる住カがどうやら この向こうの方にあるみたいなんですが、 今は大石神社としてま、られているような んですが、行こうと思ったんですけど、 ちょっとア肉の雨なんで寄り道せずにもう このまま節身の方へと進んでいくことにし ます 。で、この撮影をした日は雨のために大石 神社へ行くのは断念したんですが、後日 改めて行ってみました。え、写真だけに なりますがご覧ください。 え、ここまで名速道路と共にかつての 東海道線の後を歩んできましたが、そこで 名高速道路とはお別れすることになります 。この辺りから一旦南へフランダーと 向かっていくこのサービス。これがかつて 東海道線が敷いてあったバスです 。で、大津から大阪山、稲山と2つの南を 迂してきまして、え、ようやく目の前には 京都市節区の街並が見えるようになってき ました。で、今はご覧のようにごく普通の 住宅街の路地と見えるこの道ですが、え、 おそらくかつてはここに東海道線の線路が 敷いてあったものと思われます。ご覧の ようにこう緩やかなカーブを描くこの曲線 。それが鉄道の配線後によく見られる特徴 ですね 。はい。そしてついにJR7000に合流 しました 。で、この辺りからはJR線が走っている ところ、かつての東海道線が走っていまし た。かつての東海道線の配線後、その一部 を利用する形で奈良線が敷かれたという 経緯もあります 。で、そこの奈良線、JR奈良線なんです けど、ま、奈良駅と京都駅との間で運行し てるんですが、このJR奈良線という路線 自体、え、奈良駅より2つ京都よりの傷駅 が起点になってて、で、終点が京都駅と いうことになってるんですが、で、その 奈良線の起点となっている傷駅というのは 京都府の傷川市にありまして、奈良線と いうのは傷駅から京都駅までもう京都府内 だけで完結している奈良線とついてますが 奈良県には一切踏み入れてないそんな路線 となっております。以上奈良線に関する豆 知識でした。はい。え、今来たルート 振り返てるんですけれども、 大体あの辺りぐらい でかつての東海道線のルートと現在の奈良 線のルートとが合流しました。そしてここ から先 はこの現在の奈良線に沿って協艇駅まで 進んでいくことになります 。はい。そしてついに稲駅まで歩いてこれ ました 。はい、ご覧のように節見稲の最寄れ駅。 この三道の表玄関となって いるそんな稲駅。ここにかつての東海道線 の名残りが実は残っております。今通り 過ぎました。 これランプ小屋です 。旧東海道本線と書かれております。え、 このランプ越って何なのかと言いますと、 ま、昔の鉄道は今のような電気の照明では なくて、木を灯すランプ、それが車内のあ 、照明、車内の明りとして使用されており ました。その燃料を保管しておく燃料庫。 これがランプ小屋と呼ばれるこういった 建物で日本にもいくつか残ってるようなん ですが、このレガ作りのもの稲駅にある。 これが日本最古の現存するランプ小屋と なっております 。詳しいことはこちらをご覧ください。 必要に応じて一時停止してご覧ください 。で、現在はもうランプなんて使わなく なりましたので、その燃料なん、その燃料 も当然必要ありませんから、ここは普通の 倉庫として使われているようです 。はい。で、そして改めてこちらが節見 稲代謝の三道入り口 。外国人のお客さんも多いですね。 鉄道にも歌われている赤い鳥。そしてその奥に見の稲山。 [音楽] この稲山があるがために初手での東海道線は迂をよ儀なくされていました。はい、ではここから奈良せの列車に乗って京都駅ラストスパート向かいたいと思います。 [音楽] [音楽] [音楽] いるご乗車ありがとうございました。まも なく終点 京都大町方です。 線 2条佐賀荒山亀岡方面と3特急 春川新幹線 近鉄線を左にまれは常京都京都と呼びつるの声もし [音楽] [音楽] はいつに京都駅到着しまし から東海道線の戦後節見までおよそ5 時間歩きましてそこから JR奈良線で京都駅までやってきました。え、で、先ほど鉄道 46 番の歌市にあった七場ステーション、え、これは京都駅のことです。 え、日本に鉄道が開業した明治の初期 まだ江戸時代の宿制度の名残りがありまして、当時駅といえば宿、つまり宿町のことだったんです。そして今でいう駅は当時は停車場あるいはステーションと呼ばれておりました。ま、一部の地域関西特に大阪ではステン書っていう人もいたらしいです。 で、そして京都といえば、え、5所から南 へ行くに従って1条、2条と数字が増えて いくのは皆さんご存知の通りで、で、京都 駅が7条と8条との間に建設されたんです が、え、当時の七条通りというのが、え、 京都の市街地の南の端っこだったという こともありまして、当時の京都駅は七場 ステーションという通称で呼ばれていた らしいです 。 そして現在の京都駅1997 年に立てられた4 代目の駅舎となっておりますが、え、ホームには今なお 100 年近く前のもの、2 代目の駅舎の頃に作られた屋根、その飾りが今なお残されております。これもかつての東海道線の名残りと言えるもの 1つです。 はい、ということで、え、今回は100 年以上前の東海道同線が走っていたルート、その急戦後を辿って大津から京都までやってくるという動画をお届けしました。最後までお付き合いありがとうございました。 吸い込まれる。 [音楽]

1921年まで使われていた旧東海道線 大津~京都間
その廃線跡を辿って歩いてみた。
大部分が名神高速道路の建設用地に転用されてしまいましたが、
所々に、当時の遺構や名残を見ることができました。

1:56 膳所~大津
6:07 旧逢坂山トンネル東口
11:50 旧逢坂山トンネル西口
20:18 旧大塚信号所の遺構
23:49 旧山科駅跡
28:17 東海道線の旧線跡を転用して建設されたJR奈良線
29:57 JR稲荷駅に残っている遺構「ランプ小屋」
33:02 JR京都駅

【BGM/効果音 引用元】
フリーBGM・音楽素材MusMus
https://musmus.main.jp
音楽研究所
https://www.mu-tech.org/Traditional/index.html
#鉄道 #廃線 #ホンマミーア

6 Comments

  1. 東海道線 大津~京都間(旧線)が開業した年
    映像の中で誤って「1980年」と繰り返し言っていますが、
    正しくは「1880年」です

  2. 雨の中お疲れさまでした(;^ω^)大体のルート走っていたつもりでしたが、深草のあたりが意外なルートでした!。奈良線も桃山から北は、近鉄京都線のルートで走っていたとか?(;・∀・)この辺りは、廃線の宝庫です。

  3. 最近ウォーキングにはまっている私には羨まし過ぎる動画であり、勉強になりました。
    企画95点
    構成90点
    行動力98点
    感動88点

    歌唱力?点

    総合得点

    20点!!

    歌唱力の減点響きました、………。

  4. 天候の悪い中、歩いてていねいに作られたサンセット瀬戸さんご苦労様でした。
    この動画の地区は、旧東海道線跡、旧東海道(歩く道)、
    京阪山科駅から三条駅の旧線跡などなど、楽しいところがいっぱい!
    私も名幾度かに分けて歩いたことがありますが、この動画に触発された皆さんも
    ぜひ歩いてみて下さい。

  5. 逢坂山トンネル西口出口は埋没18メートルなら今なら遺せるんじゃないかと思う。名神高速道路開通当時は無理でも今なら観光資源として再現掘削して欲しい。

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