【鉄道に不都合な事実】人口ほぼ維持の北上市と人口減少花巻市の差とは?【農村だった北上市が近い将来県内2位の都市へ】

岩手県南部に位置する花巻市と北上市。 この2つの都市は距離的にも近く、現在の 人口規模はほぼ同程度であり、共に主要な 感染交通のルート上にありますが、その 発展の家程や現在の都市の姿にはかなりの 違いが見られます。鉄道道路空港といった 交通インフラの整備、そして産業集席に おける施策の実行。こうした要素が長い 年月をかけて都市の役割や構造に変化を もたらしました。今回の動画では交通 インフラと産業の視点からこの2つの都市 の発展を比較し、それぞれの都市がどの ように現在の姿に至ったのかについて 明らかにしていきます [音楽] 。それでは今回の舞台となる北上市と花巻 市について見ていきましょう。花巻市と 北上市は県長所材地である森岡市の南側 岩手県の県南地域に位置し、この2つの 都市で北上都市県を形成しています。花巻 ではなく北上都市県となっているところに この2つの都市の現在の立ち位置が示され ています。その立場の違いは歴史を見て いくことで背景が見えていきます。花巻市 は森岡班の市範である花巻の浄化町として 形成され、近代以降はこの地域における 政治経済文化の地域拠点として機能してき ました。とりわけ宮沢健二の出身地として 文化都市としての認知が高まり、戦後には 岩手県南部における代表的な都市の1つと して位置づけられていました。そして 1964年には花巻市内に花巻空港が開行 しました。これは現在岩手花巻空港の相性 で呼ばれています。岩手県における唯一の 民間空港が置かれたわけですが、その立地 の選定については明確な公式の記録が 見当たらず、あくまで私の推察になります が、地形的条件が最も大きく影響したので はないかと考えられます。この空港の利用 者の奥は県庁所材地である盛岡市からの アクセスと容いに想定することができます が森岡市周辺は産地が多く路を確保するに は適しておらず北上凡地に位置する花巻 市部が技術的地理的に最も現実的な選択肢 とされたと推察されます。ただ東北新幹線 も開業していない時代にできた空港です から、花巻市の都市の核を際立たせる効果 は一定あったと考えられます。一方の北上 市ですが、この地域は元々森岡班と仙台班 の反響にあった農村地域でした。現在の 北上市の原型となるのは1954年黒沢 自立長などの周辺7町村が合併し、私政 思考して誕生したものですが当初の人口は 3万人台に過ぎず都市機能もかなり限定的 でした。例えば国生調査に残っている1番 古い1970年度の人口を見ると現在の 北上市に相当する地域は6万874人。 これに対して花巻市に相当する地域は 10万1858人。このようにこの地域に おいて花巻市は北上市よりも核上の存在と も言えその差はかなり大きなものがあり ました。え、しかしながらこの最初の合併 から1970年度の20年弱で北上市は 人口を3万人以上増加させています。 そしてその後北上市は1991年我が長 絵小村と合併し、現在の北上市が発足して います。これは平成の大合併前に行われた 合併としてその後の合併の参考になった ものと言われています。え、このように 歴史的に見れば花市が地域の中心として あったことは間違いありませんが、北上市 が徐々にその差を詰めていったわけです。 それでは北上市がどのようにして発展した のか、そこには交通インフラ整備が大きく 関わっています。その発展の具体像を 詳しく見ていきましょう 。北上市の発展は1960年代から始まり ました。それは農村から工業都市への変貌 です。1959年岩県による北上工業団地 の立地調査が開始され、1960年代後半 には工業団地の整備と企業誘致が本格化し ます。その後1970年代には北上流通 基地の整備も加わり、北上市は製造業と 物流の料理に備えた地域産業拠点として 発展していきました。こうした動きの背景 には交通インフラ整備がありました。 1977年東北自動車道が北上まで開通。 そして1982年には東北新幹線の大宮駅 から森岡駅の区間が開業。堀により北上市 は東京や仙台を含む東日本全体と高速鉄道 と高速道路で結ばれることになったわけ です。そして1994年秋田児童車道が 北上市の西武まで延伸され、東北自動車道 とのジャンクションが形成されたことで 北上は岩手県から秋田への高速道路分岐点 を持つ都市となりました。