第1577回「みどり」2025/5/2【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師
[音楽] [音楽] おはようございます 。5月になると坂村新民先生のこれからだ という死を思います。これからだ。緑の風 をこれからだ。 燃えずる鳥これからだ。満ちくる牛をよ これからだ。燃え出る足をこれからだ。私 のせよこれからだというであります。緑と いう感じには3種類あります。温という緑 であります。柳は緑、花はくれないという 時にはこの緑を使っています 。もう1つ壁と読む緑があります。こ緑に していよいよ白く山青くして花もえんと 干すという場合にはこの壁の字を持ち使い ます。それから水と読む緑があります。 教授の緑という場合にはこの水緑の字を 使っています。よく緑について漢字次元に は緑、青竹や草の色で青と木の中間色、 また水みしくて深い感じの色、緑色のと いう解説があってその後に柳は緑花はくれ ないという要があります。それから千里 うぐいす泣いて緑くれないに得という都木 の高難の要例もあります。6は竹や木の川 を剥いで川が点々と散る様緑緑は糸プラス 温6で川を剥いだ青竹のような緑色に染め た糸を示すという説明もあります。次には ケ府で青木色のもの糸から構成され6がむ 緑は竜であるの水は上からそれを見れば 流前清らかな様として緑色をなしている。 この色はそれに似ているのであるという 解説がありますのでいろんな説があるよう です 。と言うと緑色の衣服身分の低いものの服 という意味であります。壁緑は青く寸んで 見える石です。壁眼は勢力色の岩、コケの 生えている岩です。壁眼という前の書物の にもなっています。を緑にして取り いよいよ白くというように自然の中でも 特に海や湖水に関わるものも多く深く済ん だ式長を表します。水緑は鳥の名川セミカ の水取り背は光沢のある勢力色とはであり ます。元々川セミのことは言ったようで あります。合わせは縁の池でもよく見かけ ます 。とても綺麗な羽の色をしています。緑の 緑は最も基本的な緑の色で、水は奇水の ような勢力色、壁の緑は無色の奥から 浮き出す勢力色とも解かれています。緑は この季節の侵緑の色です。春になって草が 芽いてそれがさらに緑になって命を感じ ます。命が育っていることを感じる色で あります。それから緑は青と木の完触、 中間色ですからきつい色ではありません。 心を穏やかにしてくれます。安らぎや 落ち着きをもたらしてくれます。森林欲 などはこの緑の中で心が落ち着くのであり ます。それに何と言っても緑は大自然を 感じる色でもあります。柳は緑、花はくれ ないの前後には思い出があります。音師の 松原大道先生のことを思います。私はまだ 中学生の頃から松原大道先生にはお世話に なってきました。30年の長きにわってご 指導いただいてその間にはたくさんの書物 に署名をして頂戴しました。1番サイン後 に頂いたのは父出版社の今をどう生きるの かでした。その時に松原先生は私の目の前 で筆を持たれて柳は緑や花はくれない 102歳道とおかきくださいました。今も 大事にしています。円学寺の全館長足立 大臣老師のもで岩波文庫から全国を観光 するにあたってその編集作業を担当してい ました。およそ7年にわたって1つ1つの 前後についてその出点などを調べていたの でした。全ての前後の出点を調べてごくを 参照して肯定したのでした。ある日のこと は足立老師がお元気な頃老師のご自望で 編集作業をしていました。その作業中に 突然柳は緑、花はくれないの出展は何かと ご家紋がありました 。この後の出点についてはこらより諸世と あって難しいのです。私はその場で様々な 書物にあたって調べてみました。しばらく して奥の茶室からお声がかかりました。 茶室で足立老師ご自身のお手前でお茶を 頂戴していると老師から出点は分かったか と問われました。柳際緑へ花はくれないは 11世紀の中国の北総時代の詩人であり 政治家でもあった祖藤場の悟に由来すると 言われています。場の東馬前奇州に柳は緑 、花はくれない真の面目と読まれているの が元だというのです。柳は緑に花はくれ ないにそれがそのまま真実の姿だというの です。