伊邪那美命の聖地 Pt.4 ( 三井野原 / 稚児ケ池神社 2022-10-28 )
2022年秋に稚児ケ池神社(ちごがいけ神社)にお詣りしました。稚児ケ池神社は奥出雲のオロチループと三井野原駅の間に鎮座する小さな社です。ここにも比婆山から続く伊邪那美信仰の神話が伝わります。お詣りした時に草刈りをされてる方とお話させていただきましたが近年は池はかれている事が多いが今日は水が溜まっており珍しいと言われておりました。神様に歓迎されたと勝手に感謝したしだいです(笑) かつては大きな池であり、このほとりに伊邪那美命が産屋を建ててお産をした。涸れることのない池であったので、その水を持ち帰って雨乞いがおこなわれた。大山や宍道湖とも繋がっており、大蛇が行き来していたと伝えられてるそうです。 主祭神の名前は不明ですが水の神様として信仰されているようです。(神社由来を見ると主祭神は須佐之男命かもしれません。)伊邪那美命の情報に関しては 南々社から庄原市が出版された著書「日本誕生の女神」が内容が濃く愛読書になっています。
島根県仁多郡奥出雲町八川
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著書「日本誕生の女神」より
「三井野原に伝わる神々の物語」
比婆山連峰の北東にある三 二井野原には、斐伊川の源流の一つの室原川が流れ、現在は島根県仁多郡奥出雲町八川に属している。しかし昭和28年(1953)まで、この地は広島県比婆郡八鉾村であった。つまり、元は備後国であった。三井野原から北側は、JR西日本 木次線のスイッチバックがあるほど急峻天然の要害であり、国境でもあった。オオクニヌシノミコトが兄神たち「八十神」に対して城を築いたとされる伝説が三国山(『出雲国風土記』にいう室原山)に残り、スサノオノミコトの「御室」の地とも伝わっている。さらに、イザナミが御子神たちの産湯を使ったといわれる「稚児ヶ池」伝わっている。現在は埋め立てられて小さな井戸となっているが、かつて「大雨溢れず大旱枯れず」と称えられた。至高の泉の在りか、「御井」の原なのである。現在、JR西日本 木次線出 雲坂根駅の愛称が「天真名井」、三井野原駅が「高天原」とされているのも非常に興味深い。ここから南は、御陵への四つの参詣路のうち、出雲東部・伯耆からの登拝ルート「六ノ原口」に通じる。また、西へ尾根伝いに進んでも御陵へ至る。その経路に伝説が残っている。「ジャバミ山」は、イザナミに仕える神・泣沢女(なきさわめ)が、 稚児ヶ池での洗濯の帰路に毒蛇の難に遭った場所と伝わっている。また、ある時、泣沢女が狼の群れに襲われた。イザナミは、狼たちが隠れられるような「ゴトゴトマキ」(ナラガシワのこと)の茂みがあるからだと激怒し、それ以来、御陵周辺にはゴトゴトマキが生育しなくなったと伝わる。御陵から三井野原へ下り、東側へ尾根伝いに進めば、船通山へ至る。難敵からの防御性が高いこのルートは、まさに神々の通い路であり、日本神話揺籃の地にふさわしい。遥か昔から人々は、イザナミ、イザナキ、スサノオ、オオクニヌシたちの息吹を肌身に感じて神々の物語を紡ぎ出し、語り伝え、神楽を舞い、神々と共に暮らしてきたのである。(新田成美、稲村秀介)
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