【駅前が廃墟化】中心市街地なのに買い物できない街…昭和のままのレトロな街並みを歩く

今回は兵庫県高さ市にある山陽伝鉄高さ駅 にやってきました。特急列車も全て停車 する高さの代表的な駅となっています。 ところがなんと駅から徒歩30分以内に スーパーがありません。駅前にあった大型 商業施設が閉店してしまい廃墟化している というのです。この町は一体どうなって いるのでしょうか?山陽伝鉄の各駅には その町の特徴を表した千流付きの駅名票が 設置されているのですが、高さ駅のは堀川 のレトロな街並懐かしい。まさか山陽伝鉄 さんもレトロをご用押ししてくるとは。 この高さ号昔はすごく活気のある町だった そうですが近年は勢いを失い昭和のまま 止まったかのような光景が残されているの です。今回はそんなレトロな街並を見て いきながらこの町の発展から水体までを 紐解いていきましょう。高さ市は兵庫県の 張参りや過川市と姫市の間にある町で約 8万4000人が暮らしています。兵庫県 の瀬戸内会側には神戸明姫路山崎西宮足屋 といった全国的にも致名度が高いスタート 市が集まる中この高さ越市はやや地味な 存在というかローカルな印象です。市の 北部にはJR神戸線が通っていて方電駅の 2駅がありますがいずれも新快速は止まり ません。中心市街地は南部の山陽伝鉄沿線 でこの高さ駅が市の代表駅となっています 。改札の外に出てきました。市を代表する 主要駅にしては個人マりとした駅舎です。 山陽伝鉄は古いままの駅が多い印象ですね 。一応なんちゃって駅みたいな建物があり 、最近どこでもよく見るチョコザップが 入っていました。駅前の様子を見てみると 早速目の前にレトロな雰囲気の商店街が 現れます。3階建ての商店がずらりと並び 、居酒屋やラーメンやお好み焼き屋などの ラインナップ。上部には今はやってないで あろう店の古い看板が残されていました。 高さ後のごト地といえば肉天薄く伸ばした 生地に味付けしたじがいもや筋肉などが 入ったコ粉ナも料理です。駅前ロータリー にはようこそ結びの街高さ。こっちの正面 から見ると文字が読めないタイプの柵には ブライザルト高さと書いてあります。高さ 師は結婚式で歌われる高さやこの裏船2方 を上げてで始まる要局高さご発症の地とし て知られそれにちんでブライダルトを キャッチコピーにしているようです。 こちらは駅前商店街を裏から見た光景裏は 駐輪場になっていますが自然にカーブした 細長い空間が続いています。勘のいい方は もうお気づきでしょう。これは配線アート 。今は高さ市街には指鉄の山陽伝鉄でしか 行けませんが、かつては国鉄高さ線が加川 駅から分岐して乗り入れていました。 ちょうどこの駐輪場のところに高さ北口駅 があり、山陽伝鉄との乗り換え駅となって いたのです。高さ北口という駅名から 分かるように本来の中心市街地はここから もう少し南寄りの場所でそこに国鉄高さご 駅がありました。その後地を目指して歩い てみましょう。駅前から1本南の通りに 入ると何やら大きな商業施設らき建物が 見えてきました。サンモールという商業 施設のようです。ところが夜けに寂しい 雰囲気、買い物客の気配が全く感じられ ません。近づいてみるとバリケードで塞が れているではありませんか 。この商業 施設に完全閉店して以来廃墟化しているの です 。0.5も一応人が集まる場として使用さ れているようで、昨年には斎藤知事がこの 広場で演説を行い、大勢の監修で賑わった ようです。止まったままのエスカレーター が残されています。乗り口は特に変鎖され ていないようですが、不法侵入対策は 大丈夫なんでしょうか?2回部分はさすが に閉鎖されているようです。電話ボックス が顕在でした。今も使えるかどうかは 分かりません。シャッターには謎の イラストが描かれています。