私があれこれ調べたところを 申し上げていると老師はお茶を立てながら 出点はなごらん窓の外だよと大になりまし た。窓から外を眺めると檻から侵緑の季節 で眩しいばかりの前山侵緑の中でした。 そしてその緑の中に美しい花が咲いてい ます。まさに流力柳緑、花はくれないの 世界が間のに現全していました。前後を 書物の上だけで学んでいてはその本質を 見失ってしまうことを老師は教えて くださったのだと思います。心力の季節に なるとそんなことを思います。足立郎は この新力の頃のお生まれでもありました。 大自然は常に教えを解き続けてくれてい ます。私たちは謙虚に学ぶ心は失っては なりません 。それでは姿勢と呼吸と整えてまいります 。まず両方の足で床をしっかりと踏みしめ てこの大地に支えられていることを感じて 足に力を入れてよし立ち上がるぞという 気持ちでお尻を5cm10cmほどすっと 持ち上げていってストンと下ろします 。息を吸いながら肩をぎゅっと持ち上げて いって吐くと同時にストンとロします 。もう1度息を吸いながら肩をっと 持ち上げていって吐くと同時に ストン取らします 。最初1息息を強く吐き出します。その時 にはお腹の底に溜まっている空気も全部 吐き出してしまうつもりで、胸に抱えて いる思いやわいも全部吐き出してしまう つもりで口を開いて人息強く と吐き出して口を閉じますと鼻から新鮮な 空気がいっぱい入ってまいります。おへそ の下ひ下ひ下ひ下腹いっぱいに新しい空気 が満ちてさらに体の隅々まで新しい空気が 行き渡っていくのを感じながら あありがたいな嬉しいなとこの思わず 微笑みがこぼれてまいります。こんな 気持ちでその後は口を閉じてただ鼻から息 が出たり入ったりする様子を静かに見つめ て座りましょう。 はい、ありがとうございます。どうぞ今日 も良い1日でありますようにお祈りして おります。
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五月になると、坂村真民先生の「これからだ」という詩を思います。
これからだ
みどりの風よ
これからだ
さえずる鳥よ
これからだ
みちくる潮よ
これからだ
もえでる葦よ
これからだ
わたしの生よ
これからだ
という詩であります。
みどりという漢字には、三種類あります。
音で「りょく」という緑であります。
「柳は緑、花は紅」という時には、この緑を使っています。
もうひとつ「へき」と読む碧があります。
「江碧にして鳥逾白く、山青くして花然えんと欲す」
という場合には、この碧の字を使います。
それから「すい」と読む翠があります。
「松樹千年の翠」という場合にはこの翠の字を使っています。
緑について『漢字源』には、
「みどり。青竹や草の色で、青と黄との中間色。また、みずみずしくて深い感じの色。みどり色の。」
という解説があって、そのあとに、
「柳緑花紅」という用例があります。
それから
「千里鶯啼いて緑紅に映ず」という杜牧の「江南春」の用例もあります。
「彔ロクは、竹や木の皮をはいで、皮が点点と散るさま。
綠は「糸+(音符)彔」で、皮をはいだ青竹のようなみどり色に染めた糸を示す」
という説明もあります。
『漢辞海』には、
「絹布で青黄色のもの。「糸」から構成され、「彔」が音。
「緑」は「瀏」である。荊泉の水は、上(=岸辺)からそれを見れば瀏然(きよらかなさま)として、緑色をなしている。この色はそれに似ているのである。」
という解説がありますので、いろんな説があるようです。
緑衣というと、「みどり色の衣服。身分の低い者の服」という意味であります。
碧は、「あおくすんで見える石」です。
「碧巌」は「青緑色の岩。コケのはえている岩」です。
「碧巌録」という禅の書物の名にもなっています。
「江碧にして鳥逾白く」というように、自然の中でも特に海や湖、水に関わるものも多く、深く澄んだ色調を表します。
「翠」は「鳥の名。カワセミ科の水鳥。背は光沢のある青緑色。」であります。
もともとカワセミのことを言ったようであります。
カワセミは、円覚寺の池でもよく見かけます。
とてもきれいな羽の色をしています。
「緑」はもっとも基本的なみどりの色で、「翠」は、ひすいのような青緑色、「碧」は、無色の奥から浮きだす青緑色とも説かれています。
