久留里線末端区間をゆく 《上総亀山駅~蔵玉~亀山湖~大戸見~上総松丘駅》 廃止が決まった鉄路の周辺を歩く
扉が閉まります。ご注意ください。 JRくる線のか亀山駅です 。朝8時代の木津行きの列車が去っていき ました。次はおよそ6時間後の14時台 までは来ません 。JRくる線は千葉県の木津とここか亀山 を結ぶ路線です 。この日は土曜日で3両編成での運転でし た 。かさ亀山駅のホームの長さは2両分しか ありません。そこで木津から来たかさ亀山 に到着する列車は後ろの1両がホームに 入らず扉も開きません。乗客が全員降りた 後列車は1両分だけ進みは木らずに向かっ て後ろ1両がはみ出すように止め直しを するのです 。この日、かず亀山駅には30人ほどの 乗客がやってきましたが、その大半が 折り返し列車に乗って去っていきました。 地元の方も数命が乗り込まれていきました 。列車が去った後は一気もなく静かです 。これは18年前の同じ時期に撮った写真 で、当時に比べると現在は少し寂しくなっ ています 。その頃は仙台地区で走っていたトロッコ 列車がわざわざやってきて臨時列車で運転 されていたりもしました 。今回はここか亀山駅からスタートして1 日10フラフラと歩く工程です [音楽] 。この動画では前半はか坂鎌駅から東へ約 4km倉玉地区まで歩きます。一旦駅の 近くの亀山湖まで戻ってきて後半は1駅分 かず松岡駅までの内容です 。駅からすぐのところで線路が途切れてい ます 。ぐる線は1936年に勝さ亀山駅まで 伸びてきました。してこの先か中野駅まで 延長されるはずでした 。しかし中野駅までの10数kmは建設さ れることもなく現在もここで途切れたまま です。反対側の景色です。線路が伸びる 様子は伺えません 。では地図で位置関係を見ておきましょう 。現在のくる線は木津からかず亀山までの 路線です。 中野まで伸びて現在の泉鉄道を経て大原 までつがるはずでした 。東西両側の線路は戦前に開通していまし た。しかし間の10数kmが繋がらない まま現在に至っているのです 。ところでかさ中野駅には泉鉄道だけで なくもう1つ小町鉄道も伸びています 。小港鉄道は安小港駅まで伸ばす予定だっ たのですが、それが叶いませんでした。 勝野駅では別々の目的地を目指した鉄道 同士が隣り合わせています 。これはJR外防線安小駅の待屋室に展示 されている小港鉄道の戦前の長官図です 。小港まで伸びてけることのなかった夢の 跡が記されています。 話を戻しまして、かさ亀山駅から散歩を 始めます。駅の北側古くからある道を東へ 向かい赤い矢印の方へ進んでいきます 。駅のすぐ北急な斜面の熊の神社を下から 眺めつつ東へ歩いていきます 。この辺りは気温が高い時期にはちょっと した草むやし身の中にも山びが多く しばしば地を座れるので注意が必要です。 昭和44年にできた藤林随道を抜けると 坂畑の集落に入りました 。郵便局や駐在書もあります。 [音楽] 亀山中学校は2020年3月に73年間の 歴史を閉じ、田原田にあるか和さ帯中学校 に4校が統合されました。後地は廃行を 利用したキャンプ場となっています 。そのお隣坂畑小学校は2021年3月に 147年間の歴史を閉じ、くるにあるか 和小学校に3校が統合されました。 後地は学校の教具などをレンタルする会社 が利用しているようです 。少子家と加疎化が寂しいところです 。近くの小さな道を北に少し入ると気少 観測のアメダスが設置されています [音楽] 。さらに東へ進んでいきます。所々崖に 見える地装はかさ総軍と言います。後ほど お話しますが、柔らかく崩れやすい地想 です 。道路沿いには落石注意と通学路の標識が 並んでいて、なかなか怖いところですが、 学校が統合され、遠くの校舎へスクール バスで通う今、ここを歩く小中学生は 少ないでしょう 。ここはさらに上空にも注意が必要だそう です 。走行していくうち に国道465号線に出ました 。南側へ向かう織木沢井川渓谷への道が あります。 残念ながら今回はこちらへは行っており ませんと言いますか、織木沢橋からその 向こう放落箇所がいくつもあり、その先は 立ち入り禁止になっています 。過去の写真です。 橋からは風軍の地装が綺麗に見えます 。そこから難化していきますとゲートが あります。これは東京大学の千葉演習輪の ゲートで一般には入ることができませんが 春と秋には一般公開されている日があり ます。しかし現在はこのゲートに到達する ことができません。 ゲートから向こうは春や秋の一般公開日を 除いては通常は非公開なエリアです。 ゲートを入ると綺麗な警谷が続いていまし た 。