この分岐点は 岩手県南部のみならず秋田港とも直結する 戦略的な位置にあるため北上市は県内有数 の物流流通拠点としての地位を固めていき ます。現在北上市には記憶や資の反動体 関連密機器関連企業を始め200社以上の 事業所が進出しており2022年経済構造 実態調査において製造品出荷学は県内2位 東北地方で9位となっており従業者数は 県内1位事業所数は県内3位と岩手県に おける中核工業都市としての立ち位置が 明確になっています。このようにして北上 市は高動経済成長期以降の産業政策と高速 道路インフラの整備を生かし、その立地的 優意勢を最大限に発揮してきたと言えます 。一方で花巻市は浄下町としての歴史も あり、文化都市観光都市としての背景が あったことでそこが北上市との差となって 現れたわけです。そして都市機能の決性と いう観点でも花巻市には多くの課題が見 られます。 花巻市には1964年に開行した岩手花巻 空港が立致し、当初は東京羽田便などの 感染航空路線を担っていましたが、 1985年に東北新幹線が上野駅まで遠さ れ、都心との直結性が格段に高まったこと を受けて、同年7月に羽田は廃止されまし た。現在の岩手花巻空港の路線は新千歳、 伊丹、福岡、名古屋小牧、神戸の各空港と なっており、首都圏以外との長距離移動の 玄関口としての役割を担っています。また 、東北新幹線の新花巻駅は1985年に 地元自治体の費用負担によって設置された 生願駅として開業しました。東北新幹線の 計画において、当初一関駅から森岡駅の間 で1駅の設置が想定されていましたが、 花巻市ではなく北上市が選ばれる結果と なり、ここで漁師の交通拠点としての名運 が分かれたと言えます。北上駅が選ばれた 経緯について明確な文献などを見つける ことはできませんでしたが、一と森岡駅の 中間地点であることと、当時の北上市の 発展を考えれば妥当な選択と言えます。 ちなみに同じく星岸駅である水沢江蔵市駅 も東北新幹線の計画時から誘致活動を行っ ていましたが、北上駅が選ばれたことで 1985年の開業となっています。え、 このように誕生した新花巻駅ですが、 市街地や空港から離れた後外に立致して いるため、その利便性は決して高いものと は言えません。在来線の蒲石線と接続して いますが、鎌石線の運行本数は少なく新 幹線との接続はほとんど意識されておらず 、ほぼ車でのアクセスを前提にしたものと 言えます。このように都市機能の接点とし ては制約の多い立地といえ在来線と接続し ている北上駅とは大きな差があり2023 年度の乗車位員を見ても北亀駅は新幹線 扱い分だけで1373人。新花巻駅は約 半分の713人にとまります。さらに岩手 花巻空港から市内の主要鉄道駅である花巻 駅への直通バスは運行されていません。 空港アクセスの主流は森岡駅のバスであり 、そのバスが空港から約4km離れた場所 にある花巻空港駅に立ちおりますが、花巻 空港駅は花巻市街地からは離れており、 花巻市民の利用をあまり考えたものとは 言えません。また花巻駅へのバスは内にも 関わらず、北上市内の工業団地北上駅行き のバスは運行されています。この事実から も花巻市が空港所材地でありながら空港と 都市機能が結びついておらず、逆に周辺 都市の交通拠点化を支えているという逆説 的な構造を浮き彫りにしています。花巻市 は新幹線、空港、高速道路、在来線という 複数の交通資源を保有しているにも関わら ず、それらが都市内で有気的に統合されて おらず、交通機能が分散断絶している点が 大きな課題と言えます。一方、北上市は新 幹線駅、在来線、高速道路、これらの交通 インフラと共に工業団地流通施設が都市 機能の中で一体的に配置されており、その 総合力が都市競争力に直結しており、それ が北上市を中心とした北上都市権という名 につがっているわけです 。それではこうした交通産業構造の違いが 通勤通学の流動や人口構造にどのような 影響を与えているのかをデータをもに検証 していきます 。ここまで見てきたように北上市は工業 団地の整備や交通インフラの強化を通じて 県難の拠点都市としての地位を確実に高め てきました。こうした構造的変化は具体的 な人口や通勤通学の流動データにも明確に 現れています。まず花巻市との比較から見 ていきます。2000年の国生調査時点で は花巻市の人口は約10万7000人、 北上市は約9万2000人とその差は約 1万5000人ありました。