足柄と『万葉の旅』
はい、こんにちは。え、ここは大有山線の大有山駅です。え、ここは、ま、あの、神奈川県南足原市なんですけれども、え、足柄というのはですね、行政区場小田原市と南足原市の 2 つの市、そして足柄原上軍の5 つの町、足原下軍の3 つの町から構成されています。 この足柄という地域は交通の要としても非常に重要な役割を担っています。 え、東海道新幹線、それから東海道本線、御殿場線、小田急線、大有山線といった鉄道に加えて、え、透明高速道路をはめとする料路、それから国道 1号とか246 号線などといった、え、主要な感染道路が縦やっています。 え、これらの交通は静岡へとつがる感染 道路としての役割、それから箱根、湯河原 、小田原といった観光地を結ぶ観光的な 役割という2つの重要な側面を担ってい ます。そして歴史を振り返ると古代には永 の国の宮子といった人物の勢力権であり、 あの坂川一体にこの人物の勢力が及んでい たと言われておりますが、え、立政時代に は相模の国に組み込まれていました。 戦国時代には小田原場市の重要な拠点地域 として、西のと呼ばれていました。 さらに時代には後に小田原の両地に属してもいいわけです。 ええ、 足柄は古くから東海地方と関東地方を結ぶ玄関口となっており、 東海道は、え、時代と共に変化しましたが、常に足柄の西側を超えていったわけです。 江戸時代にはその東海道はもちろんや倉沢王冠などの脇王もえこの足柄地方を通り箱根の席を初めとする多くの石書や所が設けられ 江戸の西型の警備という重要な役割をなっていました。 え、現在足柄地域は箱根山一体湯河原、 それから西タ、あとはマナ鶴半島などが 全国有数の観光地、それから給養地として 雇用地と言った方がいいですかね。え、 多くの人々を魅了しています。 1979年だから昭和54年かな。 え、この時には西タ沢に見ほダムが完成し、え、それによって炭沢庫が現れたことで県内の至るところに今では生活要水や工業要水を供給するというそうした重要な水源ともなっています。まっすぐ歩いて 今歩いているこの南足原市なんですけれども、今これあの足柄神社に向かって歩いているわけです。 この南足原市というのは、え、箱根山の外輪山の麓元から足原平の北西部に広がる非常に緑豊かな地域です。 市内を走る伊豆箱根鉄道大有山線に乗ればのどかな線風景を楽しむこともできます。 この地の歴史は古く中心部の本地区は市役所のある辺たりです。え、かつての古代東海道の宿場として栄えました。 江戸時代には江戸とガを結ぶや沢王冠の宿町としても賑いを見せていました。 原の東の麓元に一箱根の席を補助とする矢倉楽沢の席が設けられ、え、戸の防衛の一億を担っていた時期もありました。 近に入ると南足嵐が大きく発展するきっかけとなったのは、え、昭和初期のフジフィルム工場の設立です。 豊富な有水と、え、清らかな空気が精密なフィルム製造に適しており、多くの人々がこの地に集まりました。 大体こういうところていうのはその農業が盛んだったわけなので、あの、労働力がたくさんあったわけですよね。ですから、ま、その場所といい、環境条件といい、それから労働、え、力といい、ま、諸々の条件が重なりあっていたわけです。 あの、足が神社に、 そして特産品としては温暖な気候を生かしたみかや茶が挙上げられます。 え、それからぬという地域があるんですけれども、怒るに田んぼと書いてぬ田とダ音が入ったかな?ちょっとごめんなさい。忘れちゃいましたけれども、この田の第一地には、え、 1221 年鎌倉時代ですね、上級の乱で悲劇的な最後を遂げた藤原の乗り持ちの墓がひっそりと積んでいます。 え、市内には他にも見逃せない歴史的な名所がたくさんありまして、中でも、え、忘れてはならないのは相当州の殺として知られる大有山西最城寺です。深い緑に囲まれた総言な雰囲気で訪れる人々を常に魅了しております。 この南足原市は、え、神奈川県の南西部に一致し、 西に箱根山、それから北に丹沢三産地という 2 つの大きな山地に囲まれており、自然豊かな地域です。 で、南足原市の東側は、え、広い足柄のそのな、何て言うんですかね?あそこずっと平野になってるわけなんですよ。 だから、あの、地形としては非常に多様性があって、あの、箱根の一部にもなってんのかな? え、そんな気がしました。 今これ登ってるところもずっと足柄神社に向かって、ま、緩やかな登り坂となってるわけですね。 [音楽] この画像だとちょっと見にくいかもしれないけれども、正面や左の方にあの矢倉だけが見えるはずです。 え、注目すべきなのは、ま、この過去の箱根の火山の噴火でツもった火災流というその体積物でできた大地が 36 のなだらかな面を形成している。だから今これずっと坂道登り坂になってるわけです。 え、そしてこの南足原市の南頭側、ま、海に近い方になるんですが、こっちはあの足柄部屋が広がっていて、え、当然平だから大かな地形が広がっているわけです。 え、そこに坂川といった、え、川が運んできた土や砂がツモってできた席野が展開されて、え、土が非常に、ま、用分を持っているため昔から農業が盛です。 やっぱりその地質的な特徴として近くに ある箱根火山の影響を多く受けているわけ ですね。市の西側や北側には火山が噴火し てできた岩石や火山が広く分布しており、 え、これが温泉が湧き出る原因の1つと なっています。ま、箱根の方ですね。 は、え、北川にある沢さの山々は主に体積や編成癌という種類の岩石でできていて、 長い地球の歴史を感じさせる地想を見ることもできるわけです。 足柄平野地下には、え、砂や小石、粘土などが熱くツもっていて、 え、豊富な地下水を称えています。 え、こうやって南足柄というのは、え、 こんな感じで緑豊かな、え、景色が展開さ れているわけですが、火山活動と川の流れ によって作られた変化に飛んだ地形と地質 を持っています。この地形と地質が豊かな 自然環境を生み出し、私たちの生活や産業 に深く関わっているわけです。 え、こうやって、え、この剣道沿いをずっと歩いていくと、え、徐々にですね、わ、鼓道、入り口という看板が見えてくると思います。 [音楽] ああ、これはもうまさにあの初犯の、初販というか、あの社会思から出てた万葉の旅に乗ってる景色とほとんどだ。 正面がやらだけ で左のこんりとしたのがあれが何になるん だろう?ちょっと山の名前わかんないけど これずっとまっすぐ行くとあの足柄峠原に なるのかな ?いやあ、いい景色だな。ここ はずっとね、箱根の山がま、元々火山だっ たからっていうか、今も火山か。この前 噴火っていうか数年前 にあの噴火の恐れがあるって言って観光 中心になりましたよね 。親切な人も世の中いますよね。これ足柄 神社入り口でここ足柄古藤入り口って書い てある。でも今日は行かない。 ああ、すごいな。へえ 。こんないいとこなんだ 。これ下ってったら向こう松田の方か。 大い町とか。あ 、海も見える。これだと分かりにくいかも しんないけど。向こうあれは神津とか二宮 とかの方かな。さすがにこの道を下って いく勇気はないけれども。いや、すごいな 。 ここいい眺めだ。 黒揚げはあ、猫がいた。 猫ごめん、ごめん。邪魔する気は全然ない んだけど 。足柄神社まで案内してくれるかな?あ。 あ、見えてきた 。あ、足柄神社ここだ。着いた。 あ、到着。虫置けスプレーを持ってくるべきだった。 え、ここ足柄神社はですね。え、仮側のほり、え、かつての重要な街道である矢沢王冠沿にむ豊かな場所にあります。 あの、三道がすごく急なんですけれども、その急な三道を登った先に現れる車電というのは大変あのお細かな雰囲気を私たちに、え、印象けてくれます。 大山道が この神社の双権は古くかつては足柄峠に鎮座して足柄明人と呼ばれていました。 その後矢倉へと移り矢倉名神社と名前を改めた歴史を持っています。 現在では南足原市内の旧18過村18かえ 18 の村の総樹として地域の方々に深く進行されているそんな親代です。 心は有毛かな英雄として知られる大和た武尊のとそれから国土を開拓されたのです。 え、後期には大和た武尊の美が、え、統制 東北生からの帰り道、この足柄の坂本と いうところでですね、え、白鹿白鹿ですね 、あの白石鹿にした坂の神と出会ったと 記されており、この坂の神が足柄神社の神 様であるのではないか。ま、そういった、 え、説もあります。 法年間 江戸時代の末キに、ま、今の親が作られたわけなんですけれども、え、明治時代の中期には、え、この足柄神社と矢倉神社の名前が併用され、これが昭和に入って、え、 14 巻足柄の水平がここに多く参拝したことから足柄神社の名が広く知られるようになりました。 [音楽] で、そう、そう、これ持ってきたんですよ。 