【沖縄の湧き水】北中城村喜舎場「びんだか―」と村の中心地にある「うふがー」北中役場のすぐ北にある2つの樋川のご紹介
北中スクソンシャビンダガーと ウフカーこんにちは町歩き沖縄です。今回 は北中グスクソンの村場のすぐ北側に 広がる集落。飛車場にある2つの脇水を 訪問してみたいと思います 。場所は北中クソ村役場のすぐ北ですから 分かりやすい位置にあります 。まずはビンタガーから見ていきたいと 思います。 ダカー案内版が出ていますが 、ガードレールに隠れています 。これは見過ごしてしまいそうです 。私も通りすぎてしまい、近くの方に聞い てみてようやく探しらせました。 [音楽] 遠くの景色を見てもらっても分かるように 周辺は高台になっています 。ビンダ川は標行80mほどの場所にあり ます。 [拍手] [音楽] [音楽] 樹脂パレットの小さな橋がかけられてい ます 。なんだか私の体重では穴が飽きそうで 少し怖いです 。大丈夫でした。 ビンダガーはコンパクトなヒーラーですが 、石もしっかりとあっていい感じです 。水もたっぷりと出ているようです 。水も綺麗です。石垣には血類が追いひっ てどのような石組が見えないですが、 なかなか雰囲気があります。 床の岩の隙間から水が吹き出しているので 床が水浸しです。 ビンダガーの説明版があるので読み上げて みたいと思います 。ビンダガー。ビンダガーはいつ頃蓄造さ れたかは不明である。西側にあった 政党小屋にも利用されていた井戸である。 脳半期には周辺住民の伸び光や洗濯などの 生活要水として使用されてい たなどと説明されています [拍手] 。ビンダガーの火流は今も畑になってい ます。 草刈り作業のおじさん 。健康も良くてのどかな感じがいいですね 。バナナの花のツに上には身が鳴ってい ます。これから咲くのか、それともう 終わりなのかよくわかりません。知って いる方教えてください 。下は花のツみ、上は身が鳴っている 。うん。分かりません 。またまた余計なお話をしています。今回 はもう1箇所の脇水のご紹介があります。 先を急ぎましょう。 もう1箇所の脇水は飛車場のウ川でここ から歩いて23分の場所にあって飛車場 地区の中心的脇水となっています。 車場のウ川に到着しました 。こちらは水が湧き出る場所が2箇所あり ます 。そして全体的に石組が昔のまま残されて いて規模が大きなヒーザーとなっています 。沖縄本島の中部地区では最大級の大きさ だと思います。 水源が2箇所あることからヒーザーの形も 独特の形をしています 。ヒージャーの中心に島が作られています 。左手は本来洗い場ですが、今は干渉用に 送られるかが植えられています 。こちらのウフ川は標高76mほどの高さ に位置しています。 シバウ川の説明版。実際のシバウカの イラストが描かれていて分かりやすく 親しみやすい説明です 。ようやくして読み上げてみます。 の造年代は明らかではないが半時代という 説もある 。大正11年に屋根をコンクリートで吹き ました 。第2次対戦後は危険防止と衛星保持の ために前面をコンクリートで覆いました 。ウフ川の敷地には洗濯ガートカー2 異小りがあります。 ウフカーは飲料水などの生活に利用されて 、カーは畑の帰り、手足を洗うために利用 することが決められていました 。水量が豊富で左が続いていても活水する ことはありませんでした 。中略 。ウフ川の名称は部川とか共同移度の名称 もありました。 明治の頃は各家庭に井戸が少なく、女性が 桶を頭に乗せて水みをしていました 。戦後は簡易水道ができて生活要水として 利用されなくなりましたなどと説明されて います 。こちらがウフカーで入り口にある ヒージャーは洗濯側という名前のようです 。 助水槽の下に安全対策として網が敷かれて います。実際はかなり深いと思います 。石みも立派に残っています 。説明版には明治時代に蓄造されたとあり ます。誤解しやすいので言い換えますと、 このヒージャーはこの村ができた当初から あったと考えるのが自然です 。年付きを経て何度かの改築を繰り返して 今の形になったのが明治頃だという意味だ と思います。 から出た水 は送られるかがある川に流れていきます。 [音楽] [音楽] さて、今回の北中グスクソンシャ場の脇水ガーとウフカーはいかがだったでしょうか?小さな脇水ガーは今も農業に直血結してい [音楽] こちらのウフ川は集落の中心的な存在だっ たようです。何百年との人たちを見守って いたんでしょうね 。今も流れ続ける脇水を見ていると有給の 昔に引き込まれてしまいそうです 。ビンタガーもウフカーもとても素敵な ヒーでした。 [音楽] 本日も最後までご視聴ありがとうござい ました。
喜納中城村役場のすぐ北にある2つの湧き水のご紹介動画~