これから始まる輪島塗の復興/復興 能登 輪島(石川県)

おはようございます。マンボです。今回は ですね、石川県の野島の和島に来ています 。ご存知のように2024年の1月1日、 え、震度7の大地震によってこの町は壊滅 的な被害を受けました。そしてこの場所、 え、あの有名な朝一通りの場所です。ご覧 のようにですね、ここでは大火災があって 街がなくなってしまいました。ま、あれ から1年2ヶ月が経った状態なんですけど も、え、東壊した建物の解体がようやく こうされつつあるというような状況です。 そして、え、和島の重要なですね、伝統工 であります和島塗りですね。その復興が今 始まりつつあります 。復興の町を歩く。今回は和島の町の現在 と和島塗り復興へ向けた活動の様子をお 伝えします。 はい、いらっしゃいませ。 熱いね。ああ、熱いっすね。 この石ハをもらいます。 はい。 はい。どうぞ。 うん。ありがとうございます。 今日はこの2 つやと。お、嬉しい。ありがとう。 置いとくぞ。 んだかされ 誰やら持ってるうん。 ちょっと新しい建物が残ってるね。 うわあ。い あ、木造のレガるだ。うわあ、車が押し潰されてる。 お ももう最初は全部落ちてもうすごい雨盛りだったんですけど。あ、あ、落ちたんですか? 落ちました。落ちました。で、屋根だけ盛りひどいからっていうので屋根だけ急いで直したんです。 ああ。 この作りがやっぱり香川の作りですよね。このここに何件でしたっけね。この名前忘れちゃったな。ちょっとテロれ出します。 こういう入り口がこういうに上がってるのがあるで で 王道があってこの甲子がね細かいのがゴ士ですね。大き下板張りですね。ま、日本の下張りが多いですが。それで虫屋さん。 はい。これで虫ですね。さんねえ。スタヤさん。 はい。 じゃ、お邪魔します。ああ、チーラーはそうか、そうか。このこの扉っていうのは古いですよね。 はい。そうですね。 昔、ま、この辺に大き価値があったんですけれど、その時にあの本当にうちにその時に勤めていた職人民さんたんがこうこの扉は守らないといけないって言って、この扉を全部外して、 で、それを、ま、目の前その時は田ぼだったんですけど、この田ぼに投げ入れたっていうバ、 そう、外して、もう水で守るためにもう田ぼに投げ入れて逃げたっていう。で、その時からこの扉だけはもうその当時のものがうん。じゃあその扉に合わせてここを作った。そう、そう。 こ、新しく作ったんですけど、このはめている扉自体は、ま、本とこうからずっとある。 うん。 やっぱりうしですね、これ。中。 そうですね。この辺の扉は全部吹きっていうで、こうしをこう染み込ませてこう拭き取ってっていうの繰り返してこうしを大きに浸透させていくんですけれど、 ま、和島の建築は、ま、昔からこういう吹きっていうやってるところが多くて、ま、これう はい。 あの、水吹きとかのに、ま、嬉しいって感じ、引き嬉しいって言う。 だからこの和島の大育さんは昔から顕在に引きしをする技術を持っていて、 え、この大工さんがう扱って こうやって現在に染み込ませてっていう作業を昔の大工さんはこうできるっていう。 ああ、そうなんだ。 今でも、ま、こういうことでやる人はいますね。 ちゃんとこう目が木目が出て そうなんで艶もやっぱり出てきて 艶が出てきてええ、 ありがとうございます。 ギャラリー元々物並べたギャラリーだったんですけれど今はちょっとこう地震で崩れてしまっていて、ま、物置きみたい。うん。ちょ、ちょっと片てますね、これ。 そうですね。やっぱ壁に入ったりとしてて。 これ、あの、最終はどういう、昔はどういう使い方さですか? 昔はここは今事務所だったんですけれど、本当その昔はここも作業場です。の作業場として使っていたみたいな。ま、その通りはちょっと僕は知らない時期なんですけれども、昔は、ま、こういうところも仕事場として使っていたと いう風に聞いてますね。 こういう木部のところもし入ってる。こ、 入ってるね。でもすごいですね。 で、対震補強もされてるんでしょうけれども。 そうですね。ま、前の地震で本当に被害が大きいで、 あれ、前の地震いつでしたっけね。17 年前、17年8 年ですか。はい。