そして黒滝です 。黒滝は先ほどから見ておりますか草軍と その下にあります三浦軍の境目の場所に 当たります 。を見てみましょう。 軍と三浦総軍の境い目というのはいわば かずの国の地面と安の国の地面の地質学的 な教会とも言えるでしょう 。ここ黒滝の不正と言い三浦遭軍ができて から風遭軍ができるまでに時代の差があっ たことを示すものです 。さて現在は通れない非公開エリアを黒崎 からさらに難化すると東京大学の5大作業 所につきます。 これは相野沢杉品種展示林いくつもの品種 の杉が1列ずつ植えられていて相関な眺め です 。さて国道からここまでのルートは現在は 放落によって通行できませんので一般 公開日であってももはや亀山駅側からここ へ来ることは不可能です。 代作業所から南側は一般公開には入れるの ですが、そのアクセスは鴨川市にある日 連習の大本山成長寺の側から入るルート です。ところがJR外防線の安天津駅から 成長寺への路線バスはすでに廃止になって います。そのため公共交通機関で一般 公開日を狙ってここに来ることはかなり 困難になりました 。ここまでオリキサーについて過去の写真 でお送りしました 。今回はオリキサーに向かうには諦めまし たのでここからさへ東へ向かっていきます 。東へ1kmほど滝原にやってきました。 地名に滝がついていますが、滝が見られる のでしょうか?南側に伸びる道に入って いきます。 しばらく進んでいくと左側にお寺があり ました。 駐車場には千竜寺とあります。竜の文字が 使われています 。早速参拝してみます 。小さな古いお寺で一かけは見当たりませ んが綺麗に整理されています。 道の上の方の木の板には竜の簡単な方の字 に [音楽] 散の板を見る と最国第33番ミノの国谷さんけ言寺と いう名前が刻まれています。有名な岐阜県 のお寺の名前です 。何か関係があるのかもしれません。 お寺を出まして、さらに200mほど南に 進むと亀山神社にたどり着きました。祭祀 れている神様は大和武尊のです 。ここで位置関係を見ておきましょう。 亀山神社があるのは帯川の打光に沿って南 に伸びた陸地の先端あたりです 。神社のある場所と川物標高差は20m 以上あります 。要は崖の縁に神社が立っているという ことになります 。後ほどご紹介します亀山ダムが昭和44 年にできるよりも前はこの場所のお川は もっと給流で不動の滝と呼ばれる滝があっ たとのことです。 び川で不動の滝と言いますと、もっと上流 の方が有名なのですが、ここにもう1つの 不動の滝があったのです 。その滝から不動の像が出現し、この場所 に暗してガモ千龍寺となったのです 。その後名人の新物分離により不動の像と お寺は移され、現在の先ほどの占ができ ました。元々お寺が建てられていた場所が 今の亀山神社となったようです 。亀山神社の経ありませんが、地面には コケが広がり、なかなか綺麗な景色です 。この地域の地想は総軍という比較的 柔らかい地層です 。一方、暴走半島南部は現在も土地の流機 が続いています 。土地が持ち上がりながら川が土地を削っ ていくことで川は自ら流れる筋をより深く 掘り込んでいきます。こうした状態を潜入 打光と言います 。のどかな土地に急な崖けを刻むお川の 流れが滝を生み、そこに住む人々の営波が お寺と神社を産んだのでしょう 。これは千葉県の重力図です。高いところ は標準重力よりも実際の重力が大きい ところで青は小さいところです。暴走半島 南部で土地が持ち上がっている様子が現れ ています 。これが勝山の辺りの地形に大きな影響を 及ぼしています 。国道465号に戻ってさらに1kmほど 東へ進みます。 亀山駅からは4kmほど東になりました。 倉玉地区です 。現在の国道の北側球道沿いには人化が 多く並んでいます。ぐる線がかずさ中野 まで伸びていたならばこの辺りに駅があっ たのかもしれません。しかし球道沿いを 通っていた路線バスはコミュニティバスと しても生き残れず、今は予約の必要な デバンドタクシーがあるだけです。 集落の中の高台にはお寺と神社が仲良く 並んでいます 。さて、倉玉集落の東側国道の南側へ入る 道があります 。酒屋さんの横を通ると旧倉玉小学校の 表示が見えてきます。 坂の上の高台がかつての小学校です 。当時の小学生は毎朝この坂を登り、足腰 が鍛えられたことでしょう 。登り切ったところにある兵に旧倉玉小 学校の校舎が残っています 。この小学校は明治11年以来名前が何度 か変わりつつもこの地の子供を育ててき ました 。しかし、少子家に伴って平成23年に 坂畑小学校に吸収されました 。