ところがその 後の人口推移は対象的で花巻氏は2020 年に約9万3000人まで減少しほぼ北上 市と並ぶ水準となりました。さらに 2025年4月1日の推計人口では北上市 が 9万1723人、花巻氏が 8万7859人と逆転しており、今年度 実施される予定の国生調査でも逆転する ことは間違いなく、県南地域での北上市の 有意性がより明確になると見込まれてい ます。しかもその優位性は花巻市にとまり ません。2020年の人口では北上市は 森岡市、欧州市、一関市、花巻市に継ぐ 県内5位の都市でしたが、欧州市、一之関 市いずれも人口減少が進んでおり、 2030年代には両都市ともに人口10万 人を下回ると予測されています。これに 対して北上市は相対的に減少幅が小さく 2030年時点でも9万人近くを維持する 可能性が高いと見られています。このまま 推移すれば北上市は2040年代以降欧州 市や一市をも上回る岩手県第2の都市に 位置づける可能性が現実身を帯びてきます 。こうした兆候は通勤通学の流度でも県庁 に現れています。2020年の国生調査に よれば、花巻市から北上市への通勤通学者 数は 641人に登り、逆方向の流動は 3346人でした。花巻市民の相当数が 北上市に通勤通学しており、雇用と教育の 機会を求めて人が流入する構造が定着して いることがわかります。こうした数値から も単に市の単位の比較にとまらず、北上市 が周辺自治体を含めた北上都市権として 広域の経済権、生活権の中心地となって いることがわかります。それでは最後に こうした構造の背景として鉄道と道路 それぞれのインフラが都市成長に与えた 影響についてまとめていきましょう。これ まで見てきたように北上市が岩手県南部で 拠点性を高めてきた背景には交通インフラ の選択と展開が大きく影響しています。 年に北上駅が東北新幹線の停車駅として 開業したことはその後の都市発展の出発点 となりましたが決定的な転換点は1994 年の秋田自動車道の開通により東北自動車 道とのジャンクション北上ジャンクション が形成されたことにあると考えます。 先ほども触れたようにこの時期から北上市 は鉄道よりも道路による物流移動の決点と しての性格を強め、それが北上市の工業 都市としてのアドバンテージとなり都市 構造が明確に変化していきました。一方で 鉄道を見ると北上線は秋田新幹線のルート に選ばれることはなく森岡駅から田子線を 経由する現在の秋田新幹線ルートが整備さ れました。地理的に見ると北上駅から横手 駅を経て秋田駅へ至るルートの方が直線的 であるにも関わらず北上線が選ばれなかっ たことで鉄道による地域間連結の主役から は外れることになったのです。え、これに ついては過去の動画でもご説明しており ますのでご興味があればそちらの動画も 是非ご覧なってみてください。現在北上線 は地域交通を支えるローカル線としての 役割を担っていますが、車社会の発展と共 に輸度が低下し、その将来も不透明なもの となりつつあります。東北新幹線の停車駅 となり、鉄道の拠点性を得た北上市ですが 、その後の流れを見ると道路交通を鬼軸と する都市整備により発展したわけで、結果 としてこれが他の近隣都市に比べて人口 減少が緩やかであることにも現れている ようにその方向性が正しかったことを示し ています。その一方、鉄道の存在感低下に よりかつては町の中心だった駅周辺の衰退 は否めないところではありますが、東口は 再整備事業が完了し、現在は西口の再生日 事業が議論されており、その活性化が測ら れています。また駅から少し離れた場所に ある桜の百貨点を書くとするツインモール プラザでは交通ターミナル化して公外に 偏った機能を駅周辺中心外へ再約すること で地域の海有性や都市機能の決点としての 役割を保管しようとする取り組みも行われ ました。え、このように北上市は東北地方 の数ある都市の中ではかなり良好な状況に あるといえ、その理由がお分かりいただけ たのではないでしょうか。森岡市が鉄道の 分岐点としての地位を維持しているのに 対し、北上市は道路交通の分岐点として 産業物流の中数を担う形で都市を形作って きました。北上という都市は鉄道の時代 から道路の時代へと都市構造の軸足が映る 中で時代の変化を確実に捉え成長戦略を 遂行してきた分かりやすい例と言えるので はないでしょうか。それでは今回も最後 までご視聴いただきありがとうございまし た。次の動画でお会いいたしましょう。 さよなら。 Me,love