ワンモールの オリジナルキャラクターでしょうか。ここ にはチャリが数放置されていました。関係 者のものかもしれませんが 、左側にも絶対何かあっただろうっていう さらちが広がっています。かつてはこっち にも商業刀があったようです。ストリート ビューで営業していた当時の様子を見る ことができました。左右の塔が歩道鏡で 繋がっていたようです。2回部分をよく 見るとバリケードで蓋をされた部分があり ますが、これが歩道鏡の後ですね。マップ を発見。商業灯は3階建てで西間、東間、 南間に分れていたことが確認できます。 スーパーの声優を各店舗としてその他多く の専門店が入居していました。 ケンタッキーやロッテリアもあったよう です。錆びまくった消化線が残っていまし た 。サンさゴは1976年昭和51年に三菱 倉庫により開用建物自体はその2年前に 完成したようです。声優と55の専門点が 入居し、日本では珍しいオープンモール 形式の商業施設でした。オープンモールと は店舗を結ぶ通路が屋外にあるタイプの 商業施設のことで2回部分を見ればその 特徴がよくわかります。70年代に開業し た施設にしてはされた外観だと感じます。 開業当初は高さのみならず、過去川市や 姫路市からも大勢の買い物客が訪れ、週末 には駐車場に入ることが困難なほど混雑し たそうです。当時は若者や家族連れで 賑わう最先端のショッピングスポットだっ たのでしょう。しかし近隣に競合店舗が 増えると売上が落ち込み2012年に再期 を図ってリニューアルを行いましたがそれ でも集客は伸びず核店舗の声優が年間約 1億円の赤字を出しているとして2015 年に閉店その後も専門店だけで営業を継続 したものの2017年に対震強度の問題に より完全閉店となりました。3等った商業 灯のうち東間と南間は解体され、この西間 だけが廃墟化して残されています。西間 だけ解体されない理由はマンションが併設 されているためでしょう。この高さ配津は 現在も入居募集していてLDKの部屋が 5.9万円で借りられるようです。声優の 撤退以来なんと高さ駅周辺にはスーパーが 一軒もありません。駅から最寄りの スーパーの4高さ店まで2.3km徒歩 32分もかかります。周辺地域は65歳 以上の高齢者率が30%を超えているため 買い物難民が発生しているそうです。 まるで田舎の限界集落みたいな話ですが ここは人口8万人都市の中心市街地です。 今では駅から離れたロードサイドの方が 活気があるので旧市街と言うべきかもしれ ません。今後高さ駅の効果家と合わせて3 モール後地の再開発が計画されていますが 具体的な時期はまだ発表されていません。 だいぶ先の話になるかと思われます。駐車 場の後地には3モールのゲートが残されて いました。今はタイムズの有料駐車場とし て活用されているようです 。道路を挟んで向いには高さ市を代表する 企業三菱政治の向場があります。3モール の土地も元々は三菱政治の時吉地だった ようです。今度は南側に回ってみると3 モールのロゴのオブジェが顕在でした。 ここにあった南間は解体されてさらち と溶かしています。 3モールからさらに南へ進むと古そうな コンクリートの建物が現れました。こちら は梅ガ遊という昔ながらの戦頭1943年 開業の年代物で今なお現役で営業してい ます。正面からの外観もかなりレトロです が裏側がもっとやばいようなので回ってみ ましょう。側面はレガ作りになっています 。レガは長い面だけの列と短い面だけの列 が交互に積まれたイギリス済みのようです 。 そして裏から見た様子がこちら。なんじゃ こりゃ。現れたのは木造建築に途端の屋根 とレガの煙突が融合したあまりにも インパクトが強すぎる建物。まるでジムリ の世界にでも迷い込んだかのようです。