その時にはもう本当にひどい被害で階段落ちたりとかもう家もすごいすったね。やっぱうん。 だ、その時に結構なあの修理を入れたので、ま、今回そのおかげでなんとか持ったっていうたんですけど、逆に今ま、和島市内はその時にそんなに被害なかったが結構そのままになってたのが今回潰れたっていうのも多かったんで、記事から始まって こうさっきお話したこの朝布にこう売所し込ませたものをこう これ生地があって 生地固めでこれが布 布勢 でここからその下地というま さっきの軽ソ度の粉ですね。軽ソ度の粉とを混ぜたもの で触っていくと少しずつこう目が細かくなってるんですね。 この軽度の粉も最初に洗いものから始めて少しずつこう目の細かいものに変えていくんです。な んか切ってくれるんですね。 で、ま、少しずつこう細かいを塗っていて最後に切れる。これはもう牛が入って美いしいんですよ。買っとすごく高いと思うんですけど。 これ何工程になるんですかね?これ。 いやあ、もう工程で言ったら100 何てなるんですけれど、ま、それはもう分かりやすくこうぎっとまとめて 分かりやすいところだけおしゃれじゃないですよ。 基本的には、ま、塗ってトイレ、塗ってトイレっていうのを繰り返しを書いてるだけなんで すごいですよね。 ここで例えば傷がついて割れたとしても、 あの、生地まで行かないんですね。この辺で傷が止まったりとか、バが止まったりするからここから直せばいいということになるんで。 で、は島にはこう修理がい、修理がね、 工程に職人さんとしては何人ぐらいになるんですか? そうですね。ま、この工程で言ったらまず生地屋さんてでその後、ま、下地食、ま、さっきのその軽走度の粉を使った、ま、その上塗りじゃなくて、こう見えない部分のうしを塗る下地屋さんていう下地植民さんがいて、 で、その 下地の工程にさっき、あの、下地やった後塗ってトイレっていう話をしたじゃないですか。 で、その塗る人と人別なんですね。 で、その専門の人が屋さんていうのがで、今屋さん、下屋さんて屋さん でその後こう綺麗なう、最後の1 番上の綺麗なしを塗る上塗り屋上3枚で で、ここまででとりあえず和島塗りってのは完成するんですけど、最終的にはそれに あの食ですね、つける人家食で、ま、牧恵資産とかチキさっていうのがであとはその巻江の工程物の磨くっていう最後綺麗に磨く人もま 専門の人がいて で、ま、普通に塗りの模様をつけたものを作るまでに帰ってきて下うわ、ロイドで 6人 の職人さんが関わりました。うん。 で、実際には、ま、それをプロデュースする僕の虫がて、 で、例えば、ま、和島の中で行ったらその箱をする人、 そういう専的なこともやったりする人も別にいるんで、本当に全体で言ったらやっぱ 10 人近くの人が関わって1 つのものをお届けするっていう 感じになりますね。うん。そ、ま、今6 人でしたっけ、6 人のその、ま、下地処理のところっていうのは はい。確かに 行ったり来たりするんです。 行ったり来たりします。 そのでの人が終わ一旦僕らが預かる主屋のとに 1回戻ってく でそれをまたの人に僕らが持っていってでまたうちに戻ってきてまた次の工程の人に渡してっていうのをこうその農期管理みたいなのを僕らがやる でそのこの工程は 例えばその下地も形によってあの得意不やっぱりあるんでこの形はこの人がいいとかえそういうのもあっ決まり決まってる形じゃなくてやっぱそれによってこう変わってくるわけで 人にお願いしようとまそういったことを考えながらいろんな職さんにお願いするっていうようなことをやって ただそれが今その今まではそういうんなこと考えながらいろんな人にお願いしてたんですけどそれが今もう人がいなくなってしまってもう全部この 1人みたいな感じになっちゃって でそのその仕事の多様性みたいなのがやっぱなくなってきてるわけですから いうのとやっぱり同じところに同じ町にいらっしゃんないとそれはやっぱりやりづらいですよね。そのたに送ってやって送ってったらコスの時間かかっちゃいます。 で、その決め細かい対応っていう感じ職人さんがなんかいや作業中にここはどうしようってなった時に僕ら聞きにくるんですね。 うん。