この犬孝志さんの満葉の旅、あの共養軍庫から出てたま、今もうなくなっちゃいましたけれどもね、 今あの平凡車ライブラリーから再販されて売っていると思います。 あの、共養文庫版だと確か初犯が昭和39 年で、え、犬井さんがその満葉ゆかりの地を、え、全国つ裏訪れて、え、色々としメモを取り、犬か井さん自身が撮った写真や同行したお弟子さんが撮った写真が、あの、たくさん載せられているんですけれども、この写真がやっぱり今となってはその昭和のあの古き良き時代の、え え、懐かしい風景、日本の原風景のような写真がたくさん載せられていて、そこになんか懐かしさを感じたり、より満葉のその時代が身近に感じられたりするわけなんですよね。 これあの中開いて見せたいところなんですけれども、こういうの開いていいのかちょっとわかんないんですけれどもね。ええ、この満葉の旅で紹介されている足柄の歌。 足柄の歌って確か万葉州の中に全部で15 種ぐらいあったと思うんですよ。で、その 中では足柄と読まれているものもあれば、 あの、足狩りと東獄鉛りかなで読まれて いる歌もあるんですけど、何にしてもこの 満葉の旅で、え、紹介されているのが、え 、あ、歌容マの14の歌で 、足柄の三坂曇りおのが下えをこ地で釣る かもっていう歌なんですよ。あの、足柄の その三坂峠ですね。え、峠があまりにも 恐ろしいので、え、曇りの曇りの曇った夜 のように、え、隠している下思い、秘密の 思いですね。えー、これが、え、つい言葉 に口に出てしまったなんていうそんな歌 ですね。足柄峠って言うと、あのさらし 日記の中でもやっぱり怖い思いをして作者 が、え、通っていったなんていう話が書か れてありますよね。ま、僕も今回ちょっと 足柄峠まで行こうとしたんですけれども、 時間的に無理があるので、今回は足柄神社 までで諦めて、え、この後引き返すことに しました。先ほどの万葉の話ですが、え、 この足柄の険しい坂道、え、とても困難な 道りだったわけです。 その我が下えった夜のようなその心に秘めた秘密の思い、 誰にも打ち明けられない悩みとか、え、秘めた恋心、そうした心の闇と言ってもいいんでしょうかね。え、これが、ま、物理的な闇と、え、共鳴し、抑えきれずに言葉となって漏れてしまったのではないかと。ま、そんな風に思える歌ですね。 ちでるかもなんていうそのつい言葉に出てしまったっていうその表現がどこか ま自分で自分を責めてるようなそんな悲端にも思われますし その秘密故ゆえの制御不能な感情の発みたいなものもこの歌から感じられる気がします。 ま、私たち人間っていうのは多分今もそれからこの万葉の時代の人たちも心の奥底に、ま、人に言えない思いを抱えていることっていうのは多々あると思います。 それを普段は理性や周囲の環境状況に合わせて押し込めて生きているわけなんですけれども、 しかしね、極限状態とか孤を感じてる時、 そうした秘密の思いがまるでこう席を切ったかのように溢れててしまう。 そんなこともあるのではないでしょうかと。よ え、古代の、ま、人のそうした特殊な状況を描きながらもんでしょうね。こう人間の持つ不的な心理的なメカニズムがこの 31 文字に現れていて、そうした気持ちに今を生きる僕らも共感できるからこそ万容集って面白いんじゃないかなと思います。 あ、で、これがその足柄神社の三道なん ですよ。ちょっとこうやってみると分かり にくいかもしれませんけれども、あのここ の三道の坂道、画面の下の中央のところ、 え、その先に鳥があって、その向こうに 箱根の山が広がっているんですけど、これ 結構急なんですよね。で、今見えてきた 右側真ん中にあるのがヤグだけだからその やの左下の方に足柄があるんかなと思い ます。 で、手前は多分これ換橘系のあの樹目でしょうね。え、非常に空気も良くて、え、気候もいい。そして鳥の鳴き声がたくさん聞こえる。まさにそんな 1日でした。あの、それこそ足柄とって 言うと、あのさらし日記の作者も 怖い思いをして歩いて友女さんに出会った んでしたっけ?あそこの足柄峠で。 [音楽] 昔からみんなここ歩いてたのかな ?あ、子供の日が近いからあの正面の ところにも誰か 恋のり建ててる。 ああ、すごいな。いいな、ここは。もうちょっと気をつけよう。 [音楽]
万葉集に詠まれた足柄の地を巡る旅として、犬養孝さんの『万葉の旅』を参考に、大雄山駅から足柄神社まで行ってきました。