鉄道と地方経済に関わる様々な事象などについて解説。

ーーー楽曲提供ーーー
高原の小さなカフェにて by のる
Post by Rick Steel
New Morning by Khaim
river side by のる
夜風の火花 by くれっぷ
High Class by フカガワ
Please Please by SHUNTA

ーーー活動実績ーーー

■講演、シンポジウムなど
・2021年10月 北海道余市町さんと並行在来線問題についてオンライン会議、町長との対談を実施
・2022年10月15日 出雲坂根スイッチバック、どうにかなるか?シンポジウムに登壇者として参加

■メディア出演歴
・2023年5月 HBC北海道放送「今日ドキッ」にて出演
 以降、HBC北海道放送では定期的に鉄道の識者として多数出演
・2023年7月6日 テレビ東京「モーニングサテライト」にて、宇都宮LRT特集についてコメント
・2023年10月7日 日本テレビYouTubeチャンネル 日テレNEWSにて、宇都宮LRT特集に出演
 以降、日テレYouTubeチャンネルに定期的に出演

■書籍
・2022年9月22日 鉄道会社 データが警告する未来図(河出書房新社)
 https://amzn.to/3Df2qEg
 第48回交通図書賞奨励賞受賞
・2024年1月24日 鉄道会社vs地方自治体 データが突き付ける存続限界: データから探る生存戦略(河出書房新社)
 https://amzn.to/3HnUeTP
・2024年12月10日 鉄道路線に翻弄される地域社会 – 「あの計画」はどうなったのか?(ワニブックスPLUS新書)
 https://amzn.to/42ZeDJz
*Amazonのアソシエイトとして、鐡坊主チャンネルは適格販売により収入を得ています。

ーーーお問い合わせーーー
メールにてお問い合わせください。
contact.tetsubozu@gmail.com
・自治体における鉄道に関する勉強会、シンポジウムでの講演など、お気軽にお問い合わせください。カナダ在住ですが、日時の調整により、現地での講演もお引き受けできる場合がございます。
・現在鉄道系YouTuberの方とのコラボはお受けしていません。
・動画にして欲しい内容についてのご要望はお受けしていません。
・メールでの個人的なご連絡もお控えください。

ーーー使用機材ーーー
カメラ:DJI Pocket2 https://amzn.to/43cXsDu
カメラ:DJI Action 4 https://amzn.to/4glVt6k
マイク:Shure MV7 https://amzn.to/3KfzfDX

ーコメントー
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ーーー運営チャンネルーーー
暇坊主(セカンド)鉄道時事問題をゆるく扱います。
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40 Comments

  1. 花巻は宮沢賢治の実家の宮沢グループが経済を牛耳っている岩手県内の中でも特殊な地域です。
    プライドが強く保守的であり、発展が遅れてるイメージですね。

  2. 花巻は、単純な立地や他インフラの利便性を見たら、岐阜羽島よりも上な気がするからもったいない気がする。個人的なネックは釜石線との接続かなぁ・・・。新青森並みにちゃんとしていれば使いやすいのだが。また、花巻空港が使える空港かというと微妙・・・青森空港のバックアップとして活用しやすくすればまた違うんだろうけど。

  3. 関東からの社会科な視点では、東北=仙台とその他中小都市でした。
    東北に限らず、個別地域に関心を持つ学習が無くて勿体なかったなあと感じます。

  4. 観光弱めの北上だけど呪術廻戦でガッツリ北上が出てきて聖地巡礼需要も出てきたという

  5. 水沢江刺(奥州市)と花巻が沈んで、北上が浮上した。水沢も花巻も城があった古い町だから、かえって開発の自由度は北上の方が高かったんだろう。工場がある都市は強い。

  6. 駅前の風景を見ても北上>花巻という印象ですが、実態は工業化と道路網の整備による富の集積とビジネス需要なんでしょう。
    それにしても、コメント欄は動画をちゃんと見ていればありえないような的外れなものが多いのは、ニュース記事におけるコメント欄に相通じるものがありますね。

  7. 高速道路と新幹線以前から道路は秋田と繋がっていたし遠野通って釜石とも繋がっていたし鉄道も横手通って秋田まで繋がっていた交通の要所。交通の要所ということで工業団地ができ発展してきたというのが正解。交通の要所だから新幹線の駅も高速道路のIC・JCTもできた。交通の要所でなければIC・JCTはできない。工業団地の始まりは昭和30年代後半から始まり東北新幹線や高速道路は昭和50年代以降。新幹線や高速道路ができたから工業団地が発展したと言うのは分かるけど新幹線や高速道路ができたから工業団地が出来たと言うのは間違い、交通の要所だったから工業団地ができそこに新幹線や高速道路が通ったからさらに発展したと言うのが正解。