何 度も増海を繰り返したことによりこんな カオスな状態になったのだと言います。 この目の前の道が国鉄高さご線の配線後で かつては蒸気機関車が走っていました。 煙突にへりついている山3部分は物干じ台 で蒸気機関車の煙から洗濯物を守るために 高い位置に増築されたそうです。配線跡を 進んでいくとロータリーに突き当たりまし た。まさにこの場所が国鉄高さ駅の後、 上込みの中央には車輪のモニュメントが 設置されています。高さ線は1913年 大正2年に施鉄の晩収鉄道により開業後に 国有化されました。周辺の工場への貨物 輸送で活躍しましたが、一方で旅客列車の 本数は少なく、晩年は2時間に1本程度 だったようです。貨物の需要がなくなると 利用者が少ないため1984年12月1日 を持って廃止されました。配線後はバス 路線に移行し、このロータリーもバスの 展開のために設けられたものですが、その バス線も2020年に休止しています。 一応LRTとして復活する構想があるよう ですが、今のところ大きな動きはなく、 実現の可能性は低いと思います。 ちょうどロータリーの目の前から 激エモナーアーケードが伸びています。昔 は駅前商店街だったわけですが、肝心の駅 がなくなってしまいました。名前は銀座 商店街。昭和の頃に東京の銀座にあかって 全国にまるまる銀座を名乗る商店街が爆端 しましたが、ここもそのうちの1つのよう です。レオンは今でも光るんですかね? 上部の丸い部分には元々ロゴか何かがはめ られていたのでしょうか ?商店街に入ってみると人通りは少なく 寂しい雰囲気でした。しかしは高さ後の メインストリートとしてとても活気のある 場所だったそうです 。商店街の中に唐突に木造の小民家が現れ たりとかなり昔から町があったことが伺え ます。50円自販機がありました。 西なり並みに安いです。商店街では同様が流れていてノスタルジーを引き立ててくれます。途中です町センターなる変わった名前の商店街が分岐、こっちはより一層レトロな雰囲気が漂います。この建物は丸窓がおしゃれ屋さんだったようですが、もう営業していないようです。 ジ助町センターを進んでみましょう。なん でもこの辺りは江戸時代には夕格や茶屋で 賑わう花町だったそうで次町という地名は 女老が次郎に転下したものだとかそんなに 昔から栄えていた場所だったんですね。 昭和30年代くらいまでハ火街として賑い があったそうですが今では営業しているお 店もほとんど見当たりません 。時が止まったかのようなレトロ看板が そこら中に見られます。こちらはなんと 電話番号が2桁一体いつのでしょうか? 大分県の文庫高田みたいに昭和の街並を 売りにして観光地下してもいいんじゃない かと感じるくらいレトロな光景が残されて います。反対側の入り口もエモエモの絵も いつの間にか高さごセンター街に名前が 変わっていたようです。三宮センター街的 な感じで昔は活気があったことが想像でき ます。古そうな酒自販機を発見。免許症 認証装置がついていますが、今でも使える のでしょうか。銀座商店街に戻り東へ進ん でみましょう。昔ながらの模型店が顕在 でした。ミニ4区が人気みたいです。訪れ たのはお昼時ですが、やっぱり全体的に シャッターが目立ちます。3モールができ てからは買い物客がそちらに流れてしまっ たのでしょう。その3モールも今では廃墟 化しているわけですが 、アーケードを抜けると本町通りと呼ば れる目抜き通りに突き当たりました。この 道路沿いも本町商店街という商店街になっ ています。本町の地名からも古くから町の 中心だったことが分かります。こちらは アーケードこそありませんがレトロな ゲートが顕在ブライダルトのキャッチ コピーと高さご師匠が堂々と掲げられてい ます。こちらは知る人知る格安ショップ 大西事務発症の 地元1655年創業だそうです。