そう細かいやりを実物見てやったりとかいうことがやっぱりできなくなっての街の中にこうみんないるっていう状態でその僕らだけじゃなくて例えばその次の工程の人とか前の工程の人と話をすることがあるんですね。 うん。次の人がやりやすいようにうした方がいいか、その職人さん同士のやりみたいなやっぱりあるんで、そのこの上島っていうこう小さい街の中にいろんな職人さんがいるっていう状況を こうキープしないと、ま、この金質が保ってないですよね。 だ、あの、よく言うのはこう島の中が1 個の工場みたいな形になやっぱりコミュニケーションというかね、そういう交流っていうのができない 仕事だけでやってるよりも その職人さんとしてやっぱこう仲良くんだりとかしてもういうことも大事ですよね。うん。 いうそのコミュニティがどんどなくなっちゃったんで、 これを、ま、僕ら戻したいという風には思ってるんですけれど、ま、ま、いろんな障害が今あるんで、それを、ま、どうに どうしようかなっていう状態です。 いうことです。ま、ここはですね、はい。昔は、ま、倉だったんです。 これですよ。 そうです。そうです。土蔵です。ま、和わ島のこの、ま、主屋っていう家の作りがですね、 こう土蔵を中心にしてこう周りを家が囲んでるっていうようなことになって。あ、お疲れ様でした。 周りをこう家が囲んでるっていう作りになってて、ちょっと特殊な作り。 これもどこのどこの主屋さんも同じような作り。 ま、昔はですね、今はやっぱこういう作りの家は少ないんですけれども、昔の主屋って言うとこう真ん中に暗があって、その前をあの下地っていう先ほどのこの下地の工程ですね。 なるほど。この部屋は下地をする。 そうですね。 元々はここは下場だったんですけれど、ま、昔はこう、ま、わ島塗りが良かった時期っていうのはこう主屋が色々たくさん食人を雇ってて中でこう主屋の中で塗り作業をやってたんで、ま、上塗り屋の職人さんも何人もいて、で、下地の職人さんも何人もいてっていうような状況だったんで、ここが下地場で、で、それで下地をした作業終わったものを、ま、上塗り場にあげてっていうようなことをやってて、で、この昔は、ま、エアコンとかそういったものもな ので日 塗りの作業をするっていうようなことが一般的だったんですね。 ちょっとじゃあ行ってみましょうか。 監督したら でここはま倉庫でで2 回が仕事場っていう作りだったんですけれど、ま、前の地震で下が、 ま、上もだったんですけど、全部崩れちゃった壁が落ちちゃって、 で、それを、ま、この1 回はギャラリーとして直して、2 回は今でもこう仕事場として 使ってます。 おお。 はい。はい。はい。おお。 ま、こういう風な、あ、 ここも土になっていて 立派ですね。 ね、感じになったですね。うん。 で、先ほどのその湿度の話で言うと、この両サイドのこの棚みたいなものが 虫って言いまして、 虫 はい。虫って言いましね。こうしで、ま、塗ってまだ乾く前のものを ここの中に入れるんです。ははは。 で、この中に入れて、この中はこの切り吹きとかを入してこう湿度を常に一定に保つような 状態にして、ま、そこに湿度系とかもありますけど、 あ、これね、え、中の湿度を こう常に一定に保って ウルシを乾かすと。うん。 で、この後ろにあるこれですね。 これが回転ブ呂って言いまして、中見ると塗ったばっかりのまだつやつやのやつが あると思うんですけど、これ機械で 一定周期で 回るようになってるんですよ。 え、あ、そうなんですか。 そうなんです。機械でこう一定の時間ごとにこう回転するんですね。なんでこうやっぱ液体なんで同じ方向にやっとくとこうれるですね。もう そうならないように。 あ、どういう風に回転するんですか?あ、こうこういう風にあるんで。 こ逆ですね。 こう縦にこうぐるっと一周するんです。 回縦に回るんだ。 へえ。 時間に合わせて定期的に回るようになっていて、ま、今はこういう回転ブロですけれど はい。はい。 こう、こういう大きいものを入れられない人とかはうん。 もう手でうん。うん。回すんですね。 うん。手で回すんですね。 はい。だからあの、だからもう自分の家じゃないとやっぱみんな仕事できないんですよ。夜中とかも起きて回すんですよ。 ある時間にそう。 そうなんですね。夜中もあの本当に夜中に起きてぐるっと回してまた寝るみたいな ことを昔は。