丹那(たんな)漁港 大河漁業協同組合 広島市南区丹那町1−7 #広島 #広島市 #丹那町 #広島県 #丹那漁港 #大河漁業協同組合 #釣り船 #大河水産まつり #広島湾
丹那漁港には多くの釣り船が存在する。多くの釣り人が船釣りを楽しんでいる。よく釣れる魚は、アコウ、アコウ、マダイ、カサゴ、マダイがある。
丹那(たんな)漁港 大河漁業協同組合 広島市南区丹那町1−7 #広島 #広島市 #丹那町 #広島県 #丹那漁港 #大河漁業協同組合 #釣り船 #大河水産まつり #広島湾 20250407 @akibingo
丹那漁港にある大河漁業協同組合前で、毎年2月に「大河水産まつり」が開催されます。
鮮魚や広島牡蠣の販売に飲食ブースが出店される水産イベント。
人気の釣り堀もあります。鮮魚の販売。
広島市南区丹那付近。 埋立により現在の水域のみが残されている区域のため,. かなり陸に入り込んだ構造となっている。 ・丹那船だまり
山城町公園の南側に水路が切れている場所がある。かっては、このあたりには漁船が並ぶ入江だった。江戸時代の仁保島東新開開発の時にも広島湾につながる漁の拠点として、この入江は残された。
この場所には船上で生活する人がいた。
この地区からは交通の便もあり、漁師のおかみさんが獲れた魚を市内中心部にリヤカーに乗せて「なんまんえー」と声をかけて売り歩く行商形態が創出された。
冷蔵技術が発展していない時代にイリコにできないカタクチイワシを小イワシとして、直接消費者に届ける先駆的流通形態だ。明治時代は現在の広島駅北口に拡がる綿畑の肥料として、需要に供給が追い付かなかったが、大正、昭和になると輸入により、国内綿花栽培が衰退し、食品としての需要促進のため、丹那の漁師は新しい流通形態を創出した。「なんまんえー」の意味は江戸時代に鷹狩の鷹の餌としての需要があり、「生餌」が「なんまんえ」と呼ばれたことに起因する。
小イワシの他に、ワカメやアサリやハマグリも売られていた。
「7回洗えば鯛の味」と言わる小イワシの味。
丹那地区は戦後になって、大規模な埋め立てが行われ、マツダの工場、住宅地に変貌したが、山城町公園にはかっての漁村を彷彿される風景が残されている。
雁木や海に下りる階段もそのまま残されている。
かっては、この丹那から大河を通り、広島湾に出た。大河漁港は今も健在だ。
漁協側に各地の漁師町と同様に魚貝碑が立っている。命を大切にする日本人の心を世界の人々は理解すべきだ。命に感謝するから「いただきます」との言葉がある。八百万の神を敬う心が日本人にはあるのだ。
大河漁協では「漁師めし」として、江戸時代の郷土料理「海苔汁」の復活普及に尽力している。
牡蠣だけではなく、広島海苔や広島わかめも広島ブランドなのだ。
千田貞暁の宇品築港時、最後まで、抵抗したのが、大河、丹那地区の漁民だった。