伊邪那美命の聖地 Pt.3 ( 岩坂陵墓参考地と剱神社2020-10-31 )
松江市八雲町には「神納峠(かんのう峠)」があります。神納峠は「男神イザナギを追った女神イザナミが、みずから魂をこの地に納めたところであるので神納という」と記されたとの伝承が残っています。神納峠を南に少し下った場所に宮内庁管轄の 伊邪那美の御陵「岩坂陵墓参考地」があります。全国にイザナミの墓所とされる地は数10カ所あるが、宮内庁曰くこの岩坂陵墓参考地はもっとも有力な候補地としている(私は諸説あるのであえて断言はしません)そして「岩坂陵墓参考地」から500mほど離れた「剱山(つるぎやま)」の頂上には「剱神社(つるぎ神社)」が鎮座しています。剱神社は男神イザナギノミコトが黄泉の国から剣を抜き打ち振ってこの地まで逃れたという伝承が残っています。 伝承によると神社本殿南側斜面の山中には黄泉坂への穴があり 入った人は帰ってこないと言われています。現在その「黄泉の穴」が実在するとの情報は探しても出てきません。 剱山はかつて意宇川の流路を阻んだ山であった為に水害が発生した地域です。意宇川の水害工事(切り通し)が1650年頃に施行されているため重要な遺跡が取り崩されてしまい残ってないのかもしれませんね。
岩坂陵墓参考地の情報
http://furusato.sanin.jp/p/mysterious/matsue/9/
島根県松江市八雲町日吉
https://maps.app.goo.gl/TFdS27LsHr1Eo68b6
『古事記』によると、国生みを成し遂げた男神イザナギは、亡くなってしまった最愛の妻、女神イザナミを泣きながら出雲国と伯耆国の境にある比婆山に葬ったとある。この比婆山とは何処なのか? 日本の根源をなしたともいえる国生みの女神イザナミの墓所は一体どこにあるのか?明治33年、宮内庁は神話に暗示された比婆山について大規模な調査を行った。その結果、岩坂陵墓参考地が特定されたのだ。全国にイザナミの墓所とされる地は数10カ所あるが、ここ岩坂陵墓参考地はもっとも有力な候補地とされている。出雲地方の地誌で享保2年(1717)にまとめられた『雲陽誌』によると、「神納山は剱山から500メートルほど離れており、男神イザナギを追った女神イザナミが、みずから魂をこの地に納めたところであるので神納という」と記されている。神納峠という地名にも隠された意味があったのだ。剱山とは、岩坂陵墓からほど近い山で、その名は男神イザナギが黄泉の国から剣を打ち振いながら逃げ帰ったことに由来するらしい。頂上には剱山神社も祀られている。小さな神社だが、こちらも少々異様な空気が漂っている。隠されると隠されるほど知りたくなるのが人の常。岩坂陵墓には、まだ一般に明かされていない重大な秘密が隠されているに違いない。
「剱神社について参道案板より」
神話に女神イザナミノミコトを失った男神イザナギノミコトは、亡くなった女神をあきらめきれず黄泉の国まで行ったが、 そのみにくい姿を見て逃げ帰る道中、黄泉の国の軍勢に追われた男神イザナギノミコトは剣を抜き打ち振って、この地まで逃れたという言い伝えがあります。
鳥居から百五十段の石段を上がるとイザナミノミコトと他五柱神(大山祇命・中山祇命 麓山祗命・正勝山祗命籠山祇命)を祀った神殿があり、 神殿屋根にある千木先端の切り方が前後、 異なる形のたいへん珍しい社です。 (男神は先端が天に向かい、女神は先端が大地と平行になっています。 この神殿の千木については、前は男神、後ろは女神のものになっています。)また、日本書紀の完成に協力した舎人親王 (トネリシンノウ)を祀る藤森神社も境内にあり学問の神様として地元に親しまれています。
主祭神:伊弉冊命・大山祇命・中山祇命
麓山祇命・正勝山祇命・籬山祇命
尚、詔門社は現在、熊野大社の境内社として合祀されています
(神祇官社 40番 詔門社 能利刀神社)
松江市八雲町
https://maps.app.goo.gl/JSMYrqUuPypW3wsZA
その他情報
http://www.komainu.org/simane/matuesi/turugi/turugi.html
岩坂陵墓参考地の本動画
剱神社の本動画
剱山の切り通し工事の歴史
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