はやってたですね。 ああ、やっぱ貸し付きがあそこに そうです。やっぱってこう湿度を吸って固まるっていう性質なんで。 吸って固まる。 そうなんです。乾かすって言うんですけど実際には乾かしてるわけじゃなくて湿度を吸わせてるんですね。 で、水分を吸って科学変化で固まる物質なんですよ。うるしっていうのが。 うん。 なんでこう冬場なんかもうやっぱり乾燥するんでこう湿度をガンガンに上げないと もう固まらないんですね。 うの作業部屋ってのはものすごい湿度をあげるんですよ。 うん。 だからこうこういうストーブであげたり貸し付きつけたりとこう そうなんです。水入れて常にこう湿度を 高い状態に保たないと仕事ができないんですね。 うん。 で、ま、今まではずっとここで雇ってた職人さんが寝てたんですけど、ま、その方は県外の人で、ま、その震災を気にちょっとやめられちゃった。 で、ま、この作業はずっと空いてたんですけど、ま、その別のところで上塗りの職人を人でやってた人が、あの、もう仕事場が全部完全に潰れちゃってで、仕事のする場所がないっていうことで、ま、うちを、ま、お菓子してるような感じですね。 場所がし、あの、仕事してもらってるっていうような感じです。 うん。 そういう人やっぱり今多くってもういろんなもう場所がないから特にこう上塗りはってこういうさっきお話したこういう風呂設備がないとできないんですね。 だから仮説だとやっぱこういう上塗りってできなくてその工程の中でもさっきお話した記事とま、この上塗りがやっぱりあの仮説じゃできないっていうことでみんな仕事場探してるような 感じなんですね。 うちは本当に幸運にもこのまま場所が残ったんでこうやって仕事できてますけれどう やっぱり仕事できなくて困ってる人っていうのは多いですね。 すごいね。これね、対正13 年。そうです。これね、年代物ですよ。 この辺のものはもう古いものばっかりですよ。うちのヤゴを書いてあったりとか。 は書いてあって これ上乗り。 そうですね。それは上塗りですね。 これも終わった状態なんですか? そうですね。 それ塗り終わったしょ多分今表塗今から表塗るのかな?はい。今裏塗り終わって 塗り終わったところにそのものをつけてで今からこうひっくり返して表を塗るっていう状態ですね。 それはあのうしを絞ってるんです。その紙のところにうしが入ってて あ でこう両サイドから回して絞るんですね。 でゴミをなくすんです。うの中に入ってる。 へえ。 それうしを使う前にその何回う絞って 綺麗な状態にするんですね。 だ、それ毎日やるんですよ。 ああ、もう1 回絞って終わりじゃなくて、もう使う前に毎回絞って、もう埃りが絶対に入らないようにするっていう。うん。うん。 昔はその虫屋さんに うん。 そので全てこう職人さんが全てじゃないか。 そうですね。ま、全て塗りの工程です。 のは主屋さんのとに全部いらっしゃってで職人さんはその周りに住んでると そうですね。そういう感じだったですね。昔はその記事とで主屋がその下地屋さんとか あの下地の職人さんとかウりの職人さんを大量に雇って育てると でそこから ある程度仕事ができるようになったっていう人が主屋から独立して個人でやってくっていうような感じだったんですね。うん。うん。 で、今はその主屋がこう職人を雇う体力がもうない、なくなっていて、もう個人の独立してる職人さんにそう仕事を回すっていうスタイルになってるんですけどうん。 だからその皇族が育てられてないんですね。今までは主屋が雇ってその中でこう技術の継承が行われてたんですけど。 そう。そういう仕組みがなくなっちゃって。 そう。その仕組みがなくなっちゃっていて、その職人さん個人だと人を育てられないですね。 その余裕がやっぱ収入的な面とか仕事の量とかっていうのもあって だその仕組み自体がちょっとま、元々こう結構破綻してた仕組みになっちゃっててでそれに今白がかかったっていう感じになってますね。 うん。 そういうそのこう町全体がそういうの街として栄えていけばこう例えばそう観光としてねそう仕事場を回ったりとかいうこともできる 職人さんがあの飲んでる飲んでる有名なあの飲み飲みたいとかそう面白いんですけどね欲しいですよね。 