そんな 時代にパソコンなんてあったの?当然 そんなわけなく元々は雑貨賞だったそう です。看板にはワロやフロッピーディスク といった過去の異物が描かれていました。 この重厚な建物は旧高さご銀行本店 1932年地区の鉄勤コンクリート像で 地方銀行にしては立派な建物です。現在は 高さ商会議所として使用されています。 本町通りから東の脇道に入ると今度は昭和 どころではないもっと古い街並が現れまし た。この辺りは江戸時代の街並が色国残る エリアで兵庫県の歴史的景官形成外区に 指定されています。町のあちこちに登録有 文化剤のプレートが見られます。こちらは マソグラと呼ばれる建物で外産物を納める クとして使われたそうです。その斜め向い にある木造建築は江戸時代の肥料として 栄えた旧花池住宅。こちらも国の登録有 分割となっています。この高さ後の街並が 形成されたのは江戸時代初期当時の姫路班 の池田により港町として整備されました。 ここで高さご周辺の地図を見てみると町の すぐ東側大きな川が流れています。これが 過去川。物流の主役が船だった時代、 過去川が瀬戸内海に注ぐ加工部分に位置 する高さは過去川運と瀬戸内海運の中継地 として栄えました。川から海、海から川へ とバトンタッチをする物資の積み会の場所 として重要な拠点だったわけです。こちら が高さご堀川と呼ばれる江戸時代に整備さ れた運が物流拠点として栄えたおかげを 感じることができます。高さの駅名表に 描かれていたレトロな街並のイラストの 場所はこの辺りですね。かつての高さの町 は四方運河に囲まれていたそうです。古い 町並の一角に石作りの橋の南館が残されて います。ここが埋め立てられた運河の後と いうわけです。港として計画的に整備され た町なので京都みたいに5番の目に 待ち割りされています。先道町という地名 が現れました。かつて先道が集まって住ん でいた場所だそうです。他にも在目町や 農人町など江戸時代の町割りの名残りで 職業名の知名が多く見られます 。そしてこちらがまさに土産げの拠点とし て機能していた船り。現在はここで運河が 行き止まりになっていますが、昔はもう 少し先まで続いていたそうです。その 埋め立てられた場所にはかつての船つき場 の移行が残されています。階段の最上団と 最下団は当時のままだそうです。この 船つきバートの前に立つ一きは立派な木造 建築が江戸時代後期に港の回収や北前船で 使用された松江門法を発明して海運の発展 に貢献した暗く松江門の宅内部も無料で 見学することができます。特徴的なのが面 の外壁で船の排材を使用しているそうです 。この周辺はまるで時代劇のセットのよう な美しい街並道路も石畳で観光地っぽい 感じに整備されています。ところが ストリートビューで2014年の様子を見 てみると道路は普通のアスファルト舗装で 暗く定もボロボロではありませんか?何で も20年ほど秋屋になっていたところを 暗く家が高さに起造したことで頑光拠点と して生まれ変わったそうです 。こちらは明治時代初期に建築されたと いう3年ぐらいお祝いの時に使う食器や お前などを保管していたところで壁の厚さ が30cmもあるそうです。このように 高さ川明治時代くらいまで終の拠点として 栄えましたが、近代化が進むと町の要想は 変化していくことになります。の水体の 大きな原因となったのが鉄道でした。古い 町並からさらに南へ向かうと再び国鉄高さ 線の敗線後に遭遇。このU歩道がそうです ね。予想は先ほど訪問したロータリーの ところの国鉄高さ駅が終点でしたが貨物線 はさらに先の高さまで続いていました。の 万州鉄道として開通したこの路線の当初の 建設目的は過去川集の代替でした。これの 回通により物資輸送の主役が鉄道に変わる と高さは港町としては衰退し工業の町へと 変化していきます。