京都仙洞御所の藤棚 Wisteria trellis at Sento Imperial Palace, Kyoto #京都 #仙洞御所 #藤

何年も通いつめて満開の藤棚が見れたのは今年初めて。開花期間が桜より短いので、満開にたどり着くのは至難技

京都仙洞御所とは

■説明
大宮御所と仙洞御所は現在は一体ですが、御殿が残るのは大宮御所の方です。京都御所とは異なり現在でも天皇、皇后、皇太子、および皇太子妃の行幸啓の際の宿泊に使用されるため警備が厳重です。また2005年4月に京都迎賓館がオープンするまでは国賓の宿泊として使われ、エリザベス女王やダイアナ妃も泊まられました。外観は和風ですが大正時代に内装を洋風に改装し周りにガラス戸をはめ冷暖房完備です。

申し込み制の無料参観も自由行動は認められずガイドとして宮内庁職員が先導と説明をされ最後尾を皇宮警察官が付いて来られます。ルートから外れたり、沿道の苔をうっかり踏むと注意されますが上質を保つためには致し方ないところです。

■所在地
京都御苑の東側の「清和院御門」から大宮御所、仙洞御所を囲む築地塀に沿って西に直進すると、敷地の北側に警察官が常駐する入口あります。京都御所からは南東に位置し、その北方には木立の中に京都迎賓館があります。ちなみに京都仙洞御所とその北にある京都迎賓館との間に拡がる森林地帯は、藤原道長の豪邸「土御門亭(つちみかどてい)」が在った場所です。寛仁2年(1018年10月18日夜の祝宴で藤原道長の有名な句「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」が詠まれた場所として知られています。道長の三女、威子が後一条天皇の中宮(正式な妻)となった事を祝って開いた宴で藤原道長が詠み、出席した公卿一同も、この名歌を全員で詠み道長を称えたと記録されています。

■アクセス
京都市営地下鉄: 烏丸線 「丸太町駅」から徒歩15分
京都市バス  : 府立医大病院前から徒歩10分

■参観申込
 https://sankan.kunaicho.go.jp/guide/sentou.html

■見どころ
・御常御殿(おつねごてん)
庭には紅梅・白梅、竹林、松が植樹され「松竹梅の庭」とも伝えられています。

・州浜(すはま)
南池(みなみいけ)の西に100mに渡って111,000個の同サイズの石を敷き詰めて砂浜を表現したもの。その石1個は米1升と交換することで数を揃えた事から「一升石(いっしょうせき)」と呼ばれる。

・醒花亭(せいかてい)
南池(みなみいけ)の最南端に建てられた
こけら葺きの数寄屋造り。庭全体が見渡せる。名前の由来は唐の詩人、李白の詩から取ったもの。その出典を示す石刷りの額が障子の開いた部屋の上部に架かっています。

・又新亭(ゆうしんてい)
北池の西側に建つ、又新亭は明治17年に近衛家から献上された茶室。

■歴史
1630年(寛永7年)
後水尾(ごみずのお)上皇とその后の東福門院のために造営される。
御水尾上皇の御存命中に三度焼失し、その都度再建。以後、下記5代の上皇の仙洞御所として使用された。

・霊元(れいげん)上皇
・中御門(なかみかど)上皇
・桜町(さくらまち)上皇
・後桜町(ごさくらまち)上皇
・光格(こうかく)上皇

この時に造営された庭園は作事奉行の小堀遠州が作庭したもので、北側の女院御所の庭園も同時に造られた。石積みの直線的な岸辺のあるプールのような斬新なデザインであったが、御水尾上皇はお気に召されず、後の改修拡張時に遠州当時の遺構を南池東岸の一部に残して、ほぼ全面的に変えられた。

1747年(延享4年)
北池と南池をつなげる。

1854年(嘉永7年)
仙洞御所・大宮御所とも火災で主要建造物を焼失し現在は一面の松林となっています。

1855年(安政2年)
現在ある築地塀が京都御所と共に造営される。。

1867年(慶応3年),
大宮御所のみ整備され仙洞御所は再建されず現在に至る。

1914年(大正3年)
北池と南池の間に紅葉橋が架けられる。

2019年(令和元年)5/1
従来の「仙洞御所」から「京都仙洞御所」と改称

■大宮御所
上皇の后のための女院御所
1867年(慶応3年)に孝明天皇の女御、後の英照皇太后の為に女院御所の跡地に造営されました。英照皇太后が1872年(明治5年)に東京に移られた後は御常御殿(おつねごてん)のみを残して整理され現在に伝えられており
現在も天皇皇后両陛下が京都ご入洛時の御宿泊所として使われます。

■仙洞御所
上皇(退位した天皇で、院とも呼ばれる)のための御所。1854年(嘉永7年)の大火で主要建造物が焼失しましたが、ちょうどその時、上皇がおられなかった為、再建されず、その14年後の1868年に明治維新を迎え現在に至ります。現在の仙洞御所には醒花亭(せいかてい)、又新亭(ゆうしんてい)の二つの茶室以外に御殿等の建物は全くなく、東側いっぱいに南北に拡がる雄大な庭園が往時の面影を残しています。

◾️仙洞御所の見学
仙洞御所の庭園には北池,南池という2つの大きな池と2つの茶屋があります。北側にあった女院御所の庭園と南側にあった仙洞御所の庭園が一体化した回遊式庭園です。苑路は北池を回って,北池と南池をつなぐ運河に架かる土橋を渡り,南池に出ると,平たい小石を一面に敷きつめた洲浜が目の前に広がります。平べったい楕円形で手のひらサイズの石の数は111,000個。1815年に京都所司代に任命された相模国小田原藩の7代目藩主、大久保忠真(おおくぼただざね)が領民に呼び掛け石一つを米一升と交換し一つ一つ真綿に包んで運んだ事から一升石と呼ばれています。神奈川県湯河原の吉浜海岸で集められたと伝わります。春には桜,藤やツツジといった花々を,秋には木々の紅葉を楽しむことができます。南池にかかる八ッ橋の藤棚は毎年5月に見頃を迎えます。

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