うん。 普通にブル修業自体はこう自中量とかは あももうずっと右肩下がりですね。 やっぱそのバブルの時が1 番でそこからもうどんどんどんどん下がってるっていうな感じです。 はこう止まったりはしないですか?もうちょっとずつ下がっちゃう。 え、ちょっとずつ下がってるような状態ですね。 やっぱ、ま、光継車もどんどん生産量自体もやっぱ減ってますしで、それにそれでどんどん需要もやっぱ下がってってるっていうのがあって、 ま、今回のその震災でね、やっぱ何かしらこう希爆剤になってうん。 見直す 見直す機会にはなったのかなっていう風にはみんなやっぱりわ島塗りの人はみんな思ってますね。 うん。うん。 ま、新材直後こそね、もうそ、そんなこと言ってる場合かみたいな感じでしたけど、やっぱ 1 年経ってもうこれを機会になんとかしないとっていう気持ちやっぱみんなあると思います。うん。 ここはさっきのこの上塗りの前の工程ですね。下地のさっきのその軽ソの粉としを混ぜたものを塗る工程。 うん。うん。うん。うん。 布の規制をしたところですね。 したところですね。 このここちょっとこう上だけになってるとこです。だからその弱いところを布で補強するんです。こんです。 だから全体をやるわけじゃなくて はいはいはい。 その物の形でここは弱いだろうなとかこれくるだろうなとか。うん。 そういったところをこう布を張って補強するんですね。うん。 ま、ど、どれぐらいやられてるんですか? 今何年?5年ぐらいか。 僕の同級生の弟で。 もう本当にね、たまたまね、 そう本当にタイミングがあって、 で、本当に完全に素人の状態からあのうちで仕事始めて、 あの、職人さんとこ行って習いに行ったりして本当に 1から うちで仕事してくれてます。 大体あの修行ってどれぐらいでこう1 人前になる?ま、一応4 年とは言われてるんですけど でもやっぱりね、その4 年経った後もやっぱり仕事のスピードを早めるとかやっぱりこういろんな形のものが出てくるんでどんだけやってもやっぱりこんなやったことないみたいな形をやっぱ積んでだけです。 出てくるからやっぱその都度をやっぱベテランの職人さんに聞いたりとか このはどうやってやろうとかっていうのその度にこう 考えて考えたり聞いたりしながらこうでそのそれに合わせた道具とかもやっぱ 1から作らないといけないんで そうかそうか うんこういうヘラまこの工程は刷じゃなくて基本ヘラを使うんですけどうん そのヘラの形とかもろんな形のものを自分に合わせて作ったりとか全てがです はい。 これがさっきの軽ソ度の粉としを混ぜたもの。このヘラでこう うん。ものに塗っていくんですね。 でもこういうやり方も本当に人それぞれで うん。ああ、そうなんです。 ま、この子はこういうやり方でやってますけど、他の職人さんはまた違う自分の独特自なやり方があったりするんで、だからもうそういうやり方も別に決まってるわけじゃなくて、なんか 自分流みたいな感じが多いですね。 の方のう だその誰から習ったかとかどこの店で修行したかとかっていうのでもうみんなやり方違うんですよ。うん。だ、その仕上がりの速度とかもそのやり方によって全然違ってくる。 おお。 ま、こういう荒いものから始めてだんだんだんだんこう目の細かいものを上に重ねていくっていう感じですね。 これニョイって言うんですけど ニョイ棒のニョイニョイ棒やつ こういう頭なんかもうあもう一節 こういうブつぐってなるとやっぱ形も細かいんでその形上がりのでまず超えると今度はちょっと上がりすぎてあ そが早くなりすぎて今度は縮んであるとかいろんな現象が 一定の時間で乾かないと そうですね湿度が上がりすぎるとこうしがも 吸収しすぎて固まるのが早くなりすぎるね。そうすると急速に固まることで売がこうギュッと縮んでこうくまらなかったり固まるのが早すぎるとダメだし低すぎると今度は全然しゃバしゃバのまま固まらないしっていうので ある程度のこう一定の湿度動を保たないとこうできないです。 収oreからには樹液やから 梅の時期が食で1番活して時期やね。 うん。 