徳川四天王 榊原康政の墓 (善導寺/群馬県館林市)

榊原康政は、天文17年(1548年)三河国上野(現在の愛知県豊田市)に生まれ、12才で徳川家康の家臣となりました。
初陣は、永禄6年(1563年)上野の合戦で、以後、姉川、三方ヶ原、長篠、小牧、長久手などの合戦を戦歴し、徳川幕府の功臣として、後に井伊直政、本多忠勝、酒井忠次とともに徳川四天王の一人に数えられています。
天正18年(1590年)家康の関東入国に際し、10万石を領し館林城主となります。館林での業績は、城の拡張、城下町の整備、利根川・渡良瀬川の築堤をはじめ、日光脇往還を新設するなど、土木事業において顕著で郷土館林の礎を築きました。
康政は慶長11年(1606年)に没し、法名は養林院殿上誉見向大禅定門。、墓の高さは5.46メートルの宝篋印塔です。
墓所には南直道の墓(康政の側近)、大須賀忠政の墓(榊原康政の長子で遠江国横須賀城主)、榊原康勝の墓(榊原家二代)、花房氏の墓(花房氏は康政の側室で二代康勝の生母)康の墓石が並んでいます。

Write A Comment