その坂畑小学校は先ほど出てきました 通り令和3年に和さ小学校に統合されてい ます 。現在校舎の建物は木造建築を手掛ける NPO法人が使っているようです 。さて、この高台はかつて戦国時代に亀山 城があったところとされます 。亀山城といえば、ここまで来る途中の 坂畑でも看板を見かけましたが、こちらは 宿泊施設で、お城とは無関係です。なお このホテルは現在すでに閉鎖されています 。亀山城の位置は帯び津川の打行を利用し た三方が川の高台です 。上手は元サブロー兵で里見市を裏切り 法城子に着いたことで里見市の怒りを買っ たようです。その頃ちょうど亀山城は工事 中で防御のための設備が完成する前にわい の種を巻いてしまったのです。大軍で攻め られ城の外に打って出るしかなく滅ぼされ てしまったとのこと。地形を生かしきれ なかった何とも残念なお城ということ でしょうか。 東へ進むのはここまで。亀山湖に引き返し ます 。後半では亀山湖からくる線の1駅分か 松岡駅まで歩きます 。帯川に何か保チキスの針のような構造物 が延々とあります。これは何でしょうか ?同じ橋の上から2008年に撮った写真 です。上に板が敷き詰められていて、 U歩道のように使われていたようです 。亀山湖では人々が貸で楽しんでいます 。湖の壁はかずさ軍の見事な地装が見え ます 。特に崖がカーブしてますので、正面の 地装は真横に見え、側面の地装は奥側に 下がっていて、立体的な地装の向きを見る ことができます 。湖を見物しつつダムにたどり着きました [音楽] 。亀山湖はおび川を咳止めてできた亀山 ダブによる腎臓の湖です 。こちらは上流側です。波々と水が蓄え られています 。そして道路の反対側が火流側です。勢い よく水が放出されています 。亀山ダムは千葉県営としては初めての 多目的ダムで貯水できる量は県内で最大 です。 地形図を見ておきましょう。亀山ダムは かさ亀山駅から徒歩10分ほどの距離に あります 。そしてこれがダムができる前の地形図 です。白黒で見にくてすいません。川の そばの平坦な面が水没している様子が 見比べれば分かると思います。 ダムのほりには亀山安らぎ感があります 。多くの車やバイクが休憩に立ち寄ります 。観光案内所の他、土産物や地元の野菜 などの販売もあります。食堂もあってここ でお昼をいただくことにしました。ダムと 言ったらダムカレーということでダム カレーをいただきました。 [音楽] も満たされましたのでお川の火流に向かっ て足を進めていきます 。亀山ダムの食材の文字が見えます でしょうか?その奥にあるのがダムの管理 事務所です 。ダムから離れて歩いていきました。平坦 な場所を歩いているように見えますが、 すぐ右側にはび側の刻んだ深い谷が並行し ていて、標行の差がはっきりと分かります 。 坂を降りていくと道路が損傷していて片側 交互通行なのですが、特に信号で制御する ことはなくセルフ交互通行です 。そして高水橋に着きました 。先ほど旧倉玉小学校のありが亀山城の あった場所だとお話ししましたが、実は 亀山城はこの高水の向こうの方に見える山 ではないかという説もあるようです。両者 は4km以上離れています。古代子のこと ならともかく戦国時代くらいの城の場所で も分からないことがあるものです [音楽] 。進路は北向きになってきました。 でが元気に走り回っています。女装のため でしょうか ?この辺りは剣道24号線でくる街道と 呼ばれています 。さらに進んでいきますと再び国道465 号に出会いました。の交差点です 。標識ではここが国道465号と国道 410号の別れ目みたいに見えてしまい ますが、右側も正面も共に国道465号 でして410号とはもう少し先を進んだ ところで出会います 。465号を少し進むと謎の大橋を渡り ます 。カーブしている割と大きな橋ですが、 お川の本流を渡るわけではなく、子流の谷 を超えます。子流と言っても結構深い谷を 刻んでいます。下まで降りていく球道の方 は完全に通行止めになっていました 。同時にこの謎の大橋ではJRくる線の 線路も超えます 。この先トンネルが狭いため注意の看板が あちこちに立っています 。そして大との交差点にやってきました 。信号機のない交差点で歩程もなく狭い 場所です 。右に分かれる細い道があります。実は これも国道です 。この交差点はなかなか面白いところです 。ここまで国道465号も進んできました が、この交差点から先は国道410号に 変わります 。地図で整理しましょう。大との交差点は ここです。そして国道465号の経路は この通りです。