の成分が多分それと同じ状況になると活動してるやってなると全く活動しない状況になるんで し全然乾かなく私らまらないことを乾かないという乾い そんな状況になるのでもう少し上りそうですになるとすごくが良くないで といてもこにして過出してどんど上げてあげない とはいはい。温度と質を開けなけれ でさっきの上塗りとかってなってくるともうしの色自体も変わってくるんですよ。その乾くスピードとかで うしの色も変わっちゃうんで その どんだけ気をつけててもやっぱ同じタイミングで塗ったものじゃないと同じ色にならなかったりするよりも高い ま人金っていうのは意外と環境が うん。 ま、その、あの、塗り上がったものに対して、ま、ちゃんと硬化されたうん、 チになるんで、それに あの、刃物で掘っていくっていうのが 工程になるんです。 で、その場合は、ま、そんなに うん。た、畳1 枚あれば関与は可能なんですよ。 うん。巻って全国に普及してるんです。 はい。はい。 真金ってあの一部なんて生産地だけでま、使われる道具務になるので本当にそこのな んですかね作る方のあの道具を作る方の従事者が うんもなくなってるしうん またそこの新規の開拓も必要なっていう うん ような感じにはできてるんじゃないかなとは思います。うん。 職人さん同士のその 交流とかうん。 あの、なんて言うんですかね、ノーハウのその共有とかその電とかっていうのはどういう風にされているんですか? 私今45なんですけど うちはあの親族経営でしてるんです なので都定っていう制度に乗っ と 定制度っていう弟子として私は親の元について 職人としての技術を磨いたっていう うん形になるんですけど でその中で技術を磨いて うん。45年で年気明けって制度があって 職人として認められて多分人金業組合ってのがあって うん。 そこに登録されるっていうような感じなんですけど うん。 全くそのそういう家に生まれなかった人がやりたいって来た時にはどういう風にすれば なれるんでしょうか? え、えっと、ま、そうですね。 和島の場合には、 え、ま、わ島芸技術研修。そこに存し、 ま、そこで先週家庭が2年、 本っていうのが本家庭っていうんですかね。 ま、3年間あって、 ま、その先週家庭では、ま、出現に対しての全般を学ぶようなうん。 形になるんですけど、 で、その後、え、残りの3 年間で、あ、本ですね。 うん。 あ、救出、真金巻けって3 つに分かれて専門性を磨くっていうような感じになってくんですけど、ま、一般の方は多分そこに入惑されて 入学して 卒業するってな技術がぶんじゃないかなと思って。うん。うん。 ご自宅と作業場というのは、 えっと、個人である場合は大体自宅にあの交場が付いているような あ、作業スペースみたいな。 スペースで部屋1つ2 つっていうのが用意されていて そこでする そこで作業されてるって感しますね。 うん。多いですね。 実際のあのワークスペース的には1 条程度あれば人金の場合は刃物でものを絵を描くだけを掘るか掘るだけの作業そんなに場所はいらないんですけど それ以外のなんですか資料ですねとかえっと色って絵を描くこと絵を描くことになるのでその図案だったり はい えっとなんですかねその量産湿器になるものを作る場合はそれ を置いておくスペースもりますしっていうので多分 8乗程度が多分多いんじゃないかなとは。 てかその多分昭和の時期に生産量が1 番多かったのでその大きさがそのまま残っているっていうのがイメージとしてあります。まず最初に図を起こします。 で、図を起こしてそれをあのそのトレーするための用紙にスタンコで書いていく。 で、その後それを転車して、その天車した部分を刃物で掘ってきます。 うん。 うん。で、それでが出来上がったら、えっと、しという使って接着するんですけど、大体こういう綿を使ってすり込むんですね、気の場合は。はい。 で、すり込んでそれを軽く拭き取り、その上に、え、金粉ですね。 それ巻きとまた別問なんですけど、ま、 人金の場合はえっと金迫を分末上にした ものなので、あの噴点に少し強あるものな んですけど、それをすり込んでいくのは、 ま、商用的には多いかなと思います 。こ作ったりとか こう猫足みたいこう変わった形のものです か?猫猫足のモデルです。 いい感じやろ。 今箱やし。 これは今切り箱でっかい。 これ箱です。 そこに今あるのが仏壇。 