高さ線の敗線後から 南側には巨大な工場軍馬臨海工業地帯の 一角を占め三菱政士金科きなどなだたる大 企業が高さご市内に工場を構えています。 かつては高さ線から各工場に専用が伸びて いました。あの激し部な商店街や梅ガも 工場労働者たちで大いに賑わったと言い ます。しかしモータリゼーションの発達に より鉄道貨物の需要が減ると高さ線も敗線 となり高さの町はそこ時代が止まったかの ようにレトロな街並が残されているのです 。工業地帯から少し市街地に戻ったところ には赤レガ倉庫が立っています。横浜や 函館のようにおしゃれスポット化しておら ず、なんと現役の倉庫として使われている ようです。レガは梅ガユと同じくイギリス 済みですね。こちらの妖感は三菱政治の 工場内に外国人議士の社宅として1904 年明治37年に建築された後現在地に一築 され三菱政治の構成施設として現役で使わ れているそうです。他にもこの町はレトロ 建築の方向で1つ1つ紹介してたら霧りが ありません。さて、ここまで江戸時代以降 の高さ後の歴史を辿どっていきましたが、 もっと前の時代も軽く遡っておきましょう 。ということでやってきたのは高さご神社 。この神社の歴史は古く約1700年前に 神宮攻郷の名で双建されたと伝えられてい ます。有名なのが経済の一角に生えている 相いの松。ポカブとメカブの2本の松が1 つの根から吐いたものでその姿から円結び の象徴として崇められてきました。ゼミ作 と伝えられる要局高さの舞台となり結婚 疲労園で新郎新父が座る高さの由来にも なっています。高さご市もこれにちなんで 1988年からブライダル都市をキャッチ コピーにしています。この酔いの松は5代 目だそうです。他にも経済にはたくさんの 末の木が植えられています。高さは万葉の 時代から白の継承地として知られていまし た。小倉100人一種でも藤原の沖風の歌 で誰をかも知る人にせん高さの松も昔のと もならなくと読まれています。高さご市は 兵庫県の瀬戸内会側の市の中では地味な 存在ですが高さごという言葉自体はよく耳 にするのではないでしょうか。例えば 大相撲に高さ部屋があります。朝小龍石が いたところですね。あれも実はここが由来 で姫路岡士が名称高さの裏にちんだ高さご 裏五頃郎の仕粉を授かったことが始まりだ そうです。よくよく考えれば高さごって何 の口名で普通素直作業とは読みにくいです が多くの人がなぜか簡単に読めてしまう はずです。それはいろんなところでこの地 を依頼にしたものが登場し日本人の心に 高さごという言葉が刻み込まれているから ではないでしょうか。まあ、関東県では 形成高さ後の存在が大きいかもしれません が、それはそれということで、そんな風港 名な継承地も今ではマ海工業地帯に飲まれ てほとんど姿を消じました。以前に 取り上げた大阪の高野浜と同じような感じ ですね。それでも運河の対岸には松林が 広がっているエリアが見えます。あそこは 高さ海浜公園。海岸の埋め立てでかつての 地形とは変わっていますが、高さ後の元 風景形が感じられるスポットで日本の白作 性百線にも選ばれています。ということで 今回は兵庫県高さ市のレトロな街並を散索 しました。江戸から昭和までいろんな時代 のレトロ建築がカオスに混在し、タイム スリップしたような気分が味わえるので皆 さんも言ってみてはいかがでしょうか。 最後に一応補足しておくと高さ市全体が 昭和で止まっているわけではなく、駅から 離れた感染道路沿いにはイオンがあったり とちゃんと賑やかな場所もあります。時代 の変化で人が集まる場所が変わったわけ ですね。それに駅周辺も再開発の計画は あるので活期が戻ってくることを期待し ましょう。ご視聴ありがとうございました 。 カ

