格式ある遊郭「滝谷出村遊郭跡」
福井県坂井市三国町 三国湊にあった遊郭跡を訪ねてきました 上八町通りの先にある西光寺 境内には女郎のお墓があります 遊女のお墓は立派に建てられています 松下袋屋内小女郎とあります 小女郎は最も上位の遊女を指します 遊廓三業組合 福井県史によると 遊郭は当初松ケ下にあったが、
湊が西へ伸びるとともに西へ移動、とありました 当初はこの辺りに遊郭が存在したようですね 遊郭は湊が栄え九頭竜川河口へと移動していきます その後、松ケ下は商人の町として発展をしています 松ケ下区の山車収容蔵 豪商森田家が創業した森田銀行 大正9年築の鉄筋コンクリート造 湊の延伸で遊郭も上新町へと移動します 元新区山車格納庫 1659年には上新町に遊女持の家(置屋)が22軒
遊女は100人と記載されています 下新区山車格納庫 江戸時代の三国湊は日本海海運で活躍した
北前船が出入りする寄港地として 河川舟運を通じて内陸部とを結ぶ
物資の集散地として繁栄してきました 九頭竜川に沿って更に西へと進みます かなり古い建物も残っていました 三国湊は発展し更に西へと伸びています 辰巳川は福井藩と丸岡藩の藩堺でした 丸岡藩領の滝谷出村にも遊女町が形成されています 滝谷出村遊郭となり昭和33年の売防法完全施行まで
営業が続けられました 辰巳川に架かる思案橋 遊客は「行こか、戻ろか」悩みながら橋を渡ります 1720年で滝谷出村には「家数三百七十、
傾城八十五人、流行長谷川」とあります 傾城とは遊女のことで長谷川とは
遊女でありながら俳諧で著名な哥川の源氏名です 哥川は江戸の俳人達と交流を持った才女でした 三国の遊郭は格式が高く別格で客質も良かったようです 通りの西側は九頭竜川でした 町を挙げて負の遺産である遊郭跡が
保存されているのには好感が持てました 哥川の菩提寺である永正寺 哥川は後に遊郭荒町屋の楼主となり
その後に出家しています 哥川(かせん)」の墓と句碑 元は置屋だった料理茶屋 「魚志楼」 松の意匠が素敵です 昭和の頃に改装されたのでしょうか 2021年は空き店舗でしたが現在は稼働中のようですね その先には遊郭の出口である「見返橋」がありました 遊客は浮世から橋を渡り現実に帰る際に
橋の上で名残を惜しみました 説明文には地蔵坂の上にも福井藩領の
「上ハ町」に遊郭があったとあります 地蔵坂 延命子安地蔵尊 上ハ町(うわまち)の様子 高台(日和山)の金鳳寺 老舗の蕎麦屋さん 風情ある町並みが保存されていました
福井県坂井市にある「三国」九頭竜川の河口に江戸時代から栄えた北前船の寄港地でした。北前船寄港地に遊里はつきもので三国でも遊郭ができていました。遊女で俳人としての才能を開花させた「哥川」をはじめ教養ある女性が多く、三国は格式が高く別格だったそうです。
#坂井市 #花魁 #滝谷出村遊郭 #思案橋 #遊女
00:00 プロローグ
01:43 小女郎の墓
03:25 松ケ下
05:24 上新町
08:11 思案橋
08:50 滝谷出村遊郭
10:40 哥川の墓
11:06 遊郭跡
12:33 見返橋
13:07 上ハ町
15:06 三国湊
5 Comments
令和に残るさん、こんばんは✨豪商森田銀行建物すばらしいですね、ここの街は昔風情の建物がいっぱいありました、このままずっと残して欲しいものですね、ありがとうございます👍👏🙋💯🤗
見ていたら行きたくなりました
滝谷出村遊廓跡 良い雰囲気をのこしている建物やお寺にも参拝しに行きます。
こんなに行きたいっと思ったのは久しぶり何か意味があるのかな(笑)
「マルカ」の看板の建物の手前の建物って遊郭物件だったんですかね?
今は再生されて?オーベルジュほまち 三國湊になっているようですが・・・。
お疲れ様です。
三国湊の古建築群には圧倒されました😮
多く残る妓楼、立派過ぎる山車の納庫。
大正9年に鉄筋コンクリートの建物が地方にも普及しているには驚きを隠せません🫨
全盛期は相当栄えていたんですね😊
哥川さん、吉原だったら、太夫クラスの教養人でしょうね。
名の残る遊女は極少数ですので、それだけでも凄い人です😢
以前社員旅行であわら温泉に行った時、えちぜん鉄道の三国港行きの列車が深夜0時過ぎても運行していたのを見て驚きましたが、これだけの栄えっぷりなら納得です。