なんとまっすぐの感染道路 の方ではなく、右にそれ狭い道に続いてい ます 。そしてさらに不思議なのが国道410号 です。向こうからやってきた国道410号 はヘアピンのように折れてやはり狭い道に 続いています 。写真で見てみましょう。この通りです。 こちらからの465号と向こうからの国道 410号が両方とも右の狭い道へ続いてい て共養区間となっているのです 。しかし大抵の車は狭い道の方は意識せず 国道同士を走り継いでいきます 。それではその狭い国道に入ってみ ましょう 。すぐに登り坂になっています 。大型車は通り抜けができないと書かれて いますが、文字は消えかかっています 。おにぎり型の標識は国道415だけが 示まされています。 さらにしばらく行きますとトンネルが現れ ました 。トンネルの名前はどこにも書かれてい ませんが、よ第1水道です 。このトンネルは国内で現在通行ができる 国道のトンネルのうちで2番目に古い トンネルだそうです 。明治35年に開通したものです 。できたその頃はすりのトンネルで おそらく昭和になってからモルタルを 吹きつけた作りってます 。内壁は手彫りの跡とうっすらかずさ遭群 の地装の模様があってデこボコです 。道幅は4mほど高さも4mほどです 。照明はなく全長52の中央あたりに来る と昼などに真っ暗です 。お折り地元の方の軽自動車が通り抜けて いきますが、トンネルの中では利合はでき ないでしょう 。これは反対側から見たところです。 100年以上もよくトンネルが維持できた なと関心するところです [音楽] 。貴重なトンネルを見た後は先ほどの大と の交差点に戻ってきました 。国道につきましてはお話しした通りなの ですが、もう1本こちらにも道があります 。国道ではないこの道の方へ進んでいき ます 。この道はすぐに橋でJRくる線を超え ます 。その向こうは右側は山、左側は帯川の谷 です 。この右側の山、実は戦国時代にはお城子 があったようで、大ト城と言います 。このまま坂道を下っていくと平坦な場所 に出ました 。振り返って先ほどの山を見てみます 。この山へ入る場所がどこかにあるはずな のですが、すっかり荒れてしまっていて、 ちょっと見つけられません。そこで 2007年に入った時の写真でご紹介し ます 。山へ登っていきますと展望が開けます 。眼下には池が見えます。今は木が美いし げっていますが、ひょっとするとお城の 当時は結構遠方まで視界が広がっていたの かもしれません 。さらに進んでいきますと左側は人工的な 盛り土のような気がします。 地形図を見てみます 。ここが先ほどの大との交差点。そしてお 城の場所はこの辺りでしょう 。上から見えていた池と山の上のお城の 標行差はおよそ40mあります 。そしてこの地形図池の辺りをよく見ると 何かが見えてきます 。この部分、今色が変わった部分はお川の 当時の龍路です。池は元々川の一部だった のです 。つまりオト城は帯ビツ川がすぐそばに 迫る高台に気づかれたということです。 に先ほどご紹介しましたトンネルの夜町作 の地名は元々このような字を書いて敵の 襲撃に備えて柵が張り巡らされていた場所 を表していたようです 。オート城は1590年に家康のケ雷の 大軍に攻められて落上したようです 。その後江戸時代に入って京方の時代に 帯び光側の曲がりくねった龍ロをまっすぐ に付け替える工事を行い、その痕跡が今で も地形図に残っているのです 。このような川の付け替えを川回しという のですが、妄送半島にはこの川回しの跡が 底に残っています 。この付近の平な土地は太陽光発電の パネルが数多く取り付けられています。 南側からの眺めです 。右側の土地に比べ左側の土地が1段低い のですが、ここがかつての川の後でしょう [音楽] 。川回しをショートカットしたあたり、 大森橋にやってまいりました 。現在は右奥から手前に向かって川が流れ ていますが、かつては正面の山を回り込ん で左側から川がこちらへ流れてきたのです 。 ちなみに大森橋は最近駆け替えられて随分 綺麗になりました 。のどかな風景の中、目的地であるか松岡 駅が近づいてきました。関係を確認します 。再び国道410号と465号の共用の 国道に戻っていきます 。右側は先ほどの夜町第一道の方です。 左側が松岡の集落に続いています 。松岡小学校です。こちらも最初に紹介し ました坂畑小学校と共に統合されました。 現在その校舎はドローンの教習所となって おり、二宮金次郎が小学校時代のおかげを 伝えています 。この先標識では国道は左折方向につがっ ていますが、地形図では直進方向も国道 415とされています 。その角がここです。