兵庫県の播磨地域にある人口約8万人の街「高砂市」。
市代表駅の山陽電鉄「高砂駅」は特急も停車する主要駅なのに、駅から徒歩30分以内にスーパーがない?
廃墟化した商業施設と、かつて港町として繁栄したレトロな街並みを散策!

【天の声】
A.I.VOICE 結月ゆかり

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#兵庫県 #廃墟 #昭和レトロ

46 Comments

  1. 国鉄高砂線の駅もすべて昭和39年には駅員無配置駅(=無人駅)になったからね
    乗車券は車内か下車駅で精算だったわけだ
    ただし貨物運転要員だけは配置されていた

  2. 素敵な銭湯の建物
    寂びれてしまったアーケード街
    江戸期を色濃く残す町並み
    紹介ありがとう🎉🎉🎉
    今度行ってみます

  3. この辺、万灯祭になるとこの廃れ具合が嘘かのように人で溢れかえるで……
    銀座商店街がマジの銀座になる

  4. 思い切り私の地元です。昔の高砂よく知ってる者から言わせれば平成入る頃までは高砂駅周辺は賑やかでしたよ。買い物行くならサンモールでした。芸能人も来たぐらいの賑やかさは遠い昔のように感じます。ゲーセンもありましたね。私は高砂でも北部の米田町に住んでました。この地域は昔はほんま何もなく長閑な場所でしたが平成に入りイオンをはじめ色んなスーパーや商業施設が次々とオープンしてしまい。客足も米田町に行ってしまい高砂町はさびれてしまいました。銀座商店街の模型店は男子の溜まり場で私も米田から高砂までチャリ飛ばしてミニ四駆買いによく行きました。あと高砂駅前にゲーム屋もあってスーファミ全盛期のころよくカセット買いに行ったなぁ。と最後は45のおっさんの昔話でした

  5. こういう廃墟化したショッピングモールを見るとなんか物悲しくなるなぁ

    仮にも梅田まで乗り換えなしで行ける駅なのに近所のスーパーまで徒歩30分もかかるのか

    近所にスーパーがある地元がめっちゃ恵まれてるんだなと再認識出来た

  6. 隣町の加古川出身です。高砂のサンモールには40年以上前毎週高砂線や山電に乗ってスイミングに通っていました。当時は確かに活気があり、少ない小遣いを握りしめてガンプラを購入したりしていました。7:00の三菱製紙からサンモールの敷地内の引き込み線を一旦通って高砂駅へ回送され、高砂線にてDD13に牽引され出荷されていく貨物列車が最後まで残っていました。

  7. 時代が悪かったんだけど、高砂線と別府鉄道は路面電車に転換してたら化けただろうになと思う。

  8. 高砂はホンマにもったいないと思いますね。もう少し自治体が頑張っていれば、都市規模も駅前も三田や芦屋のレベルにできたのでは。

  9. 大学教授がよく高砂と三田を規模含めて似た都市としてた。
    市内総生産がどちらも人口の割に大きくて、大きな都市のベッドタウン要素もそれなりに強く、昔からそれなりに栄えてた歴史がある点など共通点もありなるほどなとこの動画を見て感じる。
    三田も駅前商店街はボロボロだが、関学や工場があるからか居酒屋街としてなんとかなってたり再開発で綺麗になってる最中な分見た目的には加古川に近い状態だが、高砂も企業立地が多い分金はある市だと思うので再開発次第ではこの中心市街地もまだどうとでもなりそう。

  10. 梅ヶ枝湯、これはすごい。
    白黒にしたらいつの写真か全く分からなさそうですね。

  11. 同じ兵庫県民ですが、高砂市は縁もゆかりも無い場所です。
    この地域を別のYouTuberで恐縮💦ですが、昭和レトロ探訪さんが題材にしたら、どうなるのか興味あるなぁ😅

  12. 高砂市内の荒井地区に伯母が住んでいるので、割と高砂市内に行く機会がありました。
    サンモールに一番最後に行った時はロッテリアが辛うじて生きていた記憶はあったけど。。本当に完全廃墟になってたのは驚きでした。

    レトロな街並みは情緒溢れる感じではあるんですが、山陽の高砂駅周辺って本当にお店が少ないからこの周辺どうやってお買い物行ってるんだろうと思ったら。。やっぱりかなり浜手のイオンしかないよね。。苦笑

    山陽の駅を高架化する需要があるのかは分からないですが、海浜公園も小さい頃に遊びに行って楽しいところであるので、また栄えてほしいなと願うばかりです。

    下村の焼きアナゴのお店、めっちゃ美味しいのですぐ売り切れちゃいます(隣の加古川市にもお店があります)。にくてん以外にもおすすめグルメですよー。

  13. 高砂は第三次産業の割合が驚くほど低いです
    その代わり市民税と上下水道料金が安いので色々助かっています
    ドラッグストアが増えたので買い物環境が少し改善しました