  8. 花巻出身の元岩手県知事の阿部千一氏の働きかけもあって花巻に空港が置かれたというのもあります

  9. 二つの街の明暗を扱った動画は過去にも数多取り上げられていて、
    格差あれど中立的な視点で考察されていたのですが、
    本件に関しては一方的に北上市を持ち上げ、花巻市を腐す印象を与えていて不快に感じた。
    まるで北上市からの「案件」であるような内容。花巻市へのフォローが皆無。
    「この動画にはプロモーションを含みます」という文言を見逃していたらごめんなさい。

  10. 北上市&花巻市、どちらも行ったことがありますが『個性』はかなり違いますね。新幹線の駅の場所の違いは大きいという印象です。どちらも野球に力を入れている私立高校があるという点では同じです。

  11. 北上市に工場が増え、それに伴い人口が増え、アパートやお店が増えるのは市としては良いのかもだけど、穏やかな街、綺麗で癒される景色が見れなく&少なくなっているのは事実で…寂しく感じますね。

  12. 北上には「北上操車場」跡地という、工業用地として最適な場所があるし。 その意味では、鉄道が果たした役割、と言えるかもね。

  13. 転勤し北上市青柳に45年前に住んでいました、10年前、久しぶり行きましたが、花巻市、北上市も人がいない廃れていました。

  14. 遠野や釜石から北上の工業団地に通勤している人もいるので、釜石道は花巻ではなく北上で秋田道に直結させるようにした方が良かったと思う。横手~釜石の流動は決して多いとは言えないが、東北道を介してクランクになっているのは不便。
    花巻から新花巻に行くのも北上に行くのもどちらも二駅。新花巻駅は必要だったのだろうか?

  15. 動画では両市に差がでた原因はあまり良く分からなかったのですが、他の方のコメントを閲覧しているうちにその理由が何となく見えた気がします。

  16. まあ花巻は谷村っ名の金持ちが没落したのもあるかな?みちのくコーラなどたくさん会社を持ち花巻東高校もここがやっていた

  17. だから最初のBGMの高原の小さなカフェにてを
    別のBGMに変更していただけませんか?

    最後のBGMもPlease PleaseからDramatic Skyに変更していただけませんか?

    次回以降こそお願いします!

  18. 花巻市は新幹線がダメなんだよな。花巻駅と新花巻駅の行き来が不便過ぎて。
    釜石線も本数少ないし。
    車で新花巻駅まで直接行っちゃうか、在来線で北上や盛岡まで行くか。

  19. これは面白い考察。
    交通インフラの重要性とそれを活かして、雇用を生み出す産業を引っ張れるかあるいは作れるか、が重要なのでしょうか?

    ただ、将来的には都市間競争より、限られたパイ、縮む日本を全体最適にしていかなくちゃいけないんでしょうけどね。

  20. 同じく岩手県にあり、昭和中期に今の北上市と同じ9万人前後の人口を抱えた釜石市との比較も面白そうですね(当時は製鉄の最盛期で、岩手では盛岡に次ぐ人口第二位の都市であった)。勿論北上市は製鉄にとどまらず、半導体やセブンの工場など、様々な業種を取り入れている違いもありますが‥。吹奏楽経験者の視点としては、釜石市も北上市どちらも、全国大会出場した吹奏楽団があるのも興味深いです。

  21. 花巻市、ロケーションは悪くはないと思う。インバウンドを見据えた温泉や、宮沢賢治氏を目玉に観光にできないのか。岩手は小京都遠野や、秘湯の夏油温泉、古都平泉などもある。あと、小岩井農場、世界で行くべき都市ランキングで2位になった盛岡など。あと、盛岡市にも近いので、ベッドタウンでも見込めそうだが…… 花巻市の巻き返しはまずは、花巻空港の改良からかな。