左折方向もとても 国道には思えないような住宅地の中なの ですが、この周辺は410号と465号の 球道とバイパスが持ちれるように入り組ん でおり、なかなか面白いところです 。直進方向に進むと省営動産があります。 豆腐を使った我がのお店で酔って行き たかったのですが、営業時間が終わったの かお休みだったのか開いていませんでした 。残念です。 集落の中の道を抜けてか松岡駅に たどり着きました 。亀山湖から直線では4kmほどなのです が、あちこち迂しましたので朝からの補数 の合計は4万を超えました 。かさ松岡駅はログハウス風の駅舎です。 平成12年に進築されたものです 。中に入ると木星のベンチがでかいなと 思ったらテーブルでした 。ホームに出てみます。駅舎とホームの間 のスペースは貨物の取り扱いを行っていた 時のもので昭和の半ばまで使われていた ようです 。ホームは1つだけですが向いにもう1つ ホームの跡があり、かつては生き違いも できる駅だったようです 。さて、JR東日本は2024年の11月 にくる線の末端であるくり駅とか亀山駅の 間を廃止すると表明しました。この区間は 全て鬼密市に属しており、鬼密市も廃止の 方針を受け入れたとのことで、あは廃止の 時期とその後の交通が決まれば鉄露は なくなります 。この区間は鉄道100円の収入に対する 経費が 1万3580円、輸送密度が64人kmと 人がほとんど乗っておらずかなりの赤字だ そうです 。春や秋などの後落シーズンの休日に列車 に乗ると亀山湖などを目指す後落客で車内 は割と賑わっている印象もあります。 しかし多くの攻楽は青春18キップ、3級 千葉フリーパス、休日お出かけパスなどの フリーキップを利用しますから、輸送位員 にあまりカウントされていないのかもしれ ません 。この写真は後落シーズンに運転されてい たくり線沿線とかさ中野方面を結ぶバスで バス艇には長い列ができていたものです 。最も後落シーズンではない平日は列車に 客がほとんど乗っていないようで廃止は 止むなしのようです 。こちらは亀駅から歩いて5分ほどにある バス停です。千葉市と鴨川市を結ぶバス カピーナ号の定流所です。廃止になる平山 駅、か沢松岡駅、そして亀山駅の3駅の 近くを通っており、1日急往復運転され、 今でも乗り換えなしで早く千葉市や鴨川市 に出ることができます 。平山駅と勝沢松岡に行きには東京駅に 発着するバス号も発着し、1日8往復が 利用できます。この地域には公共交通機関 はすでにあるということなのかもしれませ ん。 哲路の廃止は残念ですが、このエリアは なかなか面白い場所がまだまだあります。 バスを使ってあるいは自価要でまた訪れる ことでしょう 。今回はここで終わりにします。長々とお 付き合いくださりありがとうございました 。それではまたお会いしましょう。 チャンネル登録よろしくお願いします。 [音楽]
廃止が決まった久留里線末端,千葉県君津市の上総亀山駅と上総松丘駅の周辺を歩きます。
■主な収録内容
上総亀山駅,小櫃川,折木沢,亀山神社,蔵玉,亀山城,亀山ダム(亀山湖),大戸見交差点,国道410号,国道465号,四町作第一隧道,大戸城,川廻し,上総松丘駅
■撮影時期は,特記のない限り2025年4月ですが,2007~2008年ほか,過去の写真も多く使用しています。
■特記がない限り,写真や映像は作成者が撮影したものです。素人がコンパクトディジタルカメラで撮影した写真と映像です。特に映像部分は,想像以上に手ブレがひどく,お見苦しいと思われます。ご勘弁ください。
■地図は,次の通りです。
・地形図は,国土地理院のWebサイトで公開されているものを引用しています。
・地質図,重力図は,20万分の1日本シームレス地質図V2(©産総研地質調査総合センター)から引用しています。
■Google earthの画像を使用しています。
■使用音源の多くはAudiostockのもので,ライセンスを所有しております。
https://audiostock.jp/
■ぬれよん (nureyon.com) さんの素材を使わせていただきました。
■動画作成の初心者です。今後,精進して質を向上させてまいります。
よろしければ,チャンネル登録,よろしくお願いします。
#君津市 #久留里線 #上総亀山 #亀山湖 #小櫃川
#廃線 #房総 #上総松丘 #地学 #小さな旅
0:00 上総亀山駅
4:40 坂畑
6:46 折木沢
9:46 滝原・亀山神社
13:36 蔵玉・亀山城
16:40 亀山湖
21:02 四町作第一隧道
25:10 大戸城
28:59 上総松丘駅