あ、仏ダ。 おお。 鉄骨は固めさんですか? 鉄骨はこのままこう スライドしてこう で今大さんが全部ジャッキとあれで全部 ああ縦起こし立て起こして でコンパネ貼って ああ機械は結構壊れたんです まそこそこの全部折れたりはもうちょっと使える あ、使えなくなっちゃったも ああ本当だ動かなくなっちゃった うん うちらみたいなこの生地屋さんっていうのはやっぱりこんだけ見て分かるように機械から 材料からなん がたくさんいるもんで1 回ダメになったら再生はかなり厳しいと思うんで。 うん。若かけりゃいいけど これ年行っとって1 回ダメになったもやる気ねえなると思う。 ワジと4キ地っての? えっと、ま、ワンキっていうのは、ま、普通のワのですね。だから 6 で引くんですけど、ワンキージさんは結構もうちょっとこうスペース的には小さくやってて、で、大体個人なんですよ。 こういうのを引くのがワンワだから6ロ1 つでこうやってずっとこうはめてワンタ 本当にこんだけでできる1部屋でやってる できる。これがワン方生地というのは ほの木の方にそうさっき書いて書くんです。 ほの木を使うもんで、 ま、こんなちっちゃいやつこれでも今の木やつこういう細かい作業とか猫足みたいなこうちょっとこう曲がったものとか うん。 うん。で、昔はその放響で言うと、ま、その曲がったものとかそういう掘り物とかをやってる場所だってそれ以外に差し物箱を作る差し物生差し物生地屋さんとあと曲げワっパの曲げ物さんっていうのが今その差し物曲げ物っていうのがもうほぼなくなって放地屋さんが うん。 ま、ワン記事以外は全部やってるみたいな状態ですね。 うん。 何ころんな主屋さんの注文が集まってるんで、こういろんな人昔 1番多かったこんな高とか 掛けはいはいはい。 こういう曲がったものを作るのが うん。 おお。 こういうとこに入っとった。これ結構昔のやつで重たいもんで。そして次もう 1回同じこな時にずっと あ、 これ触らないと時はやっぱり状況なるほど。やした。 ま、今、ま、 はい。 ちょっと今書いてる途中のもんなんですけど はい。 基本的にはこうやってうしで模様を書いてその上に金粉とか銀粉とかを巻いてこうやって模様を作るっていうようなことをやってるんです。うん。うん。 で、それをこう、ま、これまだあの踏ん舞巻いたばっかりの状態なんですけど、こからまた磨いてってこう製品作っていくっていうようなもんなんでうん。 基本的には、ま、あの、私の場合は巻牛とか特にそうなんですけど、まあ、一応 4条あったら仕事できるという仕事なので はい。うん。 ここ実はものすごく環境的にすごくいい作りにしてあって あ、そうなん。 あの、快適度で言うんやったら僕が元々家より快適でした。あの、ま、スペース的な問題はあるのと、その子供らとかがちょっとバタバタ遊んどるとお隣に迷惑やもんでっていうのがあるぐらいで うん。うん。 そのこ自体はもうあの24 時間空調になってて でうん。うん。 外部との温度さっていうのをエアコン切ってやっても、ま、あの、 5°、 5°ぐらい差ができるようになってるらしくて、だから外が 0°やったら5度ぐらいにはなるて。 へえ。湿度があの24 時間空調でその湿度も自動調整になってるのがすごい困る点が 1個だけあってその 締め箱って言ってうって湿度と温度がないと乾かないんですけど はいはい 人が快適に過ごせるように湿度すっごい低くなるんですよ。 そっか高めなきゃいけないですからね。人より求めてるね。 そう。この締メ箱って言うんですけど黄の中この切り吹き使って濡らして使うんですけどこれがさっきのうちで言う虫に変わる。 虫に変わる巻用の 虫みたいなもんですね。 こういうことですね。 ま、あの、それ付けのものじゃなくてこういう結局この巻絵っていうのもうしで絵を描くんでしめないといけないんですよ。あ あ、そっか。そっか。 なんで結局湿度を上げないと固まらないっていうですね。その湿度が自動 勝手に下げられるから。 そう。めちゃくちゃ乾燥するんですよね。そうすると特に冬なんかだともうすっごい乾燥するんで。 