  14. ミニコープみたいなミニスーパーなら採算合わないのかね、会社帰りにちょっと買い物需要有ると思うけどな~

  15. 観光地にできそうなポテンシャルがあるのに活かしきれていない・・・

  16. 約三十年ほど前に高砂の高校に在学していました。
    高砂駅周辺衰退の最大の原因は西友の撤退が一番大きいと思います。
    ちょうど私が高校生の時にイオン(当時ジャスコ)が出来ましたが距離も離れていたので競合店ではありませんでした。
    高砂駅は今や三菱製紙と周辺の2つの高校でなんとかなってると感じます。
    利用客数で言えば隣の荒井駅の方が三菱重工や神戸製鋼所などがあり、そちらの方が多いような気がします。
    高砂沿岸部は祭り文化が色濃く、永住するには人を選ぶ所と、大学が近隣になく街を出る若者が多いのも高齢化に拍車をかけ廃れる要因だと個人的には思います。

  17. 専らJRだったので、高砂といえば宝殿、曽根でした。この2つの並びがくると、そろそろ祖父母の住む姫路が近いんだな、という小学生時代の懐かしい思い出が蘇りました。通過駅でした、すみません。

  18. 最近はレトロな街なみを見に観光客もけっこう来ると。もう少し向島公園が近ければと思いますが…土休日のみ高砂駅から向島公園までの無料往復バス(小型の)運行すれば?核になる観光施設がないからな。

  19. 高砂駅より宝殿駅周辺のほうが栄えてる
    だが宝殿駅は加古川市と跨っている

  20. 山陽電鉄は駅数が多くて速度も遅い。
    ついでに言うと料金も高いのが大いなる欠点。
    神戸・大阪方面への通勤通学は、多少遠くてもJRの方が速いから
    高砂駅自体も特急停車駅の割にはパッとしないんですよね・・

  21. 近代以前に栄えていた町とは知らなかった。小さいけど工場が多い町というイメージ。

  22. 何十年と住んでましたが、山電の駅がある市の南側には殆ど行ったことないので動画で色々知りました

  23. 山陽高砂・新井を基準に

    高砂市の国道沿いにイオン
    両サイドの川をわたってマルアイ
    南西は工場街

    この状況下では厳しいですねぇ

    県道45号南端の工場私有地にイオンがきてれいば・・・。

  24. 高砂は源氏物語にも出てきますよね。それだけ歴史があって有名な街。ただ交通の便がよくなればなるほど、買い物客は姫路や明石に流れる。また加古川に新快速が停まるようになってその傾向は顕著になった。どこの街も同じだとは思いますが駅前より郊外の大規模スーパーに人は集まりますね。

  25. まさかサンモールが廃墟化しているとは
    サンモールのスイミング通っていたな〜
    スイミングの後にロッテリア買ってもらうのが好きでした
    ホットドック屋もあった記憶があります
    田中屋模型店父親に連れて行って貰ってました
    鉄道模型を見たりミニ四駆で遊んだり戦闘機のプラモデルを買ってもらったり良い思い出です
    高砂駅近くの高砂食品というパン屋の揚げパンを高砂市民プールで良く食べましたね

  26. 関東人なので高砂と聞くと都内の京成高砂駅を思い浮かべますが、兵庫県の町なのですね。
    市街地の衰退は寂しい一方、歴史的建造物がいくつか残っているようで、興味が湧いてきました。
    西日本へ行く際には是非、高砂市を訪れようと思います。

  27. 高砂に親戚がいるのですが、昭和時代は田植えをさせられ、平成はじめは田んぼだらけだった場所だったのが、イオンが近くにできたからか、田んぼだったところは、いっぱい小さな家が建ち、30年ほどの間に親戚の家の周辺は様変わりしていました。そちらに人が移ってしまったのかもしれませんね…

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