  22. 中等教育に限れば花巻>北上な印象強くて通学者多いと思いましたけど一昔前なんでしょうかね
    通勤は圧倒的に北上流入なのは分かりますが

  23. 岩手県第二の都市はどこですか?
    北上「俺やろ」
    奥州「俺やろ」
    一関「俺やろ」

    同じくらいの人口規模だけど花巻は「俺やろ」ってならないと思う

  24. @nanpoukaiyou様、@datenanbu様が自分が書こうと思っていたことを既に書いておられるので、付け加えることもないのですが、一点指摘することがあるなら、北上市相去の貨物ヤードの話が無いのが残念でした。動画のタイトルに「鉄道に不都合な事実」とありますが、不都合な事実があるのではなく、鉄道が鉱工業の発展に寄与できた時代があり、北上市はその波に乗れ、花巻市は乗れなかったのです。その原因と思われる点も、コメント欄で多くの人が指摘されてると思います。

  25. 4分40秒~「1959年に岩手県による北上工業団地の立地調査が開始され・・60年代半ばには工業団地の整備と企業誘致」→岩手県ではなく北上市です。北上工業団地の所有者は北上市です。北上市の2代目市長八重樫長兵衛氏が当時の市町村事業の先駆けとして推進整備。北上工業団地の開発の祖として北上工業団地に隣接する伊勢神社に八重樫長兵衛氏の銅像があります。

  26. 帰省する際に新花巻駅を利用していますが、年を経るごとに、新幹線と釜石線との接続が悪くなっていくのが寂しい限りです。。。

  27. 北上市は農村ではなく宿場町です。江戸時代からの交通の要衝。黒沢尻地区は盛岡藩、秋田藩、弘前藩が参勤交代で利用する宿場町。黒沢尻宿。本陣と脇本陣が置かれた。明治時代には千花楼、賛成楼、松月楼、常盤楼の遊郭が存在。現在のさくら野百貨店付近。その名残で現在も花魁道中を開催。芝居小屋寿座。この頃の歓楽街の名残が現在の青柳町歓楽街。市役所の場所には馬検場。年4回馬市が開催され全国から商人が集まった。北上駅東口方向の川岸地区には北上川最大の舟運の河港が存在。南部藩と八戸藩のひらた舟が1日64艘入港。北上市の水沢鉱山は1917年が生産量のピーク。1954年に閉山。最盛期には3000人が鉱山で働いてました。創業186年の小清呉服店。創業88年の呉服の登美屋。創業105年の金清堂菓子舗。創業136年の南部ホテル。城下町ではない北上市に老舗が多いのは明治から昭和にかけ炭鉱夫やその家族が買い物にきていたから。馬の売り主や買い付けに来た商人で栄えていたからだそうです。総合病院の北上済生会病院は元黒沢尻病院。炭鉱夫のために炭鉱主が作った病院がはじまりです。

  28. 宮沢賢治と花巻温泉と、花巻は観光地のイメージが大きいですね。
    花巻温泉は行ったことありますがとても良かったイメージあります。

  29. 北上市437km²、一関市1256 km²、奥州市993km²、花巻市908km²。面積や人口密度が全然違う。平成の大合併前の2004年の段階で北上市9万1501人。一関市6万3041人。水沢市(奥州市の一部)6万239人。花巻市7万2407人。平成の大合併まで北上市は岩手県第二の都市でした。平成3年に北上市も合併。この段階で人口が6万2936人。花巻市につぐ岩手県第三の都市でした。

  30. はじめまして、釜石出身の南部河童と申します。 
    大変分かりやすく。いろいろ勉強になりました。 子供の頃花巻には、よく買い物に連れて行ってもらいました。ちょうど花巻が、釜石の人口を抜き県で二番目に人口が多かった頃だと記憶しています。とても賑やかなイメージでした。今は、通り過ぎる都市のイメージになりました。

  31. 2024年に岩手旅行で宮沢賢治ゆかりの地を巡るのに花巻市内をレンタカーでドライブしました。前日は平泉から花巻駅へ向かう電車の車内から夜の北上市を見たので都市の規模の違いがなんとなく分かりました。花巻駅周辺はホテルグランシェール花巻とマルカン百貨店以外は大手ホテルとマンション数棟程度しか大きな高層建築がないのが以外でした

  32. 面白かったです。有難うございます。旅行者や子供はバスとのアクセスが重要でしょうが、大半の県民が近場には車で移動してるので、新幹線駅も空港も駐車場さえあれば利便性に差はありません。その点、花巻空港、新花巻駅、水沢江刺駅は無料駐車場があるので大変便利です。

  33. 花巻市は近距離に高速のICが多すぎな気がします
    最近出来た花巻PA/SICなんて全国でも珍しい38-0って番号ですし

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