【猿田彦社】元治の兵火(1788)で焼失した朝日神明宮の末社(2025年5月1日)
朝日神明宮は麩屋町(ふやちょう)通を五条通から上がった場所にたたずむ小さなお社。 もとは平安時代の清和天皇の世(貞観年間)に現在の亀岡市に創建された神社で、戦国時代の1572年に現在地に移された。 社伝によれば、貞観年間(858~876)に丹波国桑田郡穴生村(現在の亀岡市)に造営され、元亀3年(1572)に現在地に遷座されたといわれている。天照大神を祭神とし、かつては、南北は五条通から松原通、東西は河原町通から富小路通に至る広大な社域を有し、「幸神(さいのかみ)の森」と呼ばれた。
末社として、竈(かまど)神社、稲荷(いなり)社、祓川(はらいかわ)社、恒情(こうじょう)神社、人丸(ひとまろ)社、飛梅(とびうめ)天神、八幡春日(はちまんかすが)社、猿田彦(さるたひこ)社の八社があったが、天明の大火(1788)及び元治の兵火(1864)によってその大半が焼失し、現在は猿田彦社(幸神社)ただ一社だけが残り、神石二個を安置するのみである。 猿田彦社は、「みちひらき」の神様である猿田彦大神を祀る神社です。主に、天孫降臨の際に天照大神の孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を導いた神様として知られています。
※参照:京都観光Navi ⇒https://ja.kyoto.travel/tourism/single02.php?category_id=9&tourism_id=284