半原の用水路を踏破してみた

今回の旅は愛川町半原にある用水路です。

2年前の横須賀水道みちの旅6日目最終日の下調べで地図上に用水路表記があるのに気づいたのが旅のきっかけ。
中津川を取水源とする用水路ですが江戸時代終盤には既にあったと思われ、これまでのような灌漑用ではなく水車を回すために造られた用水路なのです。
半原はかつて糸の町として繁栄したことで知られ撚糸の発祥の地でもあるのです。水車はこの撚糸の製造のため電力化するまで使われていたのです。
現在は水車や撚糸工場は無くなりましたが唯一残った用水路を辿りかつて繫栄した街の面影を探す旅です。

ちなみに旅の終盤で撮影ボタンを押し忘れる痛恨のミスをしましたが、撮影できていない区間の多くは偶然にも横須賀水道みち6日目の旅で(逆向きですが)歩いたつまり撮影していました!

動画リンク
横須賀水道みち53kmを踏破してみた6日目 https://youtu.be/64oqUrnwbYM?si=A0yUfgTr9lqgD_q3 動画の23分31秒から55秒までが今回の旅で撮影できていなかった区間の大部分です。

参考文献
糸のまち半原の歴史:愛川繊維会館レインボープラザHP内

00:00 旧半原水源地を2年振りに訪問
03:38 オープニング
04:30 旅のスタート
04:45 水門
05:55 取水口
07:13 開渠と石碑群
08:38 レインボープラザ
10:41 旧撚糸工場?
11:49 水門
12:39 中津川への排水
14:40 サイフォン?
16:34 撮影ストップ
17:43 撮影再開
18:06 ゴール
19:05 横須賀水道の水道管と隧道
20:02 旅の総括

#半原の用水路
#愛川町
#横須賀水道
#半原水源地

5 Comments

  1. 飲用でもなく農業用でもない産業用用水路は、水路のいでたちも周辺の構造もおのずから異なっているように見受けられます。祖母の実家が相模原で養蚕を営んでいたので当時の様子は聞き及んでいたのですが、対岸の愛川町が撚糸業発祥の地だとは知りませんでした。祖母の家が採った生糸は対岸のここ半原に送られて撚糸となって横浜に送られ、そこから船で海外へと輸出されていたのかもしれない、などと考えると往時の盛況が幾重にも連なって回転する水車の群れとともに目に浮かぶような気がしました。今回も興味深く実にエデュケーショナルな踏破おつかれさまでした。

  2. お疲れ様です。貯水池が消滅していたのは時代の変遷とはいえ、この地から送られてきていた水💦で育った私には一抹の寂しさを感じます。

  3. 貴重な動画をありがとうございます。それにしても沈砂地の改修:公共工事って、余計ですね。。歴史や風土を無視して予算利用や工事利権を感じますね。。本当に住民のための心のある工事になってない。。。 楽しく勉強させてもらいました。 (ベトナム寺院?なぜ?が気になりました。)

  4. 昔愛川町に住んでいたので(住んでいたのは中津でしたが)、見知った場所が出てきてなかなか興味深かったです。こうして見ると、まだまだ知らない場所がたくさんあるものですね。小学生の頃に社会の授業で、愛川町では昔撚糸産業が盛んだったと聞いた記憶があります
    同じ社会の授業で、愛川町の小沢大塚~六倉地区は昔、用水路を引いて田畑を開墾したと聞いた記憶もあります。用水路も残っているはずなので、いずれ機会があれば是非用水路巡りの動画をお願いします!

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