緑は、この季節の新緑の色です。
春になって草木が芽吹いて、それが更に緑になって命を感じます。
命が育っていることを感じる色であります。
それから緑は青と黄の間色ですから、きつい色ではありません。
心を穏やかにしてくれます。
安らぎや落ち着きをもたらしてくれます。
森林浴などは、この緑の中で心が落ち着くのであります。
それになんといっても緑は、大自然を感じる色でもあります。
「柳緑花紅」の禅語には思い出があります。
恩師の松原泰道先生のことを思います。
私はまだ中学生の頃から、松原先生にはお世話になってきました。
三十年の長きにわたってご指導をいただいて、その間には、たくさんの著書に署名をして頂戴しました。
一番最後にいただいたのは、致知出版社の『いまをどう生きるのか』でした。
その時に、松原先生は、私の目の前で、筆を持たれて「柳緑花紅 百二歳泰道」とお書きくださいました。
今も大事にしています。
円覚寺の前管長足立大進老師のもとで岩波文庫から『禅林句集』を刊行するにあたって、その編集作業を担当していました。
凡そ七年にわたって、ひとつひとつに禅語についてその出典などを調べていたのでした。
全ての禅語の出典をしらべて、語句を参照し校訂したのでした。
ある日のこと、足立老師がお元気な頃、老師のご自坊で編集作業をしていました。
その作業中に突然、「柳緑花紅」の出典は何かとご下問がありました。
この語の出典については古来より諸説あって難しいのです。
私はその場で様々な書物にあたって調べてみました。
しばらくして奥の茶室からお声がかかりました。
茶室で足立老師ご自身のお手前でお茶を頂戴していると、老師から出典は分かったかと問われました。
「柳緑花紅」は十一世紀の中国・北宋時代の詩人であり政治家でもあった蘇軾(蘇東坡)の詩句に由来すると言われています。
蘇東坡の『東坡禅喜集』に、「柳緑花紅真面目」と詠まれているのがもとだというのです。
柳は緑に、花は紅に、それがそのまま真実の姿だというのです。
私があれこれ調べたところを申し上げていると、老師はお茶を点てながら、「出典はな、ご覧、窓の外だよ」と仰せになりました。
窓から外を眺めると折から新緑の時節で、まぶしいばかりの全山新緑の中でした。
そしてその緑の中に、美しい花が咲いています。
まさに「柳緑花紅」の世界がまのあたりに現前していました。
禅語を書物の上だけで学んでいては、その本質を見失ってしまうことを老師は教えてくださったのだと思います。
新緑の季節になると、そんなことを思い起こします。
足立老師は、この新緑の頃のお生まれでもありました。
大自然は常に教えを説き続けてくれています。
私達は謙虚に教えを学ぶ心を失ってはなりません。
横田南嶺
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【サムネイル写真の募集】毎日の管長日記と呼吸瞑想
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この度「毎日の管長日記と呼吸瞑想ラジオ」につきまして、皆さまからのサムネイル写真を募集いたします。
いただいた写真を「毎日の管長日記と呼吸瞑想ラジオ」のサムネイルとして使用させていただきます。
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■応募内容
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・季節や時間帯で変わる円覚寺の風景
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また、お一人さま何枚でもお送りいただけます。
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カメラは横向きで撮影お願いいたします。
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下記のメールアドレスに必須情報をご記入の上、写真データをお送りください。
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