聞た中板あるんですけども下のところにだからあまりにも乾燥するような状態だったらもうタオルビちゃびチにしたやつパチャンって入れて もうその状態で2しとかなと よく朝になってじゃあこれこの後あのうとかをこのもう 1回あの 乾いた金粉のところをもう1 回うでコーティングするんですけど うん そのコーティングするう釈したう引こうと思ったら下の糞がずるってなくなって ってない乾いてないてないみたい あの、ひっくり返したりとかしなきゃいけないっていうその具合を見る時にそのある程度湿度と温度で大体これぐらいの感じになるだろうなっていうのは職人経験上分かるんですけど、 ただそれでもあの結構数があって時間が押してた時とかってなると夜遅くなったりとかもするじゃないですか。そんな時に、 ま、ちょっとご飯食べてじゃ見に行こうかっていうのでも車で 15分かかりますっていう困るんですよ。 だからそんなあれ、そんな時にそうやってちゃんとま、ネ泊まりある程度できるような施設になってるのは本当にいいと思うんです。 うん。これだけで9 万ぐらいするもんです。今現在これぐらい 1問目なんで3.3gか。え、こんだけ これでも原因は基本的にはもう地震とか日本経済かとかじゃなくてもうウクライナウそっかそっか。そっちそっちから あれの問題なんで金のレートだけはもうどうしようもないんですよ。 そうですね。 うん。 居酒屋さんなって人はその水のあった土地の はい。はい。ところに店があって で、ま、今とりあえず一時的にここに うん。移転して こちらはどうなっちゃうんですかね?このこちらの白くマさんは わかんないですか?わかんないです。 この建物がやっぱり残ってもらわないと うん。 この朝一通りの中でこれ唯一になっちゃいますからね。うわ、本当に何もない。 お

Regeneration of the Wajima lacquer industry after it was damaged by the earthquake / Walk around the reconstruction city, Noto Wajima (Ishikawa Prefecture)

輪島の震災後、町は甚大な被害を受け、日本最高峰の漆器「輪島塗」もまた、多くの工房を失いました。堅牢さと美しさを誇る輪島塗はいま、存続の危機に直面しています。しかし、その灯を絶やすまいと、輪島塗の明日を担う若手関係者たちが立ち上がりました。彼らによって結成された「輪島塗復興協議会」が、復興への歩みを力強くスタートさせたのです。失われた制作環境を取り戻し、受け継がれてきた技術と誇りを未来へつなぐため、今、挑戦が始まっています。
「集落町並みWalker」チャンネルでは、輪島塗を未来へとつなぐこの新たな挑戦の姿を、これからも取材し、伝えていきます。

集落町並みWalker
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/hyoshi/index.htm

4 Comments

  1. Beautiful lacquerware – good to see it's being made after that terrible earthquake 👍😊

  2. こんにちは!長崎県の松島から能登半島に移住して28年程に成ります。借家住まいで今回の地震で半壊状態のまま修理待ちで暮らしております。輪島市珠洲市程の大災害ではありませんでしたが…。大地震被害は火災津波に遭遇した立山連峰を望める海岸沿いで暮らしております。輪島塗りの伝統は大打撃ですね。ご主人のきめ細かい説明でその重要性を改めて理解出来ました。朝市で賑わっていた頃仲間達と出向き楽しんだ記憶に新しいです!脱サラ料理人だったので輪島塗には興味深い時代がありました。現在引退し静かに一人暮らしを楽しんで居ます。頑張ろう能登半島!‼️

  3. 集落さん、いつもありがとうございます。復興協議会の方々が思いを語る姿は素晴らしいです。輪島の災害からの復旧はまさにオンゴーイングで、その取材をスタートさせたことにも敬服し、これも継承設計のひとつと理解します。皆さまのあらたな挑戦にエールを送ります。

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