崩壊中の下渕マーケット(廃墟化した下渕商店街)&お婆ちゃんの話(字幕ON・奈良県大淀町下市のマニアック散歩その3)
奈良県大淀町の下市地区、激渋マイナー散歩の3回目、 今回はメインディッシュ映像でもあります。 既にご紹介した、駅前の寂れた商店街を吉野川方向に進むと、 交通量の多い交差点に突如として現れる、戦後の闇市起源のボロボロ状態の 崩壊アーケード商店街、下渕マーケットでございます。 大淀町は奈良県のちょうど真ん中あたりに位置しますが、吉野熊野国立公園の入口にあたる山間部。 平成10年前後の2万人の人口が、急ピッチで減少、直近では 1万5000人強、20年間で2割ほどの人口減少です。中心部の下市口駅付近、 下渕エリアは、車社会にとっては使いづらい土地なので、商店街は急速な過疎化に直面しています。 その中でいち早く、昭和60年(1985年)前後には早々に使われなくなって放置されたのが、 上空から見るとトタンで茶色くなった下渕マーケットです。戦後の闇市起源と言われますが、 出来上がったのは、終戦の昭和20年から少し時代を下って昭和35年、 1960年頃と言われています。トタンはだいぶちぎれ飛んでしまっていて、内部の木材が 剥き出しです。関西テレビの取材によると、地権者は27人。そのほとんどが、今や連絡 不能状態で、民間所有の廃墟をどうにもできない大淀町が、放置を見守っている状況です。 近寄ると想像以上です。手前の駐車場に建築部材が落下して危険だとの要望で、町が設置した した防護幕そのものも、ボロボロになって落下し始めた始末です。口を開けた状態の 2階部分を見てみると、なるほど2階は居住スペースなのですね。昔の商店街らしい作りです。 ああ2段ベッドが置いてあります。 こちらは1階。黒板に何やら金額などが記されたままになっています。1階は商店スペースですね。 裸電球。そして2階に登るのが、昭和初期らしい 急階段。赤玉フトン袋なんていう記載も見えますね。 それではアーケードを歩こうと思いますが、その前に、お隣にこれまた渋い大淀食堂街なる 一角がありましたので、一瞬記録。 ラーメン屋が見えたので食おうと思ったら、全店舗営業していませんでした。 建物は昭和後期から平成初期チックです。とりあえず、物件は綺麗な状態を保って いますけれど、この先と不安ですよね。 大淀食堂街の向こう側には、トタンが吹き飛んでいった下渕マーケットの屋根が見えています。 閉ざされた倉庫があり、その隣、下渕マーケットに潜入です。崩落の危険があるかも しれないのに、その危険を知らせるコーンやポールなどが何もないのに驚きました。 立ち入り禁止になっているかもしれないと思っていたのですが、そんな様子は 全くなくて、出入りが自由でした。一歩足を踏み入れると、懐かしい昭和の雰囲気。 木でできた商店の引き戸。昔はみんなこんな感じだったんですよね。土地や建物の所有権が 何度も変わったりしていて、もはや所有者が生きているのか死んでいるのかさえも 分からないということで、この物件、完全崩壊するまでは、もはやこのままだと思います。 穴が開いたところから中を覗いてみると、着物の女性のポスターと共に、適当に残地された 家具やゴミ袋がありました。その対面、ガラスの扉は閉められた状態でした。 アーケードの突き当たりから振り返りつつ、この物件の過去の航空写真をチェックしてみます。 まずは昭和50年。黄色い丸で囲んだ部分が該当箇所です。L字型に下渕マーケットが存在 しているのが分かります。この10年後には
ほぼほぼ閉鎖です。昭和44年もL字の建物が よく見えます。ここには映してませんが、昭和38年にも確認できます。昭和35年頃に 成立したマーケットのようですからね。じゃあ終戦直後はどうだろうと思って見てみると、 L字型は存在せず、その土地に何があるのか判然としませんでした。青空市場みたいな 状態だったんでしょうかね。角の物件の1階です。酒籠などがたくさん放置してあります。 この物件の2階は居住スペースのようですね。商店街らしい職住一致のお住まいです。 ここで、すぐ近くに住むおばあちゃんの話が聞けたので、音声を入れておきます。 「もうしまってる。多分おれへんと思うよ。」 「だって私らよりみんな上の人やったから」 「私で80なんねん。ここへ来て55年。」 「人おれへんと思うよ。」 「昔は賑やかやったんけどな、ここも」 「えっとな、なんか知らんけど飲み屋さんもあったし」 「持ち主がどないになっとんのかも分からへんしなあ」 完全に崩壊を始めている物件の2階を見て、胸が締めつけられました。 左に子供用の机と椅子が見えます。ハート型の鏡もあります。 小さな女の子の声がするようです。 1階に落下して止まっているベッドも見えます。切ないですね。 「勝手にほら、壊されへんじゃん」 「すごい賑やかやったんやで、私来た時分は。」 「私は鹿児島から来てるけんな」 「いちばんな、海辺。日本地図の端っこ。野間岬。海は綺麗。」 「みんな昔は大阪に来たやん、働きに。」 「昔みんな、田舎の高校に行かんだやー」 「もう15歳、卒業式の次の日、大阪。私なんか出てきたん。」 「来たって女の子は紡績やん。3年おってな、辞めて、 「ほんで道頓堀へ行って、たまたまバーテンダーせえへんかと言われて、」 「それでバーテンダー始めて、女バーテンなんておらん。」 「ほで、なんでここへ来たんだってな。たまたまお父さん来たから、付いて来たんや。」 下渕ブマーケットにまだ人が住んでいるという情報があったので、確かめます。 おばあちゃんの話では人はいないということでしたが、 この蔦に覆われた物件は、下淵マーケットの一部なのでしょうか? だとしたら2世帯ほど暮らしているという事になりますが。 上空から確認してみると、下渕マーケットに北側が接着した状態の、別の物件であることが 分かりました。なるほど、もはや下渕マーケットには人は住んでいない全くの空き 状態であることが確認できました。責任を持って管理してる所有者は現在、たった1人らしいです。 以上、1度この目で見てみたかった、下渕マーケットでございました。 下市エリアの激部動画、次回もお楽しみに。 ご視聴ありがとうございました。
奈良県大淀町の激渋マイナー散歩の3回目の動画です。このエリア必須の地点、戦後闇市起源の木造ボロボロ崩壊中廃墟アーケード商店街、下渕マーケットの現在の映像となります。この場所で、すぐそばに住むお婆ちゃんの話しを交えつつ、内部の様子を細かく観察しています。下渕マーケット(下渕商店街)に隣接する大淀食堂街の姿も。
【今回の5回シリーズのマニアック散歩は以下となります】
●下市口駅前・ヨレテントのアーケード商店街(奈良県大淀町下市のマニアック散歩その1)
●グリーンモジャフラワーショップ(奈良県大淀町下市のマニアック散歩その2)
2 Comments
奈良大和高田の〇〇地区への探訪はいかがですか?他のYouTuberさんとは違う切り口が見られそうです( ´ ▽ ` )
いやー、チャレンジですねー。私は怖くて中に入れません (;^_^A